夢博士の独白



木陰とベンチに座る少女の手袋、木立と階段を上がる老女の蝋燭、人影と不安の関係性

 飛行機がゆっくりと離陸する。その「映像」が着陸する「映像」と瞬間的に置き換わる。それが、トランプを切る素早い手付きのように何回か繰り返される。裏表が逆になる。私はうんざりする。私と飛行機はすでに「雲海」の上に在ったようでした。
 コンクリートで造った土管のように見える円筒形の「機内」が揺れる。テレビモニターに映し出された「犯人」の口元の皮肉な薄笑いも揺れる。私は、まるで万華鏡の「内部」に迷い込んだような居心地の悪さを感じたのです。小窓から「外部」を一瞥すると、緑色の「木立」が後方に吹き飛んでいく。着陸の「恐怖」が、私を強張らせたのです。
 リュクサンブール公園というフランス語の心地良い「言葉」が聞こえて来ました。そこが魅力的な公園であったという「記憶」は少しも無かったのですが、その軽やかな「言葉」の響きだけが残っているのです。「太陽」は目的もなく漂う雲を追い払って、その前を、一つの孤独な「白雲」が悠々と通り過ぎていく。私の「時間」も刻々と滑るように経っていく。その「光景」が、まるで目の「表面」を触っているようでした。
 「視界」は再び緑色に覆われました。「木陰」では木漏れ陽がキラキラと舞って、ベンチに座る「少女」は静かに「手袋」のボタンを嵌めていたのです。
 パリのアパルトマンは、小窓から視えた「木立」よりも、むしろ公園の「木陰」と密通した「関係」にあったような雰囲気が感じられました。とにかく窓からの「陽光」が眩しい。緑色の「光線」が手の平に葉脈を焼き付ける。その時、通りすがりの「強風」に、窓枠がガタガタと軋む音を発てたのです。振り向くと、カーテンが無言で佇む「人影」に見えたのです。音を使った巧妙な手口で、「不安」はアパルトマンに侵入したのです。
 何としても、この「不安」から身を引き離さなければいけない。ベッドに腰掛けていた私は、足先に体重を掛けて立ち上がり、何歩か足を運びました。予想した通りに、床板はギシギシと軋む音を発てたのです。その「音」には密告の「言葉」の持つ、衝撃性と一貫性がありました。私は思わず「耳」を塞いだのです。ところが逆に、その奇妙な「耳」のブヨブヨした「感触」に度肝を抜かされたのです。
 何を置いても、私は「鍵」を掛けるべきだと思ったようでした。今から振り返ると、そのように行動していたのです。でも、その判断の「根拠」なるものは、永遠の「謎」に包まれているのです。その「矛盾」にこそ「根拠」があり、夢の「真実」が隠されているのかもしれなかったのです。
 木製の重厚な「扉」と手垢の付いた真鍮製の古びたノブが「視界」に残されていました。しかし「鍵穴」には、ステンレス製の真新しい「鍵」が内側から施錠されていたのです。その後、背後から「人影」が迫って来るのを感じ、その媚薬のような「気配」に、私は陶然としたのです。
 耳を澄ませると、階段をゆっくりと上がる「足音」が聞こえて来ました。巻貝の「内部」を想わせる螺旋状の階段には、黒い頭巾を被った「老女」の姿がくっきりと浮かび上がったのです。手に持った蝋燭の「炎」が怪しげに揺れたのです。
 私は、「人影」を真正面から見据えることを決断しました。振り向くと、窓が開け放たれて、カーテンが風に靡いていたのです。窓際に在る「脚」が異常に長いベッドには、洗い立ての木綿のシーツが敷かれていて、そこには日溜りの「痕跡」が残っていたのです。
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# by artbears | 2014-05-27 20:46 | 連白

左眼の憂鬱又は迫りくる白壁への不安、左岸に咲き誇る山桜と無意識に沈む救済の言葉

 私の「意識」は「夢」との境界を越えようとしていたのかもしれない。白夜のような「夢」の中、無意識の厚い「雲海」を通り過ぎる。どこかで着信音が鳴っている。「夢」が「現」に呑み込まれていく。親和性のある小さな「部屋」に降り立ったことが知らされる。私の「意識」のドアが開かれて、明け方の微かな「光線」が差し込んで来たのです。
 白い二枚の「壁」が左右に段違いになって、薄暗がりの「空間」に浮かび上がっているように視えたのです。それは、近くに在りながら遠くに感じる、なにか蜃気楼のようなものが立ち上がって来る「気配」でした。その表面には、朝方の「光線」を受けて白っぽくなった「壁」を背景にして、ワイングラスの「影」がぼんやりと写し出されていたのです。私の「意識」は、再び蝋細工の「手」となって、その「幻影」を掴もうとしたのです。
 「光線」は清らかで、透き通るようでした。グラスの中では、赤と白の芳醇なる「海」が揺蕩っているように視えたのです。「光線」が身体を僅かにかすめる。それを覚える。でも、私の「手」は震える「影」としては写らない。「手」が宙をつかむ。その一瞬の出来事の後にグラスは消えたのです。そして再び、「壁」は白っぽさを取り戻したのです。それは、引潮の後の「浜辺」のようでした。
 しばらく「壁」を凝視する、そして息を呑む。すると「砂浜」から滲み出る「砂絵」のようにして、「海面」から顔を覗かせる「海石」のようにして、ワイングラスの「影」は再び浮かび上がって来たのです。私の「脳」は、それを視ることを欲していたのです。それは、私にとっての至福の「時間」の象徴でもあったからでした。
 左の「壁」が右のそれよりも迫って来るように視えるのは、恐らく、私の「左眼」が遠近感の調整が上手く出来ないからに違いなかったのです。そう言えば、グラスにワインを上手く注げなかったことが思い出される。「血液」がグラスを伝う。「血糊」が紅く付着する。私の「左眼」は依然として病んでいたのです。    
 それを知ってのことなのか、左の「壁」が一段と近付いて来るのです。右の「壁」よりも大きく視える。両目の焦点が合わない。逃げ場がないという恐怖の「感情」が溢れる。その白濁した「色」、その茫洋とした「形」、それらの説明を拒絶した「存在」の不気味さが、私の「意識」を震撼させたのです。私の「左眼」はバーガンディ色の「液体」で充満して、真っ赤に染まった「海」が間近に迫って来たのです。
 私は即座に、この不可解極まりない「状況」から逃亡を計らなければならないと考えました。あの無意識の「雲海」に引き返して、この「状況」とは無縁の「言葉」を探すことにしたのです。私自身を救う「言葉」を欲したのです。「左眼」という「言葉」の呪縛から逃れたかったのです。私は再び両目を固く閉じました。
 「左岸」に咲き誇る「山桜」を視たという「記憶」は永遠に消えるものではありませんでした。無意識の「左岸」に一列になって咲く「山桜」、その両目が薄紅色に染まるほど鮮やかな様子に、私は何度も陶酔の想いに耽ったのです。「河川」は滔々と流れる。「桜花」が悠々と映る。その満開だった「山桜」も嘘のように散り終えて、「山野草」が繁茂する季節が知らぬ間に訪れるのです。「過去」に拘ることもない、「未来」を憂うこともない。あの「山桜」のように無知で無防備であってもよい。慈愛に満ちた「光線」が両目に拡がったのです。
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# by artbears | 2014-04-30 19:34 | 夢白

静謐で神秘に満ちた水面、揺れる一本の意識の樹と飛立つ小鳥達、覚醒した精神的感覚

 少しの間の忘我の「時間」は振り向いてはくれない。吹き抜ける「風」が初めて、「時」の経過を気付かせてくれたのです。私の心臓の「鼓動」はと言うと、正確なリズムを刻むまでに安定していました。それに呼応するかのようにして、「水面」は、静かに限りなく静かに「振動」を開始したのです。それは、完璧な「瞬間」が身震いしているようでした。永遠なる「時間」が天から垂直に降下して、水平に展開しているようでした。それらの「瞬間」が「波紋」となって増幅し、やがて力尽きて一輪二輪と消えて行ったのです。その「光景」はとても静謐で、謎めいた神秘に満たされていたのです。
 少しの間の忘我の「時間」は引き返してはくれない。その「尻尾」を掴むこともできない。それに、私が忘れた「我」とはいったい何者なのか、その「我」とは失われた私の「意識」なのだろうか。ならば始めから、忘却の彼方の出来事だったとの「仮説」も成り立つ。私が私を「意識」したからと言って、それが、私の「存在」を証明しているとは言えない。私の「意識」は夢現の世界に点滅する「燈明」のように危うく思われたのです。
 吹き抜ける「風」が再び、私の「身体」に触れて通過して行きました。滑るような心地良さを感じました。息が詰まるような「静寂」の中、私はいっそのこと何もかも忘れて、眠ってしまいたい「誘惑」に駆られたのです。私は「死」を身近に感じたのです。しかし、私の一部の覚醒した「意識」は、それを許してはくれない。それは精神的な「感覚」でした。そして、私の断片的ないくつかの「記憶」が、混沌とした「意識」の「水面」に映し出されたのです。全体に青いイメージの「水面」が広がり、黒い頑な「線」が何かの「形象」を生もうとしていたのです。
 一本の「意識」の「樹」が浮かんで来ました。何本かの細くて黒い「枝」が揺れている。それは、動揺した「心理」のようにも視えるし、嘲笑と失笑を抑えた「感情」のようにも取れる。一本の太くて黒い「幹」が貫いている。それは、天から下された「啓示」のようにも視えるし、本能的な「欲動」を制御する「理性」のようにも取れる。様々な過去の出来事が「形象」として現れることを欲して、それが崩れて溶けて、今度は未来の出来事を「暗示」するかのように現れる。私の「意識」が揺れる、だんだんと薄れる、引潮のように逃げる。梢に群がる小鳥達が一羽二羽と飛び立つようにして、私の「意識」は消えて行ったのです。
 私の「目」はゆっくりと開きました。忘れられた「意識」が何処かから戻って来たのです。その「意識」は、少し前には誰かが「我」と呼んでいたものでした。しかし、その「意識」は私自身を決して忘れてはいなかった。そして、私は決して独りではなかった。突然の着信音が、そのことを報せてくれたのです。
 蝋細工のような誰かの「手」の動きが止まった。その向こうには、馴染みのある「色彩」が視えた。それは黒と呼ばれる「色彩」だった。次に、私の「手」だと判断できる身体的な「感覚」が蘇って来た。「色彩」と「物質」の名称とが手を結んだ。その時、一筋の「涙」が頬を伝って流れるのを感じたのです。そして、その純粋無垢な「物質」こそが、私の「存在」を証明していると感じたのです。この身体的な「感覚」を遥かに超えた「時空」で、誰かと確かに繋がっているという精神的な「感覚」が、私の「意識」を強く揺り動かしたのです。
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# by artbears | 2014-03-30 13:04 | 夢白

死の代理人としての鮫、影の動き又は剥き出しの裸形の時間、穏やかな水面に写る精神

 私は大きく仰け反って、後方に退こうとしたのです。私は「暗礁」に乗り上げた無防備な「帆船」のような自分を思い浮かべたのです。「鮫」の大きく開いた「口」が迫る。卑猥で官能的な頭部には、焦点の定まらない「目」と陶器のような白い「歯」が視える。満たされることのない「食欲」の触手が、胃袋へと繋がる「暗闇」の奥から延びて来る。私を引き摺り込もうとする「魂胆」が視える。私は焦りました。私は再び後方に退こうとしたのです。しかし、あのプラスチックの「右腕」は、結局は何の役にも立ちませんでした。その上、動く意思のない「驢馬」のように頑迷固陋な「両脚」は、どことなく無気力で投げやりな雰囲気を漂わせていたのです。とにかく「両脚」に重い疲労感があったのです。
 私は、この永遠に余計な存在として憔悴し切った「両脚」を見続けるしかないと思ったのです。動かない、動かせない「現実」からは、例え、それが「夢」の中であっても逃れられないことを思い知らされたのです。
 「海面」からの反射は、相変わらずに眩しいものでした。その「光線」に幻惑された私は、もう少しで、あの「鏡」のトリックに騙されるところだったのです。私は、それを何とか回避したのですが、今度は、足元の水溜まりに写るもう一つの「鏡」に魅入ってしまいました。それは、私の内面を写した「鏡」だと、あの狡猾で残忍な顔付きの「鮫」は、私の傍らに擦り寄って来て、私の耳元に甘い「吐息」を吹き掛けながら囁いたのです。
 口元には、嘲笑的で冷淡な微笑みが漂っていました。しかし、どんよりと灰色に曇った「目」は、決して笑ってはいなかったのです。その「目」は真っ直ぐに私を見据えて、容赦のない眼差しが「鏡」に写っていたのです。私は固唾を呑んで、水溜まりに写る私自身と、その背後に見え隠れする「影」を追いました。目には涙が溢れて来ました。その捉えどころのない「影」の動きに、私の「精神」は苛立ち、私の「目」は疲労困憊したのです。
 「影」は小刻みな足取りで歩いている。突然、目に見えない「危険」に遭遇したかのように脅え慄き、その「場所」で立ち止まる。そして、再び我に返って歩みを開始する。前から見ても、横から見ても、後ろから見ても「影」は変わらない。しかし、その順番で必ず「変化」が繰り返されている。それは新しい「事件」でした。だからと言って、驚くようなことではなかったのです。
 私は「未来」を視ているのだろうか。それとも次に現れる「事件」を想像しているだけなのだろうか。「過去」と「現在」が溶け合って、「未来」の形成に立ち会っている。一つの「瞬間」が、それに続く次の「瞬間」を実現している。剥き出しになった裸形の「時間」が、そこに在ったのです。そして、その「影」が、いつか「視界」から消えることも「必然」の出来事だと思ったのです。あの「鮫」は、「死」の代理人に違いなかったのです。
穏やかで、密やかに波紋の拡がる「水面」を観たいと、私は心底思いました。人知れず咲いては散る「桜花」のように、心地よく山並みを吹き抜ける「涼風」のように存在することは出来ないものかと想ったのです。例え、それが一夜の儚い「夢」の中での出来事であっても、私の「精神」が癒されることを願ったのです。静かな「水面」を目で探る。「風」の動きを読む。穏やかな気持ちで待つ。昂る心臓の「鼓動」が聞こえたのです。
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# by artbears | 2014-02-28 19:42 | 夢白

一瞬の蒼い影と亡霊のような白い影、硬直する肉体と弛緩する精神、言葉を失った思考

 不意にひとつの「光景」が脳裏から離れなくなったのです。それは、無人の黒い自転車が、私の「内部」を通り抜けて行くというものでした。痛みはなく、私の「皮膚」は生きていない。それは、凍傷のような「痕跡」を残して通過して行ったのです。
 「内部」が反転して「外部」となる、というイメージが浮かんだのは、その後のことでした。ならば「外部」に、この「光景」は写し出されるのか、そもそも「内部」と「外部」の境界は存在するのか、取り留めも無い「思考」が浮かんでは消えて行きました。私は周囲を見回して、この「悪夢」から身を守る何か堅牢なものを探し求めたのですが、そのようなものは何ひとつ無かったのです。いつものように「不安」が、私を占拠したのです。
 そのことが、私をひどく苛立たせました。なぜならば、私には、このふわふわと漂う「幻想」を信じることも、振り払うことも出来なかったからなのです。ひとつの「悪夢」が消え、次の「悪夢」が現れるのを待つしかないのです。
 私は「海岸」に居たはずでした。この「記憶」もまた、実体の無い、まやかしに過ぎなかったのです。突然、目頭が小さな痙攣で震える。口元が大きな恐怖で微笑む。私は不快感を覚えました。その「幻想」がもっと弱々しくて、抽象的で、もっと控え目なものであってくれたらと願うしかなかったのです。
 正確に言うと、私は「海岸」の波打ち際に居たはずでした。その波打ち際には、麻で編まれた茶色のジャケットが打ち寄せられていたのです。太古に凝固した溶岩が熱く視え、私の「皮膚」は白く冷たい。私は降りて、それを鷲掴みにした。一瞬の蒼い「影」が動いた。拾い上げた私の「右腕」を食い千切った「鮫」は、得意満面の「表情」で頭部を何度も左右に振ったのです。紅い「鮮血」がぱっと海を染める。私は、その「光景」にぞっとする。やがて、その「鮮血」は、海の「透明」に希釈されて消えて行ったのです。
 「時間」が早送りされました。私の再生を果たした「右腕」に気付いたのは、ジャケットの袖口から黒いプラスチックの「義手」が視えて、それが器用な手つきで胸元を開いた時のことでした。「裸体」の私を覗き込む。小さな「興奮」が視える。一本の黒光りする「指」が伸びて、何かに触る仕草を見せる。硬直する「肉体」と弛緩する「精神」が合体する。そのジャケットのブランド名は「MIRROR」と読めました。確かに「鏡」は海の属性とも言えるのです。
 「時間」が再び巻き戻されました。足元でちゃぷちゃぷと打ち寄せる「波」の音がする。見下ろすと、私の「右脚」がだらりとぶら下がる。それは、何かの舞台装置のように奇妙な「物」として視える。「左脚」の足首には、小さな紅い「尾鰭」の魚が集まっている。それは、誰かの凝固血液のように鮮烈な「色」として視える。不意にひとつの「光景」が存在の「秘密」を語り始めたのです。
 我に返ると、私はコンクリートの「堤防」に腰掛けていました。すると、何かの気配がしたのです。耳元で囁く甘い「声」がしたのです。亡霊のような白い「影」が現れたのです。その「声」は、男と女はどちらがセクシーか、と私に問い掛けました。私の「思考」は「返答」を探し求めるのですが、「言葉」は海に向かって逃げるのです。
 黒い「背鰭」が真っ直ぐに近付いて来る。まるでナイフのように鋭利な「先端」が光った。
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# by artbears | 2014-01-31 20:20 | 夢白

死に臨む存在と認識された時間の概念、開かれた瞳孔又は窓に映し出された記憶の原景

とにかく眠ることにしよう。私は「記憶」を手繰り寄せようとしたのです。何とか昨日までのあの「感覚」を取り戻そうと努めたのですが、疲れ切った重い「身体」は病室の白いシーツに沈むことを選んだのです。最初は明るく目を惹く「光源」が見えて、最後は長く帯状に切り裂かれた「傷口」が見えて来る、それらが、ぼんやりと「記憶」の周辺に集まろうとしていました。ところが、「左眼」の鈍い痛みを伴う違和感は、そこに陥没した「空洞」が存在しているような奇妙な「感覚」を生み、それが何か特別な未知の「個性」のように主張を始めたのです。ある「変化」が起こったに違いない。それは、終わったことを告げているのか、始まったことを告げているのか、どちらとも特定できない抽象的な「変化」を感じ取ったのは、私なのだろうか。もし私でないとしたら、私の「脳髄」、私の「神経」、それとも私を計測する「機械」なのだろうか。それが解らない。とにかく眠ることにしよう。「解答」を求められた私の「精神」は困窮して、眠りの「闇夜」に逃げ込むことを選んだのです。入院を前にした、あの「冬空」の寒々とした高潔さ、あの優雅さを失わない透明な「感覚」が、私は好きでした。なのに、この「闇夜」は、まるで降り続く黒い雨で閉ざされた「病院」のように、私を圧迫して覆い被さって来る。雨の「水滴」の付いた窓ガラスにピッタリと押し付けられた滑稽な「顔」、それが、悲痛に歪む私の「顔」だと判別できたのは、手術室へと直行するエレベーターの「扉」が、唐突にかつ厳粛に背後で開かれた「瞬間」の出来事でした。無人の「空箱」が、私を無言で催促する。もう一度恐る恐る振り返ると、窓ガラスには、私の「瞳孔」を円く切り取ったフィルムが貼り付けられている。それは蒼くて繊細で、あの「冬空」のように美しい。ああ、そうなのかと、私は無言で納得する。これが、あの冷静沈着な「医者」から説明を受けたフィルムであり、4本のドリルの「穴」は、このフィルムを貫いて空けられるに違いなかったのです。しかし、この他人の「瞳孔」のように無防備に開いた「窓」は、私を魅了して止みませんでした。なぜならば、その「窓」の奥の「網膜」のスクリーンには、蒼い「空」と碧い「海」が拡がり、半円を描きながら続く「海岸」が映し出されていたからです。そして、その「曲線」は、まるで半月のエッジのように危うく、「狂気」の刃物のように視えたのです。それは、いつかどこかで観た「記憶」に眠る懐かしい「風景」でもありました。「海岸」で無邪気に遊ぶ子供たちの背後には、いつも「死神」が立っていたのです。我々の「存在」は、いつも不条理性、偶然性に曝されているのです。暫くすると、断崖のエッジを走る「細道」を、4台の黒い自転車が一列縦隊になって近付いて来るのが視えました。それにつれて、ドリルの回転する刃先が近付いて来るのが聞えたのです。私はまな板の上の「魚」、どろんとした「目」に見詰められている。交換不可能な一回性の「死」が、確実なものとして「視野」に入って来たのです。生きている「身体」には、決して追い越すことのできない「存在」の最後の可能性が現れて来たのです。と同時に、私にとっての根源的な「時間」が、死に臨む「存在」である自己を「認識」することによって、立ち現われて来たのです。それは、過去から現在を経て未来へと均質的に無限に続く、「死」を隠蔽した、死への「不安」を疎外している「時間」とは全く異なるものでした。それは、私にとっての掛け換えのない、狂おしいほど切実な「概念」だったのです。強制的に開かれた「左眼」を通して、「麻酔」が既に注入されていました。私の「感覚」が無い。私の一部が「物」となって、私から離れて行くのが分かる。それは、まるで途中で停止された「思考」のようだった。代わりに、無人の黒い自転車が近付いて来るのが視える。ペダルが機械の正確さで回っている。ドリルが機械の冷酷さで回っている。これらは恐らく、私の「死」とは無縁に回り続けるに違いない。永遠の「太陽」が容赦ない裁きのように「存在」を照らし出している。自分の「人生」を振り返るには完璧な「瞬間」が訪れようとしていたのです。逃げも隠れもできない。そもそも引き戻すことができない。断崖のエッジを走る「細道」に立った私は、4台の黒い自転車が、私の「身体」を次々に通り抜けることを、息を凝らして待つことにしたのです。
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# by artbears | 2013-12-31 18:02 | 哲学

左眼の不安と右眼の安心、眩暈又は未知なる恐怖と快楽の感覚、内部にも存在する時間

静かだ、とても静かに「時間」が滑るように経って行こうとしている。軽い、とても軽やかに「時間」が5本の指の間から零れ落ちている。まるで「砂」のようだ。それが視える。それに触れているように感じる。不可視であり、抽象的イデア的存在であるはずの「時間」が、「砂」という視覚形態をとって、物質的秩序として現れて来ようとしている。「砂」は流れる。しかも速い。何をそんなに急ぐというのだろうか。まるで砂時計の「秒針」のようではないか。それは、私の「脳」が、そのように視えることを欲して、そのように「情報」を修正しているに違いないと、私は「夢」の中で想ったのです。それは、私の「眼」の奥での出来事のようでした。私は、私の左眼の網膜上に、果たして「世界」が正確に写し出されているのかということに、「疑惑」の念を抱くようになったのです。それほど、私の裸眼で視る「世界」は歪んで屈曲して変形が進んでいました。私の左眼は病んでいたのです。今となっては右眼だけが頼りなのです。しかし、正直なところ、どちらの「眼」が正常であるのかの「判断」は、私には下せなかったのです。なぜならば、私の「夢」の中には、「医者」と呼べる「他者」は存在しなかったからでした。地下鉄の「暗闇」を抜けて、白い階段を上がると、「青空」が飛び込んで来ました。巨大な「病院」が歪んで視えたのです。謹厳実直な「医者」の横顔、輝く光の輪、コンピューターを凝視する「視線」、銀色の十字架、曲がった直線、そこにも「砂」は押し寄せていました。私の外部の「時間」は「砂」となって、私を追い詰め、私の内部に流れ込んで「不安」を形成しているのです。一つのイメージが浮び、別のイメージへの変成を促し、それらは、私の網膜上を変遷して、エネルギーゼロの地平(死)に向かって拡散しているようでした。「不安」は連鎖して、私を拘束しているのです。そして、それらの「不安」は、光の輪や十字架といっしょになって、色鮮やかな「蛾」のように軽やかに舞いながら、ひらひらと静かに「意識」の谷底に堕ちて行きました。そして今度は、何とも言えない無重力感を伴って、様々なイメージが「意識」の谷底からゆらゆらと浮かび上がって来たのです。生温かい「風」も吹き上がって来ました。私は網膜上の「断崖」に立っていたのです。それに気付かせてくれたのは、硝子体と呼ばれる白い半透明の「物質」が、私の「顔面」に迫るのを感じたからでした。それは、あの「医者」からの「情報」が変質しているに違いないと、私は「夢」の中で想ったのです。それは、まるでゼリーのようで、とても軟らかい。ぶよぶよとした「感触」が気味悪いのです。ふっと「断崖」から見下ろすと、球面をなぞるように急角度のスロープが視えました。そして、あの「医者」の言った通りに、その硝子体と網膜との谷間には、透明のポリエチレンの切れ端のような「物質」が視えて来たのです。それは、剥がれた網膜の「断片」が硝子体に付着しているに違いなかったのです。それは、視覚形態をとって、物質的事実として現れて来たのです。私の左眼は物理的な「損傷」を患っていたのです。しかし、それを視て逆に、私の内部で肥大化した「不安」という非日常的「感情」は、日常性への回帰の契機を掴んだように思われました。私に「安心」という日常的「感情」が戻って来たのです。流砂となった「不安」は、私に圧死を強いるのではなく、この「世界」の「断崖」に立つ体験をもたらしてくれました。私は、この「断崖」に踏み止まって、あの「損傷」を除去する「決意」を固めたのです。「不安」は塊となって凝固し、明るく輝く無の「白夜」が開かれました。それは、可能性としての小さな「死」の体験でもありましたが、それは同時に、生きるという「価値」に拘束されている「私」を自覚させてくれたのです。そして、この「不安」を介しての、非日常性と日常性との「意識」の往還こそが、私の内部に「時間」の観念を生んでいるのです。にもかかわらず、私の「意識」には依然として、この小さな「死」を放置するという選択への「誘惑」が存在することを認めないわけにはいけません。その「誘惑」はなぜか甘く切ないのです。私は、この「甘い不安」のイメージの「源泉」を探し求めました。すると、小さな子供である私は、途方もなく大きな紫色の「花弁」の先端から、深く謎めいた「花唇」を覗き込んでいたのです。私はくらくらとした「眩暈」を覚ました。それは、滑り落ちる「恐怖」と「快楽」の同居した未知なる「感覚」だったのです。
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# by artbears | 2013-11-30 18:37 | 哲学

記憶の教会又は庭園、鎮魂の鐘と厳かに奏でられる音楽の響、孤独に耐えて咲く黒い花

目覚まし時計がどこか遠くで鳴っているように聴こえたのです。それは、はるか彼方で鳴っている「教会」の鐘のようにも聞こえました。私の「意識」は、この非日常的な「生」に留まることを欲していたのです。殺伐としたモノクロームの「世界」が拡がりました。木枯らしが容赦なく吹き付けていました。分厚いビロードのカーテンのような重く灰色をした「霧」が晴れるに従って、丘陵に立った「老人」は、静かに語り掛けて来たのです。黒い渡り鳥の「影」が、何本かの動いている「腕」のようになって、粘土質からなる「土手」を這い上がりました。その「影」は「老人」の足元で消えて、彼方に見える「教会」が指差されたのです。長い年月をかけて「教会」は完成したことが、そして、あの「鐘」が奇跡のように鳴り響くに至った「歴史」が語られ、私の「記憶」の扉も開かれていったのです。そう、私の「夢」の中では今だに、逃げ惑う異教徒の「白衣」は、暗闇に乱舞する「蛍」の弱々しい光のように幻想的かつ扇情的であり続けたのです。白馬に跨る領主の「横顔」には、権力構造の崩壊の恐るべき「光景」が既に写し出されていたのです。多くの見知らぬ役者の印象的な「形相」が浮んでは消えていきます。「映像」は永遠不変の「情報」として、人々の記憶の「教会」に存在しているに違いありません。しかし、その「情報」は時として、脈略もなく結び付き溶け合って、新しい「経験」が創造されるものなのです。鎮魂の「鐘」が優しく厳かに響きました。「運命」の荒波に翻弄され、傷付き辱められた者達が、「記憶」の奥底から次々と姿を現し、鐘の「音色」は、彼等の無念の「精神」を癒していったのです。彼等の「苦悩」は「音楽」となって浄化され、私の記憶の「教会」に響き渡ったのです。私の「教会」? それはいったい何処に存在するというのだろうか? という「意識」が「夢」の中で生れました。そして、その「意識」は、あの残虐極まりない「匈奴」の襲来に脅える人々といっしょになって、「教会」に逃げ込もうとする「私」を視付けたのです。私達の「教会」の扉は固く閉ざされました。そこは、守るべき「精神」の最後の「砦」でもあったのです。私達には、一台の古ぼけたパイプオルガンがありました。片腕を失った「司祭」が礼拝を執り行うことになりました。片足を失った「奏者」がオルガンの前に座り、私達は帽子を脱いで深々と頭を垂れたのです。重厚な「音楽」が、対位法的フーガ形式をとって奏でられました。先ず「主題」が演奏され、それが反復されることにより問い直され、「楽曲」は追い立てられるようにして変容を遂げていったのです。この「楽曲」は全ての音楽がそうであるように、時間の流れを取り込むことで成立していました。そして、この生き物のように流れる「時間」の中で、私達は「音楽」と一体となって、非日常的な「生」を分かち合うことができたのです。私達は一つの「集団」となって、この「時間」の流れの中に「個」を放棄したのです。しかし、「音楽」は、それは「人生」と同じように、いつかは終わる「運命」にあります。そして、私達は、この「音楽」を聴かないこともできるし、この「時間」を断ち切ることもできるのです。その「自由」は常に存在するのですが、その「自由」を対象として認識することがないだけでした。私は「不安」を覚えることなく、安らかな「睡眠」に戻ることを選択していたのです。しばらくすると、目覚まし時計がどこか近くで鳴っているように聴こえたのです。それは、まさに耳元で鳴っている「工場」のベルのようにも聞こえました。私の「意識」は、この日常的な「生」に戻ることを強いられたのです。しかし、この「命令」に従うかどうかを決定するのは、他ならぬ私以外の何者でもないことにも気付いたのです。なぜならば、私は目覚まし時計を掛けない、或いは無視するという可能性に開かれていたからです。何とも言えない複雑な「感情」が湧き起こって来ました。それは、日常的道徳を無に帰する「不安」でもあったからです。しかし、この「不安」の自覚こそが、「集団」に埋没して「世界」に拘束されて生きる「私」に、実は、その行為は私自身が「自由」に選択したものであることを気付かせてくれたのです。私は外的な「命令」がなくとも、私の内的な「意志」で起きることを選択していたのです。私はいつものように障子戸を開き、「外光」を室内に招き入れました。私は縁側に佇み、ガラス戸越しに「外界」を観察しました。そして、私の記憶の「庭園」に咲く紅い花を探したのです。「個」を取り戻した「私」には、それが、孤独に耐えて力強く咲く黒い花に視えるように想われたのです。
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# by artbears | 2013-10-31 19:54 | 哲学

巨大な満月と無言の影法師、恐怖から不安へと変わる感情、静寂の歌声又は花開く種子

何かが発生しようとしている。何かが、私を待ち伏せしているような「気配」が漂っていたのです。全ては、この石造りの「階段」を下りて、あの「角」を曲がれば分かることでした。視上げると、巨大な「満月」が、私を見下ろす「視線」となって、私の背後を監視していたのです。視下ろすと、無言の「影法師」が、私を見上げる「幻影」となって、私の前途を暗示していたのです。「恐怖」が這うようにして近付いて来ました。得体の知れない「感情」が、私の「内部」で満ち潮となっていたのです。苦しくて先が視えない、息ができなくなったらどうしよう、私は「恐怖」の感情に溺れそうになりました。にもかかわらず、私の両足は、まるで魔法をかけられた「箒」のように自動歩行をするではありませんか。「止まれ!」と心の中で叫んでも、それは、私の「命令」を無視して、まるで地上を徘徊する「生物」のように動くのです。しかも、実に柔らかくて軽い、まるで空中に漂う「浮雲」のように軽快に歩む。それは「自由」に動いている。私は躊躇した。なぜならば、あの「感覚」が、あの足の裏に貼り付いた重くて長い、押し殺した「溜息」のような「感覚」が消えていたからなのです。私は浮上している。私は戦慄した。なぜならば、この「階段」から転落するという可能性を、私自身を超越した「外的可能性」を認識したからなのです。まさに危険に満ちた「世界」が現れたのです。これでは、まるで路肩に転がる小石と同じ「運命」ではないかと、「夢」の中でふっと思った「瞬間」、私の「意識」も浮上して、私は「階段」を注意深く下りている私自身を見付けることができたのです。私は安堵した。なぜならば、そこに、転落するという外的可能性を回避しようとする私の「意志」と、私の「内的可能性」が視えたからでした。私は自らの安全を「選択」していたのです。得体の知れない「感情」は、引き潮となって消えて行きました。ところが、私の頭上にまで昇り詰めた「満月」は、その「狂気」を宿した「視線」を、私の「脳内」に垂直に突き刺さる「矢」として放ったのです。「狂気」が、私を貫いたのです。すると、無言を決め込んでいた「影法師」は、唐突に多くを語り始めて、それらの「言葉」は「幻影」となって、私の四方を取り囲むことになったのです。一人の「影法師」がカードを配りました。彼等は、私の「顔色」を窺いながら、それぞれに何かが書かれたカードを開いたのです。そこには、この「状況」から導かれる、あらゆる論理的可能性が書かれていました。その中にはもちろん、私が自らの「意志」によって、この「階段」を踏み外すという「選択」も含まれていたのです。何という「自由」、何という「可能性」、私は自らの「自由」に恐怖を覚えるとともに、その感情は「不安」となって、私の「内部」で増殖して溢れ出したのです。それは、私が自らの安全を「選択」すること、その行動には、それと相矛盾する行動を「必要条件」としていたからでした。そして、その行動を「選択」する「自由」が、私の「可能性」として存在していたのです。あの「満月」の「狂気」に応えて、私が破滅的な行動を取らないという何の「保証」もなかったのです。ところが、この「状況」に目眩を覚えて前後不覚となった私は、何と「階段」から足を踏み外して転がり落ちてしまったのです。私の「意識」は、暗く深い「闇夜」に消えて行きました。次の「夢」が開いたのは、前の「夢」で予告された、あの「角」の手前の石畳の冷たい「感触」からでした。朝焼けの仄かな「弱光」の下、私は角の取れた丸い「玉石」にそっと耳を押し当てていたのです。「玉石」の深奥から聴こえる静寂の「歌声」は、私を魅了して止まないものでした。それは、静寂という「音」ではなく「声」だったのです。そして、その無音の「歌声」は無言の「幻影」となって、私の側らに近付いて、一粒の「種子」を置いて行きました。やがて、その「種子」は、私の「意識」の中に宿り、大きな薄紫色の「花」を咲かせたのです。優しく慈しみに充ちた「色彩」が、私の「脳内」に拡がりました。私の「内部」で増殖した「不安」は、その「色彩」の美しさに吸い込まれて行ったのです。私は起き上がって、あの「角」を曲がりました。そこで、私が視たものは、石造りの「階段」と、その頂上に燦々と輝く「太陽」だったのです。そこには、私の「可能性」を超越した世界への「信頼」と、それを支える自然の「摂理」が存在しているように視えました。あの悪魔的な「自由」が持つ偶然性に襲われることもないように思われたのです。
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# by artbears | 2013-09-30 19:57 | 哲学

永遠なる時間と特別なる瞬間、夢の中で開く夜の花、崩壊する内なる文明と精神の矛盾

どのような特別な「一瞬」であっても、決して私の「内部」に留まることなく、何の未練も残さずに規則的に通り過ぎていくのです。それは、夕方の雷鳴の大きな「音響」も、朝方の曙光の微かな「色彩」においても然りなのです。どのような特別な「一瞬」であっても、いつかは均質的な「時間」の流れに合流して、いつもの無気力なしなやかさを取り戻すのです。そう、「時間」は常に、私の「外部」に存在していたのです。目が覚めて「意識」の一部が開いた時、「夢」の出口に立っている私の「後姿」がぼんやりと見えて来たのです。彼は恐らく、中途半端な自分自身の「存在」に戸惑っていたに違いありません。彼は「夢」の入口に消えていくもう一人の私の「後姿」を見ていたのです。彼は振り返った。その「顔」は鏡の中の「死者」のそれのように蒼白だった。そして、その「瞬間」がどれほど衝撃的であっても、過ぎ去った「時間」として平等に処理されていくのです。やがて「夢」の入口と出口は合体して、その「狭間」で束の間の「生命」を与えられた私の「分身」は消えていきました。しかし彼等は、私の想像の及ばない異質な「空間」で棲息しているのかも知れない。それを思うと、私の心臓は鼓動を速めた。とても甘く、とても柔らかい息遣いを身近に感じた。誰かがここに「存在」する。目が覚めて「意識」の全部が開いた時、存在への「認識」が、私を捉えていることに気付きました。「思考」が背後から始まり、「認識」に追い付いたのです。しかし、この「認識」が明日も生れるという誰の「保証」も無く、明日の朝自体が訪れるという何の「根拠」も無かったのです。あきらかに「世界」は無数の「認識」の下に存在している。しかも日々の新陳代謝を繰り返している。にもかかわらず、そのことを他者の「内部」に入って確かめることはできない。結局は、一つの「認識(神)」が存在するという「前提」で生きていくしかなかったのです。私は「認識」の背後にある「思考」を止めました。すると、未明のまどろみの中、無意識の深く暗い「空間」を逃げる私の分身の「後姿」がぼんやりと見えて来たのです。彼は恐らく、無我夢中で自分自身の「存在」を消そうとしていたに違いありません。なぜならば、「夢」の中においては、思考する「主体」は存在しなかったからでした。私の「分身」に与えられた役回りは、私の「精神」のあくまでも「影」として振舞うことだったのです。私はやっとの思いで、その「影」に追い付きました。合体した我々を待っていたのは、「夢」の中で乱れ咲く「花園」だったのです。「芥子」は赤い花を咲かせ、「百合」は白い花を咲かせていました。夢の中で「夜」が大きく花開いていたのです。天上は弱々しい「月光」に照らされ、地上は黒々とした「暗闇」に侵食されていました。我々が左に進路を取ると、ネオンの「色彩」が揺れる夜の「街」がいきなり現れて来たのです。それは、まるで水槽に閉じ込められた「熱帯魚」のように儚く悲しげでした。雨の降る熱帯ジャングルの「静寂」が視えたのです。「音響」の無い稲妻が光りました。月の「狂気」は水溜りに移されたのです。我々が右に進路を取ると、鮮やかな「色彩」が目に飛び込みました。嘘の花と歌われた夜の「蝶」が飛び交っていたのです。「嘘偽」を肴に酒に酔った「蝶」が舞うという。それは、正気を失った「狂人」の乱舞のように視えたのです。私は「一瞬」、こんなはずではないと感じたのです。なぜならば、この「世界」には「時間」の概念が無いように思われたからでした。ただ亡霊のような「空間」が茫洋と拡がっていたのです。それに、脳裏に映像化された全ての「情報」には既視感があるのですが、全体として現れるとどこかが完璧に狂っていたのです。部分と全体が整合性を失っていたのです。私の「精神」は、この「世界」が生活社会とは異なった「次元」で形成されていることを、そして、一つの「認識(神)」が存在するという「場所」でもないことを「感知」したのです。私は一刻も速く、この「空間」から脱出することを最優先にして「出口」を探しました。私は無我夢中で走ったのですが、地に足が届かない。空回りばかりなのです。おまけに足には「捕虫植物」が纏わり付いて来る。夜の「街」のネオンは水溜りに溶けて、月の「狂気」がそれを笑う。まさに出口無しなのです。ところが、夢は必ず「朝」に閉じると思った「瞬間」、私の「意識」の一部が開いたのです。ぼんやりと朝の「街」が視えて来ました。そこでも、文明社会の崩壊が始まっていたのです。私の「精神」は、解決策の見えない不透明な「時間」の流れに身を任せるしかなかったのです。
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# by artbears | 2013-08-28 18:52 | 夢白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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