夢博士の独白



記憶の教会又は庭園、鎮魂の鐘と厳かに奏でられる音楽の響、孤独に耐えて咲く黒い花

目覚まし時計がどこか遠くで鳴っているように聴こえたのです。それは、はるか彼方で鳴っている「教会」の鐘のようにも聞こえました。私の「意識」は、この非日常的な「生」に留まることを欲していたのです。殺伐としたモノクロームの「世界」が拡がりました。木枯らしが容赦なく吹き付けていました。分厚いビロードのカーテンのような重く灰色をした「霧」が晴れるに従って、丘陵に立った「老人」は、静かに語り掛けて来たのです。黒い渡り鳥の「影」が、何本かの動いている「腕」のようになって、粘土質からなる「土手」を這い上がりました。その「影」は「老人」の足元で消えて、彼方に見える「教会」が指差されたのです。長い年月をかけて「教会」は完成したことが、そして、あの「鐘」が奇跡のように鳴り響くに至った「歴史」が語られ、私の「記憶」の扉も開かれていったのです。そう、私の「夢」の中では今だに、逃げ惑う異教徒の「白衣」は、暗闇に乱舞する「蛍」の弱々しい光のように幻想的かつ扇情的であり続けたのです。白馬に跨る領主の「横顔」には、権力構造の崩壊の恐るべき「光景」が既に写し出されていたのです。多くの見知らぬ役者の印象的な「形相」が浮んでは消えていきます。「映像」は永遠不変の「情報」として、人々の記憶の「教会」に存在しているに違いありません。しかし、その「情報」は時として、脈略もなく結び付き溶け合って、新しい「経験」が創造されるものなのです。鎮魂の「鐘」が優しく厳かに響きました。「運命」の荒波に翻弄され、傷付き辱められた者達が、「記憶」の奥底から次々と姿を現し、鐘の「音色」は、彼等の無念の「精神」を癒していったのです。彼等の「苦悩」は「音楽」となって浄化され、私の記憶の「教会」に響き渡ったのです。私の「教会」? それはいったい何処に存在するというのだろうか? という「意識」が「夢」の中で生れました。そして、その「意識」は、あの残虐極まりない「匈奴」の襲来に脅える人々といっしょになって、「教会」に逃げ込もうとする「私」を視付けたのです。私達の「教会」の扉は固く閉ざされました。そこは、守るべき「精神」の最後の「砦」でもあったのです。私達には、一台の古ぼけたパイプオルガンがありました。片腕を失った「司祭」が礼拝を執り行うことになりました。片足を失った「奏者」がオルガンの前に座り、私達は帽子を脱いで深々と頭を垂れたのです。重厚な「音楽」が、対位法的フーガ形式をとって奏でられました。先ず「主題」が演奏され、それが反復されることにより問い直され、「楽曲」は追い立てられるようにして変容を遂げていったのです。この「楽曲」は全ての音楽がそうであるように、時間の流れを取り込むことで成立していました。そして、この生き物のように流れる「時間」の中で、私達は「音楽」と一体となって、非日常的な「生」を分かち合うことができたのです。私達は一つの「集団」となって、この「時間」の流れの中に「個」を放棄したのです。しかし、「音楽」は、それは「人生」と同じように、いつかは終わる「運命」にあります。そして、私達は、この「音楽」を聴かないこともできるし、この「時間」を断ち切ることもできるのです。その「自由」は常に存在するのですが、その「自由」を対象として認識することがないだけでした。私は「不安」を覚えることなく、安らかな「睡眠」に戻ることを選択していたのです。しばらくすると、目覚まし時計がどこか近くで鳴っているように聴こえたのです。それは、まさに耳元で鳴っている「工場」のベルのようにも聞こえました。私の「意識」は、この日常的な「生」に戻ることを強いられたのです。しかし、この「命令」に従うかどうかを決定するのは、他ならぬ私以外の何者でもないことにも気付いたのです。なぜならば、私は目覚まし時計を掛けない、或いは無視するという可能性に開かれていたからです。何とも言えない複雑な「感情」が湧き起こって来ました。それは、日常的道徳を無に帰する「不安」でもあったからです。しかし、この「不安」の自覚こそが、「集団」に埋没して「世界」に拘束されて生きる「私」に、実は、その行為は私自身が「自由」に選択したものであることを気付かせてくれたのです。私は外的な「命令」がなくとも、私の内的な「意志」で起きることを選択していたのです。私はいつものように障子戸を開き、「外光」を室内に招き入れました。私は縁側に佇み、ガラス戸越しに「外界」を観察しました。そして、私の記憶の「庭園」に咲く紅い花を探したのです。「個」を取り戻した「私」には、それが、孤独に耐えて力強く咲く黒い花に視えるように想われたのです。
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# by artbears | 2013-10-31 19:54 | 哲学

巨大な満月と無言の影法師、恐怖から不安へと変わる感情、静寂の歌声又は花開く種子

何かが発生しようとしている。何かが、私を待ち伏せしているような「気配」が漂っていたのです。全ては、この石造りの「階段」を下りて、あの「角」を曲がれば分かることでした。視上げると、巨大な「満月」が、私を見下ろす「視線」となって、私の背後を監視していたのです。視下ろすと、無言の「影法師」が、私を見上げる「幻影」となって、私の前途を暗示していたのです。「恐怖」が這うようにして近付いて来ました。得体の知れない「感情」が、私の「内部」で満ち潮となっていたのです。苦しくて先が視えない、息ができなくなったらどうしよう、私は「恐怖」の感情に溺れそうになりました。にもかかわらず、私の両足は、まるで魔法をかけられた「箒」のように自動歩行をするではありませんか。「止まれ!」と心の中で叫んでも、それは、私の「命令」を無視して、まるで地上を徘徊する「生物」のように動くのです。しかも、実に柔らかくて軽い、まるで空中に漂う「浮雲」のように軽快に歩む。それは「自由」に動いている。私は躊躇した。なぜならば、あの「感覚」が、あの足の裏に貼り付いた重くて長い、押し殺した「溜息」のような「感覚」が消えていたからなのです。私は浮上している。私は戦慄した。なぜならば、この「階段」から転落するという可能性を、私自身を超越した「外的可能性」を認識したからなのです。まさに危険に満ちた「世界」が現れたのです。これでは、まるで路肩に転がる小石と同じ「運命」ではないかと、「夢」の中でふっと思った「瞬間」、私の「意識」も浮上して、私は「階段」を注意深く下りている私自身を見付けることができたのです。私は安堵した。なぜならば、そこに、転落するという外的可能性を回避しようとする私の「意志」と、私の「内的可能性」が視えたからでした。私は自らの安全を「選択」していたのです。得体の知れない「感情」は、引き潮となって消えて行きました。ところが、私の頭上にまで昇り詰めた「満月」は、その「狂気」を宿した「視線」を、私の「脳内」に垂直に突き刺さる「矢」として放ったのです。「狂気」が、私を貫いたのです。すると、無言を決め込んでいた「影法師」は、唐突に多くを語り始めて、それらの「言葉」は「幻影」となって、私の四方を取り囲むことになったのです。一人の「影法師」がカードを配りました。彼等は、私の「顔色」を窺いながら、それぞれに何かが書かれたカードを開いたのです。そこには、この「状況」から導かれる、あらゆる論理的可能性が書かれていました。その中にはもちろん、私が自らの「意志」によって、この「階段」を踏み外すという「選択」も含まれていたのです。何という「自由」、何という「可能性」、私は自らの「自由」に恐怖を覚えるとともに、その感情は「不安」となって、私の「内部」で増殖して溢れ出したのです。それは、私が自らの安全を「選択」すること、その行動には、それと相矛盾する行動を「必要条件」としていたからでした。そして、その行動を「選択」する「自由」が、私の「可能性」として存在していたのです。あの「満月」の「狂気」に応えて、私が破滅的な行動を取らないという何の「保証」もなかったのです。ところが、この「状況」に目眩を覚えて前後不覚となった私は、何と「階段」から足を踏み外して転がり落ちてしまったのです。私の「意識」は、暗く深い「闇夜」に消えて行きました。次の「夢」が開いたのは、前の「夢」で予告された、あの「角」の手前の石畳の冷たい「感触」からでした。朝焼けの仄かな「弱光」の下、私は角の取れた丸い「玉石」にそっと耳を押し当てていたのです。「玉石」の深奥から聴こえる静寂の「歌声」は、私を魅了して止まないものでした。それは、静寂という「音」ではなく「声」だったのです。そして、その無音の「歌声」は無言の「幻影」となって、私の側らに近付いて、一粒の「種子」を置いて行きました。やがて、その「種子」は、私の「意識」の中に宿り、大きな薄紫色の「花」を咲かせたのです。優しく慈しみに充ちた「色彩」が、私の「脳内」に拡がりました。私の「内部」で増殖した「不安」は、その「色彩」の美しさに吸い込まれて行ったのです。私は起き上がって、あの「角」を曲がりました。そこで、私が視たものは、石造りの「階段」と、その頂上に燦々と輝く「太陽」だったのです。そこには、私の「可能性」を超越した世界への「信頼」と、それを支える自然の「摂理」が存在しているように視えました。あの悪魔的な「自由」が持つ偶然性に襲われることもないように思われたのです。
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# by artbears | 2013-09-30 19:57 | 哲学

永遠なる時間と特別なる瞬間、夢の中で開く夜の花、崩壊する内なる文明と精神の矛盾

どのような特別な「一瞬」であっても、決して私の「内部」に留まることなく、何の未練も残さずに規則的に通り過ぎていくのです。それは、夕方の雷鳴の大きな「音響」も、朝方の曙光の微かな「色彩」においても然りなのです。どのような特別な「一瞬」であっても、いつかは均質的な「時間」の流れに合流して、いつもの無気力なしなやかさを取り戻すのです。そう、「時間」は常に、私の「外部」に存在していたのです。目が覚めて「意識」の一部が開いた時、「夢」の出口に立っている私の「後姿」がぼんやりと見えて来たのです。彼は恐らく、中途半端な自分自身の「存在」に戸惑っていたに違いありません。彼は「夢」の入口に消えていくもう一人の私の「後姿」を見ていたのです。彼は振り返った。その「顔」は鏡の中の「死者」のそれのように蒼白だった。そして、その「瞬間」がどれほど衝撃的であっても、過ぎ去った「時間」として平等に処理されていくのです。やがて「夢」の入口と出口は合体して、その「狭間」で束の間の「生命」を与えられた私の「分身」は消えていきました。しかし彼等は、私の想像の及ばない異質な「空間」で棲息しているのかも知れない。それを思うと、私の心臓は鼓動を速めた。とても甘く、とても柔らかい息遣いを身近に感じた。誰かがここに「存在」する。目が覚めて「意識」の全部が開いた時、存在への「認識」が、私を捉えていることに気付きました。「思考」が背後から始まり、「認識」に追い付いたのです。しかし、この「認識」が明日も生れるという誰の「保証」も無く、明日の朝自体が訪れるという何の「根拠」も無かったのです。あきらかに「世界」は無数の「認識」の下に存在している。しかも日々の新陳代謝を繰り返している。にもかかわらず、そのことを他者の「内部」に入って確かめることはできない。結局は、一つの「認識(神)」が存在するという「前提」で生きていくしかなかったのです。私は「認識」の背後にある「思考」を止めました。すると、未明のまどろみの中、無意識の深く暗い「空間」を逃げる私の分身の「後姿」がぼんやりと見えて来たのです。彼は恐らく、無我夢中で自分自身の「存在」を消そうとしていたに違いありません。なぜならば、「夢」の中においては、思考する「主体」は存在しなかったからでした。私の「分身」に与えられた役回りは、私の「精神」のあくまでも「影」として振舞うことだったのです。私はやっとの思いで、その「影」に追い付きました。合体した我々を待っていたのは、「夢」の中で乱れ咲く「花園」だったのです。「芥子」は赤い花を咲かせ、「百合」は白い花を咲かせていました。夢の中で「夜」が大きく花開いていたのです。天上は弱々しい「月光」に照らされ、地上は黒々とした「暗闇」に侵食されていました。我々が左に進路を取ると、ネオンの「色彩」が揺れる夜の「街」がいきなり現れて来たのです。それは、まるで水槽に閉じ込められた「熱帯魚」のように儚く悲しげでした。雨の降る熱帯ジャングルの「静寂」が視えたのです。「音響」の無い稲妻が光りました。月の「狂気」は水溜りに移されたのです。我々が右に進路を取ると、鮮やかな「色彩」が目に飛び込みました。嘘の花と歌われた夜の「蝶」が飛び交っていたのです。「嘘偽」を肴に酒に酔った「蝶」が舞うという。それは、正気を失った「狂人」の乱舞のように視えたのです。私は「一瞬」、こんなはずではないと感じたのです。なぜならば、この「世界」には「時間」の概念が無いように思われたからでした。ただ亡霊のような「空間」が茫洋と拡がっていたのです。それに、脳裏に映像化された全ての「情報」には既視感があるのですが、全体として現れるとどこかが完璧に狂っていたのです。部分と全体が整合性を失っていたのです。私の「精神」は、この「世界」が生活社会とは異なった「次元」で形成されていることを、そして、一つの「認識(神)」が存在するという「場所」でもないことを「感知」したのです。私は一刻も速く、この「空間」から脱出することを最優先にして「出口」を探しました。私は無我夢中で走ったのですが、地に足が届かない。空回りばかりなのです。おまけに足には「捕虫植物」が纏わり付いて来る。夜の「街」のネオンは水溜りに溶けて、月の「狂気」がそれを笑う。まさに出口無しなのです。ところが、夢は必ず「朝」に閉じると思った「瞬間」、私の「意識」の一部が開いたのです。ぼんやりと朝の「街」が視えて来ました。そこでも、文明社会の崩壊が始まっていたのです。私の「精神」は、解決策の見えない不透明な「時間」の流れに身を任せるしかなかったのです。
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# by artbears | 2013-08-28 18:52 | 夢白

黒いシルエットは屋形船か宇宙船か、凍て付いた意識と鋭敏な感覚、純粋なる存在と私

雲か霞の如く、数多くの「花火」は大輪を咲かせては惜しまれながら消えて行き、夜空には月や星が元の姿を現していたのです。その中にあって、一本の「光跡」を描いて頂点を目指した「火炎」は、不本意ながら不発となって、反対側に同じような「円弧」を描きながら落ちて行きました。その右上の夜空では、向日葵の花の如く、小振りの「花火」が大きく四方に開いて、しばらく無言で白く輝いていたのです。雨はすでに止んでいました。冷気を含んだ風が流れていたのです。両岸に渡された木製の「橋梁」は、黒く美しい「影絵」となって、深い藍色の「水面」に映っていました。水平線は低く位置していました。夜空が無限に拡大していたのです。上空の雲も下空の霞も少しずつ散り始めていたのですが、どこか不安をかきたてる「空気」は、いつまでも漂っていたのです。「水面」には、数多くの「屋形船」の黒いシルエットと、その船内の今にも消え入りそうな蝋燭の「炎」が浮んでいました。それは、「星空」の神秘をしっとりと写し出しているようにも視えるのですが、どこか不気味な「宇宙船」と、その船内の「光源」のようにも視えたのです。私の「意識」は、小高い丘陵の頂上付近から、この「光景」を俯瞰しているように想われました。それは、私という小さな存在を超えた、大いなる「宇宙」からの視点のようにも感じられたのです。天上を見上げると、夜空に輝く無数の「星」が今にも零れ落ちそうに視えました。地上を見回すと、蒼い森に囲まれた「泉」の水際で、独り佇む私の「意識」を見付けたのです。滾々と湧き出る「泉」は、「記憶」の水源の如く、豊富な「情報」を湛えているに違いありません。私は黒光りする「小石」を拾って、「泉」の中心に向かって投げ入れたのです。それは、黒く美しい「円弧」を描きながら着水しました。「波紋」が拡がりました。「記憶」が急速に甦って来たのです。それは、遠い「過去」か近い「未来」の出来事のはずでした。竹林の「小道」を散策していた私は、時折、音も無く吹き抜けて行く涼やかな「風」に心地良さを感じていたのです。気が付くと、太陽は西の地平線に姿を消しつつあり、それに合わせて「影法師」の黒いシルエットも移動しました。「向日葵」の花は西を向いてこうべを垂れ、すでに散ってしまった花びらは、それらが「大地」に帰することを物語っていたのです。突然、真っ赤な嘴の「鳳凰」が羽ばたくと、午睡に耽っていた「小禽」は慌てふためき、天空を目指して舞い上がりました。蝉の鳴き声は無く、脱殻だけが残されていました。「盛夏」を前にしてのアンニュイな「空気」が漂っていたのです。そして、しばらく歩くと黄昏時となり、この滾々と湧き出る「泉」に再び巡り合うことができたのです。私は、あらゆる森羅万象をことごとく写し取った感のある、この澄み切った「泉」に見惚れて、その「水面」を覗き込みました。すると、そこに写る私の顔色は朱色を帯びていて、目の周りには紺色の隈取ができていて、「山猫」のそれのような尖った耳が生えていたのです。そして私の背後には、私を取り囲むようにして、穢れ無き大きな黒い瞳をした数頭の「小鹿」が現れたのです。その時のことでした。上空では数発の「花火」が炸裂して、不発となった「火炎」が猛烈な勢いで落下して来たのです。動物達は慌てて逃げ惑い、黄金色の光に包まれた私は、私の「影法師」が「泉」に溶け込むのを見ながら、私自身が凍て付いた水の中に浸るような鋭敏な「感覚」を覚えたのです。私は私自身をほとんど純粋な「存在」のように感じました。それは、私を取り囲む「状況」の純粋さに、私自身が支配されたことを意味していたのです。この危機迫る研ぎ澄まされた夜の「空気」は、そして、この氷のような水の「感覚」は実に純粋でした。一個の感覚器官と化した私は、水の「分子」の一つひとつと一体となって、「水底」へと沈潜を始めたのです。「水底」は意外にも、しっかりと安定していました。水上を見上げると、水面に写る無数の「星」が今にも零れ落ちそうに視えました。水中を見回すと、硬い岩に囲まれた「泉」の水源で、独り佇む私の「意識」を見付けたのです。滾々と湧き出る「泉」は、「記憶」の水源の如く、豊富な「情報」を気泡のカプセルに閉じ込めて、水上に向かって解放っていたのです。そして、私の「意識」は再び「影法師」と一体となって、「記憶」はランダムに結合して、気紛れな「創作」が始まったのです。もはや、水上に浮ぶのは「屋形船」であるのか、それとも「宇宙船」であるのかの判別の「根拠」は、私の記憶ファイルには残されていなかったのです。
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# by artbears | 2013-07-31 18:49 | 夢白

黒い能面と突き刺さった視線、絶対の経験と存在の偶然性、異界からの不可視の来訪者

黒い「色」も丸い「円」も、そして、この突き刺さるように感じる「視線」であっても、それらは、私の「脳内」のスクリーンに映し出された純粋で数学的な一つの「観念」に過ぎないと思われたのです。この宇宙的とも呼べる広大無辺の「空間」に漂う一つの「観念」に過ぎないと思われたのです。なぜならば、それらは、「言葉」の枠内で説明が付き、理解を得ることのできる「世界」に属していたからでした。私に見えていたのは、抽象的な創り事、そう、人間の「観念」だったと言えるのです。然るに、未明の薄明かりの中、恐らく、私は「夢」と「現」の境界線を往復していたのだと推測されるのですが、そんな私が、ブロック塀の折れ曲がった「角地」で、黒くて丸い「能面」を着けた「痩男」と出会いがしらにすれ違って、その衝撃的な「経験」に慌てふためき飛び起きてしまった。以来、その時に突き刺さった彼の鋭い「視線」は、私を「不眠」の世界に引き擦り込んだ。そして、この偶発的であるが故に絶対的な「経験」を、どうしたら「言葉」の枠内に収めることができるのだろうか、と悩み始めた私は、増々「不眠」の泥沼でもがき苦しむことになった。それが、ここ数日の私の体たらくぶりの原因でした。この「精神」の昂ぶりは、アルコールで麻痺させても、「問題」の根本的な解決にはならなかったのです。なぜならば、私が視たのは、単なる黒い「能面」ではなかったからでした。それは、この「世界」に自明の事実として存在する、山を覆う木々や、草むらの臭気や、砂の粗い粒子や、市場に並ぶ魚貝と何ら本質的に変わるものではないのですが、それら、物事の多様性、個別性という仮象の「仮面」が剥げ落ちた後に現れて来る、得体の知れない怪物じみた、黒くて無表情な「能面」そのものだったのです。それは、不条理性に満ちた、「言葉」での説明をいっさい受け付けない「存在」の不気味さでした。しかも、この「世界」は、そのような「存在」で溢れている。そして、その「存在」は必然ではなく、偶然性以外の何ものでもなく、それ故に絶対であり、還元不可能な無償性を唯一の「根拠」にしていたのです。私は、この「根拠」の曖昧性に絶望的な「不安」を懐き、慄き狼狽してしまったという訳だったのです。そんな私が、もう一度、あのブロック塀の「角地」に戻ろうと思い立ったのは、やはり、未明の薄明かりの中、やっとの思いで手に入れた浅い「睡眠」でのことでした。ブロック塀は、軽々と宙に浮いているようだった。その背景には、水色の「空間」が拡がっていた。水気を含んだ「雨雲」が重くゆっくりと沈んで行く。「風雨」が、私の顔面に突き刺さっているように感じる。足元がぐらぐらと揺れている。足場がぼろぼろと崩れている。この再現性の無い一回性の「夢」の中で、誰がいったい、この「舞台」を用意したというのだろうか。誰がいったい、どの「演目」を舞えというのだろうか。はたしてシテは誰で、ワキは誰なのだろうか。「夢」もまた、「言葉」による「意味」の形成を受け付けない、無償性を唯一の「根拠」とする「現象」に過ぎないと思われたのです。私は「角地」に立っていました。眼下には奈落の「谷底」ですらも視えない。ふわふわとした気の定まらない浮揚感、どろどろとした形の定まらない不安感が、私の身の周りに集まって来る。一歩を踏み出すこと、その戦慄の「恐怖」と、その後の恍惚の「快楽」への誘惑を、耳元で囁く誰かの「声」がする。それを踏み留めさせようとする別の「声」とは、私の「精神」なのだろうか、と考える「意識」が表れては消えて行く。「夢」の中においても、自分自身との「関係」は存在していたのです。すると突然、「雨雲」が、奈落の「谷底」から浮かび上がり、あたかも「能舞台」の見立てのようにせり上がって視えたのです。その「舞台」では、白い「能面」を着けた「小面」が、幽玄の美の「世界」を舞っていました。その「世界」では、内的必然性としての自分自身の「死」が謡われ、そのことが、優美に誇らしげに演じられていました。私は、その白い「能面」は生きていると感じたのです。なぜならば、その「能面」には、過去から未来へと無数の観る者の「視線」が突き刺さって行くことにより、観られる者としての「生命」が宿っているように思われたからでした。それは、女性であるのか、男性であるのかを超越した「面相」でした。そして、その「能面」こそが、能楽師をして、「異界」(超越性)からの不可視の来訪者であるシテを演じさせていたのです。そして、ワキこそが、観る者をして、「異界」の存在を知らしめていたのです。「視線」は常に、不可視の超越者を観ていたのです。
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# by artbears | 2013-06-26 19:57 | 夢白

楠木のトンネル、若葉の燃え立つ豪奢さ、黄昏の都市に響く銃声と手首で止まった時間

季節が廻り廻って何十回目かの「春」を迎えることができた、と私は感じたのです。そして当たり前のように咲いては散っていく「花木」の在り方を観て、今更のように、その律儀さと健気さを強く逞しい、と私は感じたのです。置き去りにされた「荷物」には、決して誰も手を触れようとはしない。それは、いったい何処から届けられ、何処へ届けられるというのだろうか。手を伸ばせば、裸木の梢から吹き出す「若葉」の気配に驚き、思わず手を引いてしまう。枯れた大地の殻を破ろうとする「新芽」の勢いが眩しい。確か、この「感覚」は、あの凍て付いた「冬」の最中においても、私の「内部」にも生き永らえていた。この「言葉」を介しない自然との「約束」が、毎年毎年例外なく履行されていることの紛れも無い「事実」、そのことへの疑いの無い「信頼」こそが、この「世界」の揺るぎ無い「基盤」となっている、と私は思ったのです。彼等の存在が、私の「安眠」を担保していることは明らかでした。今夜の「夢」のトンネルは長く、でも、それは苦しいものではなく、あたかも「樹木」とのゆっくりとした歩みのように感じられました。私はもしかしたら、この美しく奇跡のような生き物の「進化」の一部なのではないか、とさえ想ったのです。それほど、彼等の「存在」が身近に感じられるのも、この「春」のトンネルでの楽しみでもあったのです。足元には、真っ赤な「紅葉」の絨緞が敷き詰められていました。その先の、うっすらと光の射し込む日溜りには、私の大好きな真っ白の「百合」や「春蘭」が、まるで「異界」への道案内人のように咲いていたのです。すると、突然の爽やかな「春風」が吹き、「燭光」を束ねてさらって逃げて行きました。遠くで微かに聴こえる「潮騒」の音には、桜色に染まった「貝殻」の鳴き声が紛れていたのです。「自然」が遠くに在って、近くに感じる。私は何処、私は誰、そんな「一瞬」が届けられたのです。私は、置き去りにされた「荷物」を紐解き、永遠の眠りから覚めた「小鳥」を解放ちました。すると、楠木の「若葉」の燃え立つような豪奢さに囲まれ、それらが放つ黄緑色の「光線」を全身に浴びたもう一人の私が、楠木のトンネルの「出口」に立っているのが視えて来たのです。その「後姿」には、優しい心も卑しい心も写し出されていました。「出口」は小高い山の頂上に位置していて、そこからは「下界」が眺望できました。私は、恐怖で身震いする彼を身近に感じたのです。なぜならば、彼の「視線」を釘付けにしている「光景」とは、刻々と崩壊が進む「都市」であり、どのようなことでも起こり得る今日の「社会」の荒廃の有様に違いなかったからでした。そして、この植物的な進化の「出口」は、これから加速度的に進行する動物的な退化の「入口」でもあることを、「樹木」は静かに諭してくれたのです。と同時に、季節の折々に花を咲かせて、私を大いに楽しませてくれた「花木」が、親しい人達の「笑顔」が忘れられるようにして、「意識」の暗闇に消えて行くのが視えたのです。と同時に、あの鬱蒼とした「楠木」のトンネルも消えて無くなりました。「樹木」は伐採される「運命」を受け入れたのです。そして仮に引き返すことができても、あの「社会」に帰ることはできなかったのです。黄昏時を迎えた「都市」は、まるで荒れ果てた墓地の「夜陰」に呑み込まれて行くように観えました。何発かの連続した「銃声」が「夜空」に響いたのは、そのような危険な「時間」だったのです。私の動物的な「直感」は、誰かが撃たれたことを、私の「記憶」から何人かの「笑顔」が消え去ろうとしていることを報せたのです。しかし、それは「一瞬」の出来事であり、それがいったい誰であるのかが、いっこうに思い出せない。「名」と「顔」が、意識の「暗闇」に沈んで浮かび上がって来ない。仕方なく、その「暗闇」を覗き込んだ私は、そこに、崩壊が進むもう一つの「都市」を視てしまったのです。ビルの谷間を誰かから逃げているのか、それとも誰かを追っているのか、寡黙を装う私の「左手」には、硝煙が漂う「拳銃」が握られていました。私は、思わず心の中で「無罪」を叫んだのです。しかし彼の「横顔」には、忍耐や勤勉からは程遠い残忍で冷酷な「感情」が見て取れたのです。私は焦りました。そしてとにかく、私は何処、今は何時かを確認したかったのです。周りを見回すと、ビルの窓からは大勢の見知らぬ人達の「顔」が視えました。そして、私の左手首から外されて、右手首に付けられた腕時計の「時間」は止まっていたのです。そして、その「時間」は、私が楠木のトンネルの「出口」に立った「瞬間」と一致していたのです。
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# by artbears | 2013-05-28 18:19 | 社会

絶海の孤島又は夢海の浮島、過去への懺悔と未来への贖罪、奇跡と入力された数字の謎

彼等が、もう一つの集団である「The Others」を常に意識していたのは間違いなかったのです。それが架空の「存在」であったとしても、「神」が不在となった相対的な「世界」では、彼等が生きて行くのには「他の者」を必要としていたのです。そのことは、この絶海の孤島での「社会」の始まりでもありました。その証拠として、美しい「砂浜」には、すでに無数の文明の「足跡」が残されていたのです。「太陽」は明るく無邪気に、そして無慈悲に激しく、透き通るように輝いていました。それは、まるでグラスに注がれた白ワインのように豊潤な「芳香」を周囲に撒き散らしていたのです。そして規則正しく打ち寄せる「波濤」は、「海面」から浮かび上がった「白雲」のように見えて、その隙間に見え隠れする「陰影」を波打ち際に置き去りにする。しかし、それは一瞬の出来事であり、黒っぽい「残像」は消え、「砂浜」はいっそう白っぽく見えるのでした。私達は無心の安らぎの時間を、海底に沈む「鏡台」のように光を放つ「画面」が、自らの物語を夢紡ぐ時間を、いつも心待ちにしていたのです。そして、この気の遠くなるような永遠の繰り返しの自然を「舞台」として、その「事件」は突然の白日夢のように開始し、綿密に構成されたシナリオに従って展開し、私の真夜中の「夢海」に浮ぶ「孤島」へと変身を遂げたのです。この「孤島」から抜け出すことは容易なことではない。スローモーションで飛行機の胴体が真っ二つに割れる「光景」が、何度も巻き戻されては繰り返されて映る。それは何故か、あの9.11の衝撃の「映像」を彷彿とさせる。反復される「映像」と明らかにされる「過去」が、「未来」に向かっての謎めいたストーリーを織り成して行く。遠くで光っている機体の「残骸」は、潮の引いた「砂浜」に起立した「断崖」のように突き刺さっている。それは何故か、過去に観たアメリカンムービーの「記憶」を呼び戻した。身篭った一人の「金髪」の女は、どこか頼りなさそうな様子のミュージシャンの傍らに立って、その「光景」を眺めていた。それは何故か、未来に聴くブリティシュサウンドの「予感」を呼び寄せた。乱暴で荒くれ立った気質の「金髪」の男は、肩をすくめて「拳銃」を持ち、その背景には、ほとんど純粋な「青色」の空が拡がり、水平線のところがほんのりと「薔薇色」に染まり始めていた。そう言えば、腹部を3発撃たれた「死体」からは、「真紅」の鮮血が噴き出していた。次の瞬間、彼女は立ち上がって満面の「微笑」を浮かべたに違いない。「緑色」のジャングルには、踏み荒らされた「獣道」が縦横に走り、大木から吊り下がったプロペラ機は、まるで遊園地の遊具のように塗装の剥げかかった「黄色」だった。全てがフェイクであり、全てがリアルでもある。骸骨と十字架、マリア像とヘロイン、金貨と聖書、これらの溢れる「色彩」と暗喩を秘めた「記号」が、膨大な「映像」の情報量として、私の「脳内」のキャパシティーを超えて流出を始めたのです。「映像」には、なによりも運動量とスピード感がある。それらは、私の「意識」の流れを断ち、私の「記憶」を解体して、私の内面での「意味」の形成を阻むのです。それらは、私の内面を空っぽにして、私は私の内面のホワイトノイズを見詰めていたのです。一瞬の「睡魔」が通り過ぎました。忘我となったことを知って、狼狽した私は、それらの失われようとする「ロスト」を慌てて掻き集めました。すると、「脳内」に取り残された「記憶」のほとんどが、登場人物の過去に犯した罪悪への「懺悔」に関わることに気付いたのです。私は、それらを視ることで、それらを間接的に「経験」したのです。そして、表層には直接的に現れない罪悪への「意識」は、私の内面に眠る「The Others」を呼び覚ませて、「原罪」の意味形成へのネットワークと繋がったのです。それは、あの波打ち際の「残像」のように、無意識の「大海」に呑み込まれては消えて往くものでした。恐らく、このバーチャル・アイランドでの悔い改めた行いにより、ある者は何かを会得して救われ、ある者は未来での「贖罪」を用意されるのでしょう。それは、キリスト教的であると同時に、どこか仏教的な「輪廻」の世界観に通じる「構造」なのかもしれません。そして、「奇跡」は起こるべくして起きたのです。ある者は不治の「病気」が消えて無くなり、ある者は諦めていた「生命」を授かることが出来ました。しかし、これらの「奇跡」は、我々が宇宙の孤島である「地球」に存在するという「奇跡」を超えるものであろうか。入力される「数字」は何でも良い、何かを信じて続けるという「行為」が「奇跡」を生んでいるのです。
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# by artbears | 2013-04-29 15:45 | 映像

窓又は暗室への入口、再現を拒否した鏡、三幅対の移動可能な空間と裸体となった人間

それらの「部屋」に入るのには三つの選択肢があると、しかしながら結局は一つであるというのが、私が下した結論だったのです。それは、それらの「絵画」は三幅対の形式を採用しているのですが、中央に位置した「絵画」から侵入して、左右どちらの「空間」への移動も可能だと判断したからでした。つまり、それらの「部屋」は、2室の対比的構造でも4室の時間的構造でもなかったのです。何れにしても、この「絵画」が閉ざされた「密室」での出来事なのは間違いなかったのです。しかしながら難儀なことには、どの部屋への「入口」にも、「視線」の侵入を撥ねつける冷たく硬い「ガラス」が、その黄金色に輝くクラシカルな「額縁」に嵌め込まれていたのです。「運命」は最初から決まっていた。私は意志を固めて、中央の「絵画」から正面突破を試みました。「ガラス」は、私を切り開く。そのことを期待していた私は、「絵画」に身を委ねて、私自身を自虐的に開いて行く。噴き出した赤い「血液」は、傷口の周辺で凝固して、やがて白い「錆び」のように変色して付着する。それは、私の「知覚」のもう一つの「皮膚」となった。表層のレイヤーとしての「皮膚」は、下層の「肉」からも「骨」からも離脱して、「絵画」の物質的なリアリティーに直接に接触することを強いられたのです。私が視たのは、人間の動物的な「叫び」でした。人間の本能的な「情動」が、「脳」への最短距離を一直線に放たれた「矢」となって、私の全身を貫いたのです。私が出会ったのは、人間の本質的な「身体」でした。感覚器官の集合体としての「身体」でした。それは、奇妙で呪われたイメージの「合成」から出来ているのですが、嘘偽りの無い真実の「形態」でもあったのです。そして、そのグロテスクで恐怖に打ち震える「身体」こそが、裸体となった人間の「本質」のように視えたのです。そのおぞましい「絵画」は、人間をして、「精神」を「肉体」から切り離し、「骨格」からも分離された「肉塊」として描いていたのです。その「絵画」は、ベーコンの計算され尽した衝撃的で猟奇的な「事件」でもあったのです。再び、何かを威嚇するような「叫び」が「空間」に反響しました。無意識の「海」に溺れかかった私は、さらに、その深層に在る「密室」に踏み入れたことに気付いたのです。「ガラス」が今度は、私を閉じ込めた。向こう側の「世界」では、人々がスローモーションで歩いているのが視える。全ては、ごく些細な出来事においても、それは「存在」で充溢している。こちら側の「世界」が見えないのだろうか、と思う。しかし、何かが「移動」するのを視ることは、決して不愉快な出来事ではない。それは、「存在」が不定立であり、二つの対比的構造にある「存在」が、お互いの不気味さを打ち消し合っているからだ。それは、時間的構造に在る「生」の曖昧さにあるのかもしれない。私は、こうした取り留めの無い「思考」を中断して、クルリと半回転したのです。すると、そこには、漆黒の「暗室」への入口としての「窓」が描かれていました。それは、一点の不明瞭さも無い、絶対的な枠組みである「死」への入口のように視えたのです。「死」は不意に「暗室」から出て人々を襲い、何食わぬ顔で「暗室」へと戻るのです。なんと力強く暴力的で身勝手なのだろう。生き延びようとする微塵の弱さも無い。このように、それらの「窓」は通路となって、三幅対の「部屋」は裏側の「世界」で繋がっているという完結した「構造」を暗示していたのです。私は「ガラス」を後ろにして寄り掛かり、「瞼」を固く閉じました。そして静かに、私自身の人間に対するイメージが現れて来るのを待ったのです。しかし、それらは全て、ベーコンの創造したイメージの引用と借用に過ぎず、不可視であるはずのものを視てしまったという「証拠」しか映らなかったのです。私は再び、「瞼」を開くことにしました。すると、驚愕の「光景」が、私の「視線」を虜にして、凍て付いた私が視たのは、恐ろしく哀れな「陶酔」に浸っている私自身だったのです。それは、思考による「観念」では捉えることの出来ない、あまりにも感覚的にはみ出した、そして、その過剰さが故に混乱に陥った、例えるならば、「移動」前の色鮮やかな「蛇」のような、そうした「不条理性」そのものだったのです。その不条理性の「肉塊」の傍らには、一枚の「鏡」が立て掛けて在りました。そこには、より激しく歪められて苦悩に耐える「自画像」が写っていたのです。しかし、その「鏡」の役割は、「現象」を正確に再現することではなく、深層に眠る人間の多義的な「現実」の可能性を写すことのように思われたのです。
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# by artbears | 2013-03-29 19:27 | 絵画

暗黒の日曜日又は反転した日常、未来を描く画家と過去を走る電車、流砂と時間の大河

私の「記憶」の中では、その日が日曜日であることが忘れ去られていたのです。しかし、私が私であることに気付き、いつものように光に満ちた「公園」に差し掛かると、突然、ヒソヒソと耳打ちする誰かの「声」が聞こえたのです。それは、暗い不吉な「声」でした。その「声」がする方向を振り向くと、多くの人々がポッカリと空いた黒い「穴」に向かって歩いていたのです。彼等の「表情」は、浮き浮きとしていて、まるで春のように詩情豊かなものでした。それはきっと、この燦々と降り注ぐ「太陽」のせいに違いなかったのです。そこには、いつものように穏やかな日曜日の「公園」が存在していたのです。ところが、その洞窟の入口のような「穴」に差し掛かると、人々の「表情」は一変して、ひどく固く強張り青味を帯びたのです。それはきっと、この「穴」が「悪夢」の入口であり、私の「悪夢」の中では、暗黒の日曜日が芽生え、開花しようとしていたに違いなかったのです。「死」は不意に、このように自らを語り始めるのです。海沿いでも、川沿いでも、この「都市」の周りに立ち並ぶ「倉庫」は全て空っぽで、無数の「弾痕」が壁に残され、暗闇にポツンと残された「車両」はジッとして動かない。「怒声」と「悲鳴」が暗闇に木霊して、「倉庫」の壁と壁の間には、黒く長い暗殺者の「影」が動き始めていました。その向こうには「海面」が視え、その薄い皮膜の下では、やはり黒い「動物」が潜んでいたのです。悲惨な「雨」は、やがて冷酷な「霙」に変わり、おまけに私には「傘」が無い、いや、有っても開かない。行き場を失った私は、死人の口のように空いた「穴」に、その黒い「影」と一緒に滑り込むことにしたのです。ガタンゴトンと「音」がする。「階段」は落ちて「天井」は崩れた。「電車」が静かにホームに滑り込んで来て、その電車の「扉」は、まるで鋭利な「鋏」のような非情さで閉まりかける。私は駆け降りて乗ろうとした。そして、無理やり、開かない「傘」を閉じようとする「扉」に挟んだ。すると「傘」は先端の部分で折れて、再び「扉」は開かれたものの、今度は、私の「左腕」が挟まれ、関節の部分で切断されたのです。乗客の一人であった未来が見える「画家」は、即座に絵筆を取り、私の「左腕」の再生の「場面」を描いてくれました。それを視て、安堵した私の「心」は、私の「背後」に回った黒い「影」に、既に読まれていたのです。ヒロは片言の「英語」で、そのことを通訳した。すると、ベットリと血糊の付いた「座席」が、まるで反転した牛馬の「死体」のように、灰褐色の「大河」に浮んで幻えたのです。クルリと向きを変えて外を観ると、空が、その限りない深さと厚さが視えたのです。「電車」は知らぬ間に「バス」に変わって、坂道を上っていました。震動する窓ガラスの向こうには、一軒の「家」が、開いた窓から泥のように黄色い「内部」を見せている。2階の「外部」には、小奇麗なオープンカフェが見えている。でも、人々は居ない。黒い「影」が脱兎の如く走った。私は、何百もの窓が、その汚泥のような「内部」で通じていることを想って、恐怖心に慄いたのです。なぜならば、その黄色い「内部」は、あの全てを呑み尽くす「流砂」となって、地下鉄の坑道を埋め、この「バス」の「内部」にまで侵入して来るに違いなかったのです。私は思わず、「降車」ボタンを押しました。何かが終わるために、既に始まっていたのです。それは、恐らく再度「乗車」ボタンの押せない私の「生」でもあるのでしょうが、その「死」に向かって、ただ引き寄せられるままに押し流されていたのです。「流砂」の一粒が、それに続く一粒を導くためにのみ存在する。私は意を決して飛び降りた。そこは、乾燥し切った「砂漠」だった。独りとなって、言葉を失い、身を守る術も無い私は、ザワザワとした人々の「声」に耳を欹てたのです。それは、絶望と悲嘆の「声」でした。その「声」のする方向を振り向くと、一方通行で押し寄せる「流砂」の上流には、巨大な「砂嵐」が、「太陽」を覆い隠すかの勢いで巻き上がっていたのです。私はうつ伏せになって、「砂嵐」が過ぎ去るのを待つことにしました。時間としての「流砂」の一粒々々が、私の「顔面」にバチバチと当たり、その度に、瞬間としての「砂粒」の一時々々の「匂い」が弾け出たのです。私は私以外で在りえないことに気付き、ゆっくりと立ち上がることにしました。そして、流砂の「大河」の対岸を遠望すると、そこには、あの日曜日の「公園」が存在していて、人々が黙々と、あの黒い「穴」に向かって歩いていたのです。私はもはや、この「大河」を渡ることも引き返すことも出来なかったのです。
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# by artbears | 2013-02-28 20:18 | 共白

輝かしい小さな苦悩、雪の世界と音の世界の恐怖、存在を超える何か又は越えるべき壁

窓から観える「雪景色」は、遠くから眺めている限りは善良であるとしても、身近に接するものとなった途端に、その「野獣」のような牙を剥き出しにすることは、先刻承知のはずだったのです。そして、その情け容赦のない「証人」のように深々と降り積もる「雪」は、決してシンシンと「音」を発てることなく、極めて用意周到に進軍する「軍隊」のようにも視えたのです。私は、この無防備な「都市」に攻め込もうとする「雪」に、恐怖の感情を懐きました。なぜならば、遥か遠い「雪山」の頂から、あの不気味な野性の「植物」のように「都市」の崩壊を窺い、今度こそは力ずくで、完膚無き「制圧」を企んでいないとは、決して言い切ることが出来なかったからなのです。「雪」は坂道を覆い隠し、車両を引き摺り下ろし、人々の足を折りました。そして、あの虚勢され、飼いならされた無害な「植物」を蔑み、自らの身の「潔白」を証明しようとしていたのです。私は、「都市」の黒い巨大な「穴」に隠れていなければならない。そこには、黒い俊敏な「水」がひとりでに動いていて、時折吹き抜ける白い乱暴な「風」は、水面とスレスレのところで、この都市の「澱」のように漂う「霧」を追いやろうとしていたのです。「雪」が激しく降って、白い巨大な植物の「葉」が幾重にも敷かれていくようにも視えたのです。私は、この「部屋」から決して脱獄を試みてはならないと、強く心に誓いました。すると、その「決意」の雪解けを促すようにして、私の「内部」に流れ込んだのが、あの白痴のようなサクソフォンの乾いた甲高い「声」だったのです。「部屋」は既に「音」に占拠されていました。ニューヨークの「青空」は一瞬にして燃え上がり、摩天楼は黄色い巨大な「炎」の草原に変じたのです。薄暗い屋根裏部屋は全て強火で焼かれる。消し炭のような眉毛を持ったユダヤ人は、MASADAの「記憶」から逃れようと嘆き、ハアハアと喘ぎ、額から頬へと流れ落ちる「汗」は沸騰したのです。輝かしい小さな「苦悩」が、それは遥か遠くの想像の世界の出来事なのですが、それが、私の「内部」にイメージの「牢獄」を創ったのです。それは、「物」として存在しない、余計なものはいっさい保持しない、ただの空気の「振動」に過ぎないのですが、私を観念のプリズンに閉じ込めたのです。しかし、このプリズンとは、ある一定の「時間」が経てば、その「施錠」が解かれる約束事が交わされていました。やがて、熱く狭い「鉄檻」は内側から開かれたのです。緊張の「牢獄」から釈放された私が、次に選んだのは、ピアノソナタ第29番の第3楽章でした。「光」がCDの中心に向かって、まるで「死」に向かって滑り落ちていく「過程」において、胸かきむしる哀しく美しい「旋律」は、その背後にある「苦悩」を浮き彫りにしていったのです。それは、遠い「過去」の出来事でありながら、まさに「現在」に甦ろうとしている「苦悩」であり、その「永遠性」は繰り返して再現されるものでした。その硬質で乾燥した「純粋性」に触れた私は、私がだんだんと曖昧な「存在」であるように感じたのです。事実、この数日間で、一度は減量を果した私の「肉体」には、再びブヨブヨした「脂肪」が付着して、その剥き出しの「存在」である私が、とても醜悪な「物」に感じられたのです。それに比べて、この「旋律」の何と高貴で優美で軽やかで在ることか、その鍵盤から弾け出される「音」の背後には、重い「肉体」の軋みはなく、この世の「存在」を超えた「精神」の世界に通じる何かが在ると感じたのです。しかし、あの世との「境界」には、越えるべき巨大な「壁」が立ち塞がっていることは間違いありません。私は、この「存在」の曖昧さに耐えられなくなったのです。そして、「聴覚」の世界から「視覚」の世界への脱走を思い付いた私は、情報源をCDからDVDに切り換えたのです。なぜならば、「映像」は、より直接に私の「内部」に流れ込み、あの観念のプリズンに閉じ込められる「恐怖」から自由にしてくれるからです。シーズンⅡの第6巻では、10人の脱獄者の内の2人が、越えるべき「壁」の内側で自由を断念するという「運命」を受け入れたのです。しかし、物理的な「壁」を越えた8人には、行く手を阻む社会的な「壁」が次々と現れて来ました。「自由」は蜃気楼のように先に現れ、「死」が可能性として後に残されたのです。私は目を固く閉じました。すると、私の「内部」から、あるイメージが亡霊のように立ち上がって来たのです。それは、木の葉が舞い、吹き荒れる「寒風」の中、ニーチェの馬の「存在」に耐える姿でした。もちろん周りには、超えるべき「壁」も「柵」すらも無かったのです。
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# by artbears | 2013-01-26 11:51 | 映像


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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