いったいこの「回転扉」はいくつあったのだろうか。「クルクル」と次々と「風車」のように回り、最後に赤いシルクハットを被ったドアマンの笑顔が迎えてくれたのです。ところが、私たちがタクシーの開いた「自動扉」から乗り込み、反対側の「手動扉」を開けて通り抜けようとしたものですから、銀髪のラビットの運転手は唖然とした表情で、私たちを見守るしかなかったのです。もちろん、「Imperial Aerosol Kid」である「ラエル」の歌声は、友人からプレゼントされた「iPod」に閉じ込めて、携帯することは忘れてはいなかったのです。その歌声が、「You better watch your step son(気をつけるがいい)」と言う「スリッパ男」のしわがれ声に変わった時、なるほど確かに、タクシーから降りようとした私たちの足元には、真っ黒のコールタールの「海」に満天の星空が映し出されていたのです。その光景は、まるで「宇宙船」から一歩を踏み出す「飛行士」のような神妙な心境に、私たちをさせたのです。例えるならば、「足」に「地」が着いていないといった奇妙な倒錯した感覚であったと想うのです。そして、9時15分を告げる鐘の音が夜の静寂を押し拡げるように響いた、まさにその時、あなたのちょっと窮屈そうな「ガラスの靴」は、黒い海面との擦れ擦れのところで、流れ星の放つあの最高の輝きを魅せたのです。すると、蝋燭の炎のように危く揺れる星空が、そのままフィルムに生け捕りにされた海面の向こうから、その海面に浮ぶ爬虫類の虚しい「亡骸」を避けながら、静かな悲哀と追憶を乗せた「小舟」が近付いて来たのです。私たちは、自制心を失わずに、そして少なくとも魂だけは救われることを信じて、その「1974年」とペイントされた「小舟」に乗り込んだのです。私たちが誠実であることを忘れない限り、この「救命艇」は燃え尽きることはないと判断したのです。「小舟」は、まるで暗闇の磁石に引き寄せられるように、そして時間の亀裂に呼び戻されるように、滔々と流れる黒々とした潮流に身を委ねたのでした。川向こうには、太古の時代から堆積された「有機物」に根を張った「マングローブ」が群生している様子が視えました。嫌気性の環境における酸素補給の必要性から、さまざまな表面構造に成長した「呼吸根」の造形する複雑な空間は、さまざまな「精霊」にとっても絶好の「隠れ家」を提供しているように観えたのです。しかし、「精霊」が非日常的な存在ではなく、ごく自然にボーダーレスに存在しているという日常性に、私たちは驚かざるを得なかったのです。そして、「死者」たちが「あちら側」で佇み、私たちが「こちら側」で生きているという感覚が、私の内部に、満たされた「生者」の心の感覚として生まれて来たのでした。そして、この決して言葉にならないはずの世界こそが、レヴィ=ストロースが「悲しき熱帯」のなかで、自然と人間の関係が連鎖・循環した、「生者」と「死者」の同居した空間として、奇跡的に描き切った世界だったのです。やがて、私たちが潮目の変化に気付いたのは、果実から根が生えた「胎生種子」が、次々に「小舟」を追い越して行ったからでした。そして、私たちを待ち受けていたのは、時間軸を水平方向に貫いて逆行する「渦巻」のトンネルだったのです。そこでは、天の星と地の星が交互に回転して、次第に速度を増し、最後には、「闇」が弾け飛ばされて「光」だけの真っ白の世界が残されたのです。「空白」の35年が逆流したのです。私たちの感覚がリセットされたのに気付いたのは、「金木犀」の甘く切ない「香」が何処からとも無く漂って来たからでした。そして、忘却のファイルに保管していたはずの懐かしの「講堂」は、目の前に聳え立っていたのです。「金木犀」の芳香は、「講堂」への階段に横たわっていた「小羊」をもまた、同時に目覚めさせたようです。そして、階段に「ヒタヒタ」と打寄せていた黒い波は、胸の動悸が治まるように、静かに引いて行ったのです。それに従い、水面は氷のようなブルーから淡いピンクへと変化して、安らぎの波紋が広がりました。その時、「The Lamia(伝説の蛇女)」の背筋が「ゾクゾク」するような悲しみを帯びた歌声が、水面に漂う「靄」と絡み合うようにして、流れて来たのです。この両時代の「割目」のような時空間では、「芸術」が「日常」との「距離」を狭めながらも、確かに存在していたことを、「意識」は捉えることが出来たのです。そして、三つの女性の顔を持ったというギリシャ神話の蛇女(ラミア)もまた、私の「意識」のなかで、神話である彼女が自らを考えながら、独自の存在となっていることを知ったのです。