夢博士の独白



一つの太陽と複数の馬と無数の私、光り輝くが存在しない世界、絵画に宿る知性と意味

 複数の「馬」が、私の「脳内」で疾走する「光景」が見えてくることがある。「脳内」に在って、入れ子細工のようにして、同形の無数の「空間」が現れてくることがある。その対象となる「領域」のなかには、もう一つの「領域」が在って、それが無限に繰り返されているのです。そして、一つひとつの「領域」のなかには、一人の「私」が居て、その「私」は決して「全体」を見渡すことはできない。そもそも「全体」は存在していない。 
 複数の「馬」の存在を感じながらも、おもむろに「接近」を試みると、一頭の「馬」としか出会えない。物憂げな「顔」、涙に溺れかけた「瞳」が、私を貫いてくる。気が付くと、私の「意識」は、別の「領域」に移動して、それは空ろに流動している。総体としての「馬」は現れてくるが、実体としての「馬」は、個々にしか存在していない。「概念」としての「馬」は、浮足立って弱々しく、空虚な「集団」にしか見えない。 
 私は「青空」を見上げました。その先の広大無辺の「宇宙」を想ったのです。その「宇宙」は、私の「脳内」にも「観念」として存在している。その「世界」のなかでは、唯一の「宇宙」も複数の「馬」も、無数の「私」さえもが、さまざまな生々流転の「現象」として表れては消えている。私の「世界」は、奇妙に明るい「無知」に包まれている。 
 「四阿」から抜け出した「私」の前途では、「世界」は向こう側から開かれて来たのです。私の歩む「道々」では、「草々」は新緑に萌え、「花々」は咲き綻び、「星々」は輝きを放ち、私は創造の「歓喜」に満たされて行くのです。傍らの「水辺」を見遣ると、初めての「白夜」のようにして、一輪の「白百合」が、外なる「光」を求めて咲いている。かくの如くして、無数の「世界」は「光」に満ち溢れ、それは眩しく、同時に視ることはできない。 
 失われた「過去」について、想いを馳せることになったのは、あの鮮烈な「光」の「記憶」が蘇ったからかもしれない。それが「夢」の外で起きたのか、「夢」の内で起きたのか、今となっては知る由も無い。「網膜」は易々と射抜かれた。そして、あのように長くて熱い「夏至」と「午後」は、もはや訪れることは無かったのです。  
 あのとき、遠くの隔たりの「光」と対峙していた「私」は、一枚の「絵画」に魅せられたのです。その「絵画」は何かを問い掛け、何かの理解を求めていたが、なによりも「知性」の「光」を宿していた。謎めいた「意味」の存在を表現していた。いつの日か、祝福されることの「歓喜」と「自由」を待っていたのです。
 あのとき、私が見ていた「事物」の大半は消滅しているに違いない。「物質」と「現象」は再び蘇って「再現」されることは無い。それらは辛うじて、夢幻の「世界」において、私の視ていた「世界」の「断片」を垣間見せてくれるに過ぎない。 
 あらゆる「記憶」が「洪水」となって、一度に押し寄せてくることがある。灼熱の「太陽」を「凝視」していると、さまざまな「幻覚」が「白壁」に映し出されてくることがある。そのとき、私の「過去」が対峙したことの「意味」が写されるのです。それは、動植物の「形象」となって、私の「夢」のなかの「個性」となって、生き永らえているのです。
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# by artbears | 2018-07-31 19:39 | 連白

言葉と創造又は想像と戯言、半島に住む狂人と深奥に宿る狂気、世界と不可逆的な終末


 意地が悪いほどに透き通った「湖水」では、手漕ぎの「舟歌」が聞こえてくるという「噂」が波立っていたのです。その「噂話」が波紋となる。船酔いの「予感」となる。私の「湖面」を覗き込むように映る「横顔」が揺らいで、みすぼらしい犬のように見えてくるのは、何故なのか、何処なのか。根も葉もないルモア、ウソを紛れ込ませた「噂話」に惑わされてはいけない。 
 その「舟歌」とは、カワウソは「川」で「嘘」をつくと言うものでした。それは、「言葉」による「創造」なのか、それとも「想像」による「戯言」なのか、とにかく私の「夢」は取り留めが無かった。取り付く「島」は無いのだが、フェイクの「島」は視えてくる。辛うじて、一筋の「脈略」が遺されているのだが、やがて、細々と消えて行く。 
 そもそも、「湖水」の中に「島」が浮かんでいるのが、不可解なのです。カワウソが「湖水」に生息しているのが、不自然なのです。加えて、「島」が「半島」へと変わろうとしている。それは、いつもの「夢」のパターンなのだが、誰の「欲望」なのかが判らない。
 その「欲望」が、抽象的な「概念」となって、不可逆的に「半島」を視覚化しているに違いない。私は「嘘」の塊となって、「狂人」が住む「半島」に泳いで行こうとしている。私の「心」の奥底に眠る「狂気」、真っ赤な「嘘」のように堂々とした「狂人」、そこは、逃げ込むべき最後の「場所」なのかもしれない。
 「湖畔」と「黒猫」の瞳のような「満月」を忘れてはいけない。それは「夢」の中で、置き去りにされた「記憶」のようにして、狂おしく咲いていたのです。孤独をなぞる「山道」は、大きく右に「円弧」を描きながら、ひたすら「半島」を目指していたのです。二人の「私」は、期せずして「半島」で出会うこととなるのです。
 「四阿」を囲むようにして、春夏秋冬の「花」が咲き乱れていました。四人の「医者」が交代々々で、「詩」を朗読していたのです。私の「順番」が回ってくる。私は「医者」ではない。私は「狂歌」しか詠めないと言えばいい、もう一人の「私」の「助言」に耳を傾けました。ところが、三人目の「医者」は、私を見下すかの「視線」を向けて、「詩」が読めないならば、「死」を選べと脅したのです。
 私は狼狽しました。その「私」を嘲笑うかのようにして、「桜吹雪」が一斉に吹き抜けました。ところが、四人目の「医者」は、私を「四阿」に誘い込むようにして、亜麻色の鞄から「注射針」を取り出したのです。そして、「死」を拒むならば、私の胸に「恋」を打とうと言うのです。私の胸元は開かれて、左の「乳首」が桜色に染まっているのが見えたのです。
 何と言う、おぞましい「光景」なのだろう。私の「内面」で何かが壊れている。「秩序」の「崩壊」が、まるで軍隊の「靴音」のように響いている。そして、「世界」を観るがいい。「狂気」が「桜吹雪」となって、吹き荒れようとしているではないか。私はもう一度、「四阿」を振り返りました。誰も居ない。跡形も無く消えている。ニヒリズムの「自覚」だけが残されている。「季節」は巡り廻ることを止めて、不可逆的な「終末」に向かっている。
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# by artbears | 2018-06-24 13:47 | 連白

無意識の残酷な意思決定、濃密なる他者としての黒猫、湖面に映る満月の在り方と自由

 青い「靴音」が盗まれるというシナリオには、紅いiPhoneが錆色に変わるという「予言」とも盗れる「筋書」は削除されていたのです。「靴音」が雨垂れとなって「脳内」で響く、犬の鳴き声のようにして、「耳」をソソクサと触る。私のiPhoneが「雨音」に錆び付いて見えるのです。拾わなければ、忘れてしまう。沈んでしまう。意思決定は「無意識」に大きく影響を受けると、フロイトは「予言」しました。それは、コペルニクス的な「展開」であって、ダーウィン的な「進化」とも言えるのです。     
 それにしても、犬たちが物欲しそうに、「首」を折り畳んで見上げている。泣き出しそうな「顔」が、喜びに満ちた「尻尾」に振り回されている。彼等はただの犬、途方に暮れた野良犬だと、もう一人の「私」が耳元で囁きました。彼等を、この「塔」の上まで誘き寄せて、この「塔」の上から突き落とす。そして、深紅の「薔薇」の花束を「鞭」として撃つべし、と唆すのは誰なのか。意思決定は意識的ではないが、私の「無意識」のなんと残酷で残忍なことか。 
 それは猫のようにして、唐突に現れる「亀裂」のようにして、その隔絶の「予感」は日常性に紛れ込んでいたのです。親密で在るが故に、遠くから見詰める「他者」、私の「内面」を映し出す「鏡面」、目を逸らしてはいけない、何を見ているのかを考えなければいけない。恐らくそこには、犬のような「命令」と「服従」の関係性はない。猫のような「自由」は、しなやかに身を転じて、私に「苦悩」と「矛盾」と「欺瞞」を置き去りにして行く。 
 猫のようになって、「夢」の中を放浪することがある。「絶望」と「希望」を交換して、手の内を明かすと、決まってiPhoneが小さく見えるのです。相対的にゲームのアプリは大きくて、基本的に「画面」に収まり切らない。遠くの「塔」が食み出して観えて、近くの着信音がブルブルと「消音」となって震えていたのです。 
 砂利道では、土砂降りとなった「雨音」が落ちていました。どこかの「異国」のホテルの「扉」の前で、「鍵」の番号が1010と思い出せたのは、全く幸運なことでした。私の「英語」が聞き取れないと言うが、「仏語」は知る由も無い。犬のようにビショ濡れになった「私」を尻目に、「扉」は内側から施錠が解かれて、白い「足首」に纏わり付いた「黒猫」は労いの「媚」を売っていたのです。フロントまで歩かなければいけない。受付の「不信」を顕わにした複数の「眼球」が、私の「水滴」を非難しているのが見えたのです。 
 そんな時、足元の「黒猫」が、暗闇の中の「自由」を語ろうと擦り寄って来ました。聞き耳は立てるが、「薔薇」の花束など見向きもしない、考えろという素振りが素っ気無い。私は酔っていたのか、飲酒運転を避けるために「車」を乗り捨てて、タクシーを拾ったことを思い出したのです。その意思決定は、極めて意識的でした。
 右側には「湖畔」があり、左側の「岩肌」に沿って湾曲する「山道」は段々と狭くなる。心細くなる。円形の「湖面」には、「黒猫」の瞳のような「満月」が映り込んでいる。「自由」への抜け道がどこかに在って、「黒猫」はどこかで待っているに違いなかったのです。
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# by artbears | 2018-05-29 18:16 | 連白

楽観的微笑と刹那的苦笑、無法の大地又は分断される世界、可能性の痩地に舞う綿帽子

 それは「根拠」の無い楽観主義だと皮肉な「微笑」を浮かべて、それは「苦痛」を避ける刹那主義だと皮相な「苦笑」を漏らしたのは、他ならぬ「私」だと言うのです。タクシーのフロントガラスには、狡猾な犬のような「顔」が映っていました。ところが、犬のように見えた「運転手」が突然、犬となって唸り始めたのです。剥き出しになった白い「犬歯」が光る。「恐怖」が知らぬ間に「私」の隣に座って居る。この「夢」から逃げ出さなければ、しかし「夢」は「私」を掴んで放さない。 
 二台のタクシーに分乗したはずでした。それは、「空港」の近くでの出来事だったのです。「商談」までの「時間」は無かった。その「証拠」を見せたかったのか、「車窓」から視える「飛行機」は離陸体勢に入っていたのです。もう一度、「記憶」を遡って見よう。もう一度、「夢」を追い掛けて見よう。数人の男女の「顔」が浮かびました。でも、一人として犬のような「顔」は見当たらない。よく観ると、同じ白い「顔」にしか見えない。 
 「車窓」から観える「風景」には見覚えがあると、共犯者然とした両隣りの男女が「手話」を交わしている。「私」は後部座席の「中央」に座って居たのです。沈黙の「会話」は、お互いの「腹」の中を探り合いながらも、結論としては何も残すことは無かった。有無を言わさない、焼き尽くされた「大地」だけが、人々の「腹」の中にも拡がっている。滑走路からは無人の「飛行機」が次々と離着陸を繰り返していたのです。 
 無法の滑走路を、それは無人の「大地」でも在るのだが、二人の「男」と一人の「女」が必死の「形相」でタクシーと横走していたのです。二人の男女が後部座席に飛び乗った。一人の「男」の苦しそうな「顔」が後方で視える。その「顔」が私なのだろうか、私の「顔」なのだろうか。それは、遠い「苦悩」のようにして、消えて行くのが見える。 
 誰かが左側の「扉」を開けたのは間違いなかったのです。それは、神による「啓示」なのだろうか、紙による「掲示」なのだろうか。息詰まる「愚問」が続く。その時、「好的(もういい)」という「言葉」が聞き取れたのだが、その「意味」が解らなかったのです。「私」はもう一つの「座席」を空けようとして、「車」から転げ落ちたのだろうか、それとも単純に生存競争に負けたのだろうか。「脱落」は始めから決まっていたのかもしれない。 
 タクシーの「後姿」が次第に消えて行くのが観えました。私はもう一人の「私」と「顔」を見合わせて、思わず無言の「溜息」を交わしたのです。後部座席は「指定席」では無かった。取り残された「感覚」、それは絶望感でもなく、消失感でもない。豊かな国と貧しい国の内外で、「富」の偏在と反転が起きている。中国による「世界」の分断が始まっている。 
 無人の「大地」には「雑草」が繁茂していました。しかしよく観ると、「綿毛」に覆われた「種子」の綿帽子が、無数に撒き散らされて舞う「光景」が拡がっていたのです。「雑草」の生き残りの「戦略」が透けて見えて来たのです。どれかの「種子」がどこかの「場所」を見付けて、生き永らえる「可能性」が残されているのです。踏み付けられてこそ、諦めてはいけない。豊かな「大地」はどこかに在るはずなのです。
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# by artbears | 2018-04-30 18:19 | 連白

夢を見た夢10:永遠の迷宮からの脱出と逃亡、音楽に閉じ込められた夢又は移民の現実


 同じ「場所」をクルクルと回っているのでは、という「疑念」が「夢」の中で浮かんで来たのです。この「状況」が永遠に続くのでは、という「恐怖」が回り始めたのです。覚束ない「足元」が視えて来る。それは、何かのイメージではなく、物質的な「実体」からも遠く離れている。それは、低く垂れ込めた「雲」のように動き、地を這う「蜘蛛」に見えなくもない。私は酷く酔っていたに違いない。

 傍らには、無表情で野放図な「壁」の「存在」を感じました。その「壁」が右方向に湾曲しているというイメージが浮かんで来たのです。その先には「虚無」が拡がっている。その先には「混沌」が待っている。この「死」へと向かう「感覚」こそが、全てのイメージの「源泉」に違いなかったのです。

 「壁」にはタイルが貼られていました。白地に青色の反復する「文様」が描かれていました。アラビア語は読めない。「動物」や「植物」の痕跡すらない。視るべき「対象」が示されていない。イメージの「発生」が許されていない。そこには、宇宙的な広がりを志向する「精神」の息吹と躍動のリズムが描かれていたのです。

 私は再び「視線」を「足元」に移しました。誰かが何かを催促している。催促されているのは「私」なのか。覚束ない「視線」の先には、青地に白色の反復する「文字」が書かれていました。「壁」のタイルが反転していたのです。イスラムの「聖地」は近く、モスクでの「読経」は行われているに違いない。急がなければ、私は依然として、同じ「場所」を、モスクの「円柱」の周りをクルクルと回り続けていたのです。

 とにかくホテルに帰らなくてはいけない。この永遠の「迷宮」から抜け出すためにも、ホテルの「名前」を思い出さなければならない。右ハンドルの「車」が何台か、町の中心を目指して、繁華街の「光」の装いを求めて通り過ぎて行く。「信号」が点滅する。「真夜」は貪欲に、微かな「光」ですら呑み込もうとしている。タクシーを拾わなければ、その時、ダンという「名前」が想い浮かんだのです。それはステーリー・ダンなのか、ここは「英国」ではなくて、「米国」なのかもしれない。

 どのようにして「部屋」に辿り着いたのだろうか、「窓」から観える「月」は凍て付いて見えたのです。黒い街路樹の「枝」と「影」が、時折、「月」を揺さぶって見えたのです。又しても、誰かが何かを催促している。一晩を過ごす毎に、「疑惑」と「真夜」は深々と寒さを増して行く。とにかく室内用の青色のスリッパを探さなければならない。白っぽい「床」が酷く冷たく感じるのは、そのために違いなかったのです。

 「移民」はセントジョンから流れ着いた。見るがいい、素晴らしい「詐欺」の栄華をと、彼等の「音楽」が聞えて来たのです。黒ずんだ「壁」には、長老からの「手紙」が貼られていて、20人の「罪人」は冷え切った「床」の上で、暖かい南国の「空」を想い描く。ここも危険な「場所」に違いない。思わず、窓際のコップに「手」が伸びたのです。この「水」は果たして「安全」なのだろうか、その「疑問」がどこからか湧いて来たのです。


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# by artbears | 2018-03-30 19:28 | 連白

夢を見た夢9:羨望と畏怖の混ざる複雑な感情、大蛇又は一矢となって貫く死の絶対性

 「赤犬」が走り抜けるのが見えたような「気配」が残っていたのです。遠くの「帆船」が近くの「漁船」を白く塗り替えるようにして「目」の中で接近する。その力強いが、どこか卑しくさえ見える「光景」が、眼精疲労と眼内脱臼の「原因」であると、私は咳払いをして、さり気無く納得した素振りで頷いたのです。「赤犬」と「帆船」が蜃気楼のように生まれている。私の「背後」に白日夢のように浮かんでいる。振り向くと、二つの「時計」が勝手気儘に「時」を刻み、いつものように「時」を写し撮ろうとしていたのです。

 慎ましやかな「寸劇」は前触れも無く始まっていました。自分の「名前」が呼ばれることを待つ、その厳かな「瞬間」を心待ちにしていたのです。それは楽しみであり、苦しみでもあるが、例え悲しみとなっても誰を恨むことができようか。

無駄な「時間」など在ろうはずがない。私はいつか解き放たれるであろう。すると、どこかから使い古された「台詞」が聞えて来たのです。私の「名前」が呼ばれることはない。無人の観客席から「溜息」が漏れる。枯れた「大木」が倒壊する「音」が聞える。ザワザワとした「気配」を掻き分けながら進むと、やがて白っぽく変色した「空」を「背景」にして、巨大な観音菩薩の「頭部」が視えて来たのです。

 それは好奇心というよりも、「羨望」と「畏怖」の入り混じった複雑な「感情」だった気がする。圧倒的な「頭部」が向こうから近付いて来たのです。それは荘厳な「大門」の頂に在って、私を見下すかのような「視線」を放ち、その「強度」は耐え難い。引き返すという「選択肢」は無く、「大門」は潜り抜けなければいけない。ところが、「大門」へと続く「橋」の上には、巨大な「大蛇」がとぐろを巻いていたのです。その「背後」には、無数の白骨と化した「人影」がユラユラと揺れていたのです。

 私は「大蛇」の側で「車」を降りて、歩くことを選びました。「大蛇」も「車」も乗り物には違いがなかったのです。そう言えば、「車」の存在に気付いたのも、その「時」が初めてでした。「大蛇」の胴体の一部が「橋」の欄干を兼ねていました。私は恐る恐る「接近」を試みたのです。それは、淫靡で妖麗な「艶」を放っていました。私は恐る恐る「接触」を試みたのです。それは、柔肌に彫られた「刺青」のような嗜虐的で扇情的な「感触」となって、私の「脳髄」を一矢となって貫いたのです。

「夢」の中の「状況」に於いても、「存在」は絶対的な「経験」として現われる。このようにして、不条理な「経験」は稲妻の如く不意に「認識」されるが、決して「言葉」を以ってしても「定着」させることはできない。根元的な不条理性に「帰着」させるしかない。然るに「言葉」との永遠の「格闘」を続けるしかない。
 私が個別の「状況」に於いてしか、「生」を確かめられないのは仕方ないことでした。「花」が咲く「過程」は視ることはできないが、「生首」のように晒された最後の「姿」を視撮ることはできる。この絶対的な「経験」を前にして、いくばくかの「知識」が何の役に立つのだろうか。「死」は一夜となって、その「時」が「音」も無く、私に近付いてくる。

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# by artbears | 2018-02-27 20:32 | 連白

設計に無い階層と発想、機械又は悪魔のような戦車、労働の意味と消え逝く信仰と芸術

 確か「工場」の設計図には、初めから二階建ての「構想」は無かったのです。二階が無いということは、それ以上の「階層」が物理的に存在できない。それ以上の「発想」が精神的に生成できない。この「工場」は、始めからバベルの塔には成り得ないという「前提」の上に成り建っていたのです。ガランとしたフラットな「床」が広がる。透明で純粋な「被膜」が塗られる。やがて乾燥して、不透明な「下地」が現れるに違いない。

 ヒタヒタと迫りくる「現実」、その得体の知れない「未来」へのネガティブな「感情」、それが黒く深い「目」の奥に映ったのかもしれない。国籍不明の男女のレスリングに「変身」したのかもしれない。紅白に分かれて、男女が睨み合っていたのです。御呪いをかけるように動く「指先」が、相手の次の「心理」を読み合っている。お互いに「気勢」を制し合っている。その「光景」が、在ろうことか、中二階の物流倉庫で繰り広げられていたのです。存在しないはずの「格闘技」が「目」の奥で生成していたのです。

一般的な物販事業におけるネットとリアルの「戦争」は結着が着いたようでした。次の「戦場」はコンテンツ分野に移ろうとしているのです。大局着眼、小局着手、その「認識」が在りながらも、この途轍もない「変化」を前にすると、立ち竦むしかない。「問題」を先送りして、部分最適化で環境適応するしかない。物造りの「聖域」は守られるのだろうか。「夢」の中にも、「不安」が越境して来たのです。「現実」が侵入して来たのです。

 最新鋭の「機械」は所狭しと並んでいました。それはあたかも、「闇」に寄り集まる「悪魔」のようにして、整然と待機する「戦車」のようにして、「戦争」が間近であることを報せていたのです。何人かの黒いブルカを着た作業員がヒソヒソと立ち話をしている。彼女達が一斉にこちらを振り向く。彼女達の黒く深い「目」の奥には、紅くメラメラと燃え上がる「炎」が視えたのです。不可視ではあるが、真っ直ぐな「意志」が見えたのです。

 その強く鋭い「視線」は、「私」が味方なのか、敵方なのかを問うているようでした。私は「私」に問う。私は「神」を信じるのか、それとも「神」を殺したのか。「神」に触れた覚えは無いが、「災禍」はすでに起きている。彼女達はすでに目覚めているが、されど「権利」は与えられない。勝ち取るしかない。黒いブルカが強制的に脱がされようとしている。白い信仰心が暴力的に剥がされようとしている。

 着衣するブルカ、脱衣する「私」、白いレスリングウェアが見えたのです。私の「本質」は隠さなければいけない。中二階のベランダでは「勝敗」が決しているのだろうか。何れにしても、「勝者」の「視線」に触れないようにして逃げなければいけない。未完成の「工場」からは、エアーシャワーを浴びずに「脱出」ができるはずでした。
 かつて「機械」は「悪魔」に例えられたではないか。その「機械」が人工頭脳を備えたロボットとなり、人間から「労働」を奪おうとしている。付加価値を生め、創造的であれ、さもなければ「死」を選べ。働くことの「意味」が問われているのです。「創造」と「労働」が同義ならば、最後の「聖域」である「芸術」は消え逝く「運命」に在るのだろうか。

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# by artbears | 2018-01-30 19:15 | 連白

労働と資本と悪となる価値、工場の入口でもある出口、黒く深い目の奥の不思議な光景

 「工場」は恒常的に生産性の向上を目指して来たのです。然るに、分母である「労働」の投入量が限りなくゼロに近づくということは、どこかが間違っている。いや、どこかが狂っている。「労働」が「価値」を増殖して来たのです。その「労働」が商品化され、「貨幣」による交換化を経て、無限の「欲望」の実現と無数の「悪」の増殖を可能としている。そして、物造りの「現場」でも、「悪」が忍び寄ろうとしている。「資本」が巨大化して、分子である「価値」が「悪」に置き換わろうとしている。
 「悪」に鈍感になってはいけない。「欲望」は自己管理しなければいけない。さもなければ、資本主義に深く根差した「悪」に呑み込まれてしまう。「悪」に投げ込まれてしまう。資本主義は、個々人の「欲望」を内燃機関として、「延命」を自己目的化して来たのです。そのシステムと個々人の自己中心性が、人と人との「関係」を崩壊の瀬戸際に追い詰めている。自分の中に在る「悪」を見詰めよう。そこから、少しずつ離れるしかない。
 相も変わり様がなく、「工場」の駐車場には、私服の「警官」が目を光らせていたのです。その古びた「情報」が目に浮かんでくる。その古びた「妄想」から「自由」にならなければいけない。「苦悩」は自らが招いている。私は、「出口」から入るべきか、それとも「入口」から出るべきか、そもそも「私」は自国人なのか、それとも外国人なのか、その「決断」と「選択」に迫られていたのです。
 私がすでに「工場」の中に居たことは、とくに驚くに値することではない。なぜならば、気紛れな「夢」は往々にして、そのような「展開」を欲するからでした。それを司るはずの「意識」は、実は主体性がなく、その「判断」は「身体」に委ねられていたのです。   
 「夢」の中の私は「悲観」を装うが、実は「楽観」を生きている。そして、その結末は「悲劇」を装うが、時に「喜劇」で途切れることが多い。驚くべきことは、今夜の「舞台」では、「私」は「出口」からの侵入者の「烙印」を押されていたことでした。皮膚の焼け焦げた「臭気」が漂い、「外」という「文字」が浮かび上がる。「私」は外国人を演じるのだろうか。迫真の「演技」はすでに始まっている。けたたましく鳴る「警報」が、私が産業スパイとして疑われる「不安」を否応無く増殖したのです。
 今夜の「舞台」のシナリオは、誰によって書かれたのだろうか。それは、リアルな「世界」のネガであるが、ポジでないとは誰も言えない。生きることは、本能的に自己中心性から離れられない。そこでは、ポジとネガの親密な表裏一体の「関係」が成り立っている。リアルな「世界」のダークサイドが「解放」されている。短編の「夢」が横糸となって、長編の「人生」が自動で織り成されていく。
 「工場」では、私の理解を超えた「試験」が行われているようでした。作業員の「国籍」も判別できない。ブルカのような作業着は、「目」と「手足」の先以外を隠している。PE製の「袋」の引張強度が試されているが、いくら伸ばしても永遠に「破断」に達しない。黒く深い「目」の奥には、男女がレスリングをする「光景」が映っていたのです。
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# by artbears | 2017-12-30 15:21 | 連白

脳内で響くデジタルな音楽、消されたクオリアとノイズ、蛇に見える轍と瑠璃色の薔薇

 自転車が自動車に変わっている。窮屈で退屈な運転席に閉じ込められている。「私」の両腕は両翼に変わっている。その「翼」を広げて閉じる、その基本的な「自由」が奪われていたのです。デジタルへの「恐怖」が「身体」を強張らせて、誰かからの「情報」を待っていたのかもしれない。自動車は一体全体、私を何処に連れて行こうとしているのだろうか。
 「意識」は二重の「扉」で閉じ込められている。その「現実」を「感覚」はリアルに捉えてはいるが、そのことを「意識」は認めようとはしない。暫くすると、溶ろけるような「誘惑」が向こう側から訪れるのです。その「誘惑」が「私」を深い眠りへと引き込むのです。暫くすると、もう一人の「私」が向こう側から戻ってくる。「夢」の中の「私」は一体全体、何処に行っていたのだろうか。
 自動車は自動で動く、「密室」となって移動する。そのことの身体的な「意味」が分からない。その「恐怖」の「感情」を増幅させたのは、何処かから聞えてくる「音楽」でした。その「音楽」は粒々のデジタルな「音」に分解されていたのです。それらのゼロと一からなる「音」を再び集めると、永遠なる「音源」が再現できるという「幻想」が視えて来たのです。
 そこでは、クオリアもノイズと一緒に「排除」されている。諸行無常でない「世界」が創られている。そこには、「死」を暗示する「暗闇」が視えない。「情報」としての「音楽」しか聞えない。「音楽」は「身体」を通り抜けて行く。
 表の「意識」には連続性と秩序が、裏の「意識」には非連続性と無秩序があると、「紐」のように見える「蛇」は賢者となって語る。そのカオスとランダムが支配する裏の「世界」で、身を捩じらす「蛇」のようなクネクネの「轍」が視えて来たのです。私の「車輪」はドロドロのぬかるみに足を取られている。四輪車は二輪車となって、「私」の両足は両輪に変わっていたのです。
 この先行する「轍」に「命運」を託してはいけない。さもなければ、自転車はバランスを失ってしまう。自動車ならば低速ギアに落とすべきだが、自転車ならば三人乗りが望ましい。「夢」の中では、願えば「夢」が叶うのです。ハンドルは右に切られて、私達は砂砂利の「道」に乗り上げることができました。もちろん、「蛇」の「力」は借りずにでした。
 暫く道なりに走ると、左側の難民キャンプと右側の異邦人の「花屋」が視えて来ました。トルコ人とイラン人とシリア人の「花屋」が並んでいたのです。私達は、もっとも貧しく誠実そうに見えるシリア人から、もっとも豪華な瑠璃色の「薔薇」を買ったのです。
 その「光景」を、私服警官の猜疑心の「視線」が釘付けにしたのです。異邦人は私達だったのだろうか。パトカーの回転灯が「血液」を撹拌するのが「目撃」される。真っ赤に鳴り響くサイレンの「音」が聞える前に、この「場所」から逃げ出さなければならない。瑠璃色の「薔薇」が一枚二枚と散る前に、新しい「工場」に逃げ込まなくてはならない。アナログの「世界」には、きっと「雑音」にも「意味」が残されているはずでした
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# by artbears | 2017-11-30 20:09 | 連白

夢を見た夢8: 遥か彼方に見える幻想と聞える音楽、糾える縄の表裏に形成された現在

 遥か彼方の過去の「夢」を想うことがある。今となって思うと、二つの「必然」が糾える「縄」のように表裏を成していたのです。二股に分かれながらも、どこかで「偶然」に撚り合わされるとの「幻想」を、我々は抱いていたのです。核戦争の「危機」さえ回避すれば、民主主義と市場経済の薔薇色の「未来」は約束されていたはずでした。
 冷たい「戦争」は終わった。ところが、新興国は台頭したが先進国は混乱している。人々の「未来」と「希望」が、人々の「絶望」と「不満」に置き換わっている。「未来」を失った人々は、もはや「現実」に耐えることはできない。あえて「不満」を抑えることはできない。「希望」を失った人々は、その「絶望」がポピュリズムを受け容れる。民主主義と資本主義の「関係」が、市場経済の「暴走」によってバランスを失っているのです。
 「夢」の中の自転車は決してバランスを失うことはない。重いペダルを踏むこともない。「景色」は向こうから遣ってきて、白い塊となった「背景」は茫洋と残されて、黒い輪郭の無い球体のような「暗闇」の中を移動する。「夢」の中の自転車は自分自身を支配して走るのです。無力で他力ではあるが、夢力で自力でも動くのです。
 水溜りに見えていたはずの「水路」を渡れば、愛しの「少女」が待っているはずでした。ところが振り返って見ると、自転車の後部座席には「少女」がすでに座って居たのです。彼女の「気配」に間違いなかった。それは、帰り道での出来事のはずでした。「時間」の連続性が断たれて、白い塊としての過去の「時間」と入れ替わっていたのです。
 遠くに見えていた「水路」が、直前になると水溜りにしか見えなくなることは、「夢」の中では往々にして起こることでした。群青色と灰褐色の混ざり合った形容し難い、つまり「鮒色」と呼ばれる「個体」が集まって蠢いている。そのヌルヌルとした「背鰭」の上を、自転車は陶然とした素振りで、当然のように渡り切ろうとしている。この「暴走」から逃れなければいけない。私はハンドルを放して、「少女」の両手を堅く握り締めたのです。そのリアルな「感触」が、「夢」に軽い浮揚感を与えたのです。
 その浅い「夢」を手繰り寄せると、前方には「水路」が視え、後方には二股に分かれた「道」が視えて来ました。それは、「夢」の中での「私」の位置関係を報せてくれるものでした。「私」と自転車は「水路」の手前に差し掛かっていたのです。もはや一方の「道」を引き返すことはできない。あえて片方の「道」を選び直すことはできない。それは、二本の「道」が糾える「縄」のようにして、「現在」を形成していたからでした。
 遥か彼方の過去の「音楽」を想うことがある。今となって思うと、私は一つの「音楽」しか聞こえなかった気がする。もう一つの「音楽」は途中で途切れて、中間部が消えて無くなっている。一つの「音楽」だけが、私の「血」となり「肉」となっている。
 「天空」が突然に真っ青に拡がり、「雲雀」が一斉にお喋りを始め、「蜜蜂」が「太陽」を目指して「狂気」となって舞い上がる。自転車の後部座席から「歌声」が聴こえて来たのです。その「歌声」が、失われたもう一つの「音楽」の中間部を奏でていたのです。
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# by artbears | 2017-10-31 19:25 | 連白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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