大海原を誰が飛行しているのだろうか、その「意識」に引き戻されたのは、「碧眼」の少女の「瞳」の奥に在る「精神」の美しさに「感嘆」の思いを抱いたからに違いなかったのです。それほど「海」は碧く、紛れも無く飛行していたのは、私の「意識」でした。それは、宙に舞う「羽衣」の肌触りのようにして、とても甘く、とても柔らかく、その「感触」に耽っていたのは、他ならぬ「意識」そのものだったのです。
確か「飛行機」は故障していたはずで、それもテスト飛行と告げられていたのです。そもそも、あのような四方が「絶壁」に囲まれた天空の「飛行場」で、私が居たという「証言」を求められる「他者」は居ない。「夢」の中の「意識」は、相変わらずの知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。詰まるところは、私がいくら想ってもいかに思っても、私の「不在」は明らかでした。
大海原を「私」が見下ろしているのだろうか、その「意識」に引き返したのは、眼下に巨大なクジラが泳ぐ「姿」が視えて来たからでした。先頭を行くクジラは数頭のイルカを従えていました。ゆっくりとした上下運動が進行方向を決めて行く。意思決定の「痕跡」は白い「波頭」となって、それは儚い「運命」のように生まれては消えて行く。邪悪な黒い「意志」が、彼等の背後に迫っていたのです。真っ暗闇の「海底」から、私の「不安」も急速に浮かび上がって来たのです。
その「不安」から逃れなければいけない。私は無我夢中で走りました。その「足音」に追い着かれてはいけない。私は暗中模索で歩きました。「夕闇」が慌てて落ちてくる。「靴音」だけが取り残されて響く。気が着くと、どんよりとした「意識」の暗がりから、ぼんやりとした「飛行機」のシルエットが視えて来たのです。錆びた「鉄」と塩気を含んだ「海」の臭いが漂って来ました。ここは恐らく、海辺の近くの「格納庫」に違いない。それは恐らく、あの「夢」の中の「飛行機」に違いない。
木製の観音開きの「扉」には、最新式の「電子錠」が取り付けられていました。思い付くあらゆる「番号」を入力したにも拘らず、「鍵」は施錠を拒み続ける。足元には「海水」がヒタヒタと押し寄せ、その「触手」が、私の「足首」を掴もうとしてくる、そのとき、私は「津波」の到来を「予感」したのです。振り返って視ると、あの「飛行機」が巨大なサメの「幻影」となって見えて来たのです。私の「不安」が「正体」を現したのです。
私は「格納庫」の二階へと「階段」を駆け上がっていました。「階段」の踊り場には、正面に大型TVが設置されていて、「階段」は左右に分岐された「構造」になっていました。TVには、「電子錠」が赤く点滅して、やがて開錠され、「津波」が堰を切って流れ込んでくる「光景」が映っていたのです。「鍵」は誰が施錠したのか、私の「夢」が逆戻りを始める。あのとき、天空に向かう「道路」は「限界」にまで達していて、分岐された「道路」をハンドルは左に切られたのです。下降する「視界」が前方に拡がりました。「格納庫」が観えて、今にも「津波」に呑み込まれようとしていたのです。