信号が赤に変わるや否や、「黒革」のジャケットに身を固め、紫色のHARLEY-DAVIDSONに跨った「赤毛」の雄猫達は、奇妙な叫声を上げて、一斉に「バイク」の前輪を高くリフトアップしたのです。そして彼らが、後輪の軋む音とゴムの焼けたような臭いを残して走り去ろうとした時、後部座席で匪賊の「蛮刀」を振り回していた雌猫達も、その風に靡く長い髪はやはり鮮やかな緋色だったように思えたのです。信号が再び赤に変わるや否や、今度は、数え切れないほどの「蝙蝠」の大群が、夜空を埋め尽くした「爆撃機」のように通過して行きました。まさに「戦争」の前夜のような、不穏な雰囲気の充満した「悪夢」が始まろうとしていたのです。真夜中のビルの谷間に放置された「戦車」の内部では、電気ショートした「火花」が飛び、脱力したままで「彫刻」のように固体化している、記憶のどこかで見覚えのある「死顔」が見えたのです。その顔が、私の「愛車」のタイミングベルトが切れる頃だと「警告」してくれた、あの若い「戦車兵」の顔であったことに気付いた私は、既に「黒革」のシートに身を沈めて、隠れるようにしてエンジン・キーを回そうとしていたのです。しかし、どうしても回らない。「合鍵」も、そして「合言葉」も忘れてしまった私が、困惑の挙句の果てに「車窓」に視線を移すと、そこで私は、あの「赤毛」の猫達の食い入るようにして「車内」を覗き込んでいる「眼球」と出くわしたのです。狼狽の挙句の果てに「車内」に視線を戻すと、私の「身体」は猫に射すくめられた鼠のように萎縮し、座席やステアリングが巨大化して、私はブレーキ・ペダルの陰にやっとの思いで身を潜めることになったのです。しばらくの「沈黙」が経過した後、「愛車」の古ぼけたラジオから聴こえて来るのは、紛れもなく「夜想曲」に違いありませんでした。その「音楽」の決して華美に飾り立て饒舌に奏でることのない、敬虔で祈るような宗教的な想いは、夜の「しじま」にゆっくりと浸透して行ったのです。そして、21曲の作風の変遷に想像の糸を紡ぎながら、この作家が最後に辿り着いた「境地」までの苦悩と懺悔の秘められた「個人史」を想ったのです。自然な「感情」の表出が適度に抑制されているのは、人間の意識構造の下部にあって、不安定で気紛れな「感情」を支えている「意志」の強固な基盤があってのことなのでしょう。そして、その「意志」が「感情」という「混沌」の中間層を貫けるのは、恐らく意識の上部構造に「使命感」や「倫理観」が存在しているからに違いありません。私は、「愛車」の固く内側からロックされたドアを開ける時が来たと考えたのです。夜空の「暗闇」は早々に退出を命ぜられ、代わりに、朝空の「光明」が燦々と入場して来る「気配」が「車外」からも窺い知れました。ところが、「現実」は夢の中にあっても、想ったようなシナリオは描けないものであると痛感する「事態」が起こったのです。信号が青に変わるや否や、大量の土砂や瓦礫を巻き込んだ「洪水」が、ビルの谷間を埋め尽くす勢いで襲って来たのです。鼠のような小さな「心臓」を持った私は、その臆病さと細心さが幸いして、「愛車」のドアを開くことなく、自らを「救済」することが出来たのです。しかし、災い転じて福と成すと言った「格言」が頭を過ぎったのも束の間、私と私の「愛車」は、「洪水」という上部構造の下部に位置付けられた抑圧的な「関係」を受け入れざるを得なくなったのです。今や「潜水艦」となった「愛車」の「車窓」から見上げると、あの猫達が必死の形相でもがき苦しみながら、「洪水」に巻き込まれまいとして犬掻き泳ぎをしているのが視えたのです。そして、一匹、又一匹と息途絶えた猫達の「死体」が、永遠の「安息」を求めて静かに沈潜して行くのが視えたのです。彼等の燃えるような「赤毛」が、燃え尽きた灰のような「白毛」に変色していたことは言うまでもありません。そしていつものように、深い眠りは、あちら側から訪れて来たのです。私が眠りから覚めるのに、どれだけの時間が与えられるのかは、私の決められることではなかったのです。永遠の「睡眠」がない限り、永遠の「洪水」が続くこともなかったのです。目覚まし時計がいつもの時間に鳴り響き、私がいつもの時間に起きるという「日常」が、いつものように始まりました。私は、私自身のエンジンを始動し、私の「愛車」のエンジン・キーを回したのです。そして「愛車」のCDプレーヤーから聴こえる「夜想曲」に耳を傾けた時、私にはかつての「非日常」であった、そう、あの「精神世界」が「洪水」となって、私を「溺死」させる勢いで溢れ出して来たのです。