夢博士の独白



カテゴリ:自白( 3 )


神帰月の晴れ渡った青空、霜月の冷え切った大地、二本の線路と残された一枚の銀貨

山手線のホームには、白く光沢のあるプラスチック製の椅子が三脚ずつ、規則正しく永遠に並べられているように想えたのです。なぜならば、私の左手に位置するトンネルの薄暗がりの彼方にまで、その白い椅子の「存在」は三つの点描の繰り返しとなって、消失して行くまで続いているように見えたからです。私の右手に位置するトンネルの「出口」からは、慈愛に満ちた陽光が射し込んで来ているようで、それは、私の右半分の頬の温もりで感じ取ることが出来ました。私の左半分の頬はと言うと、11月(霜月)の冷え冷えとした寒気に固まっていたのです。私の顔面が、この寒暖の差に左右に分離されようとしていた、正に、その時のことでした。マナーモードに設定していた私の「携帯」の着信ランプが、赤い光となって、弱々しく点滅を繰り返し始めたのです。いよいよ来るべき時が来たことが、無言の「言葉」となって告げられたのです。あなたの「笑顔」と共に届けられた十枚の「銀貨」は、私の手の平の二枚を残して、再び悲しみの手の平に「そっ」と握り締められることが出来たのでしょうか。私は、恐る恐る「携帯」を開くことにしたのです。すると、待ち受け画面から浮び上がって来た「写真」は、4月(卯月)に花を咲かせる「二輪草」の可憐で慎ましやかな、二つの花が、稟とした風情でひっそりと咲く姿だったのです。少し濃い目の色合いの茎葉の間からは、二本の花茎が寄添うように立ち上がり、少し「生」に対する想いが薄いところが気になりますが、永遠に変わることのない温かい「愛情」が、お互いの「存在」をしっかりと支え合っている様子が見て取れたのです。暫くして、待ち受け画面はスライドして、次の「写真」が浮び上がって来ました。「二輪草」は、過酷な8月(葉月)の暑さを避けるようにして、群生していた仲間たちといっしょに姿を消し去っていたのです。スライドは続き、そして最初の「写真」に戻って来たのでしょうか。再び訪れる4月との「約束」を守るべく、11月の霜の降りる冷え切った大地を耐え忍んだ「二輪草」は、翌春の心地良さに満ちた陽だまりのなか、同じ場所に同じ表情で、凛とした佇まいで咲いていたのです。その「再生」を果たした「二輪草」を視ることにより、寒気で氷結しかかっていた私の「心」は徐々に溶け始め、トンネルの「出口」の向こう側には、11月(神帰月)の晴れ渡った青空が拡がっていることに気付いたのです。私は、全てを理解して「携帯」を閉めることにしたのです。三人掛けの中央の椅子に座っていた私は、二枚の「銀貨」を左右の椅子の上に置いて、意を決して立ち上がり、陽光の差し込む方向を目指して歩き始めました。駅のホームは、トンネルの「出口」から数十メートルの距離を置いて延びていました。そして、その「場所」は、もう「再生」の季節と呼ぶに相応しい大気に満ちていたのです。見上げると、晩秋とは思えない真っ青の空が、一つの雲の「存在」をも許さない、観念としての「純粋」な美しさで拡がっていたのです。「旅立」には、そして神の元に帰るには、これ以上の日和は考えられないほどの、それはそれは素晴らしい青空だったのです。ホームの「先端」に立った私は、そこから観える全体の光景を俯瞰しました。前方に視える二本の線路は、ホームを「分岐点」として、二方向に分離して延びています。遥か彼方に視える山々の頂には、程よく雪が積もっているのです。それは、とくに悲観を強いるものでもなく、されど楽観を許すものでもない程度なのでした。私には、二本の線路の行き着く先は、結局は同じように想われたのです。そして、あの山々の麓には、ナラやブナなどの広葉樹林による湿潤の「里山」が拡がり、必ず、あの群生する「二輪草」とも出会えるはずだと思ったのです。そして、その山々とこのホームの中間には、圧倒的な水量の「瀑布」が掛かっているのも観えるのでした。それは恐らく、一千年経っても水量は衰えることなく、あらゆる「出来事」を清め、水に流す役割を果たしていると想ったのです。私は振返り、ホームに戻る時が来たと判断しました。もと居た椅子に座ろうとした私は、右側の椅子に置いて在ったはずの「銀貨」が無くなっていることに気付きました。そして、その椅子の窪みには、止めども無く流れ落ちた「涙」で出来た「純水」が湛えられていたのです。いったい何台の電車が止まり、無表情の乗客を降ろし、そして発って行ったことでしょうか。私は左側の椅子を見やり、そこに置いて在った残された一枚の「銀貨」を取り上げ、「そっ」と労わるようにして、「心」のポケットに納めたのでした。
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by artbears | 2009-11-22 14:06 | 自白

黒い肌は白い肌と重なり、老成した少年は悪魔のように全てを理解していたのだろうか

赤いフォードのリンドバーグの颯爽と疾走する姿は、当時においては、殊更このような田舎町においては、異次元のアメリカ文明の輝きと香りを放つものであったに違いありません。未だに舗装のされていない道路には、至る所に「水溜り」が点在し、無数の赤茶けたボルトやナットが散らばっていたのです。湾曲して流れる川に沿って造られた道路は、やはり、くねくねとしたS字カーブの連続で、曲り角には、決まって敬礼する警察官が、もうもうとした土埃のなかで、直立不動の姿勢で立っていたのでした。私が飛行場に到着した時には、祖父を乗せた銀色のYS-11は、どことなく頼りなさそうに機首を少し上げた状態で、着陸体勢に入っていたのです。そして、ところどころに「稲妻」のような亀裂が走っている飛行場の滑走路には、最近ではお目にかからなくなった「ぺんぺん草」が、人類の創った文明を嘲るように野卑な力強さで繁茂していたのです。飛行機は音も無く着地して、開かれた扉からは誰も降りてくる気配が無く、タラップを吹き抜ける一陣の土埃を巻き込んだ疾風は、祖父を喪失した私の「心」のなかにも、渦巻きながら吹き込んで来たのでした。以来、他者である祖父の存在は、私のなかに「自我の城」を築く協力者として、意識されることになったのです。さもなければ、シャイな性格であった私は、自己中心的に築いた「自我の城」に籠城し、ヤスパースの言う「自我の破滅」を経験したに違い無かったのです。質素なフレームに収まった白黒写真の祖父の遺影は、時々、ポジとネガが逆転するかのような錯覚を引き起こすことがあり、私はその度に、この中途半端な黄色の肌が、いっそのこと、あの美しい黒人の肌のようになってはくれないものかと想ったりしたのです。そんな時、私は同時に、祖父のあの老人特有の干乾びた、しかし赤銅色に日焼けした漁師の年季の入った肌に、憧れたりもしたのです。初めは皺だらけの老人であった74歳の祖父が、私が年齢を重ねるに従って、相対的に若返っていることに気付いたのは、私がいつものように祖父の遺影に見入り、その眼光の奥に分け入ろうとした時のことでした。人格的に完成された祖父と、シジェクの言う「欺瞞」に満ちた私の内面(精神)との「距離」は、一向に縮まることは無かったのですが、生命体としての私の外面(肉体)との「距離」は、確実に縮まっていたのです。私は、私が祖父の亡くなった年齢を越えた時点から始まるであろう「自我の城」の崩壊の有様を、精神と肉体が球体として一体化し、山頂から坂道を転がり落ちる光景として、戦慄の想いで幻視したのです。さまざまな祖父の人格を象徴するストーリー(神話)は、坂道の両側に回転木馬の煌びやかな光輪となって、現れては消えて行ったのでした。冷たい感触の石段の側には銭湯があり、汗水流して「勤勉」に働く彼の傍らには、必ず、ドイツ語で書かれた化学原書が置かれていたはずです。満州の原野を走る蒸気機関車のボイラー技術士の仕事は過酷ではありましたが、燃え盛る炎は彼の「情熱」そのものであり、くべられる石炭は彼の「夢」の実現への燃料となったことでしょう。未明の暗がりのなかで、一本一本拾い集めた古釘こそが、彼の経営者としての「信用」の土台を築くのに必要だったのです。見事に咲き誇った梅園を愛でる彼の視線には、この国が長い年月を経ながら育んで来た集団としての価値観の「意味」するところが見えていたに違いありません。最後に、瀬戸内の穏やかな波間に揺られて、対岸へと向う機帆船の船上での彼の横顔には、自らのロマンを可視化するためにはリアリストに徹するという強い「意志」を窺い知ることが出来ました。やがて機帆船はエンジンを停止し、すーっと暗闇のなかに吸い込まれ、開かれた視界の先には、西欧文明の殿堂とも呼べる絵画空間が現れて来たのです。セザンヌの「水浴」の青みを帯びた白い肌に固唾を呑んで魅入った私は、かつての私の願望の対象であった黒い肌を、その豊穣の象徴である白い肌に重ね合わせ、「信頼」に足る他者との出会いを確認したのです。その時のことでした。脳裏に浮ぶ祖父の面影が、だんだんと遠ざかって行くに従って、それは、老成した少年のそれのように、見えて来たのです。ゲーテはファウストのなかで、「悪魔は年寄りだ」と語らせ、老人の成熟した知恵と少年の未熟な知識を対比しました。しかし、私のなかの祖父は、成熟した少年として、悪魔と対峙する永遠の存在となったのです。転がり落ちる私には、もはや恐れることは無いのです。
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by artbears | 2009-02-23 18:26 | 自白

青林檎と赤林檎が在った、それらの色が変化しなければ橋は渡れないと柳の木は諭した

京都の洛中洛外を描いたあの「屏風」の中にもあったと言われているこの「太鼓橋」が、未だに存在していること自体が、この世の摩訶不思議な部分であると言う説明が、耳鳴りのようにリピートされて、私のヘッドフォーンから聴こえて来ていたのです。そして、その「声」は、他ならぬ私自身のものであることに気付くのには、百を三つ数える「時間」が必要でした。橋の欄干の手前には、左右対称に柳の木が植えられていて、それらを繋ぎ留めるものとして上方にはハンモックが揺れていて、下方の地面には横断歩道が引かれていたのです。左には若かりし頃の「青林檎」のあなたが立っていて、右には今や妙齢となった「赤林檎」のあなたが立っていました。「赤林檎」となったあなたは、しきりに赤いドロップを私の口に押し込めようとするのですが、私の紅くて小さい雲雀の舌は、その先端が尖っていることもあり、上手く受入れることができずに難儀したものでした。しかし、その赤いドロップの とろけるような甘美な味が口の中に拡がるには、十を一つも数える「時間」があれば充分だったのです。そして、その甘い夢のような「世界」が拡大することと歩調を合わせるようにして、青林檎のあなたはしだいに熟した「赤林檎」へと変化していったのです。しかし、それは「視点」を変えて観たならば、赤林檎のあなたはしだいに熟した「青林檎」へと変化したとも言えたのです。左右の「林檎」が、まるで赤信号のように点灯した時こそが、この橋を渡れと言う合図であったと勝手に解釈したのは、いつもながらに私の「直感」の成せる「早業」だったのでしょう。そう、私は常に根拠無き楽観主義者を生きて来たのです。「太鼓橋」を渡り終わった地点は、小雪の舞い降りる寒い「場所」であったようですが、幾重にも折り曲げられた「屏風」の左に拡がる「世界」には、秋があり、夏があり、そしてその先には、私の大好きな季節である「春の気配」を感じることができたのです。失われた「時間」を再び遡ることができるとしたら、それはどんなに素晴らしいことでしょうか。私の頭の中には、桜爛漫となったあの「京都」の山々の美しさが、まるでピンク色の「風船」が膨らむようにして、目鼻から弾け出るエクスタシーとなって溢れ出したのです。そして、その生命の息吹に満ちた「春の世界」には、程よい弾力の木製のタイルが敷かれた「通路」があり、陽光が射し込むように開かれた「窓」を背にした机の上には、未だに緑色のままの二つの「林檎」が置かれているに違いなかったのです。私はかつて熱い想いで凝視した、あの「視線」を遠い記憶から呼び戻し、この二つの「林檎」と再び結び合わせることにより、この十二面の「屏風」にびっしりと描かれたミニアチュールな「世界」を旅することを思い立ったのです。一歩足を踏み出すと、固定していた全ての「情景」が、ザワザワとした生活感溢れる雑踏の「雑音」とともに生き生きとしたものとなって動き出し、人々の息遣いや汗などの「臭気」までもが空間を満たしていくのです。その雰囲気は、現代の新宿辺りの都市を歩く時に感じる、あの喧騒の中の孤独感とは全く異質なものであり、むしろ、イスタンブールやモロッコなどのバザールで感じることのできる、生きることの原初的な喜びや逞しさのようなものに近いように思われたのです。当然、私の歩みは快活に進められることになり、厳寒の冬の雪景色さえもが、次に訪れる秋の紅葉の美しさを引立たせるための「下絵」となり、燃えるような夏の暑ささえもが、次に待っている春の初々しさを際立たせる「前奏曲」となったのです。そして、この六曲一双からなる「屏風」は、次々に開かれることによって、年月に埋もれていた「過去」の新たな発見と解釈をもたらしてくれたのです。私は、かくの如く「時空」を逆行し、桜吹雪が舞う「校庭」を無我夢中で横切り、小鳥の飛び交う「階段」を二段飛ばしで一心不乱で駆け上がり、あの想い出の「通路」への曲がり角へと息を切らして辿り着いたのです。私の右手には、失われた記録としての白紙の「時間」が握り締められていました。私の左手には、失われた記憶としての白紙の「手紙」が握り締められていたのです。私は、「心」に平静さを取り戻す目的もあって、再び十を一つ数えることにしました。「目」は静かに閉じられ、「心」の窓を開くことにしたのです。そして、その「窓」からは、ひっそりと身を潜めるように生き永らえて来た、あの緑色の林檎が、真っ赤に熟した「赤林檎」へと成長し、そのはっきりとした「輪郭」を浮かび上がらせて視えたことは、言うまでもなかったのです。
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by artbears | 2007-11-30 20:18 | 自白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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