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夢博士の独白



死者又は出口なしの状況、他者又は奪い取る視線、原因としての業と結果としての現実


 「眩暈」のような「思考」は、私に追い着いたのか、それとも「私」を追い越したのか。もう一度「空間」は裏表に反転して、「私」とバローは入れ替わったのかもしれない。明々白々たる「偽言」がまかり通る。一目瞭然たる「偽者」が肩で風を切る。「通路」は底抜けの明るさを取り戻したのだが、どこか憂鬱で気だるく、乾いた笑いのような「空虚」に満たされていたのです。

何とかして、この虚しく空しい「穴」を埋めなければいけない。私の「思考」は当てもなく駆け回りました。いろいろな「穴」を塞ぎ、さまざまな「穴」を閉じて、この対自的な「虚無」を、即自的な「自己」で満たさなければならない。象徴的な「意味」での「充実」を求めて、実存的な「一歩」を踏み出さなくてはならない。根本的な「選択」を避けては、この「通路」を通れない。「存在」は「実存」へと通じない。

目を凝らして、「通路」の暗がりに「視線」を移すと、三人の「死者」が罵り合っていたのです。彼らは「鏡」に映ることはない。自らの「姿」を視ることはできない。「他者」の「視線」に曝されることしかない。「死者」で在るが故に、自らの行為の「意味」を変えることはできない。まさに「出口なし」の「状況」が見えたのです。

目を皿にして、「通路」の明かりを「網膜」に写すと、私の「視線」は「鏡」に跳ね返されたのか、バローの「姿」が現われて来たのです。私が右側に「頭」を傾けると、バローは左側に「頭」を傾げる。彼から視える「私」も、左右反対に見えているに違いない。私は「私」は視えるが、私を見ることはできない。私の内側に住まう「他者」としてのバローは見えるが、その「姿」は、すでに「私」の一部となっていたのです。

暫くして、前方に二台のエスカレーターが視えて来たのは、私が「心」に想い描いた「思念」が、「業」すなわち「原因」となって、「姿」を現わして来たからに違いない。エスカレーターは上昇するだけで、下降することはなかった。この「死」へと向かう「通路」から抜け出ることを、私は「夢」の中でも強く願っていたのです。

アッシジという「言葉」が、瞑想する「白雲」となって、小麦色に輝くイタリアの「田園」を撫でるようにして浮かんでいました。荘厳なる「大聖堂」が、「天空」に想い描かれた「天井画」が、目の奥に発ち現われて来たのです。荒れ朽ちた「岩石」と交換するようにして、瑠璃色に輝く「鉱物」が表われて、彼らの「秘密」が語られる。「天空」を見上げると、深い悲しみに堪え切れなくなった「天使」が舞う。彼らの「泣声」が墜ちて来る。私の「身体」は青色の「衣」に包まれて、身動きができない「苦悩」は深まるのです。

自動的に動く「階段」に身を任せることも悪くはなかった。長くも短くも在れ、速くも遅くも在れ、何時かは「階段」も終わりを告げるのです。刻々と「選択」は迫って来る。私は必然の「一歩」を踏み出しました。多数の「男女」と擦れ違う。少数の「視線」との交換が始まる。彼らの偶然の「視線」が、私から「私」を奪い取るのです。果たして、彼らから「私」を奪い返せるのだろうか。「箱」の中では、バローが息を潜めていたのです。

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# by artbears | 2019-07-31 19:17 | 連白

夢を見た夢11:存在の偶然性と重くて耐え難い感覚、浮遊する老師と透明に拡がる青空

 「一歩」を踏み出せないのは、今に始まった「事」ではない、いつものことではないか、と呟いた「私」は、別の「夢」の中で立ち止まっていたのです。「私」は後悔するが、私の「一歩」は先立たない。私の一寸先は視えない。「言葉」は独り歩きを始めるが、それは、いつものことではなかったのか。

いつもの「街角」を曲がっても、透き通るような「青空」の輝きはなく、パリの日曜日のような黄金色に照らされることもなかった。「私」を追い掛けるようにして「夕陽」は暮れて行こうとしている。山手線の「音」がする。手探りの「一歩」が現れて、呼び戻された「記憶」と抱擁する。いつもの「路地」に迷い込むと、白衣の「老師」が笑いを殺して、私を待っていたのです。

「老師」は「老子」となって、私を「迷路」に手招きする。甘くて苦い「誘惑」には、三つの「理由」が在るのだと、二本の「親指」を下にして微笑むのです。安逸なる「睡眠」は、深淵なる「思想」にも辿り着くが、時多くして「入口」は閉されている。時少なくして「扉」は開かれるのだが、それは、「老師」が決めることでした。

「老師」に導かれて、「階段」を上り詰めると、灰白色の「洞窟」のような「空間」に迎えられました。「思想」は「亡骸」となって、その「空間」に浮かんでいる。「言葉」は「貝殻」となって、その「白壁」に埋もれている。「言葉」にならない「思想」の口惜しさと、「文章」にならない「言葉」の味気無さが、その「洞窟」に漂っていたのです。

「老師」は「老人」となって、私を「部屋」に手招きする。その「手」が、実にゆっくりと動き始めたのです。その「手」が、実に多くを語り始めたのです。私は唯一の「手」を感じる。私の無二の「存在」を覚える。この重くて耐え難い「感覚」は消えることはない。私の「意識」が続く限りは、消える「理由」もない。

「老人」は「老師」に戻って、私に何かを教えたかったのか、二枚の複写となった「請求書」を差し出したのです。一枚目には、判読不可能な「文字」が書かれていました。二枚目には、既視感のある露草色の「青空」が写っていました。残金は「貨幣」ではなくて、紙切れに書かれた「文字」で支払えと仄めかされたのです。

私はいったい何を買ったと言うのか、それは「思想」なのか、それとも「言葉」なのか。どちらにしても、それらは「砂」を噛むように味気なく、奇妙な「後味」だけが残される。「肉体」よりも遥かに始末が悪い。私の「欲望」は未払いで「処理」されるべきなのだろうか。「夢」の中の「私」は、もちろん「現金」を持ち合わせてはいなかったのです。

居心地の悪い「浮遊感」に襲われたのは、私が「視線」を逸らしたからでした。「老師」の逃げるような「後姿」が視えたのです。「足」が「地」から離れて、空回りしている。空気で膨らんだ「白衣」が、ふわふわと動いている。それらは、存在の「偶然性」を乗り越えようとしている。三階の「部屋」が通じていると判断した「私」は、先回りして、「階段」を駆け上がりました。そこには、群青色に染まった「大空」が拡がっていたのです。

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# by artbears | 2019-06-30 13:56 | 連白

虚妄と虚偽に満ちた現実、永遠の彼方から聴こえる歌声、反転する闇夜と謎めいた純水

 もう一度、土砂降りの「雨天」を見上げることにしました。ところが「夢」の中では、物理的な「水滴」が落ちて来ることはない。私の「心」が泣き濡れているのかも知れない。私の「心」が抜け落ちているのかも知れない。そこは深くて浅いのか、その「底」は悲しく嘆く、その「対象」は見えて来ることはない。

 六台のタクシーが「水飛沫」を上げながら、私の「目」の前を通り過ぎて行くのです。

私の「意識」の周りをクルクルと回って、時には「豪雨」となって、「朝」に起きて「夜」に眠るが如く、それは「規則性」を繰り返しているのです。然るに、同じ「意識」が還って来るとは限らない。急がなければならない。新幹線が「定刻」に発つとは限らない。

私の「視線」は物憂げに傾く、私の「心臓」も物悲しく響く、見たくはないが見なくてはならない「箱」が、空気より重い「臭気」のように視えて来たのです。バローの「吐息」が聞こえて来る。彼の「体臭」が閉じ込められている。いっそのこと、この「箱」を開け放って、残酷な「太陽」に曝すべきなのか、冷酷な「寒気」に晒すべきなのか、嗜虐的で自虐的な「欲望」が湧き上って来たのです。

 私の「身体」は少なからず揺れて、それでも思い直して、「意識」は何ものかに向き合っていたのです。「暴風」に散り散りに吹かれても留まっていたのです。見られているという「意識」が、自らの「内面」に現れる限りにおいてしか、「存在」は許されない。バローとは、私自身の「分身」なのかもしれない。それは仮象の「私」であり、私の「内面」において、変貌を繰り返している「他者」なのかもしれない。

「週末」には「終末」のパリに戻らなければならない。別の「夢」が割り込んで来たのです。黄色いベストの「情報」が黒色のペストの「記憶」を呼び覚まして、赤色に燃える「大聖堂」の「映像」と結託する。混迷と虚偽に満ちた「現実」が、いとも易々と「悪の華」へと変貌して行く。仮想の「現実」が、私の「内部」と「外部」で捏造されて行く。

私は立ち止まって、身を引き締めました。そっと耳を澄ませると、永遠の彼方から、優雅で美しい「歌声」が聞こえて来たのです。その「歌声」を追って、いくつかの「街角」を曲がると、足元には漆黒の「闇夜」が待っていました。覗き込むと、まるで黒砂糖のように甘く切ない、謎めいた「純水」が揺蕩っていたのです。

私の「躊躇」は隠しようがない。次の「一歩」がどうしても踏み出せない。その「闇夜」に身を投じると、黒光りする「鏡面」に揺らぐ「大聖堂」が壊れてしまう。私が「譲歩」しても、眩暈のような「思考」は「背後」に迫って来る。私の「実存」は、私の「選択」で決められようとしている。私は「自由」という「刑」に処せられようとしている。

サルトルは「聖ジュネ」において、ジュネというフィクションとポエジーを創り上げた。人間の「本質」はフェイクでも在り得るが、自らを「創造」するものに他ならない。すでに「賽」は投げられている。私とバローは「一歩」を踏み込むことにしたのです。すると「闇夜」は反転して、私の「意識」は奇妙に明るい「通路」に戻っていたのです。

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# by artbears | 2019-05-27 19:05 | 連白

偶然の選択と必然の結末、目の奥で燃え上がる大聖堂、自意識の鏡に映る彷徨える虚像

 私は「言葉」を選ぶ。偶然の「選択」が必然の「結末」を呼び寄せることがある。その「結末」が無垢でイノセントな「選択」の可能性を封じ込めることがある。「言葉」の恣意性は、私を拘束する。ところがジュネは、その「言葉」を頼りにして、汚れた「地面」を這うようにしながら、幻想と神秘の耽美的で倒錯した「世界」を創り上げたのです。妖しく震えるフィクションの「悪の華」を咲かせたのです。

 高速道路の「料金所」を過ぎると、おぼろげに遠くに見えていた「大聖堂」は真っ赤な「炎」に包まれていました。六台の「車」は一つの「光束」となって、その「炎」を目指しているかに見えたのです。「悪の華」が再び、私の「目」の奥で燃え上がろうとしている。「悪」に惹き寄せられるようにして、私の「意識」はパリの「街角」を曲がり、未知なる「私」と出会い、ジュネの「花のノートルダム」に戻って来たのです。

 ディヴィーヌは「夢想」に耽る。それをジュネは、真っ赤に燃える「薔薇」のような「情熱」で語る。次々と着々と、二人の自意識の「鏡」は「分身」を映し出して、それらは、虚像の「迷宮」を果てもなく彷徨する。虚像と実像の「境界」を当てもなく往来する。やがて、実像の自己同一性は「根底」から揺さぶられるのです。「夢」の中の出来事のようにして、時間軸は消えて無くなるのです。

 「大聖堂」が焼け落ちようとしている。その「光景」が、いつの間にか側らに寄り添うバローの「瞳」の中に燃え移っていたのです。と同時に、私は誰かに「凝視」されている、という「気配」を感じました。「貝殻」を擦り合わせるような「音」が聞えました。そのことを耳打ちしようとそっと隣を見遣ると、誰もいない、誰も歩いていない退屈な「路地」だけが「視野」に入って来たのです。

バローはポンヌフを渡ろうとしていたのかもしれない。彼の小さくなる「後姿」は疲れ切って見え、思い切って苦しみ、「絶望」に溺れていたのです。その「背景」には、途轍もなく巨大な「炎」の塊りとなった「大聖堂」が傾いて見えたのです。その「光景」は熱くて凍り付いていた。「熱線」で、盲目となったバローは立ち竦んでいた。

 何が起こるかは分からないが、それが起こることを「欲望」は気付いているのだろうか。盲目の「仔猫」となったバローの「後姿」は小さくなるが、愛おしさは大きくなる。私は「夢」から抜け出そうとするが、「欲望」は「私」を鷲掴みにして放さない。あの「箱」は、この「欲望」を閉じ込める為に「存在」していたのだろうか。バローの「後姿」は、あの「箱」にちょうど収まるサイズにまで「縮小」して見えたのです。

 私は十分に驚くが、それは「狼狽」するような出来事ではない。寧ろ、土砂降りの「雨」が降っていて、六台のタクシーが「水飛沫」を上げながら、目の前を通り過ぎる「光景」に「冷水」を浴びせられたのです。私は「新幹線」に乗らなければならなかった。消えかけた「記憶」が呼び戻されたのです。私はしっかりと盲目の「箱」を携えている。真っ暗闇の「箱」を覗き込んでも、盲目となったバローは素知らぬ振りをするに違いない。

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# by artbears | 2019-04-30 11:49 | 連白

上書きされた意識と私、複数の人格又は夢想に生きる現実、未踏の領域への不安と恐怖

 ここは何処で「私」は誰なのか、という「意識」が起ち上がってくる。この「意識」は上書きされた「私」なのか、という「疑義」が発ち上がってくる。この「夢」が紡ぎ出す「意識」の連続性と一回性が、「私」を創り出している。夜毎に生まれ変わる誰か、それが、私の「正体」なのかしれない。

「私」は高速道路の料金システムを「通過」しようとしていたのです。猫の「顔」をしたバローが「帽子」を正して、「私」に「課金」しようとしていたのです。「世界」の金融システムは「米国」に牛耳られている。「審査」を受けるのも、「通過」を許されるのも、「英語」が喋れなくてはいけない。彼の「英語」は猫なで声でした。

 そもそも、バローは「名字」なのか「名前」なのか、バロウズではなかったのか、私の「記憶」は曖昧でした。その「事象」に「言葉」を与えなければ、「言葉」で分けなければ、「対象」を識別することはできない。「存在」を認識することはできない。私は彼をジャンと「命名」することにしたのです。

ところが、ウイリアムと「名前」が呼ばれた気がしたのです。周りを見渡しても、誰もいない、白っぽい「空気」だけが漂っている。私の「名字」がバロウズなのかもしれない。「私」はバローの複数の「人格」なのかもしれない。すると、いきなり不意に「裸のランチ」が目の奥に浮かんだのです。それは、ショットガンのように暴力的に有無を言わさずに現れたのです。ジャンがジュネの「屏風」が撃ち抜かれたと叫ぶ。

例え「銃口」を突き付けられても、私のクレジットカードを手渡すわけにはいかない。その「判断」には、決済システムに対する「不信」がありました。「夢」の中の「嘘」を感覚的に還元することはできなかったのです。「現金」ですら、想像と夢想の「産物」に過ぎない。「夢」の中では、「通貨」という「概念」は流通しようがない。

当てにはならない「記憶」が蘇りました。ジャンが「名前」で、バローが「名字」だと言うのです。それでは、中間のルイとはいったい誰なのだろうか。二人の「名称」の中央に位置している。お互いの「立場」を往来している。時として「人格」を交換している。それは、「言葉」だけで「世界」を構築する、ジュネの「小説」の「構造」のように振る舞っていたのです。

高速道路の「料金所」は結局の所は、「出口」でも「入口」でも在るかの如く、立ち上がってくる。「迷宮」としての「夢」は、円環的に「循環」している。「過去」に行くと、バローとの出会いが待っていました。置き忘れた「箱」の中では、もう一人の「私」は目を閉じていたのです。「現在」に返ると、もう一人の「私」は目を開けていたのです。

取り返しの付かない「領域」に踏み込む「不安」、その根元的な「恐怖」を、ジュネは何の衒いも無く赤裸々に語った。その「夢」にも潜む絶望感と緊張感を、バローは易々と演じ切った。彼の神秘に包まれた「演技」は、単なるイメージとしてではなく、私の「夢」の中で肉体化している。新たな「夜」を迎える。彼との「再会」は果たせるのだろうか。

上書きされた意識と私、複数の人格又は夢想に生きる現実、未踏の領域への不安と恐怖_d0078609_14210309.jpg

# by artbears | 2019-03-31 14:23 | 連白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです

by artbears
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