山道の大きな曲り角を右にカーブを切ると、突然、楠木の大木が視界に現れて来たのです。その大木の根が瘤のように隆起した部分は、まるで「地蔵菩薩」の頭部のようにも見えるのでした。そして、そうした大木の根元には決まって、小さな行き場を見失った子供たちの「魂」が、そっと寄添うようにして集まっているものなのです。それは、それが大木ではなくて、どうしてこのような巨石がこのような場所に在るのであろうか、と「ふっ」と考え込んでしまうようなシチュエーションにおいても、目撃してしまうことなのです。私は愛用の赤いスポーツカーを路肩に止めて、広葉樹の葉っぱで出来た緑のトンネルに従って、腰の高さまである熊笹に隠れてしまっている「獣道」を探りながら、河原へと下っている傾斜面を慎重に降りて行ったのです。けたたましい烏の鳴き声の後には、抜け落ちた黒い羽が「くるくる」と回転しながら舞い降りて来て、その光景は、まるで黒光りする「焼夷弾」が天から降り注がれているようでもありました。私の両腕の皮膚を視ると、羽毛を毟り取った後の鳥の肌のように、小さな突起物が「ポツポツ」と生まれ、それは、まるで体内の恐怖感や不快感と言った感情の「噴火口」のようにも見えるのでした。私は更に、私の身体の60%が「水」で構成されているという事実を思い、これらの感情も、この「水袋」の皮膜の表面に浮かび上がって来ては、「出口」(エントロピーの低下)を求めて漂っている存在のように想えたのです。ならば、私が山道を登ることを止め、車を降りて、河原に出ようという「意思決定」をした背後には、どのような「化学的代謝反応」が起こったのであろうか、と自問してみたのです。しかし、科学的思考の不得意な「運命論者」である私の自答は、何か(小さな魂)を「透視」したことが、私の「意思決定」に何らかの影響を与えたはずだと言う、相変わらずの論理性の欠如したものでした。そして、それは釈迦の説いた「因果倶時」(原因と結果は必ず一致する)の観点からも、単なる「条件反射」的行動のように思われたのです。やがて、緑のトンネルの「出口」が前方に見えて来ました。そこからは、擦りガラスを通したような濁った光が差し込んで来ているのですが、それは、「出口」の先の世界が、決して心地良さを保証してくれるような「場所」ではないことを予感させるものでした。なぜならば、「焼夷弾」は、この河原をかつては「火の海」と化したに違いないと言う、これまた何の情報的根拠もない「先入観」が、私の脳の80%を構成している「水」の深層から「ゆらゆら」と浮上して来たからなのです。そして驚愕すべき事実とは、私の身体の大部分を構成している「水」ですらも、一年間でほぼ完全に入れ換わっていると言うことなのです。つまり、少なくとも物質的に同一の「私」は存在しないと言うことなのです。私は、フーコーの言った「人間の死」は現実に起り得ることであり、私の「鳥肌」という「果」に対する「因」の種(悪)は世界中にばら撒かれていることを知ったのです。一方、私の体内においては、「文字」や「映像」と言った「不変」のものたちが対流を開始していました。そして、それらの「情報」は、「自我」のさらなる発展した「私」を形成し、そうしたバーチャルな「私」がWeb上での他者とのコミュニケーションを欲しているのです。私は、人間の「本質」が「情報」により赤裸々にされる現実に身震いしながら、「賽」の河原に辿り着いたのです。そこで、私が目撃したものは、クリムゾンレッドの「犀」が、子供たちの「魂」が小石を積上げて造り上げた「石舞台」を、その体毛が変化して出来た巨大な「角」で崩しているという光景だったのです。その姿は、「赤鬼」のようでもあり、この世の生物の系統樹からは逸脱したような神秘さと奇妙さに満ち溢れたものでした。そして、あの巨石で出来た「石舞台」が、小石を積上げて出来たピラミッドの頂点で揺れながら存在していることも、奇跡的な出来事だったのです。「石舞台」の上では、子供たちの「魂」が右往左往している様子が、この少し離れた安全な「場所」からは観察出来ました。そして、一つの「魂」が一つの小石を蹴ったことから、事態は新たな進展を迎えたのです。無数の小石が頂上から転がり落ちて、「犀」の分厚い鉄板のような皮膚に当って砕け散ったのです。私も無我夢中になって、小石を放ったのです。小石は一発必中を果しました。私を驚かせたことは、こちらに向かって猛然と突進を開始した「犀」の頭部には、釈迦が「犀の角のようにただ独り歩め」と説いた「角」は消え失せていたことでした。