夢博士の独白



夢を見た夢10:永遠の迷宮からの脱出と逃亡、音楽に閉じ込められた夢又は移民の現実


 同じ「場所」をクルクルと回っているのでは、という「疑念」が「夢」の中で浮かんで来たのです。この「状況」が永遠に続くのでは、という「恐怖」が回り始めたのです。覚束ない「足元」が視えて来る。それは、何かのイメージではなく、物質的な「実体」からも遠く離れている。それは、低く垂れ込めた「雲」のように動き、地を這う「蜘蛛」に見えなくもない。私は酷く酔っていたに違いない。

 傍らには、無表情で野放図な「壁」の「存在」を感じました。その「壁」が右方向に湾曲しているというイメージが浮かんで来たのです。その先には「虚無」が拡がっている。その先には「混沌」が待っている。この「死」へと向かう「感覚」こそが、全てのイメージの「源泉」に違いなかったのです。

 「壁」にはタイルが貼られていました。白地に青色の反復する「文様」が描かれていました。アラビア語は読めない。「動物」や「植物」の痕跡すらない。視るべき「対象」が示されていない。イメージの「発生」が許されていない。そこには、宇宙的な広がりを志向する「精神」の息吹と躍動のリズムが描かれていたのです。

 私は再び「視線」を「足元」に移しました。誰かが何かを催促している。催促されているのは「私」なのか。覚束ない「視線」の先には、青地に白色の反復する「文字」が書かれていました。「壁」のタイルが反転していたのです。イスラムの「聖地」は近く、モスクでの「読経」は行われているに違いない。急がなければ、私は依然として、同じ「場所」を、モスクの「円柱」の周りをクルクルと回り続けていたのです。

 とにかくホテルに帰らなくてはいけない。この永遠の「迷宮」から抜け出すためにも、ホテルの「名前」を思い出さなければならない。右ハンドルの「車」が何台か、町の中心を目指して、繁華街の「光」の装いを求めて通り過ぎて行く。「信号」が点滅する。「真夜」は貪欲に、微かな「光」ですら呑み込もうとしている。タクシーを拾わなければ、その時、ダンという「名前」が想い浮かんだのです。それはステーリー・ダンなのか、ここは「英国」ではなくて、「米国」なのかもしれない。

 どのようにして「部屋」に辿り着いたのだろうか、「窓」から観える「月」は凍て付いて見えたのです。黒い街路樹の「枝」と「影」が、時折、「月」を揺さぶって見えたのです。又しても、誰かが何かを催促している。一晩を過ごす毎に、「疑惑」と「真夜」は深々と寒さを増して行く。とにかく室内用の青色のスリッパを探さなければならない。白っぽい「床」が酷く冷たく感じるのは、そのために違いなかったのです。

 「移民」はセントジョンから流れ着いた。見るがいい、素晴らしい「詐欺」の栄華をと、彼等の「音楽」が聞えて来たのです。黒ずんだ「壁」には、長老からの「手紙」が貼られていて、20人の「罪人」は冷え切った「床」の上で、暖かい南国の「空」を想い描く。ここも危険な「場所」に違いない。思わず、窓際のコップに「手」が伸びたのです。この「水」は果たして「安全」なのだろうか、その「疑問」がどこからか湧いて来たのです。


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# by artbears | 2018-03-30 19:28 | 連白

夢を見た夢9:羨望と畏怖の混ざる複雑な感情、大蛇又は一矢となって貫く死の絶対性

 「赤犬」が走り抜けるのが見えたような「気配」が残っていたのです。遠くの「帆船」が近くの「漁船」を白く塗り替えるようにして「目」の中で接近する。その力強いが、どこか卑しくさえ見える「光景」が、眼精疲労と眼内脱臼の「原因」であると、私は咳払いをして、さり気無く納得した素振りで頷いたのです。「赤犬」と「帆船」が蜃気楼のように生まれている。私の「背後」に白日夢のように浮かんでいる。振り向くと、二つの「時計」が勝手気儘に「時」を刻み、いつものように「時」を写し撮ろうとしていたのです。

 慎ましやかな「寸劇」は前触れも無く始まっていました。自分の「名前」が呼ばれることを待つ、その厳かな「瞬間」を心待ちにしていたのです。それは楽しみであり、苦しみでもあるが、例え悲しみとなっても誰を恨むことができようか。

無駄な「時間」など在ろうはずがない。私はいつか解き放たれるであろう。すると、どこかから使い古された「台詞」が聞えて来たのです。私の「名前」が呼ばれることはない。無人の観客席から「溜息」が漏れる。枯れた「大木」が倒壊する「音」が聞える。ザワザワとした「気配」を掻き分けながら進むと、やがて白っぽく変色した「空」を「背景」にして、巨大な観音菩薩の「頭部」が視えて来たのです。

 それは好奇心というよりも、「羨望」と「畏怖」の入り混じった複雑な「感情」だった気がする。圧倒的な「頭部」が向こうから近付いて来たのです。それは荘厳な「大門」の頂に在って、私を見下すかのような「視線」を放ち、その「強度」は耐え難い。引き返すという「選択肢」は無く、「大門」は潜り抜けなければいけない。ところが、「大門」へと続く「橋」の上には、巨大な「大蛇」がとぐろを巻いていたのです。その「背後」には、無数の白骨と化した「人影」がユラユラと揺れていたのです。

 私は「大蛇」の側で「車」を降りて、歩くことを選びました。「大蛇」も「車」も乗り物には違いがなかったのです。そう言えば、「車」の存在に気付いたのも、その「時」が初めてでした。「大蛇」の胴体の一部が「橋」の欄干を兼ねていました。私は恐る恐る「接近」を試みたのです。それは、淫靡で妖麗な「艶」を放っていました。私は恐る恐る「接触」を試みたのです。それは、柔肌に彫られた「刺青」のような嗜虐的で扇情的な「感触」となって、私の「脳髄」を一矢となって貫いたのです。

「夢」の中の「状況」に於いても、「存在」は絶対的な「経験」として現われる。このようにして、不条理な「経験」は稲妻の如く不意に「認識」されるが、決して「言葉」を以ってしても「定着」させることはできない。根元的な不条理性に「帰着」させるしかない。然るに「言葉」との永遠の「格闘」を続けるしかない。
 私が個別の「状況」に於いてしか、「生」を確かめられないのは仕方ないことでした。「花」が咲く「過程」は視ることはできないが、「生首」のように晒された最後の「姿」を視撮ることはできる。この絶対的な「経験」を前にして、いくばくかの「知識」が何の役に立つのだろうか。「死」は一夜となって、その「時」が「音」も無く、私に近付いてくる。

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# by artbears | 2018-02-27 20:32 | 連白

設計に無い階層と発想、機械又は悪魔のような戦車、労働の意味と消え逝く信仰と芸術

 確か「工場」の設計図には、初めから二階建ての「構想」は無かったのです。二階が無いということは、それ以上の「階層」が物理的に存在できない。それ以上の「発想」が精神的に生成できない。この「工場」は、始めからバベルの塔には成り得ないという「前提」の上に成り建っていたのです。ガランとしたフラットな「床」が広がる。透明で純粋な「被膜」が塗られる。やがて乾燥して、不透明な「下地」が現れるに違いない。

 ヒタヒタと迫りくる「現実」、その得体の知れない「未来」へのネガティブな「感情」、それが黒く深い「目」の奥に映ったのかもしれない。国籍不明の男女のレスリングに「変身」したのかもしれない。紅白に分かれて、男女が睨み合っていたのです。御呪いをかけるように動く「指先」が、相手の次の「心理」を読み合っている。お互いに「気勢」を制し合っている。その「光景」が、在ろうことか、中二階の物流倉庫で繰り広げられていたのです。存在しないはずの「格闘技」が「目」の奥で生成していたのです。

一般的な物販事業におけるネットとリアルの「戦争」は結着が着いたようでした。次の「戦場」はコンテンツ分野に移ろうとしているのです。大局着眼、小局着手、その「認識」が在りながらも、この途轍もない「変化」を前にすると、立ち竦むしかない。「問題」を先送りして、部分最適化で環境適応するしかない。物造りの「聖域」は守られるのだろうか。「夢」の中にも、「不安」が越境して来たのです。「現実」が侵入して来たのです。

 最新鋭の「機械」は所狭しと並んでいました。それはあたかも、「闇」に寄り集まる「悪魔」のようにして、整然と待機する「戦車」のようにして、「戦争」が間近であることを報せていたのです。何人かの黒いブルカを着た作業員がヒソヒソと立ち話をしている。彼女達が一斉にこちらを振り向く。彼女達の黒く深い「目」の奥には、紅くメラメラと燃え上がる「炎」が視えたのです。不可視ではあるが、真っ直ぐな「意志」が見えたのです。

 その強く鋭い「視線」は、「私」が味方なのか、敵方なのかを問うているようでした。私は「私」に問う。私は「神」を信じるのか、それとも「神」を殺したのか。「神」に触れた覚えは無いが、「災禍」はすでに起きている。彼女達はすでに目覚めているが、されど「権利」は与えられない。勝ち取るしかない。黒いブルカが強制的に脱がされようとしている。白い信仰心が暴力的に剥がされようとしている。

 着衣するブルカ、脱衣する「私」、白いレスリングウェアが見えたのです。私の「本質」は隠さなければいけない。中二階のベランダでは「勝敗」が決しているのだろうか。何れにしても、「勝者」の「視線」に触れないようにして逃げなければいけない。未完成の「工場」からは、エアーシャワーを浴びずに「脱出」ができるはずでした。
 かつて「機械」は「悪魔」に例えられたではないか。その「機械」が人工頭脳を備えたロボットとなり、人間から「労働」を奪おうとしている。付加価値を生め、創造的であれ、さもなければ「死」を選べ。働くことの「意味」が問われているのです。「創造」と「労働」が同義ならば、最後の「聖域」である「芸術」は消え逝く「運命」に在るのだろうか。

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# by artbears | 2018-01-30 19:15 | 連白

労働と資本と悪となる価値、工場の入口でもある出口、黒く深い目の奥の不思議な光景

 「工場」は恒常的に生産性の向上を目指して来たのです。然るに、分母である「労働」の投入量が限りなくゼロに近づくということは、どこかが間違っている。いや、どこかが狂っている。「労働」が「価値」を増殖して来たのです。その「労働」が商品化され、「貨幣」による交換化を経て、無限の「欲望」の実現と無数の「悪」の増殖を可能としている。そして、物造りの「現場」でも、「悪」が忍び寄ろうとしている。「資本」が巨大化して、分子である「価値」が「悪」に置き換わろうとしている。
 「悪」に鈍感になってはいけない。「欲望」は自己管理しなければいけない。さもなければ、資本主義に深く根差した「悪」に呑み込まれてしまう。「悪」に投げ込まれてしまう。資本主義は、個々人の「欲望」を内燃機関として、「延命」を自己目的化して来たのです。そのシステムと個々人の自己中心性が、人と人との「関係」を崩壊の瀬戸際に追い詰めている。自分の中に在る「悪」を見詰めよう。そこから、少しずつ離れるしかない。
 相も変わり様がなく、「工場」の駐車場には、私服の「警官」が目を光らせていたのです。その古びた「情報」が目に浮かんでくる。その古びた「妄想」から「自由」にならなければいけない。「苦悩」は自らが招いている。私は、「出口」から入るべきか、それとも「入口」から出るべきか、そもそも「私」は自国人なのか、それとも外国人なのか、その「決断」と「選択」に迫られていたのです。
 私がすでに「工場」の中に居たことは、とくに驚くに値することではない。なぜならば、気紛れな「夢」は往々にして、そのような「展開」を欲するからでした。それを司るはずの「意識」は、実は主体性がなく、その「判断」は「身体」に委ねられていたのです。   
 「夢」の中の私は「悲観」を装うが、実は「楽観」を生きている。そして、その結末は「悲劇」を装うが、時に「喜劇」で途切れることが多い。驚くべきことは、今夜の「舞台」では、「私」は「出口」からの侵入者の「烙印」を押されていたことでした。皮膚の焼け焦げた「臭気」が漂い、「外」という「文字」が浮かび上がる。「私」は外国人を演じるのだろうか。迫真の「演技」はすでに始まっている。けたたましく鳴る「警報」が、私が産業スパイとして疑われる「不安」を否応無く増殖したのです。
 今夜の「舞台」のシナリオは、誰によって書かれたのだろうか。それは、リアルな「世界」のネガであるが、ポジでないとは誰も言えない。生きることは、本能的に自己中心性から離れられない。そこでは、ポジとネガの親密な表裏一体の「関係」が成り立っている。リアルな「世界」のダークサイドが「解放」されている。短編の「夢」が横糸となって、長編の「人生」が自動で織り成されていく。
 「工場」では、私の理解を超えた「試験」が行われているようでした。作業員の「国籍」も判別できない。ブルカのような作業着は、「目」と「手足」の先以外を隠している。PE製の「袋」の引張強度が試されているが、いくら伸ばしても永遠に「破断」に達しない。黒く深い「目」の奥には、男女がレスリングをする「光景」が映っていたのです。
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# by artbears | 2017-12-30 15:21 | 連白

脳内で響くデジタルな音楽、消されたクオリアとノイズ、蛇に見える轍と瑠璃色の薔薇

 自転車が自動車に変わっている。窮屈で退屈な運転席に閉じ込められている。「私」の両腕は両翼に変わっている。その「翼」を広げて閉じる、その基本的な「自由」が奪われていたのです。デジタルへの「恐怖」が「身体」を強張らせて、誰かからの「情報」を待っていたのかもしれない。自動車は一体全体、私を何処に連れて行こうとしているのだろうか。
 「意識」は二重の「扉」で閉じ込められている。その「現実」を「感覚」はリアルに捉えてはいるが、そのことを「意識」は認めようとはしない。暫くすると、溶ろけるような「誘惑」が向こう側から訪れるのです。その「誘惑」が「私」を深い眠りへと引き込むのです。暫くすると、もう一人の「私」が向こう側から戻ってくる。「夢」の中の「私」は一体全体、何処に行っていたのだろうか。
 自動車は自動で動く、「密室」となって移動する。そのことの身体的な「意味」が分からない。その「恐怖」の「感情」を増幅させたのは、何処かから聞えてくる「音楽」でした。その「音楽」は粒々のデジタルな「音」に分解されていたのです。それらのゼロと一からなる「音」を再び集めると、永遠なる「音源」が再現できるという「幻想」が視えて来たのです。
 そこでは、クオリアもノイズと一緒に「排除」されている。諸行無常でない「世界」が創られている。そこには、「死」を暗示する「暗闇」が視えない。「情報」としての「音楽」しか聞えない。「音楽」は「身体」を通り抜けて行く。
 表の「意識」には連続性と秩序が、裏の「意識」には非連続性と無秩序があると、「紐」のように見える「蛇」は賢者となって語る。そのカオスとランダムが支配する裏の「世界」で、身を捩じらす「蛇」のようなクネクネの「轍」が視えて来たのです。私の「車輪」はドロドロのぬかるみに足を取られている。四輪車は二輪車となって、「私」の両足は両輪に変わっていたのです。
 この先行する「轍」に「命運」を託してはいけない。さもなければ、自転車はバランスを失ってしまう。自動車ならば低速ギアに落とすべきだが、自転車ならば三人乗りが望ましい。「夢」の中では、願えば「夢」が叶うのです。ハンドルは右に切られて、私達は砂砂利の「道」に乗り上げることができました。もちろん、「蛇」の「力」は借りずにでした。
 暫く道なりに走ると、左側の難民キャンプと右側の異邦人の「花屋」が視えて来ました。トルコ人とイラン人とシリア人の「花屋」が並んでいたのです。私達は、もっとも貧しく誠実そうに見えるシリア人から、もっとも豪華な瑠璃色の「薔薇」を買ったのです。
 その「光景」を、私服警官の猜疑心の「視線」が釘付けにしたのです。異邦人は私達だったのだろうか。パトカーの回転灯が「血液」を撹拌するのが「目撃」される。真っ赤に鳴り響くサイレンの「音」が聞える前に、この「場所」から逃げ出さなければならない。瑠璃色の「薔薇」が一枚二枚と散る前に、新しい「工場」に逃げ込まなくてはならない。アナログの「世界」には、きっと「雑音」にも「意味」が残されているはずでした
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# by artbears | 2017-11-30 20:09 | 連白

夢を見た夢8: 遥か彼方に見える幻想と聞える音楽、糾える縄の表裏に形成された現在

 遥か彼方の過去の「夢」を想うことがある。今となって思うと、二つの「必然」が糾える「縄」のように表裏を成していたのです。二股に分かれながらも、どこかで「偶然」に撚り合わされるとの「幻想」を、我々は抱いていたのです。核戦争の「危機」さえ回避すれば、民主主義と市場経済の薔薇色の「未来」は約束されていたはずでした。
 冷たい「戦争」は終わった。ところが、新興国は台頭したが先進国は混乱している。人々の「未来」と「希望」が、人々の「絶望」と「不満」に置き換わっている。「未来」を失った人々は、もはや「現実」に耐えることはできない。あえて「不満」を抑えることはできない。「希望」を失った人々は、その「絶望」がポピュリズムを受け容れる。民主主義と資本主義の「関係」が、市場経済の「暴走」によってバランスを失っているのです。
 「夢」の中の自転車は決してバランスを失うことはない。重いペダルを踏むこともない。「景色」は向こうから遣ってきて、白い塊となった「背景」は茫洋と残されて、黒い輪郭の無い球体のような「暗闇」の中を移動する。「夢」の中の自転車は自分自身を支配して走るのです。無力で他力ではあるが、夢力で自力でも動くのです。
 水溜りに見えていたはずの「水路」を渡れば、愛しの「少女」が待っているはずでした。ところが振り返って見ると、自転車の後部座席には「少女」がすでに座って居たのです。彼女の「気配」に間違いなかった。それは、帰り道での出来事のはずでした。「時間」の連続性が断たれて、白い塊としての過去の「時間」と入れ替わっていたのです。
 遠くに見えていた「水路」が、直前になると水溜りにしか見えなくなることは、「夢」の中では往々にして起こることでした。群青色と灰褐色の混ざり合った形容し難い、つまり「鮒色」と呼ばれる「個体」が集まって蠢いている。そのヌルヌルとした「背鰭」の上を、自転車は陶然とした素振りで、当然のように渡り切ろうとしている。この「暴走」から逃れなければいけない。私はハンドルを放して、「少女」の両手を堅く握り締めたのです。そのリアルな「感触」が、「夢」に軽い浮揚感を与えたのです。
 その浅い「夢」を手繰り寄せると、前方には「水路」が視え、後方には二股に分かれた「道」が視えて来ました。それは、「夢」の中での「私」の位置関係を報せてくれるものでした。「私」と自転車は「水路」の手前に差し掛かっていたのです。もはや一方の「道」を引き返すことはできない。あえて片方の「道」を選び直すことはできない。それは、二本の「道」が糾える「縄」のようにして、「現在」を形成していたからでした。
 遥か彼方の過去の「音楽」を想うことがある。今となって思うと、私は一つの「音楽」しか聞こえなかった気がする。もう一つの「音楽」は途中で途切れて、中間部が消えて無くなっている。一つの「音楽」だけが、私の「血」となり「肉」となっている。
 「天空」が突然に真っ青に拡がり、「雲雀」が一斉にお喋りを始め、「蜜蜂」が「太陽」を目指して「狂気」となって舞い上がる。自転車の後部座席から「歌声」が聴こえて来たのです。その「歌声」が、失われたもう一つの「音楽」の中間部を奏でていたのです。
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# by artbears | 2017-10-31 19:25 | 連白

夢を見た夢7:言葉から生まれる悪の連鎖と善の欠如、退出する神と拡大する悪の空間

 鮮やかな深緑の「森」が、私の「目」の奥で燃え上がることがある。「音」も無く、物質的な「色」となって、近付いて来ることがある。やがて周りが黄色に縁どられた「穴」が空いて視え、その「穴」から垣間見える灰色の「空」のなんと冷やかで素っ気無いことか。その「空」が、私の「鏡」に見えて来ることがある。その「鏡」には、多くの人々の祈る「姿」が映されていて、それを視る度に、私の「目頭」は熱くなるのです。
 人々の「口」だけが動いていたのです。口裏を合わせているのだろうか。口車に乗せられているのだろうか。一つひとつの「口」が、深く暗い「闇」への「入口」のように見えたのです。その「闇」から「言葉」が出たり、入ったりしている。人々は罵り合い、傷付け合い、苦しめ合っている。入る「言葉」は人を汚さないが、出る「言葉」は人を汚している。「悪」は「言葉」から生まれていたのです。「言葉」によって、「悪」は連鎖していたのです。
 深緑の「森」の中では、深紅の「曼珠沙華」が咲き乱れていました。それは、まるで群生して咲く「悪の華」のように見えたのです。極まれにではあるが、白い「善の華」が咲くことがある。そのなんと弱々しいことか。「善」の欠如は疑う余地が無かったのです。
 その「不在」を埋めるべく「悪」が肥大化している。至る所に「穴」が空いて視え、それらの「穴」が拡大して、それらの「壁」が縮小して、スカスカの「空間」が生まれている。その「限界」を超えると、一気に「虚無」と「破壊」が進むに違いなかったのです。
 又しても、この「状況」から逃げなくてはいけない。果たして「夢」の内側で、安心立命な「場所」など存在するのだろうか。だからと言って、「夢」の外側でも、「状況」は本質的に変わらない。「神」が「悪」の概念をも含んでいるならば、「神」は「善」を欲すると同時に、「悪」をも欲している。あるものが「善」に、他のものが「悪」に見えているだけかもしれない。私は、深い「花の闇」への「入口」、あの「曼珠沙華」の咲く陰鬱な「裏庭」へと戻っていたのです。
 「悪」は具体的で現実的なもので在ると言う。「悪」の人格化したものが「悪魔」で在ると言う。「悪魔」は「善」を把握しているからこそ、その反対概念である「悪」に徹することができるのだろうか。そして、「悪」を実践するのは「人間」に他ならない。「人間」の本質が「悪」であるとしたら、「人間」こそが、「悪魔」と呼べないのだろうか。宇宙的存在であったはずの「悪魔」が、人々の「内面」に移り住んでいるのです。
 世界に「悪」が不可避的に存在するが故に、それは「神」の「意志」に違いなかった。その「神」が退こうとしている。その隙間のような、もはや「神」の支配の及ばない「空間」を、「人間」の自由意志に委ねようとしているのだろうか。
 「夢」の中で、複数のミサイルが発射される「光景」が繰り返されるのです。それは決まって、朝方の未明の「時間」に起きるのです。そして「夢」から目覚めても、この「状況」から逃げることはできない。否、それは、より具体的で現実的な「問題」となって迫ってくる。「人間」には「善」なる判断は下せない。「虚無」と「破壊」が近付いている。
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# by artbears | 2017-09-29 18:48 | 連白

夢を見た夢6:異邦人である私と擦れ違った私達、金髪の教師と手渡された白紙の手紙

 私は「異邦人」だったという「記憶」が付き纏わって離れない。「夢」の外側でさえ、「夢」の内側でこそ、その「追跡」は執拗を極めるのです。逃げ場は限られている。いつもの「街角」を足早で過ぎるや否や、見知らぬ「私」は振り向くが、私達は決して出会うことなく擦れ違うことを知っている。「私」を理解すること、増して「他者」を理解することよりも、その「暗闇」に溶け込むことで、私達は相互理解を深めて来たのです。
 私は「階段」を上っていた。昇っていたという「表現」が正しいのだろうか。それは、小麦色に輝く「声」でした。それは、金髪の「教師」に呼び止められたという「記憶」が浮かび上がった「瞬間」でもありました。とにかく「英語」が思い浮かばない、思い出せない。「沈黙」が誤解を生んでいく。「英語」が、私を混乱に陥れたに違いなかったのです。私から、「言葉」を奪い取った「犯人」に違いなかったのです。ところが「言葉」を失うことで、「私」が変わることで、新しい「世界」が少しずつ見えて来たのです。
 私は「階段」を降りていた。下っていたという「言葉」が正しいのだろうか。そこは、意識化できない「体感」のような「場所」でした。そこは、「言葉」では表現できない感覚的な「暗闇」でもありました。逃げる「犯人」の後姿が見える。「暗闇」に隠れようとしている。しかし、犯罪の「動機」が理解を超えたものもあるように、私が「英語」を学ぶことになった「動機」など、私達にも分かるはずがなかったのです。
 そうだ、「森」へ行こうと、考える前に「足」は動いていたのです。いつも「身体」は「思考」の前を歩いていたのです。その逆は、ろくなことがないと「記憶」が言い張るのもいつものことでした。「森」へ行けば、全ての理解を得ることができる。全ての誤解を解くことができる。何も考えなくても行けるはずでした。
 ところが忘れてはならない。「森」では、とくに「夜」に於いては、慎重な行動が求められていたのです。足先で「地面」を探り当てなければならない。手先で「暗闇」を掻き分けなければならない。それでも虚を突かれるようにして、人間や動物の「顔」が飛び出て来ることがある。それらは、直ぐに「地面」か「暗闇」に呑み込まれるのです。
 しばらくすると、月の「衣服」のようにも見える、大きな円弧状の「光輪」に包まれた「湖水」に辿り着きました。恐らく「森」は、「暁天」を迎えようとしているに違いない。遠くに「一輪」の花が視える。まるで白装束の「巫女」のようにかしずいて、「光臨」を待っている。その美しさを讃える「言葉」が想い浮かばない、想い出せない。「夢」の中の私は、この「世界」を「英語」で捉えることができなかったのです。
 階段教室に入ると、あの金髪の「教師」が演台に立っていました。教室の「窓」からは、炎上する「建物」が視えたのです。何と不謹慎なことか、「異邦人」である「私」には、その「白煙」が立ち昇る「薔薇」の薫りのように思えたのです。送別の「言葉」を考えなくてはいけない。異国の「環境」に溶け込むことを考えなくてはいけない。そんな「私」を見兼ねてのことか、隣の英国人から手渡されたのは、真っ白の「手紙」だったのです。
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# by artbears | 2017-08-30 20:23 | 連白

動物の進化と技術の進歩、静止する透明で永遠の時間、精神の暗闇の先の他者への信頼

 それが「蒸気」だったのか、それとも「電気」を動力源とした「機関車」だったのかは、今となってはどうでもよい「問題」でした。とにかく「技術」の進歩は凄まじくて、「車窓」から観えた「動物」は一瞬にして後方に飛んで行く。そのスピードは、「生物」の進化を遥かに凌駕していたのです。    
 私は一刻も速く、この「機関車」から降りなければならない。さもなければ、私の「肉体」も一瞬の「夢」の如く消えて逝く。最終的には「機械」に置き換わるのだろうか。その時、無機物も「夢」を見るのだろうか。何れにしても、私の「肉体」に残された「時間」は恐ろしく短い。
 プラットフォームが前方に迫って来ました。私は「精神」を集中して、そして祈る。私の「肉体」から解放されることを一心に願ったのです。私の「精神」は浮上して、そして落下する。その時、私の「意識」は覚醒する。プラットフォームに降り立った「私」は、不思議な「感覚」に襲われました。その「場所」には、様々な「物事」を魅き寄せて、結び付ける透明な「磁力」が満ちていたのです。
 「社会」の産業基盤の依って立つ「足場」に変化が起きていることは明らかでした。「社会」の動作環境が物理的な「基盤」から、産業横断的で電脳的な「空間」に移行しているのです。その「場所」が、無限の可能性への拡大を始めた。その「空間」が、物と物を繋げて、人と人との「心」を繋げて、夢幻の「宇宙」が生まれようとしている。
 その時、頬に心地良く当たる「微風」に、どこか秋の透明な「気配」を感じ取った「私」は、相変わらずの夏の残忍な「陽射」に辟易しながらも、遠方に神々しく聳え立つ「山脈」を望み見たのです。どっしりとした存在感を競い合うようにして連なる山々の「稜線」には、ゆっくりとしたスピードで雲々が這うようにして移動して行くのが観えました。その「白雲」の動きを「目」で追い掛けると、やがて、あの「天空」に在るとした、繁茂する木々に覆われた巨大な「浮遊体」が、私の「心」の中に浮かんで来たのです。
 あの時、機能停止となった巨大なロボットは、気が遠くなるような永遠の「時間」を野晒しとなって、しかし朽ちることなく「何事」かを待ち続けていたのです。一輪の可憐な「野草」を差し出す優しく穢れのない「心」はプログラムされたものではない。ロボットの両肩で戯れるキツネリスの「心」とも繋がっていることは、その仮想の「映像」がリアルに物語っていたのです。透明で永遠の「時間」が止まって見えたのです。
 再び、プラットフォームに降り立った「私」に戻る。すると、深い樹々の「息」が濃い「霧」となって、そのカーテンを開くようにして、一体のアンドロイドが現れたのです。彼女の美しい「表情」には、「精神」の暗闇が見えない。「感情」の起伏が感じられない。   
 そもそも「人間」の美しさとは何なのだろうか。有機物としての「肉体」に在るのだろうか。私の問い掛けは、私の「精神」が答えるしかない。そこには、何の「根拠」も無いが、相手に対する一方的な「信頼」が在る。ある種の宗教的とも呼べる「他者」に対する「感情」が在る。私は「一歩」を躊躇する。「私」は依然として崖っ淵に立っていたのです。
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# by artbears | 2017-07-29 17:24 | 連白

巨大な影のような悪意、顕現される欲望と投機される商品、美しく透明な光に宿る善意

 頼りなげに降り注ぐ「月光」を仰ぎ見上げながら、私は、その巨大な「影」のような「悪意」が、通り過ぎるのを待ちました。絹糸のように脆弱な「月光」を、その腹黒い「影」は容赦なく断ち切って、悠然と過ぎ去って行く。「息」を潜める「私」は、まるで「小魚」のように震えていたのです。
 やがて「足元」では、逆円錐状の「渦巻」が、クルクルと回転する「眩暈」のようにして現われて、それは、擂り鉢状の円形の「劇場」にも、蟻地獄のような空虚な「舞台」にも見えて来たのです。そこでは、あらゆる「商品」が滑り落ちている。あらゆる「欲望」が顕現され、喚起され、投機され、消費されている。この「渦巻」に呑み込まれてはいけない。私は踏ん張って、ありったけの「抵抗」を試みたのです。
 ところが如何せん、まるで「意志」を持った生き物のように肥大化する「渦巻」は、増々、その速度と強度を高めて行くのです。幾つかの具体的な「商品」と何らかの抽象的な「欲望」が、「私」の目の前を通り過ぎました。それらが更なる細分化と差異化を繰り返しながら、一方向に不可逆的な「渦巻」を形成していたのです。この連鎖的な「渦巻」に逆らうことはできない。しかし、この刹那的な「欲望」にしがみついてもいけない。
 このようにして、増大するエントロピーは、物理的な「時間」として生起され、認識され、交換され、消費されている。私の「自由」は、この「時間」の呪縛から逃れることに在る。私の「意識」は、まるで砂時計の一粒の「砂」のように落ちて、それと「時」を同じくして、真夜中に演じられる「悪夢」の幕は開かれたのです。
 その「場所」は、暗く陰鬱で、死臭すら漂うような「世界」でした。そして、鉄格子の内側の「暗闇」に蹲る人々は、あのゾンビ達に違いない。彼等の「存在」は暗示的で不明確でありながら、彼等の放つ「気配」は断言的で明確でした。それは、デフォルメされた「気配」ではあるが、実は、我々の日常性を攻撃して破壊するような「存在」ではない。それは、非人間的な「他者」ではなく、むしろ、人間の剥き出しの「欲望」を直接的に体現していたのです。
 困ったことには、鉄格子には「鍵」が掛かっていなかった。「扉」は、とっくの昔に開け放たれたままでした。もっと困ったことには、私自身が、この「恐怖」に慣れ親しんでいるという「事態」でした。このリアリティは、この「世界」の「現実」でもあったのです。
 この「世界」を元の円錐形に戻すしかない。その「頂点」に降臨する「他者」を探し求めるしかない。人間と人間との「関係」に内在する「超越性」を信じるしかないと想い立った私は、思い切って、堅く閉ざされた「心」の「扉」を開いたのです。
 「車窓」から視える「光景」は美しく透明感があり、正に「善意」に満ちたものでした。私の「心」には、北欧の田園風景が映し出されたのです。そして間もなく、研ぎ澄まされた「空気」が冷たく感じられる、名も知らぬ「駅」に降り立った私は、あの四方が「絶壁」に囲まれた天空の「飛行場」を目指して、運命的な「一歩」を踏み出すに違いないのです。
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# by artbears | 2017-06-24 18:25 | 連白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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