夢博士の独白



カテゴリ:宗教( 3 )


小鳥又は小さな兄弟、選ばれた4枚の写真と姉妹、積み木の迷路又は目撃者の優しい瞳

烏合の衆の由来はともかくとして、その「烏」は交わりを成せば「情愛」が生まれ、その「煩悩」は突き刺さった矢の如く「苦悩」となることを悟ったかのように、ひとり孤独に群れから離れ、犀の角の如く「寒風」に立ち向かっているように視えたのです。私はと言うと、葉をことごとく落とした「冬木」に明日の我が身を想い、一歩又一歩と勤勉に、干上がった水底をまざまざと見せ付ける「溜池」の周りを歩いていたのです。そして、その濡れ羽色に光る羽毛の持ち主である「烏」は、私達を隔てた「距離」が触れられるほどの至近になっても、飛び立つ素振りすら見せなかったのです。一方、彼の「視線」の彼方には、たくさんの白い綿帽子のように見える「小鳥」が、わずかに残った「水溜」の周りに集まってさえずり、それは、まるで「聖人」の降臨を待つ小さな兄弟達が、創造主への感謝の気持ちを込めて「聖歌」を捧げているように視えたのです。つまり、その青空を写した「水溜」は、天上から降り注ぐ「光線」を受け止めて輝く「台座」の役割も果たしていたのです。しかし、「聖人」は待てど暮らせど「台座」の上には現れず、やがて、「寒風」は綿帽子を掃き清めるようにして吹いて行きました。純白の「小鳥」は飛び立ち、真黒の「烏」は、それを目撃したに違いなかったのです。そして残されたのは、寒々とした「冬空」を写した鏡としての「水面」でした。クリスマスを間近にして、その「水面」に何かを強く感じた私は、私の「夢」の中で何度も何度も浮かび上がっては消えて行く、この決定的なイメージに悩まされることになりました。それは、私の「感覚」が、私の外側に存在するという「仮説」によって成り立つ客観的な「世界」と、ほんとうに繋がっているのかという「不安」に根ざしていたからなのです。そして、私の内側に存在する「欲望」は、「小鳥」であり「聖人」であったはずなのに、その創造的な「幻想」は、「意識」として形成される前に消失して、「他者」によって補正された「鏡面」だけが残されているのではないか、そして私は、「世界」はきちんとした因果関係によって成り立っているという、ある種の「信仰」の持ち主なのではないのか、と自らを「疑心」の目で観ることになったのです。なぜならば、私の生きるもう一つの主観的な「世界」においては、クリスマスを間近にして、小さな兄弟達(小鳥)を説教する聖・フランチェスコの「光景」は、極めて日常的な出来事だったからなのです。そして何回かの「夜」は、まるで新幹線のように速く走り去って、私が見知らぬ「都市」の改札口を通り過ぎたのは、クリスマス・イブの「夜」でした。6人の姉妹であるナースの「白衣」は、夫々が微妙な「差異」によって色分けされていました。それは、夫々の下地として塗られた「絵具」と、彼女達の着衣の「色彩」の混合が、白く上塗りされた「表面」を通して「感知」されたからに違いありません。私の白く視えるという「感覚」が、果たして客観性を持ちえるかの何の「保証」も無いものの、私は、白く視えるという自分の内側の「他者」を「信頼」するしか無かったのです。しかし、その微妙な「差異」にこそ、私にとっての決定的な何かの「存在」を「感知」したことも事実でした。私が選んだ4枚のナースの「写真」には、手に包帯をした「小熊」の縫いぐるみ、赤いクロスの刺青が入った白い「花弁」、不可思議な世界を映し出した「シャボン玉」、土から掘り出されたばかりの「さつま芋」が、夫々に描き加えられていました。それらの組み合わせは、私の「人生」からは生れ出ることのない、運命と因果の「糸」でしっかりと繋がったものでした。そして、白く視える「白衣」の内側から感知される「色合」は、なぜか暖色系の「赤」と「黄」だったのです。今年のクリスマスの「夜」は、そして見慣れた「都市」は,いつもとは違って寒色系の「青」のイルミネーションで飾られていました。都市は輝く「夜」となり、夜は輝く「都市」となったのです。意外なことに、「回送」のタクシーは目の前で停まり、運転手の話の「内容」には、焼け野原から復興を遂げたこの都市の隠された「歴史」が、暗く寒い「冬空」に煌めく「星座」のように浮んで来たのです。やがて、タクシーは、茶系のレンガで積み木を寄せ集めたようにして建てられた「駅舎」に着きました。その「迷路」のような空間に迷い込んだ私は、「意識」を失い、その見返りに「幻画」が現れたのです。フランチェスコの傍らには、必ず、大きな耳と目の持ち主である愛らしい「ロバ」が居ました。そして、その目撃者としての優しい「瞳」に見詰められた私は、極めて非日常的な決定的な「体験」を感知したのです。
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by artbears | 2012-12-30 19:32 | 宗教

四門から成る城郭都市と出家した王子、黒々とした駿馬の彫刻、隠された願望としての鷲

アルマジロの鱗甲板のように堅牢、かつ緻密に石組みが施された円形ドームの四方の壁面には、四方の水平線が見渡せる正方形の「窓」が空いていたのです。そして、これらの「窓」を通して、太陽は、日出に放たれる最初の光から日没に放たれる最後の光までの軌跡を、不可視の双曲線の「絵画」として、この建物の床面に日々描き続けて来たのです。この建物の主である「王子」は、東西と南北の「窓」を結んだ線がクロスする位置に座して、沈思黙考して風を日々読んで居ました。どちらの方角から風が吹いて来ているのかは、それぞれの「窓」に吊るされた水玉ドットのカーテンの靡く様子でも判断できたのです。そもそも、この城郭都市の歴史的由来は、ベンガル湾に臨む海洋国家なのか、それともガンジス河の下流に位置する内陸国家なのか、その地政学的関係性が、私が「夢」の中で抱いた「疑問」の出発点だったのです。何れにしろ、「王子」には、この城郭都市が近隣の勢力により蹂躙される光景を「先見」できるだけの政治学的関係性が理解されていたのです。風は東から吹き始めました。「窓」から見下ろすと石段は「門」まで続き、その先には老いた人々の姿が視えました。それから風は南から西へと移動して吹き、それぞれの「門」の先には病に苦しむ人々と死を悼む人々の姿が視えたのです。最後に風は北から吹き始めました。「窓」から見下ろすと石段は「門」まで続き、その先には生まれたばかりの「赤子」が、二人の儀仗兵に見守られながら一舟の小船に乗り込み、まさに出帆しようとしていたのです。その光景を視た「王子」の顔には一瞬の笑みが浮びました。「赤子」の如く、あらゆる私的所有物に対する執着を捨て去り、「生苦」を引き受けることによる輝かしい修行者の出で立ちの姿が「予見」されたに違いありません。私は急いで石段を駆け下り、小船が陸地から離れる寸前のところで飛び乗ることに成功しました。眼下には、久しぶりの獲物を逃したと悔いる巨大な「黒鮫」が尾鰭を翻して、悠然と大海を目指して泳ぎ去る姿が視えたのです。いつの間にか、小船の船首に居て見張り役を仰せ付かることになった私は、耳元で小鳥のさえずりのような不可思議な言葉が響いていることに気付いたのです。振返ると、あの水玉ドットのカーテン生地をネクタイに仕立てて、スキンヘッドの粋な伊達男に成長した「赤子」が、インド訛りのフランス語で語り掛けて居たのです。フランス語の素養の無い私は、唯一の聞き取ることのできた「jouissance(享楽)」という言葉を手掛かりに、私が「夢」の中で抱いた「疑問」の終着点を考えたのです。なぜに享楽的生活に耽溺していた「王子」は、貧困という現実的生活における「母子」の紐帯の象徴であるカーテン生地のネクタイを締めているのか。なぜに享楽的生活を自主的に断念した「王子」は、ある日突然、剃髪して涅槃的生活とも呼べる出家を決意したのか。私の「疑問」は、まどろみの大海の中で、巨大な渦となって回転し始めたのです。すると、海面を真二つに切裂く鋭利なナイフのように視える「黒鮫」の背鰭の前方に、波が砕かれる岩場を台座とした「駿馬」の彫刻が次々と現れて来たのです。それらの彫刻は、「死(種族保存)」への「欲動」が凝固したかのように黒く硬く輝き、前脚を高く上げて嘶く姿には、「死(自己破壊)」への快楽とも苦痛とも取れるエクスタシーの表情を垣間見ることができたのです。小船は、海面に岐立する彫刻群によって、否応がなく増幅された荒波に翻弄されながらも、次第に穏やかな波間に航海の軌跡を描くようになりました。しかしその頃には、生存に必要な食料が底を付く事態が訪れていたのです。波一つ起たない静かな海面に染み入るような沈思黙考の時間が経ちました。そして、ある時突然、「王子」の顔には一瞬の笑みが浮んだのです。「王子」は、食料は絶たれたのではなく、食料を絶つことを主体的に選んだのだと呟いたのです。またしても、「欲望」の実現に対する願望は「願望」の実現に対する欲望に摩り替えられたのです。その時のことでした。空を仰ぎ見る「王子」の頭上には、天地の間を自由に飛来することができるとした巨大な「黒鷲」が旋回していたのです。恐らく、その生き物は、「王子」の「生(個体保存)」への隠された「願望」を「象徴」していたに違いありません。そして、小船にまで舞い下りた「黒鷲」は、その両爪で「王子」をしっかりと掴み取り、「王子」の晴れやかな笑顔とともに、「天(涅槃的生活)」にまで送り届けるべく舞い上がろうとしたのです。
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by artbears | 2010-05-27 18:12 | 宗教

白狐の仮面と永遠に続く赤い鳥居、縄跳びをする女の子と稲穂をくわえた黄金色の野狐

一人「目」と二人「目」のタクシーの運転手の違いが、その「土地勘」と「現世観」にあったことは、私たちの間では、無言の同意がなされていたことでした。確かに「目」は「口」ほどに物を言っていたのです。後は、電車がどちらの方向から来て、高架になった道路の真下を通過するかに、私はいつものように秘かな賭けをしたのです。そして、後部座席の左ドアに近く座っていた私は、右から迫って来る「ゴォー」という地響きに催促されるように、静かな決意を込めてドアを開き、独りで道路を歩くことを選択したのです。そのことが、最善のシナリオを無意識的に実行していたことは、後になって、あなたからの密かな耳打ちがあって、初めて分かったことなのでした。車の渋滞は重態となって、T字路の道路は車で埋め尽くされていました。そして恐らく、左への一方通行の先の十字路では、車を置き去りにした「群衆」で溢れかえっているに違いないと想ったのです。そして、これだけの大勢の人々が何を求めて集まり、いったい何を欲しているのか、そしてその中に在って、私たちの目的と欲望がいかに彼らとかけ離れたものであるかを想ったのです。徒歩を選択した私は、次々と車を追い越して行けるという「優越感」に浸ることができました。しかしそれも束の間、半開きになったタクシーの車窓から、こちらを怪訝そうに見遣っている三人「目」には、「黒目」が全く消えて無く、少し銀色に発色したような「白目」には、まるで白狐の仮面に空いた二つの「穴」から、その裏側を覗き込むような「空虚感」を抱かざるを得なかったのです。つまり、どちらの「穴」からも、仮に公共性の光が差し込んだとしても、それに反応する感情(羞恥心)は、その私性の暗闇の何処を探しても無いような「諦念観」を抱かざるを得なかったのです。確かに「穴」も「口」ほどに物を言っていたのです。そして、事態は私の想像したような展開をしたのです。人々は次々に車のドアを開けて、口々に不平を言いながら、各々に白狐の仮面を付けて、次々に「群衆」の列に並ぶのでした。警察官のメガフォンからは、「禁止」(規範)の言葉が、神経を逆撫でする音量で、やはり一方通行で流れていました。一旦、この仮面を被ると、普遍的で超越化された神の眼差しからはもちろんのこと、世俗的で鏡像化された他者の眼差しからも「自由」になれるのでした。私が後方を見ると、白狐の仮面の「大群」が波打つように上下しながら、増殖して押し寄せて来る光景が観えるのです。私の背中は後ろから押されて、引き返すことは許される状況ではなかったのです。私が前方を見ると、周到にも、後頭部にまで仮面を付けた人々を散見することが出来ました。そして「群集」の中に埋没した私は、左右に聳え立つ神と獣の中間的存在(霊獣)としての二頭の「白狐」の見下したような眼差しを感じながら、永遠に続くのではないかと想われる赤い「鳥居」のトンネルに呑み込まれたのです。「鳥居」の柱と柱の間からは、笹の葉が風に打ち靡いている様子が視え、黄金色をした野性の狐たちの走り抜ける姿が視えたのです。木々を透かして観える遠方の景色には、黄金色をした稲穂がしなやかに弧を描いて垂れている様子が観えたのです。すると突然、私は、この赤い「鳥居」に息苦しさを感じ、このトンネル内に渦巻く「群集」の巨大な「欲望」に圧死してしまう「恐怖感」を覚えたのです。抽象的な言葉では語り尽せない「群衆」の夢や願望が、欠如のシニフィアンとしての「鳥居」のトンネルに充満していると感じたのです。私はまたしても、静かな決意を込めてトンネルから抜けて、独りで鎮守の森を下ることを選択したのです。やがて平野に辿り着いた私は、コンクリートで固めた畦道を歩き、用水路に流れるせせらぎに心理的な「安心感」を覚えながら、あの「喧騒」の一日を振り返っていたのです。すると前方から、赤い服を着た双子の女の子が縄跳びをしながら近付いて来ました。女の子たちは、私とすれ違う際には縄跳びを止めて、丁寧な挨拶をして通り過ぎて行きました。そして振り返ると、二つの円弧が規則正しく空中に描かれながら、次第にその姿は視界から消え去って行ったのです。そして今後は、その光景と入れ替わるようにして、何頭かの黄金色の野狐たちが、「豊穣」の象徴である稲穂を「口」に銜えて、私に近付いて来たのです。私は、この「寂寥感」でも「充足感」でも捉え切れない、ただ「このようなもの」としての「世界」の中にあって、私の「存在」を証明できる「言葉」が、あなたの「口」から耳打ちされることを待っていたのです。
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by artbears | 2010-01-25 19:25 | 宗教


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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