夢博士の独白



静謐で神秘に満ちた水面、揺れる一本の意識の樹と飛立つ小鳥達、覚醒した精神的感覚

 少しの間の忘我の「時間」は振り向いてはくれない。吹き抜ける「風」が初めて、「時」の経過を気付かせてくれたのです。私の心臓の「鼓動」はと言うと、正確なリズムを刻むまでに安定していました。それに呼応するかのようにして、「水面」は、静かに限りなく静かに「振動」を開始したのです。それは、完璧な「瞬間」が身震いしているようでした。永遠なる「時間」が天から垂直に降下して、水平に展開しているようでした。それらの「瞬間」が「波紋」となって増幅し、やがて力尽きて一輪二輪と消えて行ったのです。その「光景」はとても静謐で、謎めいた神秘に満たされていたのです。
 少しの間の忘我の「時間」は引き返してはくれない。その「尻尾」を掴むこともできない。それに、私が忘れた「我」とはいったい何者なのか、その「我」とは失われた私の「意識」なのだろうか。ならば始めから、忘却の彼方の出来事だったとの「仮説」も成り立つ。私が私を「意識」したからと言って、それが、私の「存在」を証明しているとは言えない。私の「意識」は夢現の世界に点滅する「燈明」のように危うく思われたのです。
 吹き抜ける「風」が再び、私の「身体」に触れて通過して行きました。滑るような心地良さを感じました。息が詰まるような「静寂」の中、私はいっそのこと何もかも忘れて、眠ってしまいたい「誘惑」に駆られたのです。私は「死」を身近に感じたのです。しかし、私の一部の覚醒した「意識」は、それを許してはくれない。それは精神的な「感覚」でした。そして、私の断片的ないくつかの「記憶」が、混沌とした「意識」の「水面」に映し出されたのです。全体に青いイメージの「水面」が広がり、黒い頑な「線」が何かの「形象」を生もうとしていたのです。
 一本の「意識」の「樹」が浮かんで来ました。何本かの細くて黒い「枝」が揺れている。それは、動揺した「心理」のようにも視えるし、嘲笑と失笑を抑えた「感情」のようにも取れる。一本の太くて黒い「幹」が貫いている。それは、天から下された「啓示」のようにも視えるし、本能的な「欲動」を制御する「理性」のようにも取れる。様々な過去の出来事が「形象」として現れることを欲して、それが崩れて溶けて、今度は未来の出来事を「暗示」するかのように現れる。私の「意識」が揺れる、だんだんと薄れる、引潮のように逃げる。梢に群がる小鳥達が一羽二羽と飛び立つようにして、私の「意識」は消えて行ったのです。
 私の「目」はゆっくりと開きました。忘れられた「意識」が何処かから戻って来たのです。その「意識」は、少し前には誰かが「我」と呼んでいたものでした。しかし、その「意識」は私自身を決して忘れてはいなかった。そして、私は決して独りではなかった。突然の着信音が、そのことを報せてくれたのです。
 蝋細工のような誰かの「手」の動きが止まった。その向こうには、馴染みのある「色彩」が視えた。それは黒と呼ばれる「色彩」だった。次に、私の「手」だと判断できる身体的な「感覚」が蘇って来た。「色彩」と「物質」の名称とが手を結んだ。その時、一筋の「涙」が頬を伝って流れるのを感じたのです。そして、その純粋無垢な「物質」こそが、私の「存在」を証明していると感じたのです。この身体的な「感覚」を遥かに超えた「時空」で、誰かと確かに繋がっているという精神的な「感覚」が、私の「意識」を強く揺り動かしたのです。
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# by artbears | 2014-03-30 13:04 | 夢白

死の代理人としての鮫、影の動き又は剥き出しの裸形の時間、穏やかな水面に写る精神

 私は大きく仰け反って、後方に退こうとしたのです。私は「暗礁」に乗り上げた無防備な「帆船」のような自分を思い浮かべたのです。「鮫」の大きく開いた「口」が迫る。卑猥で官能的な頭部には、焦点の定まらない「目」と陶器のような白い「歯」が視える。満たされることのない「食欲」の触手が、胃袋へと繋がる「暗闇」の奥から延びて来る。私を引き摺り込もうとする「魂胆」が視える。私は焦りました。私は再び後方に退こうとしたのです。しかし、あのプラスチックの「右腕」は、結局は何の役にも立ちませんでした。その上、動く意思のない「驢馬」のように頑迷固陋な「両脚」は、どことなく無気力で投げやりな雰囲気を漂わせていたのです。とにかく「両脚」に重い疲労感があったのです。
 私は、この永遠に余計な存在として憔悴し切った「両脚」を見続けるしかないと思ったのです。動かない、動かせない「現実」からは、例え、それが「夢」の中であっても逃れられないことを思い知らされたのです。
 「海面」からの反射は、相変わらずに眩しいものでした。その「光線」に幻惑された私は、もう少しで、あの「鏡」のトリックに騙されるところだったのです。私は、それを何とか回避したのですが、今度は、足元の水溜まりに写るもう一つの「鏡」に魅入ってしまいました。それは、私の内面を写した「鏡」だと、あの狡猾で残忍な顔付きの「鮫」は、私の傍らに擦り寄って来て、私の耳元に甘い「吐息」を吹き掛けながら囁いたのです。
 口元には、嘲笑的で冷淡な微笑みが漂っていました。しかし、どんよりと灰色に曇った「目」は、決して笑ってはいなかったのです。その「目」は真っ直ぐに私を見据えて、容赦のない眼差しが「鏡」に写っていたのです。私は固唾を呑んで、水溜まりに写る私自身と、その背後に見え隠れする「影」を追いました。目には涙が溢れて来ました。その捉えどころのない「影」の動きに、私の「精神」は苛立ち、私の「目」は疲労困憊したのです。
 「影」は小刻みな足取りで歩いている。突然、目に見えない「危険」に遭遇したかのように脅え慄き、その「場所」で立ち止まる。そして、再び我に返って歩みを開始する。前から見ても、横から見ても、後ろから見ても「影」は変わらない。しかし、その順番で必ず「変化」が繰り返されている。それは新しい「事件」でした。だからと言って、驚くようなことではなかったのです。
 私は「未来」を視ているのだろうか。それとも次に現れる「事件」を想像しているだけなのだろうか。「過去」と「現在」が溶け合って、「未来」の形成に立ち会っている。一つの「瞬間」が、それに続く次の「瞬間」を実現している。剥き出しになった裸形の「時間」が、そこに在ったのです。そして、その「影」が、いつか「視界」から消えることも「必然」の出来事だと思ったのです。あの「鮫」は、「死」の代理人に違いなかったのです。
穏やかで、密やかに波紋の拡がる「水面」を観たいと、私は心底思いました。人知れず咲いては散る「桜花」のように、心地よく山並みを吹き抜ける「涼風」のように存在することは出来ないものかと想ったのです。例え、それが一夜の儚い「夢」の中での出来事であっても、私の「精神」が癒されることを願ったのです。静かな「水面」を目で探る。「風」の動きを読む。穏やかな気持ちで待つ。昂る心臓の「鼓動」が聞こえたのです。
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# by artbears | 2014-02-28 19:42 | 夢白

一瞬の蒼い影と亡霊のような白い影、硬直する肉体と弛緩する精神、言葉を失った思考

 不意にひとつの「光景」が脳裏から離れなくなったのです。それは、無人の黒い自転車が、私の「内部」を通り抜けて行くというものでした。痛みはなく、私の「皮膚」は生きていない。それは、凍傷のような「痕跡」を残して通過して行ったのです。
 「内部」が反転して「外部」となる、というイメージが浮かんだのは、その後のことでした。ならば「外部」に、この「光景」は写し出されるのか、そもそも「内部」と「外部」の境界は存在するのか、取り留めも無い「思考」が浮かんでは消えて行きました。私は周囲を見回して、この「悪夢」から身を守る何か堅牢なものを探し求めたのですが、そのようなものは何ひとつ無かったのです。いつものように「不安」が、私を占拠したのです。
 そのことが、私をひどく苛立たせました。なぜならば、私には、このふわふわと漂う「幻想」を信じることも、振り払うことも出来なかったからなのです。ひとつの「悪夢」が消え、次の「悪夢」が現れるのを待つしかないのです。
 私は「海岸」に居たはずでした。この「記憶」もまた、実体の無い、まやかしに過ぎなかったのです。突然、目頭が小さな痙攣で震える。口元が大きな恐怖で微笑む。私は不快感を覚えました。その「幻想」がもっと弱々しくて、抽象的で、もっと控え目なものであってくれたらと願うしかなかったのです。
 正確に言うと、私は「海岸」の波打ち際に居たはずでした。その波打ち際には、麻で編まれた茶色のジャケットが打ち寄せられていたのです。太古に凝固した溶岩が熱く視え、私の「皮膚」は白く冷たい。私は降りて、それを鷲掴みにした。一瞬の蒼い「影」が動いた。拾い上げた私の「右腕」を食い千切った「鮫」は、得意満面の「表情」で頭部を何度も左右に振ったのです。紅い「鮮血」がぱっと海を染める。私は、その「光景」にぞっとする。やがて、その「鮮血」は、海の「透明」に希釈されて消えて行ったのです。
 「時間」が早送りされました。私の再生を果たした「右腕」に気付いたのは、ジャケットの袖口から黒いプラスチックの「義手」が視えて、それが器用な手つきで胸元を開いた時のことでした。「裸体」の私を覗き込む。小さな「興奮」が視える。一本の黒光りする「指」が伸びて、何かに触る仕草を見せる。硬直する「肉体」と弛緩する「精神」が合体する。そのジャケットのブランド名は「MIRROR」と読めました。確かに「鏡」は海の属性とも言えるのです。
 「時間」が再び巻き戻されました。足元でちゃぷちゃぷと打ち寄せる「波」の音がする。見下ろすと、私の「右脚」がだらりとぶら下がる。それは、何かの舞台装置のように奇妙な「物」として視える。「左脚」の足首には、小さな紅い「尾鰭」の魚が集まっている。それは、誰かの凝固血液のように鮮烈な「色」として視える。不意にひとつの「光景」が存在の「秘密」を語り始めたのです。
 我に返ると、私はコンクリートの「堤防」に腰掛けていました。すると、何かの気配がしたのです。耳元で囁く甘い「声」がしたのです。亡霊のような白い「影」が現れたのです。その「声」は、男と女はどちらがセクシーか、と私に問い掛けました。私の「思考」は「返答」を探し求めるのですが、「言葉」は海に向かって逃げるのです。
 黒い「背鰭」が真っ直ぐに近付いて来る。まるでナイフのように鋭利な「先端」が光った。
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# by artbears | 2014-01-31 20:20 | 夢白

死に臨む存在と認識された時間の概念、開かれた瞳孔又は窓に映し出された記憶の原景

とにかく眠ることにしよう。私は「記憶」を手繰り寄せようとしたのです。何とか昨日までのあの「感覚」を取り戻そうと努めたのですが、疲れ切った重い「身体」は病室の白いシーツに沈むことを選んだのです。最初は明るく目を惹く「光源」が見えて、最後は長く帯状に切り裂かれた「傷口」が見えて来る、それらが、ぼんやりと「記憶」の周辺に集まろうとしていました。ところが、「左眼」の鈍い痛みを伴う違和感は、そこに陥没した「空洞」が存在しているような奇妙な「感覚」を生み、それが何か特別な未知の「個性」のように主張を始めたのです。ある「変化」が起こったに違いない。それは、終わったことを告げているのか、始まったことを告げているのか、どちらとも特定できない抽象的な「変化」を感じ取ったのは、私なのだろうか。もし私でないとしたら、私の「脳髄」、私の「神経」、それとも私を計測する「機械」なのだろうか。それが解らない。とにかく眠ることにしよう。「解答」を求められた私の「精神」は困窮して、眠りの「闇夜」に逃げ込むことを選んだのです。入院を前にした、あの「冬空」の寒々とした高潔さ、あの優雅さを失わない透明な「感覚」が、私は好きでした。なのに、この「闇夜」は、まるで降り続く黒い雨で閉ざされた「病院」のように、私を圧迫して覆い被さって来る。雨の「水滴」の付いた窓ガラスにピッタリと押し付けられた滑稽な「顔」、それが、悲痛に歪む私の「顔」だと判別できたのは、手術室へと直行するエレベーターの「扉」が、唐突にかつ厳粛に背後で開かれた「瞬間」の出来事でした。無人の「空箱」が、私を無言で催促する。もう一度恐る恐る振り返ると、窓ガラスには、私の「瞳孔」を円く切り取ったフィルムが貼り付けられている。それは蒼くて繊細で、あの「冬空」のように美しい。ああ、そうなのかと、私は無言で納得する。これが、あの冷静沈着な「医者」から説明を受けたフィルムであり、4本のドリルの「穴」は、このフィルムを貫いて空けられるに違いなかったのです。しかし、この他人の「瞳孔」のように無防備に開いた「窓」は、私を魅了して止みませんでした。なぜならば、その「窓」の奥の「網膜」のスクリーンには、蒼い「空」と碧い「海」が拡がり、半円を描きながら続く「海岸」が映し出されていたからです。そして、その「曲線」は、まるで半月のエッジのように危うく、「狂気」の刃物のように視えたのです。それは、いつかどこかで観た「記憶」に眠る懐かしい「風景」でもありました。「海岸」で無邪気に遊ぶ子供たちの背後には、いつも「死神」が立っていたのです。我々の「存在」は、いつも不条理性、偶然性に曝されているのです。暫くすると、断崖のエッジを走る「細道」を、4台の黒い自転車が一列縦隊になって近付いて来るのが視えました。それにつれて、ドリルの回転する刃先が近付いて来るのが聞えたのです。私はまな板の上の「魚」、どろんとした「目」に見詰められている。交換不可能な一回性の「死」が、確実なものとして「視野」に入って来たのです。生きている「身体」には、決して追い越すことのできない「存在」の最後の可能性が現れて来たのです。と同時に、私にとっての根源的な「時間」が、死に臨む「存在」である自己を「認識」することによって、立ち現われて来たのです。それは、過去から現在を経て未来へと均質的に無限に続く、「死」を隠蔽した、死への「不安」を疎外している「時間」とは全く異なるものでした。それは、私にとっての掛け換えのない、狂おしいほど切実な「概念」だったのです。強制的に開かれた「左眼」を通して、「麻酔」が既に注入されていました。私の「感覚」が無い。私の一部が「物」となって、私から離れて行くのが分かる。それは、まるで途中で停止された「思考」のようだった。代わりに、無人の黒い自転車が近付いて来るのが視える。ペダルが機械の正確さで回っている。ドリルが機械の冷酷さで回っている。これらは恐らく、私の「死」とは無縁に回り続けるに違いない。永遠の「太陽」が容赦ない裁きのように「存在」を照らし出している。自分の「人生」を振り返るには完璧な「瞬間」が訪れようとしていたのです。逃げも隠れもできない。そもそも引き戻すことができない。断崖のエッジを走る「細道」に立った私は、4台の黒い自転車が、私の「身体」を次々に通り抜けることを、息を凝らして待つことにしたのです。
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# by artbears | 2013-12-31 18:02 | 哲学

左眼の不安と右眼の安心、眩暈又は未知なる恐怖と快楽の感覚、内部にも存在する時間

静かだ、とても静かに「時間」が滑るように経って行こうとしている。軽い、とても軽やかに「時間」が5本の指の間から零れ落ちている。まるで「砂」のようだ。それが視える。それに触れているように感じる。不可視であり、抽象的イデア的存在であるはずの「時間」が、「砂」という視覚形態をとって、物質的秩序として現れて来ようとしている。「砂」は流れる。しかも速い。何をそんなに急ぐというのだろうか。まるで砂時計の「秒針」のようではないか。それは、私の「脳」が、そのように視えることを欲して、そのように「情報」を修正しているに違いないと、私は「夢」の中で想ったのです。それは、私の「眼」の奥での出来事のようでした。私は、私の左眼の網膜上に、果たして「世界」が正確に写し出されているのかということに、「疑惑」の念を抱くようになったのです。それほど、私の裸眼で視る「世界」は歪んで屈曲して変形が進んでいました。私の左眼は病んでいたのです。今となっては右眼だけが頼りなのです。しかし、正直なところ、どちらの「眼」が正常であるのかの「判断」は、私には下せなかったのです。なぜならば、私の「夢」の中には、「医者」と呼べる「他者」は存在しなかったからでした。地下鉄の「暗闇」を抜けて、白い階段を上がると、「青空」が飛び込んで来ました。巨大な「病院」が歪んで視えたのです。謹厳実直な「医者」の横顔、輝く光の輪、コンピューターを凝視する「視線」、銀色の十字架、曲がった直線、そこにも「砂」は押し寄せていました。私の外部の「時間」は「砂」となって、私を追い詰め、私の内部に流れ込んで「不安」を形成しているのです。一つのイメージが浮び、別のイメージへの変成を促し、それらは、私の網膜上を変遷して、エネルギーゼロの地平(死)に向かって拡散しているようでした。「不安」は連鎖して、私を拘束しているのです。そして、それらの「不安」は、光の輪や十字架といっしょになって、色鮮やかな「蛾」のように軽やかに舞いながら、ひらひらと静かに「意識」の谷底に堕ちて行きました。そして今度は、何とも言えない無重力感を伴って、様々なイメージが「意識」の谷底からゆらゆらと浮かび上がって来たのです。生温かい「風」も吹き上がって来ました。私は網膜上の「断崖」に立っていたのです。それに気付かせてくれたのは、硝子体と呼ばれる白い半透明の「物質」が、私の「顔面」に迫るのを感じたからでした。それは、あの「医者」からの「情報」が変質しているに違いないと、私は「夢」の中で想ったのです。それは、まるでゼリーのようで、とても軟らかい。ぶよぶよとした「感触」が気味悪いのです。ふっと「断崖」から見下ろすと、球面をなぞるように急角度のスロープが視えました。そして、あの「医者」の言った通りに、その硝子体と網膜との谷間には、透明のポリエチレンの切れ端のような「物質」が視えて来たのです。それは、剥がれた網膜の「断片」が硝子体に付着しているに違いなかったのです。それは、視覚形態をとって、物質的事実として現れて来たのです。私の左眼は物理的な「損傷」を患っていたのです。しかし、それを視て逆に、私の内部で肥大化した「不安」という非日常的「感情」は、日常性への回帰の契機を掴んだように思われました。私に「安心」という日常的「感情」が戻って来たのです。流砂となった「不安」は、私に圧死を強いるのではなく、この「世界」の「断崖」に立つ体験をもたらしてくれました。私は、この「断崖」に踏み止まって、あの「損傷」を除去する「決意」を固めたのです。「不安」は塊となって凝固し、明るく輝く無の「白夜」が開かれました。それは、可能性としての小さな「死」の体験でもありましたが、それは同時に、生きるという「価値」に拘束されている「私」を自覚させてくれたのです。そして、この「不安」を介しての、非日常性と日常性との「意識」の往還こそが、私の内部に「時間」の観念を生んでいるのです。にもかかわらず、私の「意識」には依然として、この小さな「死」を放置するという選択への「誘惑」が存在することを認めないわけにはいけません。その「誘惑」はなぜか甘く切ないのです。私は、この「甘い不安」のイメージの「源泉」を探し求めました。すると、小さな子供である私は、途方もなく大きな紫色の「花弁」の先端から、深く謎めいた「花唇」を覗き込んでいたのです。私はくらくらとした「眩暈」を覚ました。それは、滑り落ちる「恐怖」と「快楽」の同居した未知なる「感覚」だったのです。
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# by artbears | 2013-11-30 18:37 | 哲学

記憶の教会又は庭園、鎮魂の鐘と厳かに奏でられる音楽の響、孤独に耐えて咲く黒い花

目覚まし時計がどこか遠くで鳴っているように聴こえたのです。それは、はるか彼方で鳴っている「教会」の鐘のようにも聞こえました。私の「意識」は、この非日常的な「生」に留まることを欲していたのです。殺伐としたモノクロームの「世界」が拡がりました。木枯らしが容赦なく吹き付けていました。分厚いビロードのカーテンのような重く灰色をした「霧」が晴れるに従って、丘陵に立った「老人」は、静かに語り掛けて来たのです。黒い渡り鳥の「影」が、何本かの動いている「腕」のようになって、粘土質からなる「土手」を這い上がりました。その「影」は「老人」の足元で消えて、彼方に見える「教会」が指差されたのです。長い年月をかけて「教会」は完成したことが、そして、あの「鐘」が奇跡のように鳴り響くに至った「歴史」が語られ、私の「記憶」の扉も開かれていったのです。そう、私の「夢」の中では今だに、逃げ惑う異教徒の「白衣」は、暗闇に乱舞する「蛍」の弱々しい光のように幻想的かつ扇情的であり続けたのです。白馬に跨る領主の「横顔」には、権力構造の崩壊の恐るべき「光景」が既に写し出されていたのです。多くの見知らぬ役者の印象的な「形相」が浮んでは消えていきます。「映像」は永遠不変の「情報」として、人々の記憶の「教会」に存在しているに違いありません。しかし、その「情報」は時として、脈略もなく結び付き溶け合って、新しい「経験」が創造されるものなのです。鎮魂の「鐘」が優しく厳かに響きました。「運命」の荒波に翻弄され、傷付き辱められた者達が、「記憶」の奥底から次々と姿を現し、鐘の「音色」は、彼等の無念の「精神」を癒していったのです。彼等の「苦悩」は「音楽」となって浄化され、私の記憶の「教会」に響き渡ったのです。私の「教会」? それはいったい何処に存在するというのだろうか? という「意識」が「夢」の中で生れました。そして、その「意識」は、あの残虐極まりない「匈奴」の襲来に脅える人々といっしょになって、「教会」に逃げ込もうとする「私」を視付けたのです。私達の「教会」の扉は固く閉ざされました。そこは、守るべき「精神」の最後の「砦」でもあったのです。私達には、一台の古ぼけたパイプオルガンがありました。片腕を失った「司祭」が礼拝を執り行うことになりました。片足を失った「奏者」がオルガンの前に座り、私達は帽子を脱いで深々と頭を垂れたのです。重厚な「音楽」が、対位法的フーガ形式をとって奏でられました。先ず「主題」が演奏され、それが反復されることにより問い直され、「楽曲」は追い立てられるようにして変容を遂げていったのです。この「楽曲」は全ての音楽がそうであるように、時間の流れを取り込むことで成立していました。そして、この生き物のように流れる「時間」の中で、私達は「音楽」と一体となって、非日常的な「生」を分かち合うことができたのです。私達は一つの「集団」となって、この「時間」の流れの中に「個」を放棄したのです。しかし、「音楽」は、それは「人生」と同じように、いつかは終わる「運命」にあります。そして、私達は、この「音楽」を聴かないこともできるし、この「時間」を断ち切ることもできるのです。その「自由」は常に存在するのですが、その「自由」を対象として認識することがないだけでした。私は「不安」を覚えることなく、安らかな「睡眠」に戻ることを選択していたのです。しばらくすると、目覚まし時計がどこか近くで鳴っているように聴こえたのです。それは、まさに耳元で鳴っている「工場」のベルのようにも聞こえました。私の「意識」は、この日常的な「生」に戻ることを強いられたのです。しかし、この「命令」に従うかどうかを決定するのは、他ならぬ私以外の何者でもないことにも気付いたのです。なぜならば、私は目覚まし時計を掛けない、或いは無視するという可能性に開かれていたからです。何とも言えない複雑な「感情」が湧き起こって来ました。それは、日常的道徳を無に帰する「不安」でもあったからです。しかし、この「不安」の自覚こそが、「集団」に埋没して「世界」に拘束されて生きる「私」に、実は、その行為は私自身が「自由」に選択したものであることを気付かせてくれたのです。私は外的な「命令」がなくとも、私の内的な「意志」で起きることを選択していたのです。私はいつものように障子戸を開き、「外光」を室内に招き入れました。私は縁側に佇み、ガラス戸越しに「外界」を観察しました。そして、私の記憶の「庭園」に咲く紅い花を探したのです。「個」を取り戻した「私」には、それが、孤独に耐えて力強く咲く黒い花に視えるように想われたのです。
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# by artbears | 2013-10-31 19:54 | 哲学

巨大な満月と無言の影法師、恐怖から不安へと変わる感情、静寂の歌声又は花開く種子

何かが発生しようとしている。何かが、私を待ち伏せしているような「気配」が漂っていたのです。全ては、この石造りの「階段」を下りて、あの「角」を曲がれば分かることでした。視上げると、巨大な「満月」が、私を見下ろす「視線」となって、私の背後を監視していたのです。視下ろすと、無言の「影法師」が、私を見上げる「幻影」となって、私の前途を暗示していたのです。「恐怖」が這うようにして近付いて来ました。得体の知れない「感情」が、私の「内部」で満ち潮となっていたのです。苦しくて先が視えない、息ができなくなったらどうしよう、私は「恐怖」の感情に溺れそうになりました。にもかかわらず、私の両足は、まるで魔法をかけられた「箒」のように自動歩行をするではありませんか。「止まれ!」と心の中で叫んでも、それは、私の「命令」を無視して、まるで地上を徘徊する「生物」のように動くのです。しかも、実に柔らかくて軽い、まるで空中に漂う「浮雲」のように軽快に歩む。それは「自由」に動いている。私は躊躇した。なぜならば、あの「感覚」が、あの足の裏に貼り付いた重くて長い、押し殺した「溜息」のような「感覚」が消えていたからなのです。私は浮上している。私は戦慄した。なぜならば、この「階段」から転落するという可能性を、私自身を超越した「外的可能性」を認識したからなのです。まさに危険に満ちた「世界」が現れたのです。これでは、まるで路肩に転がる小石と同じ「運命」ではないかと、「夢」の中でふっと思った「瞬間」、私の「意識」も浮上して、私は「階段」を注意深く下りている私自身を見付けることができたのです。私は安堵した。なぜならば、そこに、転落するという外的可能性を回避しようとする私の「意志」と、私の「内的可能性」が視えたからでした。私は自らの安全を「選択」していたのです。得体の知れない「感情」は、引き潮となって消えて行きました。ところが、私の頭上にまで昇り詰めた「満月」は、その「狂気」を宿した「視線」を、私の「脳内」に垂直に突き刺さる「矢」として放ったのです。「狂気」が、私を貫いたのです。すると、無言を決め込んでいた「影法師」は、唐突に多くを語り始めて、それらの「言葉」は「幻影」となって、私の四方を取り囲むことになったのです。一人の「影法師」がカードを配りました。彼等は、私の「顔色」を窺いながら、それぞれに何かが書かれたカードを開いたのです。そこには、この「状況」から導かれる、あらゆる論理的可能性が書かれていました。その中にはもちろん、私が自らの「意志」によって、この「階段」を踏み外すという「選択」も含まれていたのです。何という「自由」、何という「可能性」、私は自らの「自由」に恐怖を覚えるとともに、その感情は「不安」となって、私の「内部」で増殖して溢れ出したのです。それは、私が自らの安全を「選択」すること、その行動には、それと相矛盾する行動を「必要条件」としていたからでした。そして、その行動を「選択」する「自由」が、私の「可能性」として存在していたのです。あの「満月」の「狂気」に応えて、私が破滅的な行動を取らないという何の「保証」もなかったのです。ところが、この「状況」に目眩を覚えて前後不覚となった私は、何と「階段」から足を踏み外して転がり落ちてしまったのです。私の「意識」は、暗く深い「闇夜」に消えて行きました。次の「夢」が開いたのは、前の「夢」で予告された、あの「角」の手前の石畳の冷たい「感触」からでした。朝焼けの仄かな「弱光」の下、私は角の取れた丸い「玉石」にそっと耳を押し当てていたのです。「玉石」の深奥から聴こえる静寂の「歌声」は、私を魅了して止まないものでした。それは、静寂という「音」ではなく「声」だったのです。そして、その無音の「歌声」は無言の「幻影」となって、私の側らに近付いて、一粒の「種子」を置いて行きました。やがて、その「種子」は、私の「意識」の中に宿り、大きな薄紫色の「花」を咲かせたのです。優しく慈しみに充ちた「色彩」が、私の「脳内」に拡がりました。私の「内部」で増殖した「不安」は、その「色彩」の美しさに吸い込まれて行ったのです。私は起き上がって、あの「角」を曲がりました。そこで、私が視たものは、石造りの「階段」と、その頂上に燦々と輝く「太陽」だったのです。そこには、私の「可能性」を超越した世界への「信頼」と、それを支える自然の「摂理」が存在しているように視えました。あの悪魔的な「自由」が持つ偶然性に襲われることもないように思われたのです。
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# by artbears | 2013-09-30 19:57 | 哲学

永遠なる時間と特別なる瞬間、夢の中で開く夜の花、崩壊する内なる文明と精神の矛盾

どのような特別な「一瞬」であっても、決して私の「内部」に留まることなく、何の未練も残さずに規則的に通り過ぎていくのです。それは、夕方の雷鳴の大きな「音響」も、朝方の曙光の微かな「色彩」においても然りなのです。どのような特別な「一瞬」であっても、いつかは均質的な「時間」の流れに合流して、いつもの無気力なしなやかさを取り戻すのです。そう、「時間」は常に、私の「外部」に存在していたのです。目が覚めて「意識」の一部が開いた時、「夢」の出口に立っている私の「後姿」がぼんやりと見えて来たのです。彼は恐らく、中途半端な自分自身の「存在」に戸惑っていたに違いありません。彼は「夢」の入口に消えていくもう一人の私の「後姿」を見ていたのです。彼は振り返った。その「顔」は鏡の中の「死者」のそれのように蒼白だった。そして、その「瞬間」がどれほど衝撃的であっても、過ぎ去った「時間」として平等に処理されていくのです。やがて「夢」の入口と出口は合体して、その「狭間」で束の間の「生命」を与えられた私の「分身」は消えていきました。しかし彼等は、私の想像の及ばない異質な「空間」で棲息しているのかも知れない。それを思うと、私の心臓は鼓動を速めた。とても甘く、とても柔らかい息遣いを身近に感じた。誰かがここに「存在」する。目が覚めて「意識」の全部が開いた時、存在への「認識」が、私を捉えていることに気付きました。「思考」が背後から始まり、「認識」に追い付いたのです。しかし、この「認識」が明日も生れるという誰の「保証」も無く、明日の朝自体が訪れるという何の「根拠」も無かったのです。あきらかに「世界」は無数の「認識」の下に存在している。しかも日々の新陳代謝を繰り返している。にもかかわらず、そのことを他者の「内部」に入って確かめることはできない。結局は、一つの「認識(神)」が存在するという「前提」で生きていくしかなかったのです。私は「認識」の背後にある「思考」を止めました。すると、未明のまどろみの中、無意識の深く暗い「空間」を逃げる私の分身の「後姿」がぼんやりと見えて来たのです。彼は恐らく、無我夢中で自分自身の「存在」を消そうとしていたに違いありません。なぜならば、「夢」の中においては、思考する「主体」は存在しなかったからでした。私の「分身」に与えられた役回りは、私の「精神」のあくまでも「影」として振舞うことだったのです。私はやっとの思いで、その「影」に追い付きました。合体した我々を待っていたのは、「夢」の中で乱れ咲く「花園」だったのです。「芥子」は赤い花を咲かせ、「百合」は白い花を咲かせていました。夢の中で「夜」が大きく花開いていたのです。天上は弱々しい「月光」に照らされ、地上は黒々とした「暗闇」に侵食されていました。我々が左に進路を取ると、ネオンの「色彩」が揺れる夜の「街」がいきなり現れて来たのです。それは、まるで水槽に閉じ込められた「熱帯魚」のように儚く悲しげでした。雨の降る熱帯ジャングルの「静寂」が視えたのです。「音響」の無い稲妻が光りました。月の「狂気」は水溜りに移されたのです。我々が右に進路を取ると、鮮やかな「色彩」が目に飛び込みました。嘘の花と歌われた夜の「蝶」が飛び交っていたのです。「嘘偽」を肴に酒に酔った「蝶」が舞うという。それは、正気を失った「狂人」の乱舞のように視えたのです。私は「一瞬」、こんなはずではないと感じたのです。なぜならば、この「世界」には「時間」の概念が無いように思われたからでした。ただ亡霊のような「空間」が茫洋と拡がっていたのです。それに、脳裏に映像化された全ての「情報」には既視感があるのですが、全体として現れるとどこかが完璧に狂っていたのです。部分と全体が整合性を失っていたのです。私の「精神」は、この「世界」が生活社会とは異なった「次元」で形成されていることを、そして、一つの「認識(神)」が存在するという「場所」でもないことを「感知」したのです。私は一刻も速く、この「空間」から脱出することを最優先にして「出口」を探しました。私は無我夢中で走ったのですが、地に足が届かない。空回りばかりなのです。おまけに足には「捕虫植物」が纏わり付いて来る。夜の「街」のネオンは水溜りに溶けて、月の「狂気」がそれを笑う。まさに出口無しなのです。ところが、夢は必ず「朝」に閉じると思った「瞬間」、私の「意識」の一部が開いたのです。ぼんやりと朝の「街」が視えて来ました。そこでも、文明社会の崩壊が始まっていたのです。私の「精神」は、解決策の見えない不透明な「時間」の流れに身を任せるしかなかったのです。
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# by artbears | 2013-08-28 18:52 | 夢白

黒いシルエットは屋形船か宇宙船か、凍て付いた意識と鋭敏な感覚、純粋なる存在と私

雲か霞の如く、数多くの「花火」は大輪を咲かせては惜しまれながら消えて行き、夜空には月や星が元の姿を現していたのです。その中にあって、一本の「光跡」を描いて頂点を目指した「火炎」は、不本意ながら不発となって、反対側に同じような「円弧」を描きながら落ちて行きました。その右上の夜空では、向日葵の花の如く、小振りの「花火」が大きく四方に開いて、しばらく無言で白く輝いていたのです。雨はすでに止んでいました。冷気を含んだ風が流れていたのです。両岸に渡された木製の「橋梁」は、黒く美しい「影絵」となって、深い藍色の「水面」に映っていました。水平線は低く位置していました。夜空が無限に拡大していたのです。上空の雲も下空の霞も少しずつ散り始めていたのですが、どこか不安をかきたてる「空気」は、いつまでも漂っていたのです。「水面」には、数多くの「屋形船」の黒いシルエットと、その船内の今にも消え入りそうな蝋燭の「炎」が浮んでいました。それは、「星空」の神秘をしっとりと写し出しているようにも視えるのですが、どこか不気味な「宇宙船」と、その船内の「光源」のようにも視えたのです。私の「意識」は、小高い丘陵の頂上付近から、この「光景」を俯瞰しているように想われました。それは、私という小さな存在を超えた、大いなる「宇宙」からの視点のようにも感じられたのです。天上を見上げると、夜空に輝く無数の「星」が今にも零れ落ちそうに視えました。地上を見回すと、蒼い森に囲まれた「泉」の水際で、独り佇む私の「意識」を見付けたのです。滾々と湧き出る「泉」は、「記憶」の水源の如く、豊富な「情報」を湛えているに違いありません。私は黒光りする「小石」を拾って、「泉」の中心に向かって投げ入れたのです。それは、黒く美しい「円弧」を描きながら着水しました。「波紋」が拡がりました。「記憶」が急速に甦って来たのです。それは、遠い「過去」か近い「未来」の出来事のはずでした。竹林の「小道」を散策していた私は、時折、音も無く吹き抜けて行く涼やかな「風」に心地良さを感じていたのです。気が付くと、太陽は西の地平線に姿を消しつつあり、それに合わせて「影法師」の黒いシルエットも移動しました。「向日葵」の花は西を向いてこうべを垂れ、すでに散ってしまった花びらは、それらが「大地」に帰することを物語っていたのです。突然、真っ赤な嘴の「鳳凰」が羽ばたくと、午睡に耽っていた「小禽」は慌てふためき、天空を目指して舞い上がりました。蝉の鳴き声は無く、脱殻だけが残されていました。「盛夏」を前にしてのアンニュイな「空気」が漂っていたのです。そして、しばらく歩くと黄昏時となり、この滾々と湧き出る「泉」に再び巡り合うことができたのです。私は、あらゆる森羅万象をことごとく写し取った感のある、この澄み切った「泉」に見惚れて、その「水面」を覗き込みました。すると、そこに写る私の顔色は朱色を帯びていて、目の周りには紺色の隈取ができていて、「山猫」のそれのような尖った耳が生えていたのです。そして私の背後には、私を取り囲むようにして、穢れ無き大きな黒い瞳をした数頭の「小鹿」が現れたのです。その時のことでした。上空では数発の「花火」が炸裂して、不発となった「火炎」が猛烈な勢いで落下して来たのです。動物達は慌てて逃げ惑い、黄金色の光に包まれた私は、私の「影法師」が「泉」に溶け込むのを見ながら、私自身が凍て付いた水の中に浸るような鋭敏な「感覚」を覚えたのです。私は私自身をほとんど純粋な「存在」のように感じました。それは、私を取り囲む「状況」の純粋さに、私自身が支配されたことを意味していたのです。この危機迫る研ぎ澄まされた夜の「空気」は、そして、この氷のような水の「感覚」は実に純粋でした。一個の感覚器官と化した私は、水の「分子」の一つひとつと一体となって、「水底」へと沈潜を始めたのです。「水底」は意外にも、しっかりと安定していました。水上を見上げると、水面に写る無数の「星」が今にも零れ落ちそうに視えました。水中を見回すと、硬い岩に囲まれた「泉」の水源で、独り佇む私の「意識」を見付けたのです。滾々と湧き出る「泉」は、「記憶」の水源の如く、豊富な「情報」を気泡のカプセルに閉じ込めて、水上に向かって解放っていたのです。そして、私の「意識」は再び「影法師」と一体となって、「記憶」はランダムに結合して、気紛れな「創作」が始まったのです。もはや、水上に浮ぶのは「屋形船」であるのか、それとも「宇宙船」であるのかの判別の「根拠」は、私の記憶ファイルには残されていなかったのです。
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# by artbears | 2013-07-31 18:49 | 夢白

黒い能面と突き刺さった視線、絶対の経験と存在の偶然性、異界からの不可視の来訪者

黒い「色」も丸い「円」も、そして、この突き刺さるように感じる「視線」であっても、それらは、私の「脳内」のスクリーンに映し出された純粋で数学的な一つの「観念」に過ぎないと思われたのです。この宇宙的とも呼べる広大無辺の「空間」に漂う一つの「観念」に過ぎないと思われたのです。なぜならば、それらは、「言葉」の枠内で説明が付き、理解を得ることのできる「世界」に属していたからでした。私に見えていたのは、抽象的な創り事、そう、人間の「観念」だったと言えるのです。然るに、未明の薄明かりの中、恐らく、私は「夢」と「現」の境界線を往復していたのだと推測されるのですが、そんな私が、ブロック塀の折れ曲がった「角地」で、黒くて丸い「能面」を着けた「痩男」と出会いがしらにすれ違って、その衝撃的な「経験」に慌てふためき飛び起きてしまった。以来、その時に突き刺さった彼の鋭い「視線」は、私を「不眠」の世界に引き擦り込んだ。そして、この偶発的であるが故に絶対的な「経験」を、どうしたら「言葉」の枠内に収めることができるのだろうか、と悩み始めた私は、増々「不眠」の泥沼でもがき苦しむことになった。それが、ここ数日の私の体たらくぶりの原因でした。この「精神」の昂ぶりは、アルコールで麻痺させても、「問題」の根本的な解決にはならなかったのです。なぜならば、私が視たのは、単なる黒い「能面」ではなかったからでした。それは、この「世界」に自明の事実として存在する、山を覆う木々や、草むらの臭気や、砂の粗い粒子や、市場に並ぶ魚貝と何ら本質的に変わるものではないのですが、それら、物事の多様性、個別性という仮象の「仮面」が剥げ落ちた後に現れて来る、得体の知れない怪物じみた、黒くて無表情な「能面」そのものだったのです。それは、不条理性に満ちた、「言葉」での説明をいっさい受け付けない「存在」の不気味さでした。しかも、この「世界」は、そのような「存在」で溢れている。そして、その「存在」は必然ではなく、偶然性以外の何ものでもなく、それ故に絶対であり、還元不可能な無償性を唯一の「根拠」にしていたのです。私は、この「根拠」の曖昧性に絶望的な「不安」を懐き、慄き狼狽してしまったという訳だったのです。そんな私が、もう一度、あのブロック塀の「角地」に戻ろうと思い立ったのは、やはり、未明の薄明かりの中、やっとの思いで手に入れた浅い「睡眠」でのことでした。ブロック塀は、軽々と宙に浮いているようだった。その背景には、水色の「空間」が拡がっていた。水気を含んだ「雨雲」が重くゆっくりと沈んで行く。「風雨」が、私の顔面に突き刺さっているように感じる。足元がぐらぐらと揺れている。足場がぼろぼろと崩れている。この再現性の無い一回性の「夢」の中で、誰がいったい、この「舞台」を用意したというのだろうか。誰がいったい、どの「演目」を舞えというのだろうか。はたしてシテは誰で、ワキは誰なのだろうか。「夢」もまた、「言葉」による「意味」の形成を受け付けない、無償性を唯一の「根拠」とする「現象」に過ぎないと思われたのです。私は「角地」に立っていました。眼下には奈落の「谷底」ですらも視えない。ふわふわとした気の定まらない浮揚感、どろどろとした形の定まらない不安感が、私の身の周りに集まって来る。一歩を踏み出すこと、その戦慄の「恐怖」と、その後の恍惚の「快楽」への誘惑を、耳元で囁く誰かの「声」がする。それを踏み留めさせようとする別の「声」とは、私の「精神」なのだろうか、と考える「意識」が表れては消えて行く。「夢」の中においても、自分自身との「関係」は存在していたのです。すると突然、「雨雲」が、奈落の「谷底」から浮かび上がり、あたかも「能舞台」の見立てのようにせり上がって視えたのです。その「舞台」では、白い「能面」を着けた「小面」が、幽玄の美の「世界」を舞っていました。その「世界」では、内的必然性としての自分自身の「死」が謡われ、そのことが、優美に誇らしげに演じられていました。私は、その白い「能面」は生きていると感じたのです。なぜならば、その「能面」には、過去から未来へと無数の観る者の「視線」が突き刺さって行くことにより、観られる者としての「生命」が宿っているように思われたからでした。それは、女性であるのか、男性であるのかを超越した「面相」でした。そして、その「能面」こそが、能楽師をして、「異界」(超越性)からの不可視の来訪者であるシテを演じさせていたのです。そして、ワキこそが、観る者をして、「異界」の存在を知らしめていたのです。「視線」は常に、不可視の超越者を観ていたのです。
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# by artbears | 2013-06-26 19:57 | 夢白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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