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夢博士の独白



虚妄と虚偽に満ちた現実、永遠の彼方から聴こえる歌声、反転する闇夜と謎めいた純水

 もう一度、土砂降りの「雨天」を見上げることにしました。ところが「夢」の中では、物理的な「水滴」が落ちて来ることはない。私の「心」が泣き濡れているのかも知れない。私の「心」が抜け落ちているのかも知れない。そこは深くて浅いのか、その「底」は悲しく嘆く、その「対象」は見えて来ることはない。
 六台のタクシーが「水飛沫」を上げながら、私の「目」の前を通り過ぎて行くのです。私の「意識」の周りをクルクルと回って、時には「豪雨」となって、「朝」に起きて「夜」に眠るが如く、それは「規則性」を繰り返しているのです。然るに、同じ「意識」が還って来るとは限らない。急がなければならない。新幹線が「定刻」に発つとは限らない。
 私の「視線」は物憂げに傾く、私の「心臓」も物悲しく響く、見たくはないが見なくてはならない「箱」が、空気より重い「臭気」のように視えて来たのです。バローの「吐息」が聞こえて来る。彼の「体臭」が閉じ込められている。いっそのこと、この「箱」を開け放って、残酷な「太陽」に曝すべきなのか、冷酷な「寒気」に晒すべきなのか、嗜虐的で自虐的な「欲望」が湧き上って来たのです。
 私の「身体」は少なからず揺れて、それでも思い直して、「意識」は何ものかに向き合っていたのです。「暴風」に散り散りに吹かれても留まっていたのです。見られているという「意識」が、自らの「内面」に現れる限りにおいてしか、「存在」は許されない。バローとは、私自身の「分身」なのかもしれない。それは仮象の「私」であり、私の「内面」において、変貌を繰り返している「他者」なのかもしれない。
 「週末」には「終末」のパリに戻らなければならない。別の「夢」が割り込んで来たのです。黄色いベストの「情報」が黒色のペストの「記憶」を呼び覚まして、赤色に燃える「大聖堂」の「映像」と結託する。混迷と虚偽に満ちた「現実」が、いとも易々と「悪の華」へと変貌して行く。仮想の「現実」が、私の「内部」と「外部」で捏造されて行く。
 私は立ち止まって、身を引き締めました。そっと耳を澄ませると、永遠の彼方から、優雅で美しい「歌声」が聞こえて来たのです。その「歌声」を追って、いくつかの「街角」を曲がると、足元には漆黒の「闇夜」が待っていました。覗き込むと、まるで黒砂糖のように甘く切ない、謎めいた「純水」が揺蕩っていたのです。
 私の「躊躇」は隠しようがない。次の「一歩」がどうしても踏み出せない。その「闇夜」に身を投じると、黒光りする「鏡面」に揺らぐ「大聖堂」が壊れてしまう。私が「譲歩」しても、眩暈のような「思考」は「背後」に迫って来る。私の「実存」は、私の「選択」で決められようとしている。私は「自由」という「刑」に処せられようとしている。
 サルトルは「聖ジュネ」において、ジュネというフィクションとポエジーを創り上げた。人間の「本質」はフェイクでも在り得るが、自らを「創造」するものに他ならない。すでに「賽」は投げられている。私とバローは「一歩」を踏み込むことにしたのです。すると「闇夜」は反転して、私の「意識」は奇妙に明るい「通路」に戻っていたのです。

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# by artbears | 2019-05-27 19:05 | 連白

偶然の選択と必然の結末、目の奥で燃え上がる大聖堂、自意識の鏡に映る彷徨える虚像

 私は「言葉」を選ぶ。偶然の「選択」が必然の「結末」を呼び寄せることがある。その「結末」が無垢でイノセントな「選択」の可能性を封じ込めることがある。「言葉」の恣意性は、私を拘束する。ところがジュネは、その「言葉」を頼りにして、汚れた「地面」を這うようにしながら、幻想と神秘の耽美的で倒錯した「世界」を創り上げたのです。妖しく震えるフィクションの「悪の華」を咲かせたのです。

 高速道路の「料金所」を過ぎると、おぼろげに遠くに見えていた「大聖堂」は真っ赤な「炎」に包まれていました。六台の「車」は一つの「光束」となって、その「炎」を目指しているかに見えたのです。「悪の華」が再び、私の「目」の奥で燃え上がろうとしている。「悪」に惹き寄せられるようにして、私の「意識」はパリの「街角」を曲がり、未知なる「私」と出会い、ジュネの「花のノートルダム」に戻って来たのです。

 ディヴィーヌは「夢想」に耽る。それをジュネは、真っ赤に燃える「薔薇」のような「情熱」で語る。次々と着々と、二人の自意識の「鏡」は「分身」を映し出して、それらは、虚像の「迷宮」を果てもなく彷徨する。虚像と実像の「境界」を当てもなく往来する。やがて、実像の自己同一性は「根底」から揺さぶられるのです。「夢」の中の出来事のようにして、時間軸は消えて無くなるのです。

 「大聖堂」が焼け落ちようとしている。その「光景」が、いつの間にか側らに寄り添うバローの「瞳」の中に燃え移っていたのです。と同時に、私は誰かに「凝視」されている、という「気配」を感じました。「貝殻」を擦り合わせるような「音」が聞えました。そのことを耳打ちしようとそっと隣を見遣ると、誰もいない、誰も歩いていない退屈な「路地」だけが「視野」に入って来たのです。

バローはポンヌフを渡ろうとしていたのかもしれない。彼の小さくなる「後姿」は疲れ切って見え、思い切って苦しみ、「絶望」に溺れていたのです。その「背景」には、途轍もなく巨大な「炎」の塊りとなった「大聖堂」が傾いて見えたのです。その「光景」は熱くて凍り付いていた。「熱線」で、盲目となったバローは立ち竦んでいた。

 何が起こるかは分からないが、それが起こることを「欲望」は気付いているのだろうか。盲目の「仔猫」となったバローの「後姿」は小さくなるが、愛おしさは大きくなる。私は「夢」から抜け出そうとするが、「欲望」は「私」を鷲掴みにして放さない。あの「箱」は、この「欲望」を閉じ込める為に「存在」していたのだろうか。バローの「後姿」は、あの「箱」にちょうど収まるサイズにまで「縮小」して見えたのです。

 私は十分に驚くが、それは「狼狽」するような出来事ではない。寧ろ、土砂降りの「雨」が降っていて、六台のタクシーが「水飛沫」を上げながら、目の前を通り過ぎる「光景」に「冷水」を浴びせられたのです。私は「新幹線」に乗らなければならなかった。消えかけた「記憶」が呼び戻されたのです。私はしっかりと盲目の「箱」を携えている。真っ暗闇の「箱」を覗き込んでも、盲目となったバローは素知らぬ振りをするに違いない。

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# by artbears | 2019-04-30 11:49 | 連白

上書きされた意識と私、複数の人格又は夢想に生きる現実、未踏の領域への不安と恐怖

 ここは何処で「私」は誰なのか、という「意識」が起ち上がってくる。この「意識」は上書きされた「私」なのか、という「疑義」が発ち上がってくる。この「夢」が紡ぎ出す「意識」の連続性と一回性が、「私」を創り出している。夜毎に生まれ変わる誰か、それが、私の「正体」なのかしれない。

「私」は高速道路の料金システムを「通過」しようとしていたのです。猫の「顔」をしたバローが「帽子」を正して、「私」に「課金」しようとしていたのです。「世界」の金融システムは「米国」に牛耳られている。「審査」を受けるのも、「通過」を許されるのも、「英語」が喋れなくてはいけない。彼の「英語」は猫なで声でした。

 そもそも、バローは「名字」なのか「名前」なのか、バロウズではなかったのか、私の「記憶」は曖昧でした。その「事象」に「言葉」を与えなければ、「言葉」で分けなければ、「対象」を識別することはできない。「存在」を認識することはできない。私は彼をジャンと「命名」することにしたのです。

ところが、ウイリアムと「名前」が呼ばれた気がしたのです。周りを見渡しても、誰もいない、白っぽい「空気」だけが漂っている。私の「名字」がバロウズなのかもしれない。「私」はバローの複数の「人格」なのかもしれない。すると、いきなり不意に「裸のランチ」が目の奥に浮かんだのです。それは、ショットガンのように暴力的に有無を言わさずに現れたのです。ジャンがジュネの「屏風」が撃ち抜かれたと叫ぶ。

例え「銃口」を突き付けられても、私のクレジットカードを手渡すわけにはいかない。その「判断」には、決済システムに対する「不信」がありました。「夢」の中の「嘘」を感覚的に還元することはできなかったのです。「現金」ですら、想像と夢想の「産物」に過ぎない。「夢」の中では、「通貨」という「概念」は流通しようがない。

当てにはならない「記憶」が蘇りました。ジャンが「名前」で、バローが「名字」だと言うのです。それでは、中間のルイとはいったい誰なのだろうか。二人の「名称」の中央に位置している。お互いの「立場」を往来している。時として「人格」を交換している。それは、「言葉」だけで「世界」を構築する、ジュネの「小説」の「構造」のように振る舞っていたのです。

高速道路の「料金所」は結局の所は、「出口」でも「入口」でも在るかの如く、立ち上がってくる。「迷宮」としての「夢」は、円環的に「循環」している。「過去」に行くと、バローとの出会いが待っていました。置き忘れた「箱」の中では、もう一人の「私」は目を閉じていたのです。「現在」に返ると、もう一人の「私」は目を開けていたのです。

取り返しの付かない「領域」に踏み込む「不安」、その根元的な「恐怖」を、ジュネは何の衒いも無く赤裸々に語った。その「夢」にも潜む絶望感と緊張感を、バローは易々と演じ切った。彼の神秘に包まれた「演技」は、単なるイメージとしてではなく、私の「夢」の中で肉体化している。新たな「夜」を迎える。彼との「再会」は果たせるのだろうか。

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# by artbears | 2019-03-31 14:23 | 連白

毒虫へと変身する言葉、開放された扉と光に満たされた通路、無意識と対象との関係性

 その「通路」が果たして屋根裏の「部屋」へと通じるのか、それとも「毒虫」との因果的な「再会」へと導くのかは、カフカの「小説」では「予告」はなされていなかった。「人生」は一瞬の「戯曲」の如く短く、「小説」も斯くも眩いが、「言葉」は強いイメージとなって、私の「脳内」で毒のような「暴言」を吐く。「夢」が「記憶」の引出を暴くのか、それとも「暴言」が「毒虫」への変身を誘うのか、増殖するイメージの「扉」の向こう側では、数え切れない怪力の「番人」が立っていたのです。

 ふっと隣を見遣ると、平然としてバローがいる。いつの間にか、四足歩行に戻っている。垂直に起立した「尻尾」は、まるで生き物のように動いていたのです。それは、「言葉」からの「自由」を闊歩していて、イメージにも「執拗」」に付き纏われることはない。

 自然の「摂理」とは、この「過去」と「未来」の健全な「歩調」に在るのかもしれない。現実的な「死」の「恐怖」には拘束されるが、観念的な「死」への「不安」からは「自由」で在るに違いない。あのイメージを喚起する「扉」ですら、それが「木」で在ろうが「鉄」で在ろうが、彼の「認識」の差異の「対象」とは成り得ない。そもそも「意味」との出会いが起り得ない。「言葉」の恣意性からも無縁で在るに違いない。

 あっと隣を見遣ると、突如としてバローの「尻尾」が直角に曲がっている。その「先端」が「扉」を指し示していて、「扉」の数が明らかにされていく。六という「数字」が「脳内」に浮かびました。その「数字」の「意味」が問われているのか。それとも、潜在意識の「暗闇」の中で、一個の「賽」が投げられたのだろうか。

 「夢」と潜在意識の「暗闇」とはどこかで通じているに違いない。そう閃いた「瞬間」、六つの「扉」が一斉に開け放たれたのです。六台の「車」が「光」の塊となって飛び出してくる。瞬く間にして「通路」は「光」で満たされる。「通路」が一つの「光」の束となって、高速で移動する「空間」へと変質したのです。

鮮やかで色取り取りの「衣服」を纏った「動物」が、零れるような「笑顔」を振り撒きながら、後方の「暗闇」に次々と投身して行く。フロントガラスには、唖然とした誰かの「顔」が映り込んでいたのです。それが誰の「顔」なのか、それを誰が問うているのか、それは紛れも無く、私の「意識」でした。

仮に、「意識」が何らかの「対象」との「関係性」で在るとしたならば、一体全体、私が「夢」の中で経験している「対象」とは何なのだろうか。私の「謎」は深まるばかりだが、私の「意識」も深い眠りの「空間」に消えて行く。無意識の「暗闇」に戻って行く。 

気紛れな「意識」が再び帰還すると、六台の「車」は高速道路のETCシステムに差し掛かろうとしていました。一つの「光束」としての「車列」は、サイコロの「目」に従って、六つに分かれた「喚問」を通過しようとしていたのです。私の「車」は四番に「入廷」しました。運転免許証と同時に「審査」を求められたのは、意外なことにクレジットカードでした。てっきり助手席に居たと想っていたバローが「審判」を下すと言うのです。

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# by artbears | 2019-02-28 18:09 | 連白

夢の中の存在と不透明な本質、螺旋的展開の進化又は退化、審判と自由に対する無力感

 これからは「雄猫」はバローと呼ぶことにしよう。私は「夢」の中の「私」に、そう言い聞かせたのです。ところが、「手」と「足」ですら覚束無い「私」からは、「発声」と「発音」という「機能」は奪われている。「発念」するしかない。「時計」の如く「本質」が「存在」に先立つものでもなければ、後ろに見えるものでもない。私は「夢」の中で呼び掛けました。振り向いたのは、バローに違いないと「私」に言い聞かせたのです。

 兎に角、「脱兎」の如く「状況」は慌しく「変化」していたのです。何人かの「店員」の冷やかな「視線」が「鋭角」に突き刺さる。「私」はバローを持ち帰る「箱」を作っている。段ボールを「点線」に従って切り抜いては、横を見遣ると、バローが巨大化していたのです。一回り大きな「箱」を造らなくてはならない。その「儀式」を繰り返すことによって、私達は「心」を通わせることができると、刹那に感じたのです。幸せな「一瞬」も在る、それが「夢」の「本質」を切り取っているのかもしれない。

 段ボールは直ぐに「底」を突きました。その四角の「底」を通して、バローの悲しげな「顔」が見えたのです。急がなくてはならない。一刻の「猶予」も儘ならない。新幹線は「定刻」の「発車」を自己目的としている。「本質」は「存在」の先を走っている。

 エレベーターが最適の「箱」となって、「定刻」に上昇して来ました。私はバローに「告白」しなければならない。密室への「恐怖」を打ち明けなければならない。ところが、「扉」が勿体ぶって開くと、無数の玩具の「空箱」が閉じ込められていたのです。もちろん、新幹線の「箱」も空っぽでした。我々の「空間」は無いが、「空席」は在るかもしれない。

 次の「選択肢」は限られていましたが、我々は非常口からの螺旋階段の「存在」を予見したのです。恐らく、それが未来からの「記憶」と呼べるものでしょう。螺旋状の「階段」を上から視ると、クルクルと回転しながら、元の「位置」に戻っているように見えるのです。ところが、横から視ると、事物が螺旋的に発展する「進化」の「過程」のように見えると言うのです。私の「知識」が、「夢」の中の「私」とバローを観ていたのです。彼等は「階段」を降りることで、「退化」の「過程」を歩もうとしていたのです。

「階段」を降りながら、「半身」になって振り返ると、「私」とバローの「位置」が逆になっていたのです。抱き抱えていたはずのバローは等身大となって、しかも二足歩行で「階段」を下っていたのです。周りはと言うと、宇宙のような「暗闇」が拡がっていました。不意を突くようにして、不気味な「肺魚」が巨大な「口」を開けて現れて、テレビの「残像」のようにして消えて行くのです。

カラーンと「空虚」が溢れ出るかの「静寂」が響いて、螺旋階段が地下の「通路」に導かれたことを報せました。「天井」からの「水滴」が黴臭さを運び、それが「無音」が故の「激情」を煽るのです。すでに「劇場」は開かれ、屋根裏での「取調」は始まっている。「通路」の「扉」を開けてはいけない、怪力の「番人」が待っていると、バローの「動揺」が伝わって来ました。カフカの「審判」での「演技」と「興奮」が蘇って来たのです。

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# by artbears | 2019-01-30 18:25 | 連白

夢の予定調和と神の不在、孤独と自由又は身体と感情の関係、聞き間違えた作家の名前

 その「雄猫」の名前がモリエールと「発音」することは、長引いた「風邪」の噂で聞いたことだと、白子を装う「雌猫」は毛繕いをしながら媚を売るのです。ザラザラとした「舌下」が「舌禍」を生むことは「目」に見えていました。赤い「目」が流れ星のように光を放ち、流し目とアルビノとの「関係性」も妖しいことは間違いない。その「虚偽」は、虹彩認証システムを経るまでもなく明らかでした。 
 とどのつまりは、私は二匹の「白猫」と連れ添って「九州」に帰ることになっていたのです。ところが、予定調和の「禁」は時として犯されて、「夢」は勝手気儘に「始動」する。「秩序」は自由気儘に崩壊する。その「指導」は神に代わって誰が成すのか。
 二匹の「白猫」は独立した「個体」を装いながらも、どこかで非物質的に結ばれている。不可分の「実体」としての「表象」と「出現」を欲している。ところが「夢」はと言うと、このモナド的な「秩序」を宙づりにしたまま、予定調和を顧みることはない。神の「不在」は疑いようがなかったのです。
 新幹線の「時間」は刻々と迫っていたのです。雌雄どちらの「白猫」を選べば良いのだろうか。モリエールは独り者の「悲哀」を感じさせるが、「孤独」で在ることの「自由」が薫り発っていたのです。私の「結論」は初めから決まっていました。例え、それが「夢」の中で在っても、一つの「性」を選択すること自体の「不自由」を拭い去ることはできなかったのです。
 仮に二つ目の「理由」を「言葉」に置き換えるならば、「身体」に付着している「感情」を「犯人」に仕立て上げるしかない。とにかく彼は「端正」に欠けて、「愛嬌」も無い。同情、憐憫、哀惜などの「感情」が、私の「視界」を曇り空に変えてしまう。斯くの如く、私の「逡巡」には格別の「意味」は無かったのだが、結果として、引き取り手のいなくなったモリエールは、私との「運命」の同伴を余儀なくされることになったのです。
 そうこうしていると、「店員」が慌ただしくなる。なぜか不機嫌で「愛想」が無くなる。しだいに「人相」まで悪くなる。それが遅れ馳せながら、デパートの「閉店」が迫っている「合図」だったと知ったのです。新幹線の「予約」も変更しなければならない。スマホの「画面」を見ると、無数の「未読」のメールが届いていたのです。 
 虹彩認証を求めてくる。六桁の暗証番号で切り抜ける「奇策」を思い付く。ところが、スマホの「画面」の向こうに謹厳実直なる裁判官の「顔」」が見えたのです。モリエールとの「関係」が執拗に問われるに違いない。彼の「鞄の悪巧み」には「喜劇性」はあるが、バローの「演技」には、一つの「性」を超えた「自由」と「悲劇性」が認められたのです。
 だからと言って、あの「雌猫」がルノーの生まれ変わりとは思いたくなかったのです。彼女の中性的な「肉体」と上品で高貴な「精神」は、モリエールの「人間嫌い」の中で、彼女の「演技」を通して、「認証」された「事実」でした。私は事もあろうことか、「作家」と「役者」を間違えていたのです。「雄猫」の名前はバローと「発音」すべきだったのです。
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# by artbears | 2018-12-28 16:59 | 連白

夢を駆ける車とクロムの心臓、悪魔と手渡された私の欲望、精神又は意味に対する感覚

 二回目の「夢」に戻ろうとするのだが、眠れない、帰れない、還れない。やきもきする「私」に嫌気が差してくる。鈍く沸き立つ「西陽」のようにして刺し込んでくる、その「感覚」にイライラとすることがある。「左目」が痛い、白いサングラスを掛けなければいけない。「左眼」がとても痛い、黒いサングラスを探さなければいけない。とにかく、あの「暗闇」のような「鞄」を開かなければ、埒が明かない。 
 気を取り戻して、もう一度「記憶」を手繰り寄せると、白いポルシェが目の奥に映ったのです。一瞬の出来事ではあるが、何枚かの「映像」が「脳裏」を走ったのです。美しいが気怠い、真っ赤な「血液」が「鼓動」となって響く。クロムの「心臓」は永遠の「時」を刻んでいる。それは、私の「夢」を盗んだ「車」から聴こえてくる。 
 白いカイマンは「夢」の中を翔けて行く。それは「優雅」に疾走していました。遥か彼方の手の届かない「空間」を駆けて行く。それは「華麗」に疾走していました。遠く隔たったものに対する根元的な「感覚」と「感性」が揺さぶられる。その「感覚」が「悪魔」を目覚めさせる「時」もある。それは、特定の「対象」へのフェテシズムではない。無限なる「対象」が有限なる「私」を超えて存在する、そのことへの「予感」と「期待」が満ち溢れてくるのです。ところが、事も在ろうことか、クロムの「心臓」は「悪魔」に手渡されようとしていたのです。「夢」の中の「私」は、私の「欲望」を目撃してしまったのです。 
 「悪」のなんと凡庸で月並なことか、それは至るところに根を張る「植物」ように繁茂している。動くことの「恐怖」と動かないことの「畏怖」の「感情」が、私の「夢」の中で混ざり合って見える。抵抗の「余地」など無い。受難の「予知」など無い。自然のシステムとして、私の「内部」に蔓延る「悪」を排除することはできない。 
 私の「意識」は、置き去りにされた屋上の「駐車場」に戻りました。すると、「悪魔」のように細心に用心深く、「私」は周りを見渡していたのです。一体全体、誰が「私」を見ているのだろうか。私の「意識」が、「私」との「関係」を観ているようにも見える。私の「存在」の意味の「痕跡」を探しているようにも見える。 
 「私」は、私の「車」を探していたのです。手当たり次第に「扉」を開けるが、様々な「植物」が現れては、静かな「吐息」を付いて枯れて行く。穏かな「溜息」を吐いて消えて行く。その「場所」は決まって後部座席に在りました。助手席には誰かが座っているが、「後姿」しか視えない。誰かの「噂話」しか聞えない。 
 私の「記憶」が正しければ、トニーの運転で、ジェニファーが後部座席に座っていたのです。ならば、助手席の「後姿」は「私」なのだろうか、何の「根拠」も無い「仮説」が浮かびました。この「夢」のアルゴリズムは「示唆」に富んだものでした。私の「意識」は後部座席に在って、助手席の「私」を観ているという「関係」が成り立ったのです。 
 私の「意識」は「暗闇」の中にポツンと残されていて、クロムの「心臓」のように「孤独」を数えている。抱き抱えられた「鞄」の中に在って、気晴らしの「夢」を見ている。
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# by artbears | 2018-11-24 17:33 | 連白

夢を見ることの虚構の意味、夢遊病者としての孤独と不安、盗まれた車又は失われた私

 息を潜めて、恐る恐る「呼吸」を試みると、それは意外と案外なことに驚かされました。そもそも「夢」の中の「私」は、息を止めているのだろうか。息を殺してこそ、「夢」は見えてくるのかもしれない。私は大きく息を吸い込んで、「夢」との「記憶」に潜り込むことにしたのです。 
 一回目の「夢」に戻ると、あの「夢」を支える「物語」が繰り返されていました。私は「車」を盗まれたという「虚構」を見ていたのです。その「虚構」が「夢」に意味を与えているに違いない。その「虚構」を読み解かなくてはいけない。 
 私は深刻な「不眠症」に見舞われていました。「病室」にはメタリックな「風船」が浮かんでいて、新たな「風船」にヘリウムが注入されようとしている。「存在」は過剰で、「暴発」は間近でした。その時、「耳」を塞いで、「目」を閉じなくてはいけない。ところが、「私」はと言うと、眠れないのか眠らないのか、私自身の「秘密」を「医者」に知られたくないのか、黙って「病室」を抜け出して、急いで「階段」を降りていたのです。 
 ソプラノズへの「扉」を開けると、「映像」にも在った地下の「駐車場」が現われて来ました。広くもなく狭くもない「空間」には、「現代」の夢遊病者が集まっていたのです。過去の「移民」は現在の「住民」となるが、その本質的な「孤独」と「不安」には変わりはない。私は単なる夢遊病者なのだろうか、それとも自己同一性を失った「難民」なのだろうか。或いは、「車」を停めた「場所」を忘れただけなのかもしれない。 
 息を速めて、怖る怖る「呼吸」を深めると、それは意外と存外なことを招き寄せました。一息ついて一瞥すると、「私」の隣に太った「男」が泰然自若として座っている。偶然に知り合った「男」が余裕綽々として運転している。「私」はと言うと、大きな「鞄」を大事そうに抱えて、助手席で小さくなっていたのです。なぜかシートベルトは外されていました。
 その「男」はトニーと名乗って、プールに住み着いた「野鴨」が、何の前触れも無く飛び立ったことを嘆くのです。その素っ気無さが、気紛れで気晴らしだけの「人生」を象徴していると涙ぐむのです。彼の突然の「変化」は驚きをもって迎え入れられました。彼も「車」をどこかに置き忘れたのかもしれない。或いは、誰かに盗まれたのかもしれない。 
 その「女」はジェニファーと名乗って、「車」の後部座席で「足」を組んで座っていたのです。上に組まれた「右足」はとてもチャーミングで、彼女の慎重で主知主義的な「性格」を表わしていました。「心」は決して開かないが、「両足」が無意識に開いて行く、防御の「姿勢」が緩んで行く。その時、「左足」はとてもセクシーな「役割」を果たしたのです。 
 三人を乗せた「車」は螺旋状に上昇する「坂道」を登って、「屋上」を目指しました。何層にも重なる「駐車場」のどこを探しても、私の「車」を見付けることはできない。上層階に行くに従って、「車」は朽果てて忘れられた「物」へと変質する。私は「車」から降ろされました。走り去る「車」のナンバープレートは見覚えのある「番号」でした。それは、私の生れた年の「数字」でした。盗まれたのは、「私」なのかもしれない。
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# by artbears | 2018-10-31 19:51 | 連白

盗まれた車と美しい獣の夢、曖昧な記憶と記録された戦争、肥大化する球体と歪んだ顔

 一回目の「車」を盗まれた「夢」は、二回目の「夢」を盗んだ「車」よりも、遥かに鮮やかに蘇って来たのです。「建物」を取り囲むように併設された「駐車場」は、多層構造になっていて、それは、「建物」に寄生する「植物」のようにして、増殖する「悪意」を顕わにしていたのです。  
 私は「夢」の中の「車」を探すが、もちろん「夢」のような「車」など在ろうはずがない。ところが、私が三回目の「夢」に魅入ってしまったのか、遠くに「車」がボンヤリと視えて来たのです。それは、美しい「野獣」のように観えました。妖艶で妖麗で甘く切ない「気配」が漂う。その「気配」が忍び足となって、「音」も発てずにクスクスと、その「微笑」だけがポタポタと零れ落ちて行く。それは、虹色のガソリンの「揮発性」を仄めかしていたのです。  
 一方通行の「坂道」を駆け上がろうとするが、滑り落ちようとする「力」が働く。「私」と「車輪」が空回りを始めたのです。赤ランプの「警告」を無視はできない。抵抗勢力は殲滅せよとの「教皇」の御告げが、虚しく「枯葉」となって舞い落ちるが、誰も敢えて拾おうとはしない。誰も「接触」を試みようとはしない。「左」に回転する「坂道」を、ハンドルは無意識に「右」に切られようとしている。  
 「視界」が「外」に向かって拡がりを始めました。「駐車場」にも「難民」が押し寄せて来るに違いない。錆び付いた「鉄骨」で型取りされた「窓枠」には、忘れられた「戦争画」が荒々しい「筆触」で描かれ、立ち昇る「戦火」は一瞬で燃え上がっては、一瞬で消えて行く。火達磨となった「戦闘機」は重力で墜ちて行く。赤茶けた「駆逐艦」は自重で沈んで行く。そのとき初めて、運転している「私」に気付いたのです。「車」を盗んだのは、他ならぬ「私」でした。  
 赤い「野獣」のように、紅い「疾風」のようにして、駆け抜けて行こうとする「難民」の「夢」を、「車」は奪い取ろうとしている。彼等の「夢」を盗んだ「車」を、「私」は平然と、素知らぬ「顔」で運転している。そもそも「駐車場」は「屋上」に存在していたのだろうか。「記憶」はとても曖昧でした。それは、「戦争画」のように「記録」されることを、拒み続けて来たのです。  
 まるで「歩兵」のように、指揮系統から逸脱した「敗残兵」のようにして、徒歩の「私」は「屋上」を目指していました。私が「車」を何処かに乗り捨てたのか、それとも誰かに置き去りにされたのか、その「謎」は、「夢」の中で、あの深く暗い「霧」のような「世界」で、決められたに違いない。  
 「屋上」に再び呼び戻されると、今度は「中東」の疲れ切った「青空」が拡がり、あのゴム状の「球体」が肥大化していたのです。それは、「私」を押し潰すように巨大化する。「画家」と「医者」はすでに呑み込まれていました。彼等は「球体」の内部に視えるのだが、私との「境界」は「被膜」で塞がれ、息の出来ない「顔」が歪んで見えたのです。
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# by artbears | 2018-09-30 12:31 | 連白

前後の扉と対象としての画家、根拠の無い憶測と言葉の真実、意味の生成と対象の解放

 それは「扉」の前に立つ「画家」のはずでした。消毒済みの「病室」は開け放たれていたとの「仮説」は成り立つ。それは「医者」なのか「患者」なのか、いや「病人」と呼ぶべきなのかもしれない。とにかく二人は病んで見えたのです。二重に視えたのです。その「背景」をもってして、その「対象」は現れて来ようとしていたのです。 
 絵描きが自らを「画家」と語り始めて、その「出自」が呼び戻されて、それまで曖昧に視えていた「対象」が一歩前進する。「背景」が一歩後退する。それは「扉」の後に立つ一人の「画家」でした。「画家」に間違いないという「言葉」が、私の「脳内」から力強く聞えて来たのです。もちろん前後の「脈絡」も無く、何の「根拠」も無い「憶測」に過ぎないのだが、それが「真実」であることの「偶然」は、いつでもどこでも起り得ることなのです。
 それは「私」が「顔」を洗おうと思い立ったからでした。「部屋」という「存在」が無性に気になり始めたのです。小さな「部屋」に入る、大きな「部屋」から出る、その逆も又然り。「世界」には無数の「部屋」が在って、私は出たり入ったりを繰り返している。「領域」を移動して、「現象」と立会う。「意味」を探索して、「他者」と出会う。「顔」を洗い変えたいという「願望」が、「画家」を「病室」の前後に立たせたのかもしれない。
 そこは「扉」が無数に在る「病院」のはずでした。「病院」の内部に「病室」が存在する。その逆は起り得ないのだろうか。私は覚え切れない「扉」を次々と開けて進みました。大きな「病室」に入る、小さな「病室」から出る、その度に、様々な「言葉」と「気配」が纏わり付いては、「私」を離さない。話せと言っては、「私」を放さない。振り返ると、「画家」の「足音」が遠くに響いていたのです。その「足音」を注意深く聴くことによって、その「対象」は視えて来るはずでした。
 私は「階段」を登らなければならない。一段三段と「奇数」を踏み外してはならない。屋上への最後の「扉」を開けると、誰かの隠れ家のような「小屋」が建ち現れました。半開きになった「扉」を明けると、何かの「象徴」のようにして、六羽の「白鳩」が飛び発ちました。「偶数」は偶然なのだろうか。それは美しい「円」を描いて、頭上で「旋回」を始めたのです。その「光景」は、まるで解き放たれた「対象」のようにも見えたのです。
 私は見上げているが、見下されているとも言える。私が視ていると「同時」に視られている「存在」とも言える。私を相対化しても、絶対的な「認識」には辿り着けない。果たして、総体としての「世界」は存在しているのだろうか。
 私は「画家」と対面しなければならない。ところが、思い切って「部屋」に入るや否や、屋上の「小屋」は消えて無くなったのです。東西南北には、同じような「病院」が建ち並び、屋上には大小の「小屋」が見えました。三人の「私」も見えました。そのうちの一人から、弾力のあるゴム状の「球体」が投げ込まれたのです。その「球体」を掴もうとするが、それは生き物のように跳ねて、別の「病院」へと移動を繰り返し始めたのです。
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# by artbears | 2018-08-31 19:23 | 連白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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