「少女」の熱い眼差し、その強度が鋭い「矢」となって、私の「目」を貫いたのです。磔刑の「聖女」が、私の目の奥に現れる。それは、霧の鏡に映る「薔薇」のように、火の炎に茂る「小枝」のように、私の目の奥で燃え上がったのです。
私は意を決して、「少女」を追うことにしました。紅い野バラの「草原」が無限に広がる。無邪気な真珠色の「荊棘」、逃げ惑う子供達の「素足」、盲目の黒い毛並の「駿馬」、それらの秘められた「欲望」のイメージが、私の目の奥の「暗闇」を疾走したのです。
この紅く燃え拡がる「炎」のような「草原」は、いったいどこまで続くのだろうか、その素朴な「私」の質問に、私は立ち止まることになりました。喪失の「階段」が崩れる。荊の「冠」が重い。茨が「足」に纏わり付く、そして這い上ってくる。私は動けない。欠如に向けられた「欲望」が、欠如の象徴としての「少女」への想いが、いっそう深く苦しく募ったのです。
歩くことも走ることも、そのことに何ら変わりはなかったのです。そして、例え私に、小さな天使の「翼」が与えられたとしても、「天空」に舞い上がり、やがて力尽きて、墜落することは「目」に視えていました。私の「死」は、そのように訪れてくるに違いない。「草原」に虚ろに横たわる私の「屍」、その大きく見開いた「瞳孔」に紺碧の「空」が写る。「欲望」は遥か遠くを見据え、その「対象」は永遠の彼方に「存在」し続けている。そのことに何ら変わりはなかったのです。
あの紅く燃えたぎる「焔」のような「光景」は、いったいどこに消えたのだろうか、その素朴な「私」の質問に、私は立ち上がることになりました。喪失の「地平」が延びる。季節は「冬」を迎えていました。あらゆる「色彩」が排除された「光景」が目の前に拡がったのです。白い「雪」に包まれた「台地」、その静寂の「世界」を前にして、私の「意識」が深く沈降していく。白い「闇」に向かって墜ちていく。
その「時」のことでした。「天空」が割れ裂けんばかりの「雷鳴」が轟いたのです。黒雲が急速に「空」を覆い始めたのです。見上げると、まるでクジラのような巨大な飛行船が、私を威圧するかのように通過していく。巨大な蝙蝠傘が広げられて、太陽の「光線」が断たれようとしている。黒い雨が降り始める。やがて激しい「豪雨」となるに違いない。覚醒させられた「意識」は、私の日常性を覆す「異変」を感じ取ったのです。
飛行船の真下には、重厚でメタリックな「扉」が聳え起ちました。それは、禁断の「城門」のようにも見えたのです。絶叫する人の「声」と炸裂するギターの「音」が聴こえてくる。向こう側から「越境」して聞こえてくる。その「音楽」には、生の「享楽」と死の「誘惑」が充満していました。「社会」に属しながら属さない両義的な「侵入者」、社会規範との「境界」を縦横無尽に突破する戦慄の「戦士」、その横溢するエロチシズムに、私は圧倒されたのです。
ベトナムの「空」に黒い雨が降る。偽物の「戦争」に本物の「爆弾」が降り注がれる。偽善者は横行するが、犠牲者は連行される。星条旗が燃える。激怒の「感情」が「炎」と化したギターとなって、「床」に叩き付けられたのです。二人のジミーの弾くギターが、裸体となった「社会」を暴いて魅せ、その「仮面」を暴力的に剥ぎ取ったのです。彼等の大音量の「音楽」が、私の耳の奥で鳴り響く。私の「精神」は痙攣的に震撼する。
「雷鳴」が遠ざかるにつれて、私の「精神」は平静を取り戻しました。私は「城壁」に沿って、「時計」とは逆回りに歩き始めたのです。「時間」を逆戻りしたのです。懐かしい「風景」との再会が続きました。私は過去に「意識」の主体を移動させたのです。
「精神」は変わるが「意識」は変わらない。「城門」を通り抜けて「坂道」を上る。「城郭」の頂上から穏やかな「内海」を展望する。そこには、あの無慈悲な「空」も無愛想な「夜」も無い。「海」と「空」の「境界」が一直線となって、その消失点が銀色に輝いていたのです。その「光」に向かって、飛行船が悠々と進んでいく。忘却の「地平」に向かって、私の目の奥に消えていく。