夢博士の独白



カテゴリ:芸術( 4 )


劇は真昼に幕が閉じ夢は真夜に幕が開く、砂時計又は流砂としての時間と落下する意識

降り注ぐ月の光に合わせて踊り続けることにいささかの疲れを感じていた私は、このシナリオの無い「寸劇」の幕が早く降ろされ、この小劇場には似つかわしくない重厚な扉が速く閉じられることを願っていたのです。扉の向こうのレアールな「世界」では、「死」のカーニバルが開かれているのでしょうか、人々の絶叫に近い悲鳴とともに、炸裂する花火の尾を引いた残り火が、劇場内に次々と転がり込んでいたのです。そしてそれらは、扉が閉ざされると訪れる「無音」のイデアールな「世界」を予告するかのように、自らの残された「時間」を愛おしみながら「燃焼」し、不可逆的に増大するエントロピーを映し出していたのです。鉄パイプ製の折畳み椅子は、次々にパタンパタンと閉じられながら、擂り鉢状になっている円形劇場の中心にある「The Empty Stage」に向って、まるで意志を持った「生物」のように滑り落ちたのです。私は、その蟻地獄にも見える「空虚な舞台」に呑み込まれないようにと、ありったけの抵抗を試みました。しかし、椅子の在った階段状の客席までもが、数個の大きな破片と無数の小さな破片に砕かれ、それらが更なる細分化を繰返しながら、一方向に不可逆的な流砂を形成し始めたのです。ここでも、増大するエントロピーは、物理的な「時間」として認識されたのです。私は、この真昼に演じられる「寸劇」の幕を自ら閉じるには、この流砂に逆らってはいけないことを、何かにしがみついてはいけないことを悟り、この「時間」の呪縛から逃れることであると自らに言い聞かせたのでした。私の「意識」は、まるで砂時計の砂のように「舞台」という「入口」から落ちて消え、それと時を同じくして、真夜中に演じられる「夢想」の幕は開かれたのでした。この暗い地下の闇の「世界」には、至る所に篝火として灯された「松明」が揺らぎ、その光に照らし出された黄色い岩肌には、弁柄や緑青や白緑で線刻された「絵画」が立ち現れて来るのです。しかし、それらの「絵画」は、現在から過去の経験を意味付け、未来の可能性を思索するという因果的連鎖が断ち切られたものであり、その意味では刹那的であり、可逆的でもあったのです。つまり、時間的連鎖を超越した「世界」が描かれていたのです。私は、私自身の「意識」から消え去った、これら忘却と欠落と幻想の「絵画」を視入ることにより、意味エントロピーの増大は抑制され、再び真昼の「寸劇」の幕が開かれるというメカニズムを理解したのです。それにしても気になるのは、闇を暴き出すはずの光が届かない「The Silent Corner」に蹲る人々の「存在」なのです。それは、過去に何処かの街角ですれ違った女なのか、それとも未来に何事かの集会で隣り合せになる男なのか、彼等の「存在」は決まって暗示的で不明確でありながら、彼等の放つ「気配」は決まって断言的で明確に立ち現れて来るのです。そして彼等は、「沈黙の片隅」から手ん手バラバラに立ち上がり、円錐形に積み上がった流砂のピラミッドから折畳み椅子を引き出し、それらを整然と並べ始めたのです。私の椅子は左から2番目に置かれ、そのことに特に「意味」は無かったようです。最前列の6脚の椅子には、6人の男女が「無言」の内に座ることになりました。12個の眼球が見つめる前方の岩壁には別の洞窟への2つの通路が空けられていて、その中間の岩肌には「1つおよび6つの椅子」という文字が淡墨で書かれていたのです。「概念」が提示されるやいなや、「空間」は薄っぺらなものに変質し、空間認識能力の劣ると見なされた3人が席を立つことになりました。残った3人は右側の洞窟へと案内され、お互いに全く面識が無いことを確認し合ったのです。すると今度は、やはり2つの通路の中間の岩肌には「1つおよび3つの椅子」という文字が濃墨で書かれていたのです。そして、その文字の真下には1つの物理的な「椅子」が置かれていました。この「世界」の「出口」から急遽、呼び戻された私の「意識」は、これは「芸術」が問われているのか、それとも「存在」が問われているのかを悩み始めることになりました。しかし、これが私の苦手とする数学的知識が試されているとしたならば、椅子取りゲームの「椅子」は1つしか残されていないのであり、生残りのためには一刻も速く椅子に座るべきなのです。私は焦りました。と同時に救われる思いでもあったのです。なぜならば、私たちの「存在」は、どのような6人であっても、お互いに全く見知らぬ3人から構成されているという「関係」を、数学的には既に「証明」されていたからなのです。
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by artbears | 2010-02-25 20:02 | 芸術

女郎蜘蛛の撃った弾丸の痕跡と後部座席に隠された拳銃、ビルから落下した裸体の指紋

コンクリート製の箱が積み重ねられただけで出来上がったビルは、正にジャッドの「明確な物体(スペシフィック・オブジェクト)」の集合体と呼ぶに相応しい、極限の「純粋性」が視覚化されていたのです。夜空に起立して、明確にされているのは単なる「物質」ではなく、それに意味を与えるところの「精神」の在り様だったのです。その視え方は、私たちの精神を純白の紙(タブラ・ラーサ)に還元し、裏切り者(ユダ)の甘言に耳を傾けない勇気を与えてくれるものでした。その在り方は、確かに「曖昧さへの愛」を断固拒絶するものであり、両義的で在ることの心地良さを徹底排除することを強いる、厳格さに満ちたものでした。私は、私のなかで忘れ去られつつある、この「父性」の感覚を、このビルを仰ぎ見ることにより、取り戻すことを儀式として習慣化していたのです。その日の雨は、何時もになく冷たく悲しいものでした。一つ一つの箱の内部には、何時ものように電灯が灯されていて、それらの微かな明暗の差異が、それぞれの家庭における情愛の温度差であるとの解釈も、長い間に自分に言い聞かせて来たものでした。私たちはと言うと、あのホッパーの絵画に描かれた何処かの小都市の深夜営業のレストランで、真夜中の無言の食事の最中だったのです。カウンターに頬杖をついて、アンニュイでメランコリックな気分に浸っていた私たちの背後には、分厚いアクリル樹脂で作られた、まるで水族館の水槽のような「壁」が存在していました。その透明の物体には、数発の弾痕が、まるで女郎蜘蛛の張った蜘蛛の巣のような、偶然と必然とが精緻に編み上げられたネットのような模様となって、残されていたのです。つまり、私たちは、気が付くと、若さという熱病や疾風の季節を通り過ぎて、誘惑の「弾丸」の飛び交う戦場を掻い潜り、この静かで穏やかな安心と安住の「場所」に辿り着いて居たのです。しかし、かつてのあの灼熱の太陽は舞台裏に姿を消し去り、暗闇の侵食は一本の心温まる蝋燭の灯火の揺らぎの領域まで迫っていたのでした。このレストラン(特別な空間)と、あのビル(明確な物体)との中間には、片道4車線の道路が敷かれていました。道路にできた水溜りには、点滅する信号の赤や緑の光が映し出され、それらが雨の雫に打たれて、まるで蠢くアメーバのように、一回性の偶然の「美」を競って演じていたのです。その揺れ動く色彩と形態の綾模様に魅入っていた私は、突然、意識が消失して行く寸前のところで姿を現して来る、遠い遠い過去の記憶のなかの自分に出会ったのでした。あの時、サルトルは、自らを「投企せよ」と言ったのです。また、「人間は自らつくるところのもの以外の何ものでもない」と、私の精神に跳躍を求め、私の感情を扇情的に煽ったのです。サルトルの「言葉」は、あのビルの絶壁から、後先考えずに、自らを「投身せよ」と、それこそが、時代と共振的に自らをつくる「手段」であると、私のなかで反唱されたのでした。しかし、結局のところは、臆病で争い事を避ける性格の私は、飛ぶことができずに、往来の激しい道路を片目をつぶって渡り切って居たのでした。私にとって、答えは常に二つあり、主体的に選択できることと、その結果の他者への責任が取れることとは、別の問題であり続けたのです。「運命」は裏切り者(ユダ)にも微笑むのです。そうした私が、我に帰ることができたのは、あなたの「凄いねぇ~」と言う感嘆の声が耳に飛び込んで来たからでした。その声に反応した私が、透明の「壁」を通して外界を視ると、あのビルの頂上付近から、次々と大勢の人々が裸体となって、踊りながら空中を歩き始めていたのです。彼らは、自分たちの行為に絶対的な自信を持っているようで、それは「投企」ではなく、彼らの呼ぶところの「パフォーマンス」と言うもののようでした。その楽天的で享楽的な彼らの資質に、私たちは侮蔑と羨望の眼差しを交し合ったのです。その時、数発の銃声が響き渡ったのです。レストランのカウンターの内側にあったガラスのショーケースは壊されて、疑惑の政治家の雇われボディーガードの立ち去る姿は、既に開け放たれたドアの向こう側に在りました。落下する裸体は、瞬間的に静止した無重力の状態で、明らかにエクスタシーの表情を浮かべていたのです。一刻も速く、この場を後にすべきなのです。ところが、私たちが跳び乗った車の後部座席には、一丁の拳銃が置かれていました。疑惑を恐れた私が、何を考えたのか、裸体の指紋を取ろうとしたのを制止したのは、他ならぬあなただったのです。
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by artbears | 2009-04-28 20:34 | 芸術

蛍を視たと飛び込んで来た突然の訪問者、文鳥小屋の中の亡父の動物園に点灯した光

世界各地からの「御土産」として海を渡ってやって来た、それらの動物園の住民たちは、かつては真っ白な小鳥たちの住家であった、この「文鳥小屋」に集結することになったのです。あるものは飛行機内への持込の手荷物のなかで、また、あるものは蒸し暑い船倉の片隅で、いったい誰が、このような運命の結末を想い描いたことでしょうか。文鳥小屋は32の「個室」に分けられていました。そして、あの真っ白な小鳥たちの子孫は、雨上がりの鎮守の森の清々しい空気の拡がりのなかで、それぞれの「個室」にまつわる思い出の小箱を紐解き、それらの「記憶」は、彼らの美しい鳴き声とともに空中に放たれたのでした。頭部を赤くペイントされたためか、少し苛立った表情のベンガル虎の個室「豆電球B-4」には、やはり紅い嘴が綺麗で、ちょっとお喋りな手乗り文鳥の「フロイト」が棲んでいたはずでした。「フロイト」は常に私の耳元で囁くのでした。隣接する「牛小屋」のなかには、実は巨大な「乳房」の持ち主である、そして時々白痴のような雄叫びを上げる山羊の「エス」が棲んでいることを。そして祖父と畦道を連れ添って歩く「エス」は、時々黒真珠のような丸々とした「糞」をだらしなくボタボタと落として行くことを。そして彼らの行き先は、決まって鎮守の森の奥深くにある、かつての領主さまが参勤交代の際に水浴びをなされたという「殿の湯」であることを。謹厳実直な祖父が、どうして、謎めいた「秘所」である、そして滾々と湧く無意識の泉のような存在である「殿の湯」で、あの得体の知れない「エス」とたむろするのか。そして彼らの「密会」を、私は何度、あの「泉」の凍りつくような冷たさの感触とともに、「夢」のなかで目撃し、そのことを「フロイト」に告白したかを思い出したのです。すると間髪を入れずに、「蛍光灯A-5」の住民となった悪霊の「カーラ」が、両翼をゆっくりと動かしながら、あの無意識の領域には善(バロン)と悪(ランダ)が渾然一体となっていることを、そしてそれらを別つことがいかに無意味なことかを力説するのでした。「ベンガル虎」と「カーラ」が、あの「殿の湯」の出来事に関して、共通の見解を持っていることは明らかでした。しかし少なくとも、彼らの会話に聞き耳を立てて聴いていた私は、目の前で展開しているこの捉えどころの無い「現実」は表層的なものであり、実はそれらを超えたもう一つの「現実」が、遥かに巨大な規模で存在するという彼らの話の「内容」には、奇妙な同意と安堵の気持ちを抱いていたことも事実だったのです。そして、残りの30の「個室」にも、亡父の思い出が結晶となって、それぞれの動物に宿ることとなった、夢と記憶と無意識の動物園が現出することになったのでした。問題は、この「エロス的身体」とも呼べるドロドロの「沼地」に、いかにして理性の床「自我」を基礎付けるのか、いかにして規範の柱「超自我」を起立させるのかにあったと、今や赤ら顔のベンガル虎に化身した「フロイト」は説いていたはずなのです。そうした意味では、文鳥小屋や牛小屋と、構造的に一体化している「古門」がリノベーションされて、全体の延命を計ることを可能としたことは、「建物(構造)」の脱-構築化という観点からも有意義であったと言えるのです。それほど、まるで教皇十字のように両腕を突っ張って起立した光り輝くステンレス製の「門柱」は、自信に満ちた力強さで、崩壊の寸前で懸命に爪先立って生き永らえて来た、この古い門構え「全体」をしっかりと支えているのです。それはあたかも、崩壊する個人や社会に、「自我」を超えた「超自我」としての規範や規律や倫理の再構築が必要であることを象徴化しているかのようにも視えるのでした。その時のことでした。その金属性の「門柱」のあまりに唐突で奇想天外な佇まいの発する強力な「磁力」に惹きつけられたのか、その男「T」はヨロヨロと夢遊病者のような足取りで、このリノベーションされた「古門」を通り抜けて来たのです。そして彼は、今度は熱病者のように、「殿の湯」での狂ったような「蛍」の乱舞の様子を語り始めたのでした。彼の狂気の「言葉」は、私の脳裏の真っ黒なキャンバスに、光の点となり、やがてそれらの点はつながった線描となり、幻想的で神秘的な光の残像としての「抽象絵画」に発展していったのです。私は、この「狂気」の感覚もまた、「亡父の動物園」には無くてはならない「記憶」であることを思い付いたのです。すると、32の「個室」の内の16の無点灯の「個室」において、蛍たちの物悲しくも弱く消え入りそうな「光」が、いっせいに灯ったような気がしたのでした。
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by artbears | 2008-07-29 18:37 | 芸術

雪原に刻印された人体のレリーフ、氷の宮殿に射し込む月の光、狂人と実体化した狂気

このオーロラの色彩の流動する「河」を想わせる幻想的で圧倒的な「美」を上空に仰ぎ見ながら、私は氷結した湖面から次々に切り出される直方体の「氷塊」に見入っていたのです。なぜならば、それらの分厚い「氷塊」の内部には、この美しいオーロラのさまざまな色の「粒子」が閉じ込められているように視えたからでした。そして、この氷のブロックが積み上げられた構造物こそが、あの噂に聞く氷で出来た「宮殿」に違いないと想ったのです。そして驚くことに、その「宮殿」の住所こそが、不在のために再配達が通知された場所であり、「月の石」が届けられると予告された場所だったのです。兎にも角にも、満月の夜に離陸するとだけが記載された飛行チケットを手渡されたものですから、時間的余裕はあまりないと判断した私は、レンタルした10頭引きの犬ゾリの犬たちに叱咤激励する「鞭」を打ったのです。ところが、犬たちはいっせいにこちらを振り返り、その獰猛な「犬歯」を剥き出しにして、私への恫喝の集団行為に出たのです。私は微塵の動揺も見せまいとして、断固たる強い意志を持って、二発目の「鞭」を空高く、オーロラの「河」を真二つに断ち切らんがばかりの勢いで打ちました。幸いにも、犬たちが懸命に走ることを暗黙のうちに約束したことは、彼らの厳ついた肩が、服従の意志を表した力の抜けた撫で肩へと変化したことで、見て取ることができたのです。そして、リーダーの「ピエタ」の一曳きで、このダンデムタイプと呼ばれる二列縦隊の犬ゾリは再び勢いよく走り出すこととなったのです。白だけに統一された雪原とそれを麓とした雪山とが、その背景にある鉛色の曇天との境界線を曖昧にしているのは、この犬ゾリのスピードがいかに速いかを物語っていました。ところがしばらくして、統制のとれたリズムを刻んでいた犬たちの力強い走りに乱れが生じてきたのです。その原因は、一人の「狂人」が雪原を凝視し、意を決して自らの身体を雪面に投げ出している光景に遭遇することになったからでした。「狂人」は雪面に何度も自らを投身することにより、あたかも自らの狂気を純白の雪面に転写しようとしているかに見えたのです。この「狂気」を刻印するという行為は、現在のデジタル技術と同様に、基本的にはコンテンツが劣化することなく、繰返して複製されていくはずなのです。本能に秀でた犬たちが、そのことに慄き恐怖心を抱いたことは、無理からぬことのようにも思われました。白だけの世界に、僅かな陰影による人体の「白い影」が、無数に繰り返して残されようとしていたのです。恐れ慄いた私は、一刻も早くこの「悪夢」から抜け出すことを願い、救いの眼差しを遠方に投げ掛けたのです。氷の「宮殿」の尖塔が見え始めたのは、その直後のことでした。と同時に、あの「狂人」がこの氷の「宮殿」の住人であるという最悪のシナリオが、私の脳裏を横切ったのです。しかし、時はすでに遅かったことが知らされました。「ピエタ」を先頭にした犬ゾリは、アーチ型をした氷の「宮殿」のゲートを滑り込むようにして通過して、イスラム教のモスクの内部を連想させる巨大な「空間」に入って停まったのです。そこには案の定、あの「河」から切り出された「氷塊」のブロックを円形に積み上げることによって出来上がった「聖堂」が待ち受けていました。偶像崇拝が厳格に禁止されているためか、この「空間」にはいかなる装飾も像も、そして祭壇さえも、見つけ出すことは出来ませんでした。そして見上げると、夜空を円形に切り取ったような「天窓」がポッカリと空いていて、その円の中心部に「満月」が刻々と移動している様子が観えるのです。「満月」と「狂人」、この不吉な組み合わせは、一刻も速くこの「空間」から逃れるべきであることを告げていたのです。その時のことでした。ドスンという音とともに、「月の石」が「天窓」から、まるで頂点に達した「満月」から放り投げられたかのように落下して来たのです。私は「狂気」の引力に引き寄せられるようにして、その「満月」からの落下物の側に立っていたのです。「月の石」は十文字に針金で縛られていて、上面には三枚の「荷札」が取り付けられていました。一枚目の「荷札」には、「月の石 1969年7月20日」という文字が記されていました。二枚目の「荷札」には、確かに受取人の私の名前とこの「宮殿」の住所が記されていました。三枚目の「荷札」を見ようとした私は、あの雪面に写し撮られた「狂気」がレリーフとして実体化した、そして恐らくは送り主であろう「狂人」の無数のコピーたちに取り囲まれていることに気付いたのです。
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by artbears | 2008-01-28 19:12 | 芸術


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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