新幹線が真っ暗闇のトンネルの途中で停まったのは、突然の出来事だったのです。子供達にしか見えないはずの白い頭巾を被った「道化師」が、車窓から「車内」を注意深く覗き込んでは大きな「溜息」を吐いて、小さなキャベツのようになった「頭部」を両手で抱きかかえて、私の目の前に差し出したのです。私と彼を隔てるものは、一枚の硬質なガラス窓でした。「頭部」があったはずの白い頭巾の元の「場所」には、もう一つのトンネルが「ポッカリ」と空いていたのも、当然の出来事だったのです。トンネルの「内部」には逆光を背にして数人の「人影」が浮かび、それらはまるで、白い紙を切り抜いて作られた「人形」のように、頼りなく見えたのです。彼らの足下には、水が「ヒタヒタ」と押し寄せて、やがて、彼らはトンネルの「内部」に引き返すようにして姿を消しました。すると突然、前方にある自動ドアが音も無く開き、慌てふためく「道化師」を追い掛けるようにして、「波濤」が「車内」に雪崩れ込んで来たのです。一瞬にして、それまでの「車内」の間延びした「空気」が、一変したのは言うまでもありません。そして当然、同乗した「乗客」はふ、未来に対する漠然とした「不安」が現実として表れ、それまでの居心地の良い「秩序」が崩壊し、「車内」に緊張感と喪失感が漂い始めたことに気付いたのです。私は、後方の車両に消えた「道化師」こそが、私が怯えながら抱いて来た「妄想」の「化身」であったと、振り返りながら想ったのです。新幹線の通路は夥しい数の「瓦礫」を運ぶ「水路」となりました。そして、私の座席の足元にも水は押し寄せて、あの白い「人形」が「クルクル」と回り続けていたのです。それにしても、この既視感のない「瓦礫」の山で造られた「構築物」を何と呼べば良いのでしょうか。それは、木材や鉄骨、それにケーブルなどの様々な「物質」が意外な結合の仕方を見せて、ある種の自己増殖的な「ネットワーク」が形成されているようにも観えたのです。そして、ブリキ製の「自動車」や「飛行機」などの文明の「利器」が、ちっぽけな「玩具」として、至る所に散在していたのです。それは、未知で不可解な「存在」や「現象」が、あたかも説明可能であるかのような「幻想」を与えて来た「近代科学」の虚を突いた「構造」を呈していたのです。全く「想定」を超えた突然で、今となっては当然な出来事が目の前に立ち現れ、私の「意識」は覚醒を強いられたのです。と同時に、「車内」の水位の急速な上昇に気付いた私は、他の「乗客」と一緒になって、この「構築物」に登る「決断」を下したのです。「構築物」は、まるでジャングルジムのように複雑性の中にも、ある種の規則性が観察される「構造」になっていて、何よりも、他の「乗客」との未曾有の「危機」への「体験」を共有しているという「意識」が、この「構築物」への信頼感と安定感につながっていると思えたのです。かなりの高さまで登った「段階」で、眼下を恐る恐る見下ろすと、そこには、黒く濁った水が白い「波濤」を獰猛なサメの「口腔」のように見せながら、暴れまくっていました。ブリキ製の様々な「玩具」が、それらの「犠牲」になったことは言うまでもありません。そして、堅牢な大黒柱に画鋲で止めてあった、あなたからの手書きの「メール」に気付いたのは、私が次の「段階」まで難を逃れようとした矢先の出来事だったのです。次々と高い「位置」に貼られた「メール」を読みながら、私は、離れた「場所」でいったい何が起こっているのかを知り、何よりも、見知らぬ人々とも、心の「ネットワーク」でつながっていることを感じたのです。「悲劇」に襲われている人々の苦しみや悲しみへの想像力が、そして、悲痛な困難に遭遇している人々への同情心が、私の「内部」から湧き起こっていることを感じたのです。そして、私は、この「メール」に託された人々の「想い」に勇気付けられ、「地上」に這いずり出ることが出来たのです。「構築物」は新幹線の天井を突き抜け、まるで茨の「枝木」のように増殖し、地面に出来た「亀裂」に沿って北上しているように観えました。実は、私の「夢」はここで中断されたのです。しかし、私が「夢中」で歩き続けたことは間違いありません。そして、「夢」が再び起ち上がったのは、三つ目のトンネルを前にした「場面」からだったのです。トンネルを通して視える向こう側の「夜景」は、いつもより街の「灯」が落とされた暗く、静かなものでした。見知らぬ人々が見知らぬ人々を想い、一つの「灯」が消されたに違いありません。私には、仮に夜道が暗くなっても、人々の心には新しい「灯」が燈ったように見えたのです。