白い「芥子」の「花弁」が風に吹かれていたのです。「目」の奥で白く散り始めたのです。それは、「花冠」を構成している「花葉」と呼ぶべきなのか、「萼片」と呼ぶべきなのか、それらの「言葉」が「花弁」となって、風に吹かれていたのです。
私に「言葉」が無ければ、「言葉」とイメージの「符合」が無ければ、その「存在」の曖昧さは捉えどころがない。永遠の「彼方」に取り残されている。それは、「夢」の中をヒラヒラと飛び交う、名前も呼名も知らない、白い紙切れのような「蝶」と何ら変わらなかったのです。「存在」は、何時も掴み取れない、何時も擦り抜けている。「夢想」のようにフワフワと浮かんでいて、「真実」の重みから「自由」でいる。
鬱を患った「森林」、疲れ果てた「坂道」、熱を帯びた「悪夢」、それらを通過する「儀式」が終わりを告げるのは、この「半島」の「頂上」での出来事のはずでした。そのことが、「友人」からのメールには仄めかされていたのです。ところが、いくら周りを見回しても、「友人」の「面影」は見当たらない。白々しい「空虚」だけが待っていたのです。
そもそも「友人」とは誰だったのだろうか。その「顔」がどうしても想い浮かばない。それは、「自我」を確立するための「他者」だったのだろうか。私は、その「顔」を一心に想い描きました。すると、私の「心」が二つに分かれて、その「割目」からのっぺらぼうの白い「顔」が覗いたのです。とどのつまりは何時まで経っても、私は真の「自己」には出会えない、出会い損なっていたのです。
「牡鹿」は群れを成して「半島」を目指していた。その「幻影」が再び蘇って来たのです。「傍観」せざるを得なかった私は、陸地を迂回する「選択」をして、この「半島」に辿り着いたに違いない。その「記憶」が再び甦って来たのです。「幻影」と「記憶」が合成されて、「島影」が再び「目」の奥に現われようとしていたのです。
「島影」を視てはならない。その「幻影」が、あの大津波の「記憶」に呑み込まれなくなるには、どれだけの「時間」が経てばいいのだろうか。どれほどの「道程」を歩めばいいのだろうか。ディランの「歌詞」が聞えてきたのです。答えは「風」に吹かれている。答えは「風」の中に舞っている。「事物」の本質は偶然性に在る。彼の「言葉」は、まるで「存在」の「定義」と同じように、あまりにも曖昧で捉えどころがなかったのです。
「風」が再び吹き、何かが壊れてしまったことを告げていました。一枚の白い紙切れがクルクルと舞い降りてくる。何かが書かれているようだが、誰も拾って読もうとはしない。そして、自ら「風」に吹かれようとしている。茫然自失としていた「私」は、それに気付いて、それを掴み取ろうとしたのです。その「瞬間」、一枚の白い紙切れは、まるで一匹の「蝶」のようにして舞い上がる。居心地の悪い「意識」だけが取り残される。
気が付くと、私の「意識」は転がる「小石」の「内側」に閉じ込められていたのです。「小石」は「坂道」を転がり落ちる。「外側」の「世界」が丸く観える。魚眼レンズから覗いたように円く視える。クルクルと「回転」のスピードが速まる。やがて、円形の外枠の「内側」に黒い「眼球」が並び始めたのです。透き通った「泉」のように純粋で、穢れを知らない「瞳」が回り始めたのです。
「雌鹿」は群れを成して「湖面」を取り囲んでいた。「水」を飲みながら「風」を読んでいたに違いない。波ひとつ起たない「湖面」は美しく打ち震えていたに違いない。私の「意識」は、その「静寂」を打ち破るように浮上したのかもしれない。その「水音」に「雌鹿」の「耳」がいっせいに反応したのです。聞き「耳」が南の「方角」に向けられたのです。
何頭かの「牡鹿」が「海峡」を渡り終えた報せが届いたのかもしれない。彼女たちの「耳」は、「世界」の悲痛で悲惨な「物音」に向けられていたのです。多くの「難民」が「国境」を越えようとしている。北イタリアの都市国家の「光景」が、揺れ瞬く「瞳」の奥の奥に映し出されていたのです。