私は「風」のように走っていた。走るように「風」は吹いていた。私の内なる「欲求」に従い、「夢」の中を「風」のように移動していたのです。その「欲求」を追い掛けると、その「欲望」を問い詰めると、私の「意識」が現れてくる。私の「自我」が表れてくる。
弓なりになった「堤防」の裏側に沿って走ることを心掛けて、青臭い「苔類」の奇妙な瑞々しさに驚きながら、私は何故に、何処を目指して走り続けていたのだろうか。「風」は強くも弱くも無く、「雲」は高くも低くも無い。「風雲」が急を告げるような「状況」では無かったことが、せめてもの救いでした。
何隻かの木造の「漁船」は揺れていた。自分自身を「波浪」に委ねていた。私は一抹の「不安」を懐き抱えながら、一隻一隻と一艇一艇と飛び移る「決断」を下したのです。この「決断」を「欲望」に置き換えても良いのかもしれない。何処からか湧き起こる「欲望」が「死」への「恐怖」を忘れさせてくれたのです。
最後で最初と想われる「漁船」と「護岸」との間には、紛れも無い「絶望感」が横たわっていました。最後の一飛びが届かない。その「距離感」が、私の「欲望」を萎えさせてしまう。墜ちれば恐い、振り返るのも怖い。「欲望」が減退するに従い、「自我」は削減される。その代わりに「真我」の領域が拡がって、私の「魂」が表れてくるはずでした。
ざわめく「波浪」が静まり返って、私の「魂」も鎮まり帰って、明鏡止水の「心境」が訪れて来たのだろうか。「濁水」が「聖水」となって、「荒波」が「細波」となって、虚心坦懐の「境地」に辿り着いたのだろうか。そこは「海辺」が香り発っていた。そこは「海底」の静寂が支配していた。気が付くと、私は「護岸」で独り佇んでいたのです。
BARの小さな「灯」が見えました。懐かしさの「感情」が隣りに寄り添っていたのです。薄明かりに逃げ隠れるのか、何者かとの秘密の「会話」は途切れる。沈黙との「手話」も途絶える。薄暗がりに「目」が慣れると、三つの木製の「扉」は開かれることを待っていたのです。迷いに悩んだ挙句の私は、無難と思われた真ん中の「扉」を選んだのです。
そこは「裏口」なのだと、今更ながらの「陰口」を叩くのは、「親友」の素振りを見せる、もう一人の「私」でした。「時」は既に遅く、それは何時ものことでした。私達は「無意識」を装って、逆方向からの「侵入」を試みていたのです。恐る恐る振り返るまでもなく、三人の「大男」が「人影」のように素早く、笑いながら「背後」に立っていたのです。
何とも頼りない蝋燭の「炎」が揺れている。何時かは消え逝く、この小さな「祈願」のような「灯」を消すのだろうか。それは、自己燃焼以外の「欲求」を削り落としている。この「純粋」で、まるで「涅槃」への「祈念」のような「炎」を消すことはできない。
私は「失念」した。罰ゲームを課せられた。大きな「石」を抱き抱えながら、次の「命令」が下されるのを待っていた。三人の「大男」が圧し掛かってくる。逃げられない「恐怖」に羽交い絞めにされる。私の「知性」が外される。私の「感性」が押し潰される。私の「本能」だけが残されるのだろうか。私の「魂」が燃え上がろうとしている。