夢博士の独白



北上する牡鹿と落下する星座、脈絡を欠いた夢想又は悪夢、象徴としての芥子と十字架

 それは、甘い「夢」のように頼りなく、白い「雲」のように気紛れに、私の目の奥に現われたのです。それは、液晶の薄っぺらな「表面」とは明らかに異なる、古いブラウン管式のTVモニターの奥に在る「暗闇」に浮かんでいたのです。アンディの「冷笑」が視えては隠れる。ヴェルヴェッツの「音楽」が聴えては消える。その一見秘かで穏やかにさえ見える「光景」が急変することは、今さら驚くような「事態」では無かったのです。
 遥か彼方に「島影」が視える。そのことは、どちらかが「半島」であることを示唆してはいるが、そのことを確かめる「手段」は与えられていない。私は、何時ものようなゲームが、何時ものようなルールで始まったことを知らされたのです。
 「白雲」は千切れて、「陽光」ですら迷走している。やがて「夜」を迎えると、端然と輝く「星座」が崩れて、粉々となった「流星」が地上を目指して突入してくる、それは、目に見えていました。イメージがかくの如くして「出現」するのは、先刻承知のはずでした。「空間」は、まるで書庫に眠る「古書」のように厚みを増し、「時間」は、まるで脱兎の「心臓」のように、その「鼓動」を高めるのです。絵空事とは呼べない「事態」が迫っている、そのことが、「夢」の中で起ころうとしていたのです。
 しばらく音信の途絶えていた「友人」から、北の「方角」で待つというメールが届いたのは、確か数日前のことでした。取るものも取り敢えず、慌てて旅支度を終えた私は、何か途轍もなく大きな忘れ物をしているようで、そのことが「重荷」となって、なかなか重い腰が上がらなかったのです。それが、無為に過ごした罪悪感からきた「感情」であったことを知らされたのは、確か数日後のことでした。
 柔らかい「絹糸」で編んだカーテンを引くと、硬いガラス製の「窓」の向こうでは、相変わらずの不穏な「気象」が続いていました。何もかもが、有無を言わさずに飛ばされている。「木立」がザワザワと波打ち、「電線」がブルブルと震えている。それは、古い白黒の「無声映画」がカラカラと早回しにされているようであり、私の失われた「過去」のバラバラに切り取られた「証拠写真」が飛び散っているようにも見えたのです。
 私には、腰が軽くなるまでの「時間」は与えられていない。その「自覚」に、私の「意識」がようやく追い着いたのは、北上する鹿の「大群」が「半島」を目指して、次々と「海面」へと投身する「光景」が目に飛び込んできたからでした。このままでは、「約束」した「時刻」に間に合わない。そもそも、私は「約束」などしてはいないが、「反古」にしたという「記憶」は残っている。落下する「流星」と投身する「牡鹿」のイメージには、私を急がせる「理由」が隠されているに違いないと思ったのです。
 「海中」から見上げている黒い塊のような「影」に気付いたのは、「夢」が別の「展開」を欲望したからでした。それは、私の「悪意」なのだろうか、それとも黒いだけの「岩肌」なのだろうか、何れにしても、その「存在」が極めて不気味に思われたのです。案の定、「海面」近くでは、無数の四本の「手足」がもがいている。無数の「苦悩」が空回りをしている。無数の「労力」が水の泡となって消えている。黒い「眼球」がゴロンと動いて、私は狙われているのか、救いを求めているのか、「夢」は一向に語ろうとはしない。
 私はきっと、悪質な「風邪」に体力を奪われてしまったのです。そして、いくつかの「悪夢」に魘されながらも、この「海面」を見下ろせる「半島」に辿り着いたのだと想ったのです。「頂上」では、ヒマラヤに咲く白い「芥子」が「種子」を膨らませていました。白い「粘液」が滴り落ちて、その真っ白に染まった「絨毯」の上には、「太陽」の光線が束ねた「金髪」と張子の「赤牛」が納まった「竹籠」が置いて在ったのです。
 私の「視線」は遠方の「島影」を探し求めました。その「幻影」に向かって、鹿の「大群」が泳いでいたのです。やがて「夜」を迎えると、光り輝く「流星」が「島影」に代わるに違いない。白い十字架のような「灯台」が視えてきました。その「希望」に向かって、「小舟」が漂流していたのです。白人の「男」は明らかに被弾していて、黒人の「女」は強く「幼子」を抱きしめていたのです。
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# by artbears | 2015-11-30 20:40 | 連白

イメージの出現と複製、現代の記号性と芸術の無化、ニヒリズムと死の影を帯びた概念

 私の「過去」は一体全体どこへ行ってしまったのだろう。それは、「肉体」のどこかに固定されてはいない。されど、「精神」とは縁がない。それ故、「記憶」は消えて行く。「音楽」のように流れてはいるが、「映画」のように途切れて停まることもある。全体が観えることはないが、一体が視えたという確たる「幻想」を抱くこともある。
 彼女は無造作に片手で「黒髪」をかき上げたのです。それが、「敵意」からなのか、「好意」からなのかは、私の「記憶」には残されていない。それが、「映画」の一場面での出来事だったという「記憶」だけが残されている。彼女が「黒人」であり、涙に溢れた「眼球」が強く何かを訴えていて、それに、私の「感情」が刹那に反応した。恐らく彼女自身も内心では驚いている「表情」、それが、「演技」であることは見え透いていたのです。
 イメージは一体全体どこから生まれて来るのだろう。それは、「記憶」のどこかで流動している。されど、「知覚」の網ではすくえない。それ故、「観察」しても捉えられない。「写真」のようにどこかの「場所」での出来事ではあるが、「絵画」のように何かの「形態」を描いたアリバイでもある。それは、常に「過去」に生きていて、時に「未来」を向いている。
 イメージは何かを指向している。何かを示唆して暗示している。その「何か」とは一体全体どこに在るのだろう。私の「外側」に在る何かが、私の「内側」に在る何かと感応していることは間違いない。五感で捉えた「情報」を「記憶」のデータファイルで参照する。物質と行為によって初めて「出現」するイメージ、それまでは、永遠の「記憶」の中に眠っている。
  「記憶」の深い森に分け入って観よう。未知なる「道」に誘われるようにして、私は「意識」を見失って行ったのです。「風」は、そのことを報せてはくれないが、その「音」は知らせることを怠らなかった。「草木」が靡き、「落葉」が舞い、「小鳥」は寄り添って「体温」を温め合っている。「風」は尚も吹き、何かが壊れつつあることを告げていたのです。イメージの「扉」が開かれるようにして、「森」の奥の奥の「湖面」が光り輝いていたのです。
 何かしらの漠然とした「期待」が無かったと言えば、嘘になる。ところが「期待」は、裏切られることを秘かに欲してもいたのです。歩いて行くしかない、と思った瞬間、遠くに在ったはずの「湖面」は、私の「心」の中で宙づりになっている。今ここに在る、という「実感」、これすらも、「他者」による「体験」のイメージではないのか、単なる「概念」の「複製」ではないのか、という「疑惑」が浮かび上がったのです。
 例え、それが借り物のイメージでもいい、と思った私は、蒼い「森」の中でひっそりと息を潜める「湖面」を覗き込みました。「風」の気配が再び通り過ぎて、「気象」の変化が告げられる。「鏡面」は揺れ瞬いている。あの「映画」の中のいくつかの「光景」が見え隠れしている。それらは、その「真偽」はともかくとして、私の「現在」を形成する「断片」となって映し出されていたのです。
 無数の「画像」が無数の「弾丸」となって、私の「記憶」の中を飛び交っている。弾痕と血痕の「痕跡」が生々しい。その「戦場」は、世界のどこかの「現実」であるとの「仮説」も成り立つ。白人である「男」と黒人である「女」が、命懸けで一人の「赤子」を守ろうとしていたのです。幼い命に「未来」を託そうとしていたのです。
 重い、あまりにも重篤なメッセージに疲弊した私は、無作為にテレビのチャンネルを切り替えました。間髪を入れずに、別の「映像」が現われたのです。その「画面」には、快感原則の「文化」が、大量生産を象徴する「記号」と大量消費を刺激するイメージが氾濫していたのです。デザインとしての「表現」が横溢していたのです。
 軽い、あまりにも軽薄なメッセージに辟易した私は、無造作にテレビの「電源」を落としました。すると、その「画面」には、全てが無になるニヒリズムの「闇」が、あのウォーホルの冷たく鋭利で死の影を帯びた美の「概念」が、いつまでも映っていたのです。
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# by artbears | 2015-10-31 18:18 | 連白

空間の概念性と概念の抽象性、表層の記号と深層の真実、崩壊する都市又は精神の危機

 二つの「川」が合流する。京都のどこかで、一つの「川」を形成している。その「場所」が思い出せない。その「地図」が想い描けない。それは、「記憶」のどこかに閉じ込められている。それは、重い「空気」の匂いのように漂っている。Y字型の「記号」が、私の目の奥で浮かび上がってきたのです。
 一つの「川」が逆流する。脳裏のどこかで、二つの「川」に分岐している。次々と枝分かれを繰り返す。渓流は細流となる。まるで毛細血管のように「記憶」の周りに張り巡らされていく。「時間」の連続性が断たれたのです。「空間」の概念性が生まれたのです。失われた京都の「記憶」が集まって、象徴的な「概念」となって表れてきたのです。
 夜の京都の「情景」を想い描く。しかし、記号化された「情報」と身体化された「概念」に囚われてはいけない。なぜならば、抽象的な「記号」は具体的な「事物」の表層を滑るだけで、その「事物」との真の出会いを深層に隠している。その「事物」との他の出会いを背景に退かせている。深い「夜陰」に紛れ込まなくてはいけない。暗い「迷路」に忍び込まなければいけない。
 夜の古都の「情景」を想い歩く。すると「夜陰」のなかに、妖気漂う「枝垂桜」が咲いていたのです。「迷路」のなかに、幽気漂う「五重塔」が聳え立っていたのです。無音の「足跡」と無言の「会話」が聞える。二つの「人影」が先導して「石段」を降りていたのです。一つの「満月」が背後を照らしていたのです。それらは、自らを名乗らない。それらは、知覚と思考を誘導する「記号」のようには、自らを明かさない。
 長い溜息のような「夜陰」と重い眩暈のような「迷路」は続きました。突然の脈略も無く、何かの「影」が駆け出したのです。何かの「影」が駆け込んだのです。「月光」が静かに降り注ぐなかを、一匹の「黒猫」が駆け抜けたのです。
 胸を突く濃密なる「感情」が、その「黒猫」を追い掛けました。親密であるが隔絶した「存在」でもある「黒猫」、その「目」は「満月」のように見開き、私の「視線」を跳ね返している。そして、私の「内面」を「鏡」のように映し出している。視ることは、深く考えることでも在ったのです。
 左岸から右岸なのか、左京から右京なのか、私自身の「座標軸」が定まらないままに、私は、移動する巨大な「影」の群れに呑み込まれてしまったようでした。カラフルな「色彩」が「視覚」を刺激する。ノイジーな「音響」が「聴覚」を刺激する。それが、果たして「雷光」なのか、「電光」なのかの判断もできない。「黒猫」を見失う。「月光」を見失う。あの「夜陰」と「迷路」は、人工的な光源によって「居場所」を奪われていたのです。私は、様々な「記号」で溢れ返る「都市」の住民となっていたのです。
 真夜中の「信号」が「黄」から「赤」に変わろうとしていた。その「意味」するところが瞬時に理解される。私の知覚と思考は決定されている。私の掛け替えのない「自由」は、「都市」の「機能」に委ねられていたのです。モンドリアンが想い描いた「秩序」と「構造」が、「自然」から遠く離れた「都市」の抽象的で概念的な「世界」が、私の目の奥で浮かび上がってきたのです。
 京都からロンドンなのか、東洋から西洋なのか、いずれにしても、それは、昼とも夜とも言えない、現代とも近代とも呼べない「空間」のようでした。「人影」が消えた「街角」を曲がる度に「濃霧」は一層深まり、「都市」の退廃と混沌は深まっていたのです。
 その「場所」は、「個」の自己表現と自己解放への「欲望」を、まるで癌細胞のように吸収しながら肥大化している。ジャズもロックも、その社会システムに完全に呑み込まれている。エントロピーは着実に低減している。
 遥か彼方に「老木」の風雪に耐えながら佇む「姿」が視えてきたのです。ハミルの孤独で悲痛な「歌声」が聞えてきたのです。「感情」は激流となって自己表出されている。しかし、「事物」とそれに向き合う「精神」は決して流されてはいない。聴くことは、深く考えることでも在ったのです。
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# by artbears | 2015-09-30 21:13 | 連白

黒くて深い闇又は夢、自由を求める精神とジャズの変革、秋空又は澄み渡る意志の光景

 黒くて深い「闇」なのか、それとも「夢」への類推性を生む「空間」なのか、とにかく、私は「頭」をもたげることにしたのです。すると、独りっきりの「私」が向こうに視えてくる。私の身体システムが「情報」を統合する。私の情報システムが「意識」を起動する。私は「私」に追い着いたのです。
 暗くて浅い「夢」なのか、それとも「闇」との類似性が生む「空間」なのか、薄暗がりのなかを消えていく誰かの「後姿」が視えたのです。私の「意識」が追い掛ける。その「対象」を掴もうとする。それはすり抜ける。それは消えていく。
 周りを見渡すと、白くて濃い「霧」が立ち込めていました。まるでミルクのような「気体」が「泉水」となって湧いていたのです。私は「濃霧」のなかに迷い込んでしまったのです。私自身を見失ってしまったのです。
 隣りを見遣ると、未知なる永遠の「他者」である「私」が寄り添っていました。私という自己肯定性と「私」という自己否認性が、私という「場所」のなかで出会っていたのです。私という自己限定性の「世界」を創っていたのです。
 一つの「属性」に閉じ籠もることはない。未知なる永遠の「他者」の自己否定性を受け入れなければいけない。鮮烈なる永遠の「他者」に自己限定性を明け渡さなければいけない。そこには、自己解体による可能性が存在する。そこには、自己解放による「自由」の領域が存在する。ポスト・フリーの「地平」が見えたと想ったのです。
 私達は「視線」を再び足元に向けました。「霧」が「闇」と溶け合って、重層的な「空間」が形成されている。それは、ジャズの生きた「記憶」の堆積のように見えたのです。その「歴史」の断層から、コルトレーンの「苦悩」が亡霊のようにして現れたのです。
 白くて権威主義的な「部屋」がいくつも並んでいる。黒くて抑圧主義的な「扉」は開かれることを「拒否」している。白い「部屋」の中でしか、黒い「音楽」は演じられることを許されない。音楽形式と語法の「制約」が負わされて、二律背反と自己分裂の「情況」が続く。黒人の自己同一性が「危機」に面していたのです。その表現の「自由」の欠如、そのジャズの根元的な「矛盾」に対するラディカルな異議申し立てがなされたのです。
 白い「部屋」は黒い「精神」によって、次々と破壊されました。西欧的な「制約」は再定義されて、新たな「変革」への道程が示されたのです。無邪気で無防備なアルバートの「自由」を希求する「精神」は、ジョンによって運動体として組織され、集合体としての「精神」に継承されたのです。
 目的を喪失したフリージャズは、もはや「自由」とは呼べない。破壊することで、その目的は遂げられている。後は、遥か「彼方」の「自由」へと漂流を余儀なくされる「運命」が待っている。紅い「血」の流れるセシルは、ユニットとしての「自由」への「意志」を組織化することに挑み、白い「肌」をしたスティーブは、個としての「自由」に「制約」を課することを選んだのです。
 アルバートは北欧の透き通るような「青空」を見上げていた。それは、彼にとっての「自由」の「象徴」のように見えたに違いない。やがて、絶望と失意のうちに米国に帰国する。突然のジョンの「死」、それを追うようにして自らの「死」を選ぶ。黒い「謎」が独楽となって回転している。それが、暗い「闇」の中に消えていく。しかし、彼等の遺したフリージャズの「精神」は欧州に根付くこととなったのです。
 私は京都の厳しい冬を前にした「秋空」を見上げていた。それは、澄み渡った「意志」の「光景」として、何処までも突き抜けていた。京都の「空間」には「自由」が存在する。その「空間」で、セシルは「自由」で在るための「闘争」を演じた。スティーブは「自由」で在ることの「危機」を忘れることはなかった。未明なる永遠の「冬」が続く。「自由」は、「春」の訪れを頑なに拒み、永久なる「冬」の寒さのなかで独り眠っている。
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# by artbears | 2015-08-27 19:51 | 連白

漂白の虚空を飛ぶ紅色の鳥、記憶の中の鮮烈なる他者、終わり無き真実と残された足跡

 「夢」の中を決然と歩いている。彼は「口笛」を吹く素振りを見せる。彼の「口唇」が青白く震える。私は、「不安」に向かって歩く「私」に出会ったのです。それは、何処に向かっているのかを知らない「世界」のように、根拠の無い自信に満ちた足取りでした。それは、私にとっては未知なる永遠の「他者」でもあったのです。
 彼は「真実」を真剣に探しているようには見えない。「目的」と「方向」が見出せないでいる。そもそも「夢」の中では、ここにいてここにいないという「無名性」だけが存在している。途方に暮れて、独りで自分自身を見詰めることもない。
 「現実」と「夢想」との「境界」がなしくずしの「死」を迎えていたのです。リアリティが喪失している。「真実」が「現実」からすり抜けて、「夢想」や「芝居」のなかに潜り込もうとしている。しかし「夢」の中の「私」は、それを自覚できないでいる。シェイクスピアは言った、我々の「生」は「夢」と同じものからできている。「真実」は「夢」の中にも在るはずなのです。
 私は「視線」を右に向けて、アヴィニョンの「街角」を曲がりました。すると偶然、紅色の「鳥」が漂白の「空」を飛ぶ不思議なポスターが、私の「目」に飛び込んできたのです。季節は「冬」、しかも寒い寒い「夜」でした。しかし「情況」はと言うと、熱い熱い「夏」、しかも「正午」のように想われたのです。それは、「顔」を白く塗りたくったピカソの「娘達」が、バルセロナの「街角」に乗り出してくる「時間」でもありました。街中が「芝居」で溢れ返っている。そのなかに、一つの「真実」が在ると思ったのです。
 私は「視線」を左に移して、退屈な「街角」を何度も曲がりました。すると突然、紅色の「鳥」が漆黒の「穴」から飛び出してきたのです。地下の「暗闇」へと誘惑する「階段」が視えたのです。その黒い「穴」からは、悲惨で凍り付くような「風」が吹き上げてくる。悲痛で身悶えするような「音」が込み上げてくる。その「場所」は、遥か「彼方」の懐かしさの「予感」に充ちていました。その「風音」は、スティーブのストレート・ホーンの「穴」から聞こえてくる「音楽」に違いなかったのです。
 白熱灯が終わり無き「夜」を照らし出し、木造の階段式になった「劇場」の中央には、虚無を見据える円形の「空間」が現れたのです。彼の「音楽」との格闘はすでに始まっていました。リフが何度も繰り返される。無限の可能性のなかから、一つの「音」が慎重に選ばれては絶たれる。抑制しては解放される。沈黙と静寂の「空間」に戻される。透徹した「意志」の持続性と困難性が問われていたのです。究極の「表現」は在り得ない。それは、永遠の「彼方」でしか起り得ない。そのことを証明する「行為」が続いたのです。終わり無き「真実」が演じられたのです。
 「記憶」は、どのような「幻影」をも受け入れる。そして「幻影」は、時として「現実」となる。それは、京都での出来事でした。セシルのライブから二年、アヴィニョンのソロから三年の「時間」を経てのことでした。
 私は「視線」を左に向けて、四条河原町の「街角」を曲がりました。地下への暗い「階段」が現れる。すると突然、虚無を直視するかの「修行僧」が、ソプラノ・サックスを吹く朱色のチラシが、私の「目」に飛び込んできたのです。それは、鮮烈なる永遠の「他者」としてのスティーブに他ならなかったのです。
 京都の「外気」は研ぎ澄まされて美しい。私の「内面」までもが透明に凍り付くようだ。そして、その「夜」の「音楽」も、「他者」の終わり無き道程に残された「足跡」として、私の「記憶」の深奥で氷結している。
 それにしても、何という「冷気」なのだろうと、隣に寄り添うもう一人の「私」は、コートの襟を立てて呟いたのです。私達の「影」が足元の「闇」に溶け込むのが視えました。フリージャズの混迷の「闇」が拡がっていたのです。それは、ジャズの本質的な「矛盾」を照らし出す「影」でもあったのです。
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# by artbears | 2015-07-30 20:34

結末又は発端としての記憶、北欧の青空と精神の教会、御影石に封印された白い山野草

 セーヌは流れる。美しい足し算の永遠の反復のように流れる。「記憶」の川が「結末」から遡るようにして流れていたのです。「発端」には、セーヌ右岸の小高い丘には、カフェ・モンマルトルの「記憶」が在りました。もう一枚の「枯葉」が流れてきたのです。
 中古レコード盤の曖昧な灰色をした「眩暈」が回転している。それは、新宿での出来事でした。魔法をかけられた生き物のように動く「手」によって、セシルの「音楽」は無情にも断ち切られたのです。レコード盤の「裏面」が反転される。カフェ・モンマルトルがデンマークに存在したという「事実」が語られる。私の「記憶」も反覆されて、新しい「過去」に上書きがなされたのです。
 ストックホルムの地下道では、アルバートのサクソフォンがせせり泣く。時として「咆哮」する。その「音色」自体が悲しみを抱いている。その「旋律」自体が苦しみに耐えている。北欧の「青空」は鉛色に曇り、重い「苦悩」が垂れ込めていたのです。
 一方、セシルのユニットは、カフェ・モンマルトルでのライブに臨もうとしていました。その「音源」の一週間前に、二人の出会いが存在したという「物語」が現実味を帯びてきたのです。今となっては誰一人として確かめられない「物語」、それが「真実」であることに向かって、「記憶」が逆流を始めたのです。
 濃淡も様々な灰色の「雲海」が流動を速めていました。その「雲海」から、銀色の糸となって、銀色の針となって、光を纏った「雨」が落ちてくるのが視えたのです。それらが次々に「記憶」の水溜まりに突き刺さる。「記憶」の波紋は「真円」を描いて拡がり、やがて別の波紋と結ばれて、一つとして「原形」を留めるものは無かったのです。
 待ち合わせの「場所」であるカフェでは、黒いワンピースを着た「少女」が、淡い生成り色の「日傘」を差していました。その「日傘」に施された上品でエレガントな「刺繍」が紡ぎ出したのは、マネの「黒衣」とモネの「日傘」の結合したイメージだったのです。安堵と焦燥、興奮と冷静、それらの相反する「感情」を分け隔てるようにして、カフェの「空間」と「私」の間には、分厚いガラスの「壁」が立ち塞がっていたのです。
 私は、ガラスに映る「少女」の面影を追いながら、右方向に湾曲して下る「階段」を降りることにしました。多くの男女が「階段」の左側に並ぶ。彼等の「会話」と「視線」に注意を払う。一刻を争うことではないが、「記憶」の「原形」が失われてはいけない。私は、直感的にカフェへの「入口」の見当を付けていたのです。
 薄暗がりは息を潜めて、エレベーターの「扉」を開いて、私を待っていました。その「暗闇」に入るや否や、セシルのピアノの硬質で彫刻的な「音塊」が、圧倒的な「音質」の凝縮力と圧縮力をもって、その「空間」を封印したのです。
 エレベーターは最上階を目指して、猛スピードで上昇しました。「音」と「音」との緊張関係が高まる。「音間」に存在する不純物が削り落とされる。ある種の真空状態が創造される。セシルの静謐で高貴なる「音楽」が、その「空間」を支配したのです。
 薄明かりは息を弾ませて、エレベーターの「扉」を閉じて、私を招き入れました。その「暗闇」を出るや否や、深い縦長の構造の「教会」が、拝廊のような「空間」が現れたのです。「白雲」の高さにまで達する「天井」には、数学の計算式のように美しく端正な「枠組」が、ステンドグラスの代わりの「役割」を果たしていたのです。
 漆黒の御影石が至るところに転がっていました。その「鏡面」には「青空」に浮かぶ「白雲」が映され、その「内面」には純白の可憐な「山野草」が閉じ込められていたのです。清明にして厳格なる「精神」が視覚化されている。創造の「世界」が結晶化されている。私は、そのリリシズムに触れることにより、そのストイシズムを視ることにより、私自身の「精神」を変えることの可能性を感じ取ったのです。
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# by artbears | 2015-06-30 12:54 | 連白

水底に眠る一枚の枯葉、目覚めた白い記憶と黒い亡霊、奔出する情念と燃え尽きた音楽

 私の「手」は意を決して、透明の「液体」の中に侵入したのです。すると、土色の「煙幕」が張られる。透明の「秩序」が崩れる。視界が不良となる。濁った「液体」がひとりでに動いて、小さな「旋風」となって、私の「手」を包み込んだのです。
 「視覚」を「触覚」に切り換えるしかない。手探りの「暗闇」に直に触れるしかない。暗中を模索する。私は盲目の「手」となって、「水底」の「枯葉」を掴もうとしたのです。折り重なるようにして眠る「心底」の「記憶」を拾おうとしたのです。指先の鋭敏で繊細なる「感覚」が高まる。一枚の「枯葉」に触れたのです。
 その「暗闇」は、やがて黒い「亡霊」となって、私の「精神」を何度も揺さ振ることになりました。深くて重い感傷と興奮の「時間」が刻まれていく。底知れない哀愁と激昂の「空間」が拡がっていく。私の白くて柔らかい「皮膚」は、その「熱風」に焼け焦がされたのです。黒い「太陽」が爛々と燃焼する。黒い「肉体」が蕭々と舞踏する。それは、彼等の黒くて逞しい「皮膚」に染み込んだ情念の「業火」のようでもありました。
 私の「目」は意に反して、暗黒の「世界」の中に陥入したのです。黒い「亡霊」が滑るようにして動いていく。振り向いた「顔」だけが、慌ただしく遠くに消えていく。律動する「呼吸」、循環する「血液」、躍動する「肉体」、それらの「痕跡」を残して消えていく。そして、最後まで振り向かなかった黒人の「後姿」が視えて来たのです。二人の「音楽」が聴こえて来たのです。彼等の「音楽」に内在する唯一無二の「秩序」と「構造」が、私の耳の奥に現われたのです。
 もちろん、彼等の「音楽」は黒人で在ることを超えた普遍性を勝ち得たものでした。人生の「実相」と人間の「実体」、そして何よりも生きることの「苦悩」と「矛盾」が、その「音楽」には濃縮され、昇華されていたのです。ジャズの「終点」は、常にジャズの「原点」に立ち戻ることで、その「円環」は閉じられていたのです。
 窓ガラスの向こうでは、摩天楼が蜃気楼となって、「不安」と「期待」を煽るかのように揺れていました。ジャズが最も熱い「時代」を駆け抜けていたのです。「鉄骨」だけが剥き出しになった未完成の「建物」が至る所に起立している。何台ものエレベーターが、死刑台へと運ばれる「箱」となって、上昇と下降を繰り返していたのです。
 とにかく「処分」しなければいけない。このカラカラに乾燥してしまった「枯葉」を、何処かに捨てなければいけない。何かに急かされるようにして、誰かに衝き動かされるようにして、私は、「扉」を開けて待つエレベーターに飛び乗ったのです。
 閉塞感のある「空間」に閉じ込められる。サクソフォンのフリーキーな「音塊」が反響する。創造と破壊を同時に執行する「音群」の波状攻撃が始まる。「空間」が抽象的に変質する。いっさいの「虚偽」を排して「虚無」に徹する「音楽」が延々と続いたのです。しかし、悲しいかな「純粋」なるものの持続は在りえない。「天国」に向かって急上昇するエレベーターが、「地獄」へと急降下する一瞬のタイミングで、私は、その「箱」から飛び降りたのです。
 エレベーターから降りると、コンクリートで造られた「部屋」が待っていました。窓ガラスが嵌められていない、それも極端に「窓枠」だけが大きな「空間」に、私は不安と狼狽の入り混じった「感情」を覚えたのです。「疾風」が吹き抜ける。ホッパーの「絵画」が浮かぶ。一人の黒人が「椅子」に座っていました。その相対的に小さく見える「後姿」は、彼の「孤独」を物語っていたのです。「窓枠」の向こうには、イーストリバーの「水面」がキラキラと輝いていました。彼の「視線」が、何を求めているのかが分からない。「対象」の不在が暗示されていたのです。
 彼の「視線」の先を追い掛けると、「孤独」をひとりで渡る「橋」が視えました。私の「記憶」の「川」にも「橋」が架けられたのです。アルバートの「死体」が浮かび上がったのです。それが、他殺であったのか、自殺であったのか、その両義的な可能性が、彼の「矛盾」となる。私の「苦悩」となる。アルバートの生命の「炎」は、彼のジャズのように燃え上がり、彼の「音楽」と一体になって消えたのです。一枚の「枯葉」が燃え尽きたのです。
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# by artbears | 2015-05-31 10:54 | 連白

記憶の内海と汚染された外海、閉された空間と時間への恐怖、心を開く鍵としての言葉

  「城郭」は強固な「石垣」によって形成されていた。その内側には「樹木」が繁茂していて、その外側には「内堀」が張り巡らされている。巨大な人工的構造物が、壮大な歴史的構築物が、私の目の前に現れたのです。それは、動かない大きな「動物」のようにして、私の目の奥に現れたのです。
  「外堀」はとうの昔に埋め立てられていた。その「記憶」が残っていない。その「事実」が消えている。風光明媚な「内海」と広大無辺な「外海」が急速に「関係」を深めている。個人の「死」を超越した大きな「汚染」が、確率論を前提にした見えざる「危機」が、ヒタヒタと打ち寄せる「細波」となって「護岸」を侵食している。忘れてはならない。あの「記憶」を風化させてはならない。
 私は、「護岸」から遠くを眺めることにしました。すると「海面」が垂直に立ち上がってくる。「現実」が「壁」となって立ち上がってくる。人類滅亡の「危機」が、その可能性を秘めた「原発」が、確率計算によるお墨付きを得て、「世界」の至るところで稼働している。
 黒い不気味な「原潜」が、垂直に起立する「海面」のスクリーンに映し出されたのです。分厚い「暗闇」の彼方から、無数のシャークを引き連れて現れたのです。シャークの刃物のような「尾鰭」が左右に振れる。まるで「時計」の振り子のように振れたのです。
 潜水艦はゆっくりと進水する。その「映像」が浮上する「映像」と瞬間的に置き換わる。それが、ページをめくる素早い手付きのように何回か繰り返される。前後が逆になる。私は溜息をつく。私と潜水艦はすでに「深海」の中に在ったようでした。
 ミシミシと「内壁」が悲鳴を上げている。その「音」が、私の「脳内」で反響拡大する。密室としての「空間」への恐怖の「感情」が、否応がなく増幅したのです。底無しの「海底」までの距離感が把握できない。奈落の「海底」に落ちている。どれだけの「時間」が、私に残されているのかが判らなかったのです。
 私は「救済」の願いを込めて、「外部」を観察しようとしたのです。ところが、分厚いガラス窓に映っていたのは、あの「犯人」の死人のような「顔」でした。私は今度こそ、「犯人」の正体を暴くために素早く振り返ったのです。すると、そこには、もう一人の「私」が立っている。生きる「苦悩」が立っていたのです。
 悪い「夢」を見るのは止めようと思ったのです。人の心には「鍵」がある。忘れてしまいそうな「記憶」と閉まって置きたい「感情」がある。「言葉」によって、その「扉」を開こうと考えたのです。「言語」によって、この閉塞した「部屋」から出ようと考えたのです。根源的な「空虚」を問い詰めるのは止めようと思ったのです。
 ニューヨークのホテルの「窓」からは、眼下に「公園」が見下ろせました。私がさっきまで座っていたベンチは視えるのですが、私の「痕跡」は完全に消えている。その代わりに、雨上がりの大地の「湿気」、濡れた動植物の生温かい「生気」、それらの「空気」が、私の「記憶」に留まっている。そのことを想うと、「公園」が微笑んで見えたのです。
 トランクを抱えた「旅人」が、ベンチの前を通過するのが視えました。そのトランクの中には、私の愛惜の「時間」が詰め込まれているように想えたのです。
 とにかく「旅人」である私は、この「部屋」から出ることにしました。螺旋状の「階段」が屋根裏に近い別の「部屋」に通じていることは、薄々分かっていたのです。一つの「夢」から脱出すると、もう一つの別の「夢」が始まることも、重々解かっていたのです。
 凍て付くような寒々とした「部屋」が待っていました。北方に向いた「窓」からは、純白無垢の「粉雪」が吹き込んでいたのです。「視線」が足元に移動する。「木枠」の中の透明な「液体」に気付く。たくさんの「枯葉」が沈んでいる。それは、私の「意識」に静かに堆積してきた「記憶」のように見えたのです。そして、透明の「生物」が「枯葉」に隠れて生息している。私は、この「枯葉」を取り除くことから始めようと思ったのです。
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# by artbears | 2015-04-29 12:01 | 連白

感覚認識と別世界の存在、拡大する夜又は感情の領域、空虚なる場所での他者との再会

 知らぬ間に「時」が滑るように過ぎていく。完璧な「瞬間」など、どこにも「存在」しなかったかのように、「無言」で速足で過ぎていく。何かの「追跡」から逃れるようにして、止まることの「虚無」を恐れるようにして、それは過ぎていく。
 薄くて消え入りそうな二本の「線」が、私の目の奥の「空間」に現れたのです。その平行に走る白い「線」が、どこかで交わる「予感」が生まれる。しかし、その決定的な「瞬間」は、「知覚」では捉えることはできない。見えないからこそ、見えることが「存在」している。感覚認識の「世界」に影のように寄り添う、もう一つの別の「世界」が在る。
 ふと我に返る。遠い過去の「私」に帰る。正確には、あの懐かしさと郷愁感に満たされた「私」、美しい「内海」を眺め遣る「意識」に戻ったのです。すると、夕暮れ前には、真っ赤に燃え滾っていたはずの「太陽」が、つるべを落とすかのように水平線の下へと「姿」を消し去っていたのです。一触即発の「海面」、蒸発沸騰の「海水」を想像する。私は「知識」で、この不可解極まりない「世界」を見ていたのです。
 ふと振り返る。孤独な「城郭」の影が伸びている。満天の「星空」の下、不気味な「気配」が立っている。増殖する巨大な「暗闇」、その奥行きのある「空間」が、私を背後から「拉致」しようと待ち構えていたのです。とても深い「夜」、まるで死のような「夜」、その大きく切り裂かれた傷口のような「空間」に魅了されてはいけない。悪霊と精霊が同居する、この野放しになった「自由」が支配する「世界」に踏み入れてはいけない。
 私は「石段」を転がり落ちるようにして下りました。青白い「月光」が、私を照射している。夜陰に隠れた「狂人」が、私を見詰めている。視覚を奪われた「私」は、聴覚と嗅覚が異常に研ぎ澄まされたのです。肥大化した恐怖の「感情」は、様々な想像上の「怪物」を創り出し、それらは野に解き放たれたのです。
 「感情」が、被害妄想となった「想念」が渦巻いて、この現実の「世界」を席巻している。忌避すべき悪の「領域」が急速に拡大している。叡智と寛容の「精神」が、放縦と陶酔の「感情」に翻弄されて、「世界」は単層構造に集約されようとしている。
 不吉で奇怪な「怪物」が跋扈する「森林」が、私の目の奥の「空間」に現われたのです。予想していたことではありながら、私の「精神」は動揺を隠すことができませんでした。見えない「心」の枠組みが、それを通して「外界」を見ていた「窓枠」が、崩壊の「危機」を迎えているのです。ロシアの政治家が、冷徹無比にして頭脳明晰なる実在の「怪物」が、「世界」をチェス盤に見立てて、次の「一手」に思索を巡らしている。そんな「時間」が刻一刻と過ぎ去っている。戦争の「足音」が聞こえてくる。
 夢のような「未来」は無い。悪夢のような「現実」が近付いている。白日夢のような「過去」が、「無音」の回転木馬となって、「無人」の観覧車となって、空回りを続けている。私はやっとの思いで、かつての遊園地と呼ばれていた「場所」に辿り着きました。しかし、その「場所」もすでに、「空虚」によって占拠されていたのです。
 その「場所」では、春の「足音」も聞こえていました。春の「息吹」が、桜の「蕾」にはち切れんばかりに充満して、季節の「歯車」が着実に回転していることを報せていたのです。そして、私の目の奥の「空間」では、いずれ見事に満開となるであろう「桜花」が、すでに咲き綻び始めていました。「認識」を変えれば「世界」も変えられると思ったのです。
 私は「少女」の「痕跡」を、聖なるものと俗なるものとの往還の「足跡」を、探し求めることにしました。子供でもなく大人でもない未成で未性の存在としての「少女」、その相反する両義性によって、時には「境界」を越境することに傷付き、時には「境界」を前にして力尽きる、その未成熟で不安定な「存在」、その「他者」との「再会」を願ったのです。一つひとつの「桜花」が花開く、その決定的な「瞬間」の連続が、春の「時間」を形成していくことを願ったのです。
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# by artbears | 2015-03-29 17:57 | 連白

紅く燃える草原と白雪の台地、欠如への欲望と象徴としての少女、侵入する戦慄の戦士

 「少女」の熱い眼差し、その強度が鋭い「矢」となって、私の「目」を貫いたのです。磔刑の「聖女」が、私の目の奥に現れる。それは、霧の鏡に映る「薔薇」のように、火の炎に茂る「小枝」のように、私の目の奥で燃え上がったのです。
 私は意を決して、「少女」を追うことにしました。紅い野バラの「草原」が無限に広がる。無邪気な真珠色の「荊棘」、逃げ惑う子供達の「素足」、盲目の黒い毛並の「駿馬」、それらの秘められた「欲望」のイメージが、私の目の奥の「暗闇」を疾走したのです。
 この紅く燃え拡がる「炎」のような「草原」は、いったいどこまで続くのだろうか、その素朴な「私」の質問に、私は立ち止まることになりました。喪失の「階段」が崩れる。荊の「冠」が重い。茨が「足」に纏わり付く、そして這い上ってくる。私は動けない。欠如に向けられた「欲望」が、欠如の象徴としての「少女」への想いが、いっそう深く苦しく募ったのです。
 歩くことも走ることも、そのことに何ら変わりはなかったのです。そして、例え私に、小さな天使の「翼」が与えられたとしても、「天空」に舞い上がり、やがて力尽きて、墜落することは「目」に視えていました。私の「死」は、そのように訪れてくるに違いない。「草原」に虚ろに横たわる私の「屍」、その大きく見開いた「瞳孔」に紺碧の「空」が写る。「欲望」は遥か遠くを見据え、その「対象」は永遠の彼方に「存在」し続けている。そのことに何ら変わりはなかったのです。
 あの紅く燃えたぎる「焔」のような「光景」は、いったいどこに消えたのだろうか、その素朴な「私」の質問に、私は立ち上がることになりました。喪失の「地平」が延びる。季節は「冬」を迎えていました。あらゆる「色彩」が排除された「光景」が目の前に拡がったのです。白い「雪」に包まれた「台地」、その静寂の「世界」を前にして、私の「意識」が深く沈降していく。白い「闇」に向かって墜ちていく。
 その「時」のことでした。「天空」が割れ裂けんばかりの「雷鳴」が轟いたのです。黒雲が急速に「空」を覆い始めたのです。見上げると、まるでクジラのような巨大な飛行船が、私を威圧するかのように通過していく。巨大な蝙蝠傘が広げられて、太陽の「光線」が断たれようとしている。黒い雨が降り始める。やがて激しい「豪雨」となるに違いない。覚醒させられた「意識」は、私の日常性を覆す「異変」を感じ取ったのです。
 飛行船の真下には、重厚でメタリックな「扉」が聳え起ちました。それは、禁断の「城門」のようにも見えたのです。絶叫する人の「声」と炸裂するギターの「音」が聴こえてくる。向こう側から「越境」して聞こえてくる。その「音楽」には、生の「享楽」と死の「誘惑」が充満していました。「社会」に属しながら属さない両義的な「侵入者」、社会規範との「境界」を縦横無尽に突破する戦慄の「戦士」、その横溢するエロチシズムに、私は圧倒されたのです。
 ベトナムの「空」に黒い雨が降る。偽物の「戦争」に本物の「爆弾」が降り注がれる。偽善者は横行するが、犠牲者は連行される。星条旗が燃える。激怒の「感情」が「炎」と化したギターとなって、「床」に叩き付けられたのです。二人のジミーの弾くギターが、裸体となった「社会」を暴いて魅せ、その「仮面」を暴力的に剥ぎ取ったのです。彼等の大音量の「音楽」が、私の耳の奥で鳴り響く。私の「精神」は痙攣的に震撼する。
 「雷鳴」が遠ざかるにつれて、私の「精神」は平静を取り戻しました。私は「城壁」に沿って、「時計」とは逆回りに歩き始めたのです。「時間」を逆戻りしたのです。懐かしい「風景」との再会が続きました。私は過去に「意識」の主体を移動させたのです。
 「精神」は変わるが「意識」は変わらない。「城門」を通り抜けて「坂道」を上る。「城郭」の頂上から穏やかな「内海」を展望する。そこには、あの無慈悲な「空」も無愛想な「夜」も無い。「海」と「空」の「境界」が一直線となって、その消失点が銀色に輝いていたのです。その「光」に向かって、飛行船が悠々と進んでいく。忘却の「地平」に向かって、私の目の奥に消えていく。
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# by artbears | 2015-02-28 18:49 | 連白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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