夢博士の独白



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とても深い夜、岸辺に辿り着いた黒い影、再びの深い夜、傷口としての殺意と夜の言葉

その「講堂」の屋根瓦には、青空に浮ぶ雲と呼ぶよりは、さざ波が立った水色の海面に写る「白雲」が描かれていたように記憶するのです。それは、私の「心象」に刻まれた烙印となって、とりわけ深い眠りにおいて、私の「夢」を支配し続けて来たのです。そして沈黙を決め込んでいた鳥達が、一斉にざわめき立つ夜更けが近付くと、「白雲」を岸辺と見做した黒い恋人達は、何処からともなく集まり、ささやかな贈り物を交換し合ったものでした。とても深い夜、まるで死のような夜、そこは私の「傷口」、夜の「言葉」が溶け落ちるプライベートな「空間」だったのです。ロッカーの「鍵」をソッと手渡された私は、まるで暗殺者の「心臓」を運ぶ仲買人のように、「夜」への道順を用意周到に選んでいたのです。バリケードの「内」には、影のように佇む「樹木」が、深々とした夜の「心臓」にまで続いているように視えました。防御目的で積まれたロッカーの「迷路」を、まるで青い鳥を探し求める「少年」の無邪気さで歩き回った私は、偶然が必然を呼び寄せるようにして、「運命」のロッカーに辿り着いて居たのです。鍵穴からは、既に赤い「血液」が流れ出していました。にもかかわらず、あの「鍵」を衝動的に刺し込んだ私は、私の「内」に秘められた「殺意」を自覚せざるを得なかったのです。ロッカーの「内」には、ブラックダイヤの放つ輝きのように、私を魅了して止まないヘルメットが上段に、そして、地響きのような強烈なビートを弾くであろうベースギターが下段に置かれていました。しかし、あの聖書的風景に観えた「岸辺」に集まる黒い恋人達を想った時、黒ヘルは棚からゴロンと落ちて、私の足元に転がる単なる黒石へと変じたのです。再びの深い夜は、「予言」に従って訪れて来ました。その「講堂」の舞台裏には、サイケデリックと呼ぶよりは、ノイジーでアナーキーな「殺意」の塊のようなサウンドが、フィードバックされて淀んでいたように記憶するのです。客席は黒色の海面、夜の「言葉」をも呑み込む母なる「大海」、ラリーズの暴力的で投槍なサウンドは裸体となって、次々と「大海」の底に静かに沈み、鎮魂と悔恨の「死体」へと変じたのです。「大海」の表面には、おぼろげな「情念」の世界が残され、「言葉」は決して「銃」に置き換わることはなかったのです。しかし、私の両腕には、この暴力に駆り立てる「情念」が、パックリと切り裂かれた「傷口」として残されました。その「傷口」を視る度に、深い夜は向こうから訪れて来るようになったのです。鞍馬の「山道」を暴走するバイクの後部座席に跨った私は、前方からの強烈な「光線」に目を射抜かれ、盲目の吟遊詩人となって、夜の「言葉」を諳んじて一人悦に入っていたものでした。眼下に観えるはずの「渓流」さえも、「血流」に見えると思えば視える、それ程、私の眼球は「充血」していたに違いありません。黒ヘルと黒石が玉石混合した砂利道を、フルスロットルで駆け抜けるバイクの運転は他人任せ、私は、私の飢餓感を満たす「他者」を探し求めていたのです。そして、京都の一年限りの四季は移ろいで、やがて灼熱の夏、村八分に会った頭脳的警察の「追跡」からも逃れて、バイクは秋深い黄昏の「岸辺」に辿り着いて居たのです。対岸とその湖面には、夜の「森林」が鏡のような正確さでさかしまに映し出されていました。岸辺を離れて「対岸」に渡るべき時は、またしても向こうから告げられたのです。それは、対岸に目指すべき「光」が視えたからでした。あの「会館」のロビーには、アナーキストと呼ぶよりは、自らの精神の「自由」を守り、あらゆる「権力」の抑圧と侵害に反対する、そうした家族的類似性を分ち合った「個」が集まっていたように記憶するのです。そして、そのユニットのフリーキーなサウンドは、我々の「心情」を代弁するかのように強靭で闘う「精神」を映し出したものでした。「音楽」の構造は強固なもので、決して予定調和や妥協の余地の無いものでした。そして何よりも、彼等のサウンドは何度も何度もクライマックスに挑みながらも、達することの出来ない失念と挫折のカタストロフィーを経験し、しかし持続する「意志」はそのことで逆に、理念としての「自由」とその永遠性を獲得することが出来ていたのです。テイラーのピアノは、全速力で階段を駆け登り、そして駆け降りるように疾走することで、ユニットの追及すべき「音楽」の方向性と全体像を外部から把握し、内部からコントロールしていたのです。この純粋権力への「意志」と支配者としての「欲望」は、京都の「風景」に拡散して浸透して行ったに違いなかったのです。
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by artbears | 2012-06-22 20:36 | 音楽

両手を合わせて祈るハミル、言葉となって暴かれる感情、言霊となって解き放たれた精神

東京の金曜日から大阪の水曜日へと「時間」を逆戻りしたからこそ、彼に会えたということは、やはり彼女の置き土産に他ならなかったのです。私の夢想の「空中」においては、彼と彼女の純白の「翼」がピレネー山脈のどこか「上空」で交叉して、その「証拠」としての一枚の「羽」がヒラヒラと「下空」に舞い降りて、私の手元の一枚のチケットとなったのです。それは、近付きつつある「台風」と遠ざかりつつある「台風」との間隙を突いた緊迫と静寂の同居した「時間」に起きた出来事でもあったのです。狭い階段を駆け下りて、防音が施された鉄製の「扉」を開けると、23年前にこの「Knave」のステージに立ったと語るハミルは、33年前にあの「Marquee」のステージで視たハミルとは、恐らく別人のような「風貌」で、まるで風雪に耐え忍びながらも孤高の佇まいを魅せる「老木」のような「風情」を漂わせていたのでした。あの真っ白の衣装を身に纏い、咆哮する「獅子」を連想させた「黒髪」は、いつの間にか「銀髪」から「白髪」へと変貌を遂げ、私の推し測ることの出来ない「時間」の燃焼の「証拠」として、その端正な白いシャツに写る灰色の「影」となっていたのです。そして彼の「精神」が「言霊」となって放たれるや否や、「世界」は忽ち裏側に反転を余儀なくされ、昼とも夜とも区別の付かない寒く虚しい灰色の「世界」の幕が切って落されたのです。そう、彼の「精神」の閉ざされた牢獄での、一人芝居が始まったのです。ピアノは悲哀に酔い痴れるハミルの唯一の理解者であり、ギターは狂気に溺れ浸るハミルの無二の擁護者でもあるのです。そして、彼の「歌詞」によって定義された「世界」は、次第に、彼の「暗闇」を白日の下に曝して行くのです。ロンドンの人影の消え失せた街角を曲がると、「霧」は一層深く立ち込めていました。その「悪霊」の吐息のような「冷気」を吸い込んだ私は、目の前の茫洋とした「建物」が大洋に出現した「氷山」に視えることに戦慄し、あの「声」が私の内側から「木霊」するのを聞いたのです。「霧」に向かって歩め、その腐った「林檎」の内側にも「夜」は在ると聞こえたのです。私は、その「声」に従って、「夢」の中を進んで行きました。灰色の「世界」に輝く「星」は鈍い光を放っていました。そして、その鉛色の光が照らし出したのは、足を引き摺りながら「霧」の中を歩く、「夜」に迷い込んだ「獅子」の年老いた姿だったのです。彼は、この「光」が眩しいと苦悩に歪む表情で訴えるのです。そして、あらゆるネガティブな「感情」が、裏切、欲望、嫉妬、疑惑、悔恨などの「言葉」によって仕分けられ、彼の口からリアルな感触を持って、まるで押し寄せる感情の「波」のように発せられたのです。私は、「時間」や「空間」に過敏に、そして過剰に反応して生まれる、このデフォルメされた感情の「亡霊」を否定しながらも、私の感情の「源泉」と一であることを否定出来ない恐怖の「感情」を覚えてしまったのです。私は勇気を出して、今度は狭い階段を駆け上がって、ロンドンの「喧騒」が漏れ聞こえる木製の「扉」を開いたのです。すると、黒い帽子に見えるタクシーや赤い靴下に見えるバスの往来の背景には、悠久の「時間」を滔々と流れ続ける「大河」を見下ろすように架けられた「鉄橋」が聳え立っていたのです。そして私は、深く濃い「霧」の中で自らを見失ったのでした。その「鉄橋」の欄干で「枯木」のように佇む「私」に戻れたのは、「夢」の結末についての「予感」に驚き目覚めたからに違いありません。「季節」はもちろん、春暁の訪れない永遠の「冬」であり、「時間」はもちろん、朝焼の訪れない永遠の「夜」でした。眼下には、「月光」に照らし出された「水流」が、まるで黒い「大地」の血液のようにドロドロと流れているのが視えたのです。これら全ての「情景」が設定されたこの「空間」が、私にはとても危険な「場所」に思えてならなかったのです。なぜならば、ほんの数秒で、この永遠の「大河」の流れに合流が出来るという抗し難い「死」の誘惑に満ちていたからなのです。そして、この「空間」こそが、彼の「精神」が帰還を果す「場所」でもあったのです。つまり、彼の憂鬱で、時に錯乱的で破滅的でもある精神の「風土」に想えてならなかったのです。私はもう一度、眼下を見下ろして観ました。するとそこには、若きハミルのステージ衣装のように視える白い「影」が、ユラユラと踊るように揺れていたのです。しかし、この白い「影」が彼女の「羽衣」のようにも視えることに気付いた私は、私の「精神」が「生」に向かって着実な一歩を踏み出していることを感じ取ることが出来たのです。
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by artbears | 2011-10-29 16:48 | 音楽

疾走したアレア、幻影としてのイタリア、異影としての水面に映し出された城とその石垣

その秘密結社の集合場所を記した「地図」を手渡されたのは、土砂降りの雨の中、点滅する信号の「赤」が私の「網膜」に焼き付けられていた「時間」以外には、考えられなかったのです。私の「右手」が欲していたのは「傘」であったはずなのですが、横断歩道を渡り切った私の「左手」が握り締めていたのは、皺くちゃになった「地図」だったというわけです。このように、私の「左脳」は時として、日常と非日常が溶融する「境界」の横断を意識的に促し、私の「右脳」は時として、無意識の「世界」と手を結ぶのでした。つまり、私には、「虚構」を想像することで、「現実」を拡張しようする「性癖」があったのです。そうした私を驚かせたのは、衰退を運命付けられた「街」に突然現れた巨大な、しかも「海」に架かる斜張橋を髣髴させるアーケードの骨組みだったのです。「虚構」そのものを現実化することで、新たな「廃墟」としての「現実」が拡大していたのです。メインストリートを外れることを「選択」した私には、再び「傘」が必要となりました。そして、「雨」で消失した「地図」を持って消沈した私に気付いたのが、ちょうどあの「アレア」の前だったというわけです。確か、「扉」は鋼鉄製の重厚な引き戸になっていて、「黒」の取っ手はまるで氷結した牡鹿の「角」のようにも視え、そのこともあってか、私は「入室」することに「恐怖」の感情を懐いたのです。にもかかわらず、無意識の「扉」は向こう側から開かれたのでした。丁重に出迎えてくれたイタリア人の蒼々とした「顎鬚」は顔の半分を覆い隠し、暗闇の中の微かな「光」に反応する「碧」の「瞳孔」は、彼の心臓の「鼓動」と同調するかのように拡大と縮小を繰り返していました。やがて、「部屋」の奥の薄暗がりの中から、6人の鋭い「眼光」が私を射すくめることになったのです。彼等の「視線」には、自己に内在する小さな「悪」を見詰めるとともに、社会に外在する超越的な大きな「悪」を告発する過激で急進的な「精神」が宿っているように思えたのです。私の「視線」を再び暗闇に移動すると、一際目を引く存在である「緑」のテーブルの上には、真新しい「白」のテーブルクロスが敷かれていました。そして、その上に置かれた完熟したトマトの「赤」が、私の「網膜」に再び焼き付けられることになったのです。それが、生々しい彼等の「心臓」のようにも視えたからでした。暫しの自己を見失った空白の「時間」が経ちました。我に帰ると、6人のアナーキストは私を置き去りにして「戦場」へと疾走していたのです。重々しく想えた「扉」は軽々しく開け放たれ、その間から、燦々と射し込む「太陽」の「光線」が、この特殊な場所である「アレア」を侵食していたのです。そして、私が目を閉じると、「瞼」の内側には、真っ赤に燃え滾る「太陽」が視え、私の心臓の「鼓動」と同調するかのように拡大と縮小を繰り返していました。彼等の「赤」は、私に手渡されていたのです。そして、私が再び目を開けると、開け放たれた「扉」の左側には、鋼鉄製の堅牢な「窓枠」が在り、各々の「窓枠」には9枚の「地図」が嵌め込まれていたのです。左上と右下の「窓枠」には、「青空」としての空白の「時間」が在りました。そして、上段には「ローマ」と「ナポリ」が、下段には「ベローナ」と「ミラノ」の「地図」が読めたのです。つまり、「長靴」は上下が逆転していたのです。としても、「アレア」の活動の場所でもあった「ボローニャ」は、きっと中段の何処かに在るはずだと、私の「直感」が稲妻のように閃いたのです。早速、中央に位置する「シエナ」の「地図」を指先でピンチアウトして、無意識の「窓」を開いて侵入することにしました。何と言う豊饒な「大地」、何と言う堅固な「建物」、自然と人間の営みの「歴史」が、圧倒的な物量での「遺跡」として残っているのです。「過去」と「現在」が物質的なネットワークとして視覚的に繋がっているのです。しかし、この豊潤な「伝統」を母体として出現した「前衛」としての「アレア」の姿は、もはや何処にもその「存在」を許されてはいないのです。「失望」した私は、「遺跡」が残る「街」から「廃墟」が増える「街」を通り抜けて、いつもの「日常」へと戻って来ました。私は頭を垂れ足元を見詰めて、「幻影」としてのイタリアを想いながら歩いていたのです。すると左前方には、見慣れたはずの「城」とその「石垣」が、深く沈黙を湛えた「水面」に、逆転した「非日常」の姿で映し出されていたのです。そして、その「過去」と「現在」が繋がった「実影」でもある美しさに魅了された私は、この「世界」には、まだ「異影」の可能性が残されていることを「予感」したのでした。
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by artbears | 2011-09-27 18:27 | 音楽

蝉の合唱と突然の静寂、地図を埋める失われた音楽、海に浮ぶ島へと変化する耳の構造

蝉達の死に物狂いの「合唱」は、延々と続くのではないかと思われたのです。それは、いつもの「夏」の出来事として、まるでフリージャズの集団即興演奏のようにも聴こえて、そのヒステリックなサウンドは、山々の「稜線」と私達の「鼓膜」を波状的に震動させていたのです。そして私達が、あの「雑念」を払拭したかのようなピカピカのアクリル製の飼育ケースの中に居ることに気付いたのは、その指揮者が存在しないはずの「合唱」が突然に途絶えた「瞬間」においてだったのです。その飼育ケースは、上部の黒い「蓋」と思われる部分を除いて、全ての「壁」がクリスタルなプラスチックスで出来ていました。それは、「無音」のサイレンスが詰め込まれた「小箱」であり、その透き通るような「静寂」のサウンドは、直視できないほどに眩しい「光沢」を放っていたのです。それは、彼等の「天界」からのハーモニーが、私達を「俗界」からスルッと引き離した「瞬間」でもあったのです。そして、追い掛けても追い着けない「時間」の抜け殻としての「小箱」の中で、私達は過ぎ去った「過去」の喪失感に想いを寄せ、消え去った「音楽」の透明感に想いを馳せていたのです。あの暑い「季節」も、あの熱い「音楽」も詰まっている「空間」の中で、ひっそりと厳粛に、ただ静かに「呼吸」を続けて居たい気持ちだったのです。暫くして「状況」に変化が訪れて来たのは、私達が、なぜか無性に、蝉達のあの喧騒の「合唱」が懐かしく思えたからでした。もっと、先に横たわる「時間」を見詰めたかったのです。私達は、透明な「壁」に「耳」を強く押し付けて、飼育ケースの「外界」から聴こえる「音楽」に耳を傾けることにしたのです。すると、様々な珠玉の「名曲」と語り継がれて来た「音楽」が、透明な「壁」をフィルターとして通り抜けて、私の「脳内」のレコード分類棚の「空白」のスペースに次々と納まって行くではありませんか。それは、まるで私の「音楽史」というジグソーパズルの失われたピースが埋められて行くかのようでした。私は、この「音楽史」を一枚の視覚的な「地図」として視たいという「欲望」に襲われたのです。飼育ケースは、そうした私の「欲望」を理解してか、ゆっくりと「上昇」を開始したのです。クラクラとする目眩に耐えながら「下界」を見下すと、そこには、投げ掛けられた謎解きのような「光景」が視えて来ました。二つの対照的な「状況」が目撃されたのです。この殺人的な「猛暑」の中にあって、一方の「水場」においては、二羽の仲睦ましいアヒルが、大好きな「庭池」の水量の減少を心配そうに見詰めていました。もう一方の「牧場」においては、一頭の孤独を愛するヤギが、大嫌いな「雨雲」の水量の増大を心配そうに見詰めていたのです。同時に二つの異なった「願望」が存在していたのです。やがて、飼育ケースは、より高く全体を見渡せる「雲界」に達したようでした。すると「庭池」には、白い小さな二点となったアヒルに加えて、口をパクパクさせて「酸素」を求める数匹のコイの「存在」が認められたのです。そして「雨雲」はと言うと、雨を降らすことなく通り過ぎたようで、白い小さな一点となったヤギの「生死」の判断も下せなかったのです。一つの「願望」の実現すら危ぶまれる「状況」が目撃されたのです。飼育ケースは更なる「上昇」を続けました。足元の透明な「底」から見下すと、黒く濁って重苦しい「雨雲」が、まるで雨後の濁流のように流れ、眼下に展開するはずの「光景」を消し去っていたのです。私は致し方なく、心の中で、私の音楽との関わりの「歴史」と「地図」を想い描くことにしました。「脳内」の暗闇から浮び上がって来たのは、巨大な「耳」のような構造をした「渓谷」と、それに沿って螺旋を描いて通る「参道」でした。「参道」は道幅が狭く、対向車との交差には困難を極める一方通行のように視えました。数頭のヤギが、険しい坂道を修行者のようにして歩み、彼等の時々見下す「視線」の先には、「渓流」に逆らいながらも上流を目指すコイの「存在」が認められたのです。何れにしても、「参道」も「渓流」も「頂上」に導かれていることが、この巨大な「耳」の構造であることが視えたのです。私の「音楽史」は、限られた時系列の中で偶然に形成されたものに過ぎなかったのです。飼育ケースは更なる「上昇」を続けました。そして、この曖昧模糊とした「雨雲」が突き抜けられた時、私が向き合うことになったのは、限りなく透明で純粋な「視界」だったのです。それは、閉じられた「耳」の構造ではなく、例えるならば海洋に浮ぶ「島」のような、時空間を超越した開かれた構造のようでした。
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by artbears | 2011-08-31 18:49 | 音楽

入口としての枯れた井戸と洞窟、薫香の導きと真鍮の手摺、出口としての左右が逆の世界

この官能的でどこか哀愁感の漂う薄暗がりの「洞窟」の雰囲気は、まるで聞くところの「子宮」の内部のようであり、私の昨夜の夢とどこかで繋がっている「場所」のようにも想えたのです。そうだとしたら、この「洞窟」の左側の「洞門」の奥には、あの石積みの枯れた「井戸」がきっと存在しているはずだと想ったのです。なぜならば、その「井戸」の「出口」からやっとの思いで這いずり出したところで、私の夢は終わっていたからなのです。すると突然、私の「記憶」ファイルのカメラロールが自動的に開いて、月夜に起立する一本のパインツリーと、その背後を左から右に刻々と移動する「満月」がスクロールして映し出されたのです。恐らく、その「光景」は、私が「井戸」の「入口」から内部に下りる直前に目撃した「一瞬」だったに違いありません。ところが、私を混乱させたのは、次の「一齣」への「脈絡」の無さだったのです。群青色をした水が張られた「水堀」の水面には、大きく口を「パクパク」させながら群がる無数の「黒鯉」が浮上して、それと入れ替わるようにして、より深層から新たな「黒鯉」が競い合うようにして浮び上がって来るのです。そして、それらの無限の無個性の「反復」の中にあって、「一際」目を引きつける色彩の「緋鯉」が、一文字の鮮やかな筆跡を残して泳ぎ去ったのです。つまり、私の「記憶」ファイルのカメラロールには、「写真」と「映像」が未整理のまま渾然一体となって「保存」されていたのです。そして、この表層意識のファイル「分類」と深層意識との「同期」の問題について、夢の中で考えあぐねた結果として辿り着いた「場所」が、この「洞窟」だったという訳なのです。すると突然、甘く切なくもあり、同時に死への「媚薬」のように香り立つ「薫香」が、どこからともなく漂って来るではないですか。私は、この禁欲的でどこか望郷の念を駆り立てる「薫香」とその「香木」を求めて、この「洞窟」を彷徨い歩くことにしたのです。「洞窟」の中央には、真鍮製の柵状になった手摺が緩やかな左回りの曲線を描いていました。私は、その手摺にそっと左手を沿えて、右手で「洞窟」の「壁面」との距離を測りながら一回りしたのです。やがて、「洞窟」が円形のドームを中心にして、左右にⅤ字型の「洞門」が伸びる構造であることを突き止めた私は、「薫香」に導かれるようにして、この「人体」の右脚部分に相当する「場所」に向かったのです。「暗闇」に目が慣れるに従って、私を取り囲む「壁面」には赤い「動脈」と青い「静脈」が網目のように張り巡らされていて、所々から「血液」がシャワーのように吹き出しているのです。私にはそのことが、何かの通過儀式のように想われたのです。すると突然、今度は、私のiPhoneのヘッドフォンから私のミュージックライブラリーに無いはずの「音楽」が流れて来るではないですか。それは、枯れた「井戸」を見て雨が降ることを切望するように、輝く「満月」を見て一本のパインツリーの呟きが聴こえるように、孤独な自らの内面の「洞窟」も、いつかどこかで明るく希望に満ちた「場所」となる「出会い」を求めていると歌っていたのです。思い返してみると、私と「音楽」との「出会い」も、このような不可思議な「文脈」の中で起こって来たのです。暫く、そのことを考えていると、前方の小高く盛り上がった先には、五つの小さな「祠堂」が見えて来て、それが同時に、この「洞窟」の行き止まりであることを告げていました。そして、そこから斜面を下った窪地のような「場所」には、やはり石積みの「井戸」があり、その周りには、あの「血液」が流れ込んで造られた「水輪」が在ったのです。その「水輪」には、完全に浄化され、無色透明の澄み切った「純水」が溜まっていたのです。そして、様々な色彩の「錦鯉」が、我先にとこちらに向かって泳いで来るのです。「錦鯉」は、入水してゆっくりと「井戸」に近付きつつある私の周りに集まって、何かを求めていたのです。しかし、「言葉」が無くても伝わることはあります。私は「錦鯉」の求めるままに「井戸」の中に頭部から入って、二回目の夢は、やはり「井戸」の「出口」から這いずり出すところから始まったのです。この世界は左右が逆でした。そして、起立する六本のパインツリーには、それぞれの「満月」が寄り添って右から左に移動していたのです。「猛犬」が私を見付けて吠え立てました。しかし、顔見知りの人達は私には気付かないようで、私は自分が宙に浮いたような「存在」のように感じたのです。あの「電飾」に飾られたパインツリーをもう一度いっしょに視たいという「願望」が燈ったのは、その時のことだったのです。
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by artbears | 2010-12-31 17:34 | 音楽

戦争前夜の重苦しい空気、鮮烈な緋色の乱髪と凝視する眼球、夜を想う曲の静かな調べ

信号が赤に変わるや否や、「黒革」のジャケットに身を固め、紫色のHARLEY-DAVIDSONに跨った「赤毛」の雄猫達は、奇妙な叫声を上げて、一斉に「バイク」の前輪を高くリフトアップしたのです。そして彼らが、後輪の軋む音とゴムの焼けたような臭いを残して走り去ろうとした時、後部座席で匪賊の「蛮刀」を振り回していた雌猫達も、その風に靡く長い髪はやはり鮮やかな緋色だったように思えたのです。信号が再び赤に変わるや否や、今度は、数え切れないほどの「蝙蝠」の大群が、夜空を埋め尽くした「爆撃機」のように通過して行きました。まさに「戦争」の前夜のような、不穏な雰囲気の充満した「悪夢」が始まろうとしていたのです。真夜中のビルの谷間に放置された「戦車」の内部では、電気ショートした「火花」が飛び、脱力したままで「彫刻」のように固体化している、記憶のどこかで見覚えのある「死顔」が見えたのです。その顔が、私の「愛車」のタイミングベルトが切れる頃だと「警告」してくれた、あの若い「戦車兵」の顔であったことに気付いた私は、既に「黒革」のシートに身を沈めて、隠れるようにしてエンジン・キーを回そうとしていたのです。しかし、どうしても回らない。「合鍵」も、そして「合言葉」も忘れてしまった私が、困惑の挙句の果てに「車窓」に視線を移すと、そこで私は、あの「赤毛」の猫達の食い入るようにして「車内」を覗き込んでいる「眼球」と出くわしたのです。狼狽の挙句の果てに「車内」に視線を戻すと、私の「身体」は猫に射すくめられた鼠のように萎縮し、座席やステアリングが巨大化して、私はブレーキ・ペダルの陰にやっとの思いで身を潜めることになったのです。しばらくの「沈黙」が経過した後、「愛車」の古ぼけたラジオから聴こえて来るのは、紛れもなく「夜想曲」に違いありませんでした。その「音楽」の決して華美に飾り立て饒舌に奏でることのない、敬虔で祈るような宗教的な想いは、夜の「しじま」にゆっくりと浸透して行ったのです。そして、21曲の作風の変遷に想像の糸を紡ぎながら、この作家が最後に辿り着いた「境地」までの苦悩と懺悔の秘められた「個人史」を想ったのです。自然な「感情」の表出が適度に抑制されているのは、人間の意識構造の下部にあって、不安定で気紛れな「感情」を支えている「意志」の強固な基盤があってのことなのでしょう。そして、その「意志」が「感情」という「混沌」の中間層を貫けるのは、恐らく意識の上部構造に「使命感」や「倫理観」が存在しているからに違いありません。私は、「愛車」の固く内側からロックされたドアを開ける時が来たと考えたのです。夜空の「暗闇」は早々に退出を命ぜられ、代わりに、朝空の「光明」が燦々と入場して来る「気配」が「車外」からも窺い知れました。ところが、「現実」は夢の中にあっても、想ったようなシナリオは描けないものであると痛感する「事態」が起こったのです。信号が青に変わるや否や、大量の土砂や瓦礫を巻き込んだ「洪水」が、ビルの谷間を埋め尽くす勢いで襲って来たのです。鼠のような小さな「心臓」を持った私は、その臆病さと細心さが幸いして、「愛車」のドアを開くことなく、自らを「救済」することが出来たのです。しかし、災い転じて福と成すと言った「格言」が頭を過ぎったのも束の間、私と私の「愛車」は、「洪水」という上部構造の下部に位置付けられた抑圧的な「関係」を受け入れざるを得なくなったのです。今や「潜水艦」となった「愛車」の「車窓」から見上げると、あの猫達が必死の形相でもがき苦しみながら、「洪水」に巻き込まれまいとして犬掻き泳ぎをしているのが視えたのです。そして、一匹、又一匹と息途絶えた猫達の「死体」が、永遠の「安息」を求めて静かに沈潜して行くのが視えたのです。彼等の燃えるような「赤毛」が、燃え尽きた灰のような「白毛」に変色していたことは言うまでもありません。そしていつものように、深い眠りは、あちら側から訪れて来たのです。私が眠りから覚めるのに、どれだけの時間が与えられるのかは、私の決められることではなかったのです。永遠の「睡眠」がない限り、永遠の「洪水」が続くこともなかったのです。目覚まし時計がいつもの時間に鳴り響き、私がいつもの時間に起きるという「日常」が、いつものように始まりました。私は、私自身のエンジンを始動し、私の「愛車」のエンジン・キーを回したのです。そして「愛車」のCDプレーヤーから聴こえる「夜想曲」に耳を傾けた時、私にはかつての「非日常」であった、そう、あの「精神世界」が「洪水」となって、私を「溺死」させる勢いで溢れ出して来たのです。
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by artbears | 2010-11-30 18:08 | 音楽

脱ぎ捨てられた美しい豹皮、海辺に残された小さな足跡、怒涛の如く打寄せる音塊の大波

私の眼前に立ち塞がる、この巨大な「壁」をいったい何と呼べば良かったのかと、盲目のジプシーギタリストでもあった私は、この堅牢な「壁」を何度も両の手で確めるように伝い歩きしながら、考えを廻らせていたのです。恐らく小口積みをした赤褐色の焼成煉瓦の割れ口からは、土中の鉄分が表面に結晶化して鋭利な「刃物」となって突起し、それらが情け容赦なく、私の十本の指先を傷付けていたのです。そして、その指先から滴り落ちる「鮮血」の痛ましさだけが、容易に想像できる「現実」だったのです。私は、指先に集中した鋭敏な「触覚」が感知し、この波状的に襲って来る「痛覚」が、私の唯一の外界に開かれた「感覚」であることを思うと、ただただ悲しく哀れな自己を想う憐憫の「感情」に浸るしか無かったのです。つまり私は、巨大な「壁」に行く手を遮られ、まるで「蟹」のように手探りで横歩きしながら、瞬間と瞬間を並列的に繋ぎ止めながら流れて行く断片的な「現在」にすがり付いて生きていたのです。しかし、私の希求して来た「現在」とは、「過去」の選択や経験に対する知覚や認識が「未来」への投げ掛けへの滋養となり、そうした成熟への「過程」としての時間軸の中に位置付けられるべきものだったのです。私は正攻法で、この巨大な「壁」を克服することを諦め、その無力感を慰める目的もあって、私の愛用の六弦ギターを爪弾くことにしたのです。レフトハンドであった私の握り締めたネックは真っ赤に血に染まり、血は弦に絡みつくように伝わって流れていたに違いありません。長い鎮魂の「無音」の時間が経ちました。その時のことでした。その沈黙の空間に「鉄斧」が振り下ろされるようにして、突然、「ブチッ」という鈍い音と共に「聴覚」の「窓」が開かれたのです。次に蘇えって来た「感覚」は「視覚」であり、第一弦と第二弦は切れて、その「傷口」からは「血液」が吹き出している様子が目に飛び込んで来ました。そして、第三、第四、第五弦と次々に切断されるに従って、私の「嗅覚」「味覚」そして「触覚」の大部分の「感覚」が再生を果たしたのです。私は、大量の「血液」の流出と引換えに、失われたほとんどの「感覚」を取り戻すことが出来たのです。そして、最後の一本となった第六弦の柔軟で太く逞しい「張力」の在り方を眺めていると、ほのかに「壁」の向こうの「世界」が予知現象として脳裏に浮び上がって来るように想われたのです。これを第六感と呼ぶのでしょうか。そしてもしかしたら、この巨大な「壁」は、私の「心」の中に築かれた「構造物」なのではないかとも想ったのです。乗越えることでなく、迂回することを選んだ私は、だんだんと「壁」は想像していたほど高くないことに気付き、所々に煉瓦の欠落した部分があることを探し当てました。一つの「窓」から覗き込むと、深まり行く秋の「気配」は一陣の「突風」となり、来るべき「変化」の兆しを予告するかのように吹き去って行きました。しなやかな肢体を誇らしげに魅せながら現れた二頭の「豹」は、厳しい冬の訪れに「決意」を改たにしたのでしょうか、より一層華麗に「変身」を遂げていたのです。私は、小さな「成功」を頭に思い浮べながら、次の「窓」を覗き込みました。すると、鮮やかに「豹変」を果たした証拠でもある美しい「豹皮」が、波打寄せる「海辺」に惜しげもなく脱ぎ捨てられていたのです。そして砂浜には、小さくて可愛らしい二足歩行の「足跡」が点々と沖合に向って続いていました。しかし、それらの「足跡」は決して波に消し去られることのない、しっかりとした歩みのように見受けられたのです。私は、大きな「希望」を心に想い抱きながら、次の「窓」を覗き込みました。すると、波間に漂う一羽の優雅で気品のある「白鳥」の姿が、私を限りなく魅了することになったのです。そして、この一連の断片的ではある「光景」の流れに「意味」を与えるとするならば、「困窮」の果てには必ず「事態」の変化があり、自らの「変化」の先には必ず新しい「活路」が開かれるということだと思ったのです。そんな時のことでした。私のギターの第六弦が激しく共鳴を開始したのです。そして、地響きにも似た大音量のピアノの響が音塊となって、私と私の築いた「壁」を波状的に襲って来たのです。「壁」の向こうの「世界」では、「拍手」が鳴り止まない「事態」が起こっていました。「壁」の存在はいつの間にか「視界」から消え、私は人々の集合的無意識(第六感)と合体して、「感動」の坩堝の中に自己を見失ったのです。「白鳥」の翼は、怒涛の如く打寄せるピアノの音塊の「大波」と一体となって、大きく羽ばたいたのでした。
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by artbears | 2010-10-31 18:28 | 音楽

地球に墜ちた男、又は宇宙は一つであると信じた女、別世界に生きる火星からの蜘蛛たち

ママが一つの部屋を覗いた時に、彼(Iggy Pop)は床にばら撒かれたガラスの破片の上で、血みどろになっていた。でも、彼女は息をしていたと、私は認識したのです。同じママが同じ部屋を覗いた時に、彼(Ziggy Stardust)はシガレットに手を伸ばして、口元に引き寄せようとしていた。彼女の細く長い指先は、次々にシガレットを求めていた。そして叫び声は壁から壁へと響き渡り、彼はロックン・ロールの自殺者と呼ばれるようになったと、私は認識したのです。この彼らが生きている存在であると同時に死んでいる存在でもあり得るという世界の不確定性は、実は巧妙なトリックの舞台裏となっていて、「Ziggy」がこの地球から「フワッ」と宇宙へ飛び出して、月世界からのスペース・インベーダーとして白昼夢に現れたり、銀河系から飛来したスターマンとなって、学校帰りの私たちを空中で待ち受けていた秘密でもあったのです。彼の手口はいつもこうでした。つまり、「生」と「死」という相反する「認識」のどちらか一方が「真理」というわけではなく、この世界は量子力学的には「認識」の数だけ「解釈」が成立つ、多くの世界が綺羅星の如くに輝いては消滅する世界の寄せ集めなのかも知れないとしたのです。そして、地球に墜ちた男(宇宙人)としてのストーリー(別世界)を生きることも可能だと思い付いたに違いないのです。少なくとも、あの時(1972年)の私には、彼の奇抜で奇想天外な言動には、私の認識世界を超えたもう一つの世界を掴み取ったという自信を感じ取ることが出来たのです。私が「Ziggy」に初めて出会ったのは、LondonのRegent Streetから少し奥まった所(#23 Heddon Street)に掲げてある「K.WEST」という看板の下で、ギターを腰の所に当てがった、この世の者とは想えない粋で鯔背な「容姿」を視た時のことでした。古びた煉瓦造りの建物の入口には、数個の段ボール箱と透明のプラスチック製のゴミ袋が無造作に置かれていて、その中には得体の知れない「物質」が視えていたのです。私は、これらの「物体」には、彼の宇宙(別世界)からの引越しの「荷物」が詰め込まれていたに違いないと想ったのです。そして、もはや地球の何処にも引き取り手の無いであろう、これらの過去の「記憶」が閉じ込められた段ボール箱の一つから、彼は、あの「素敵」な海碧色のコスチュームと紫色のブーツを選び出して、新しい世界(グラム・ロック)の創出への決意を固めたに違いなかったのです。LPジャケットを裏返すと、赤いテレフォン・ブースの中には、宇宙船からの眩いばかりの光の「粒子」が、彼の黄金色に輝くヘヤーに降り注いでいる様子が視て取れました。そして私は、「The Spiders from Mars」の奏でるサウンドに惹き寄せられて、何度も何度もこの宇宙船(アルバム)に乗り込むことになったのです。火星からの蜘蛛たちの演奏は、何時も何時も「Five Years」から開始されたのです。彼の警告はいつもこうでした。私達には今の5年間しか残されていない、そしてその気持ちで次の5年間を真剣に生きよう、それでも最後の5年間は必ず訪れて来る、でもその時、この世界はきっと違って視えて来ているはずだと言うのです。すると不思議なことに、彼の歌の中の「電話」や「オペラ・ハウス」や「大好きなメロディ」が、私にとっても心を揺さ振る特別の「音声」として新鮮に聴こえて来たのです。同じように、彼の歌の中の「オモチャ」や「アイロン」や「テレビ」が、私にとってもどうしようもなく愛おしくなる「物体」として新鮮に視えて来たのです。私は、「Lady Stardust」が語るマクロの世界(宇宙)は一つであるという説に同意します。でも、ミクロの世界に存在する一つひとつの「音声」や「物体」にも、夫々の「認識」のされようによる様々な「記憶」の領域が拡がり、それらが主観的な「意味」を形成している多元的な世界が存在するのではないかと考えたのです。そして大切なことは、私にとっての「意味」のある「世界」を選び取って、そこに生きる決意を固めることだと考えたのです。38年経った今、私の机の上に置かれたCDジャケットの中の「Ziggy」は、だんだんと遠ざかって行く小さな存在のように視えるのです。しかし、彼の紫色のブーツが踏み付けた段ボール箱は、未だに開かれることはなく、これからも永遠に開かれることもなく、私という人間の一部となって、私の内部に積み重ねられているのです。そして、いつかそれらの「宝箱」が一つひとつ開かれる時が来たならば、それらは「思い出」となって、私の「人生」に固有の「意味」を与えるのです。
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by artbears | 2010-04-28 19:38 | 音楽

垂直運動と水平運動を繰返したエレベーター、鏡面構造にあった街路と古い都市への記憶

恐らく、調質が施された7000系合金であるジェラルミン製のPCを貼り合せた壁面から成る高層ビルの入口を入ると、今度は、やはりジェラルミン製のFDと思われるエレベーターが、ドアを開いて待ち受けていたのです。ドアは、このシンメトリカルなビルの中央に位置していました。そして、このアルミニウムを基本合金とする自然界には存在しない物質の人工的な素材感に気を奪われていた私たちは、白いヴェールで表情がよく観察できない「修道女」の一団と一緒になって、この狭くて息苦しさに満ちた超合金製の「BOX」に押し込められたのです。エレベーターはゆっくりと上昇を開始したようで、その動きに合わせるようにして、「修道女」たちの豊満な胸に隠されていた銀製の「十字架」は天を目指して浮び上がったのです。やがて、「BOX」は高層ビルの最上階に達したのでしょうか、空中に浮遊していた「十字架」は消えて無くなりました。すると今度は、「BOX」が左右の水平運動をすることを告げるかのように、開閉パネルに組み込まれた「十字架」は右腕の「LED」を光らせたのです。そして、逆「L字」型の軌道を移動しながら高層ビルの反対側の角に達した「BOX」は、今度は直角に折れ曲がるようにして方向を変えて、再び反対側の角までの水平運動を開始したのです。もう一度、直角に折れ曲がろうとした時には、少なくとも私の方向感覚は壊滅的な打撃を受けていました。そして私たちは、その状態で、「ストーン」と急激に落下する「BOX」と一体となったのです。この天上の「神」と地上の「信者」を結び付けるような上下の垂直運動の局面においても、やはり「十字架」は「修道女」たちを忌み嫌うようにして肉体から遊離して、天を目指して浮び上がったのです。少なくとも私にとっての「十字架」は、死の克服の象徴と言うよりも、「欠如」を、そして、その「欠如」を埋め合わせようとする「欲望」の象徴で在り続けたのです。私たちの「BOX」が地上に着地した場所は、あの高層ビルの「入口」から真反対の位置に在る「出口」のように想われました。と言うのは、「此処」から観える光景は、「彼処」から観えた光景の左右が反対の「鏡面」に写った「世界」のように視えたからなのです。「入口」から見て右に視えたはずの建物は、「出口」から見て左に視えるからなのです。しかし、街路を背景にした道路は舗装が十分な状態ではないし、街路樹もまだまだこれからの生育が待たれる状態のようにも見えるのでした。そして何よりも、私の愛聴したLP(アナログ)の音源がCD(デジタル)の登場を待たずして、街角の隅々から聴こえて来るような、そんな雰囲気が街路に溢れていたのです。この「世界」の成立ちに気付くには、暫らくの時間が必要でした。それは、私が左右が逆であると語っていることは、物理的な平行移動や回転移動を経てのことではなく、実は、私自身が「過去」に意識の主体を移動させているからに違いないと想うようになったからなのです。つまり、人間の知覚システムでは「実感」できない、4次元とも言える未知なる空間移動を経ての「出来事」なのではないかと「直感」したのです。その時の事でした。私の「仮説」を証明するかのように、私たちの頭上には、ジェラルミン製の銀色に輝く巨大な飛行船・「ZEPPELIN」が出現したのです。その圧倒的な巨体は、道路と街路樹を「あっ」と言う間に薄暗がりの路地に変え、あの時代(1969年)のあの場所(London)の憂鬱で、しかし生の享楽と死の誘惑が充満した「世界」の影で覆い尽くしたのです。秩序の体現者たちは、苛立ち眉をひそめ、社会システムとの境界線を傍若無人の振る舞いで突破する、これら若き「侵入者」に戦慄の想いを抱いたに違いありません。そして、彼らを、スケープゴートに祀り上げようと秘策を練ったに違いありません。しかし、この「鏡面」に写る私こそが、これら社会に属しながら属さない両義的「侵入者」の放つ横溢する「エロチシズム」に魅了された「信者」であったことを告白しなければいけません。そして、あの「鏡面」に写された私こそが、彼らの「絶頂」からの衰退と堕落と劣化の「目撃者」でもあったのです。私は、この象徴的「欠如」を埋め合わせる「対象」を探し求めて、道路と街路樹を越え、古い都市への記憶に侵入を試みたのです。数多くの古い低層ビルが建ち並ぶ都市の街路を歩くにつれて、私は私たちとなり、さまざまな都市の記憶は混ざり合い、最後には5つの都市の個性豊かな「芳香」の中に、「欠如」に向けられた「欲望」が静かに満たされていくことを「実感」したのです。
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by artbears | 2010-03-30 19:46 | 音楽

霧なのか靄なのか、狂ったナビと行く手を阻む鉄柱、渦巻く竜の気炎に揺れる和蝋燭の灯

まるで水の中を老眼鏡を掛けて運転しているかのように、この見慣れたはずの街の中の風景は異質で異様な「不透明感」に満ちていたのです。時たま、横断歩道で立ち竦む黒や白の「盲導犬」の不安そうな表情の奥にも、この霧とも靄とも知れない「不透明感」が立ち込めているのに違いないと思ったのです。そして、そうこうしている間にも、この地上の何処かに存在するコンピューターの内部では、この天上の何処かに存在する複数の衛星からの情報を元に、高度な演算が気が狂ったような高速でなされて、私たちの三次元の「位置関係」が刻々と正確に情報化されているのです。24基で構成された衛星コンステレーションの内の少なくとも4基のGPS衛星は、高度20,000km、軌道傾斜角55度、同期12時間の準同期軌道上を移動しながら、私たちの一挙一動を監視する「眼」となって、それら複数の「眼」は、地球を覆う巨大な管理の「ネット」を形成しているのです。そして、常に監視され管理されているという「環境」こそが、私たちの生存条件を左右する新たな「自然」として、私たちの「意識」に「恐怖」の森林として立ち現れようとしているのです。そして、その森林の奥には、「擬似乱数表」と「暗号解読鍵」を携えた「悪魔」のような明晰な「頭脳」が視え隠れしていたのです。情報は錯綜し、側道を走ることを強いられることになった私の「ストレス」は高まる一方となり、私の愚鈍な「頭脳」の内部では、点滅する赤信号の数字(22)と変色する黄信号の数字(40)が、まるで軌道を逸脱した衛星のように乱れ舞う惨状を呈していたのです。音楽は、第28番の快活さの中に異様な緊張感を感じる「行進曲」風の第2楽章が終わろうとしていました。やっとの思いで辿り着いたETC入口ではありましたが、何とGPS衛星からの「ナビ」への指令は、次のETC出口までの往復を強いるものでした。私の剛直な「身体」の内部では、あの激しい気性の「竜」が目覚め、この憎き管理の「ネット」を食い破り、その憤怒の激情は、のた打ち回りながら吐かれる「気炎」と化したのです。「愛車」のハンドルは素早く右に切られ、赤い三角コーンは容赦なく左に薙ぎ倒され、「愛車」はUターンして、疾風の如くに自走を開始したのです。まさにその時、時を同じくして、私と私の「愛車」は、あの第29番の第一楽章の始まりに、とてつもなく巨大な空間が壁のように存在していることを知ったのです。その壁の向こうに存在する「古典的規範」の持つ厳格で高貴な力強さを予感し、その深遠で純粋な精神性に憧れ、怒涛の如くに荒れ狂う嵐のような「世界」に身を投げ入れる悦楽を想ったのです。「生命」は決して管理されるものではなく、自ら「燃焼」すべきものであると思ったのです。「愛車」は、狂った「ナビ」の誘導を無視して、疾風怒涛の如くに高速道路を飛ぶように駆け巡りました。そして、最後のETC出口を通過しようとした時には、黄昏が忍び寄るようにして訪れていたのです。まさにその時、時を同じくして、私と私の「愛車」は、あの第29番の第三楽章の終わりに、結晶化した知性と理性が美しい調べとなって、夕陽のように光り輝いていることを知ったのです。道路の道端には、数日前に降ったと想われる雪が残っていました。道路の両側には、遮音を目的に造られたと想われるコンクリートの「壁」が、一切の雑音を拒絶するかのように立ち並んでいたのです。音楽は、第30番から第31番へと続き、一層の叙情性を深めた「世界」は、この閉ざされた空間に鳴り響き、最後の第32番で、そのクライマックスを迎えたのです。一定の律動を伴った旋律は細分化され、常に主題を想起させながら変奏され、畳み重ねるように織り成した楽曲構造は、今度はその内部から構造自体の自立的変化を促しているのです。大きな流れの中の細部の絶え間ない変化、そこに悠久の時間が閉じ込められているのです。ところが突然、静寂な思索的時間をぶち壊すかのように、「愛車」の前方には、行く手を阻む二本の「鉄柱」が出現したのです。しかし、その先には、漆喰の「壁」が立ち並び、霧とも靄とも知れない視界の向こうには、いつかどこかで視た懐かしの「高原」が拡がっていたのです。そして、その「高原」には、夏には灰白色の実を付けるという「ハゼ」の赤く紅葉した木々が観えたのです。私は、意を決して一本の「鉄柱」を抜き去ることを決め、再び「愛車」に戻りました。そして、後部座席を振返った私の視たものは、風が無くとも一定の明るさを保ちながら揺らぎ燃える「和蝋燭」の気丈で優美な「燃焼」の姿だったのです。
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by artbears | 2009-12-30 17:22 | 音楽


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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