夢博士の独白



カテゴリ:共白( 6 )


暗黒の日曜日又は反転した日常、未来を描く画家と過去を走る電車、流砂と時間の大河

私の「記憶」の中では、その日が日曜日であることが忘れ去られていたのです。しかし、私が私であることに気付き、いつものように光に満ちた「公園」に差し掛かると、突然、ヒソヒソと耳打ちする誰かの「声」が聞こえたのです。それは、暗い不吉な「声」でした。その「声」がする方向を振り向くと、多くの人々がポッカリと空いた黒い「穴」に向かって歩いていたのです。彼等の「表情」は、浮き浮きとしていて、まるで春のように詩情豊かなものでした。それはきっと、この燦々と降り注ぐ「太陽」のせいに違いなかったのです。そこには、いつものように穏やかな日曜日の「公園」が存在していたのです。ところが、その洞窟の入口のような「穴」に差し掛かると、人々の「表情」は一変して、ひどく固く強張り青味を帯びたのです。それはきっと、この「穴」が「悪夢」の入口であり、私の「悪夢」の中では、暗黒の日曜日が芽生え、開花しようとしていたに違いなかったのです。「死」は不意に、このように自らを語り始めるのです。海沿いでも、川沿いでも、この「都市」の周りに立ち並ぶ「倉庫」は全て空っぽで、無数の「弾痕」が壁に残され、暗闇にポツンと残された「車両」はジッとして動かない。「怒声」と「悲鳴」が暗闇に木霊して、「倉庫」の壁と壁の間には、黒く長い暗殺者の「影」が動き始めていました。その向こうには「海面」が視え、その薄い皮膜の下では、やはり黒い「動物」が潜んでいたのです。悲惨な「雨」は、やがて冷酷な「霙」に変わり、おまけに私には「傘」が無い、いや、有っても開かない。行き場を失った私は、死人の口のように空いた「穴」に、その黒い「影」と一緒に滑り込むことにしたのです。ガタンゴトンと「音」がする。「階段」は落ちて「天井」は崩れた。「電車」が静かにホームに滑り込んで来て、その電車の「扉」は、まるで鋭利な「鋏」のような非情さで閉まりかける。私は駆け降りて乗ろうとした。そして、無理やり、開かない「傘」を閉じようとする「扉」に挟んだ。すると「傘」は先端の部分で折れて、再び「扉」は開かれたものの、今度は、私の「左腕」が挟まれ、関節の部分で切断されたのです。乗客の一人であった未来が見える「画家」は、即座に絵筆を取り、私の「左腕」の再生の「場面」を描いてくれました。それを視て、安堵した私の「心」は、私の「背後」に回った黒い「影」に、既に読まれていたのです。ヒロは片言の「英語」で、そのことを通訳した。すると、ベットリと血糊の付いた「座席」が、まるで反転した牛馬の「死体」のように、灰褐色の「大河」に浮んで幻えたのです。クルリと向きを変えて外を観ると、空が、その限りない深さと厚さが視えたのです。「電車」は知らぬ間に「バス」に変わって、坂道を上っていました。震動する窓ガラスの向こうには、一軒の「家」が、開いた窓から泥のように黄色い「内部」を見せている。2階の「外部」には、小奇麗なオープンカフェが見えている。でも、人々は居ない。黒い「影」が脱兎の如く走った。私は、何百もの窓が、その汚泥のような「内部」で通じていることを想って、恐怖心に慄いたのです。なぜならば、その黄色い「内部」は、あの全てを呑み尽くす「流砂」となって、地下鉄の坑道を埋め、この「バス」の「内部」にまで侵入して来るに違いなかったのです。私は思わず、「降車」ボタンを押しました。何かが終わるために、既に始まっていたのです。それは、恐らく再度「乗車」ボタンの押せない私の「生」でもあるのでしょうが、その「死」に向かって、ただ引き寄せられるままに押し流されていたのです。「流砂」の一粒が、それに続く一粒を導くためにのみ存在する。私は意を決して飛び降りた。そこは、乾燥し切った「砂漠」だった。独りとなって、言葉を失い、身を守る術も無い私は、ザワザワとした人々の「声」に耳を欹てたのです。それは、絶望と悲嘆の「声」でした。その「声」のする方向を振り向くと、一方通行で押し寄せる「流砂」の上流には、巨大な「砂嵐」が、「太陽」を覆い隠すかの勢いで巻き上がっていたのです。私はうつ伏せになって、「砂嵐」が過ぎ去るのを待つことにしました。時間としての「流砂」の一粒々々が、私の「顔面」にバチバチと当たり、その度に、瞬間としての「砂粒」の一時々々の「匂い」が弾け出たのです。私は私以外で在りえないことに気付き、ゆっくりと立ち上がることにしました。そして、流砂の「大河」の対岸を遠望すると、そこには、あの日曜日の「公園」が存在していて、人々が黙々と、あの黒い「穴」に向かって歩いていたのです。私はもはや、この「大河」を渡ることも引き返すことも出来なかったのです。
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by artbears | 2013-02-28 20:18 | 共白

古色蒼然とした都と鬼気迫る騒然とした都、記憶の回路を走る地下鉄と接続された歴史

地下鉄は、いつものように遠回りをしながら「現在」と「過去」を接続して走っていたのです。それが「真夜」であるのか、それが「真昼」であったのかは、地下鉄に乗っているという薄暗がりの中の「意識」が、その分析的な判断を妨げていたのです。私の今夜の「夢」は、いつものように左回りで内回りの「軌道」を走っていました。それは、「京都」は「東京」の手前に在り、「目黒」は「新宿」の先に在るというイメージの「回路」を、半ば暴走気味に走っていたのです。地下鉄は二度三度と左右に大きく揺れ、その度にスパークした「電流」は周囲を明るく照らし、記憶や知識の「断片」は脈絡も無く結び付き、「仮想」のシナリオはオートマチックに浮んでは消えて行くのです。気が付くと、新幹線は「京都」の手前を走っていました。すると突然、雷鳴が轟き、豪雨とともに晴れ渡った青空には「黒幕」が引かれ、京都の「天空」は一瞬にして、荒ぶる「雷神」と「風神」が暴れ狂う怪奇空間に変貌を遂げたのです。記憶の「黒幕」には、陰極から陽極への「火花」が激しく走り、私の「意識」は何も書かれていない「白紙」へとリセットされたのです。慌てて私は誰なのか、とコートの内ポケットに手を差し込むと、そこには生暖かい熱帯の「沼池」が在って、でも、あのクロコダイルの生温かい「皮膚」の感触は、どこを探しても無かったのです。「名刺」を失った私は、無名性の「沼池」に生息していたのです。コートを広げて裏生地を視ると、紺色と朱色と灰色の「縞柄」が目に飛び込んで来ました。そこには、刻々と変化する黄昏時の京都の「情景」のように、陽の落ちる「階調」が丁寧に織り込まれていたのです。伝統の縦糸には、革新の横糸がしっかりと紡がれているのです。私は、この時代の先端を捉えた現代性と古色蒼然とした「歴史」の重厚さが同居した「古都」を、常に「意識」の片隅に感じながら、時に「夢」の中で往来する大路小路として位置付けて来たのです。そう、この奥ゆかしさに満ちた「古都」には、何よりも「都市」としての風格と威厳を支える政治空間の「存在」が感じられるのです。それは、この土地が千年にも及び「首都」で在り続けたという「歴史」の重みでもあったのです。そして、四季折々に催される「祭祀」は、古来、政治と祭り事が不可分の関係であったことも思い出させてくれるのです。そのような想いを抱いて「夢」の中を彷徨っていた私は、と或る「小路」で、京都の「地図」を小脇に抱えたあなたに出会ったのでした。その「図面」の中央には、政治を司る「天皇」の私的空間としての「内裏」が在って、その前後左右には様々な「社寺仏閣」が方眼状に配置され、その東西南北には大小の「路地」が整然と区分されて描かれていました。私達は、その「地図」を頼りにして、ライトアップが予定されている「古寺」への上り坂を急ぐことにしたのです。古寺の「五重塔」は、下方からの強烈な「光線」で照らし出され、それは、「現在」と「過去」との奇妙なコントラストを浮き彫りにしていました。私達は次に、休む暇も無く、ライトダウンが予定されている「古寺」への下り坂を急ぐことにしたのです。古寺の「庭園」は、既に夕暮れの「暗闇」に呑み込まれ、青く発光する半導体の「蛍」の生息する場所へと変じていました。古き自然火は消え去り、新しき人工灯が燈っていたのです。その寂しげな人工灯を頼りにして、私達は、再び「図面」を覗き込むことにしたのです。するとそこには、中央の「内裏」の西側に、ほぼ同じスペースの「空閑地」が描かれていたのです。そこは「遷宮」のための用地に違いないという「妄想」が肥大化を開始した瞬間、私の「意識」は百五十年前の「遷都」先である「東京」に飛び移ったのでした。突然、人身事故が発生したというアナウンスが響き渡り、山手線は「新宿」の手前で急停車しました。車窓から「車内」を覗き込むのは、それが「赤鬼」であるのか、それが「青鬼」であったのかは、緊張感で沸騰しそうになった「車内」においては、その客観的な判断が下せなかったのです。反戦デモが繰り返される「新宿」は半狂乱の状態で、まさにカオスの「坩堝」と化していました、その途方も無いエネルギーは行き場を失い、アンダーグラウンドに封じ込めるにも「限界」が視えていたのです。そして、マンホールを破壊して「街路」に飛び出した「赤鬼」は、今や政治的機能を失った「東京」を徘徊する輩となっているのです。気が付くと、山手線は「新宿」を通り越していました。迫りつつあるクライシスへの危機感は、代替機能を果せる「京都」の可能性に向いていることは確かだったのです。
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by artbears | 2012-04-26 20:23 | 共白

腐敗する葡萄と熟成する葡萄、カウンターに置かれた三杯のワイン、天駆ける紫色の駿馬

二日酔いを経験したことのなかった私は、この激しさを増す「咳」の度合いに応じて強まる「頭痛」に対して、成す術も無くお手上げの状態だったのです。それはまるで、脳髄の「聖堂」における不意を突く「稲妻」のように、肺胞の「聖壇」における君臨する「暴君」のように、傍若無人の振る舞いで、私を苦しめ続けたのです。時折、吐き出される「痰」の中には、「血痕」こそ含まれてはいなかったものの、黄土色に濁ったその粘着性の「物体」は、私の「内部」で進行している異常な「事態」を告げるには十分な不気味さを宿していたのです。そして、階段を踏み外さないようにと気を配りながら下りる私を嘲るように、時に脳髄の「稲妻」は天井に描かれた「白龍」に変じ、時に肺胞の「暴君」は壁面に描かれた「日虎」と化し、私は彼等の「目」から一刻も速く逃れたい一心で、階段を転がるようにして下り、「四条」の雑踏の中に紛れ込んだのです。すると、「白龍」は粉雪となって「天空」に舞い上がり、「白虎」は疾風となって「大地」に消え失せたのです。しかし、「冷気」は相変わらず執拗に私を追い続け、私のか弱い気管支の小枝の隙間に容赦なく吹き荒れたのです。やっとの思いで辿り着いたのは、パリの街角に在るような古ぼけた白壁の「建物」でした。その「入口」の両側には、犬歯を剥き出しにして、金色と銀色の「目」を輝かせた小悪魔達のポートレイトが無造作に貼られていました。街角に立つ何人かの男娼達の「目」が一斉に輝いたのも、その時だったのです。風雲急を告げる「気配」が、辺りを一瞬に支配したのです。そのこともあって、あなたとの待ち合わせの「場所」に間違いないことを確認した私は、勇気を出して、今度は階段を一歩一歩慎重に上がって行くことにしたのです。「外界」では、粉雪が止み、紫色の雨が激しく降り出したようです。なぜならば、私が階段を一段上がるのを待つようにして、その紫色の「液体」は階段を一段一段と浸して行ったからなのです。階段の両壁には、丸く角のとれた「川石」が一つひとつ丁寧に積み上げられていました。そして、紫色の「気配」は、私を掴み取ろうとする「影」となって、白く素朴で無垢な「川石」を一つひとつ紫色に染め上げて行ったのです。「死」はこのようにして、私に近付いて来ているに違いありません。しかし、私が「平静」を保つことが出来たのは、残る十数段の階段を昇り切る「体力」さえ温存すれば、例え重厚な木製の「扉」がどんなに重くとも、その「扉」の向こうに在るはずのカウンターの端には、必ず一つの「空席」が私を待ってくれていることを信じていたからなのです。そう想うと不思議なことに、「世界」は一変し、紫色に変色したはずの「川石」は、たわわに実った艶やかな「葡萄」の房へと変身を遂げていたのです。そして、「扉」の手前の「小窓」を覗き込むと、そこには木製のワインセラーが置かれていました。私の知り得ぬさまざまな「時間」と「空間」が、それぞれのボトルに閉じ込められ、濃縮され発酵し、「偶然」と「必然」との結晶としての「熟成」への「歴史」を孤独に生きていたのです。まさにアートと呼ぶに相応しい「百薬」の長が、そこに眠っていたのです。気が付くと、私は部屋の「内部」に案内されていました。気が付くと、私は無数の「葡萄」に囲まれていたのです。私はそこが、私の「聖堂」を象徴している「空間」であり、この健康な肺胞のようにも観える「葡萄」こそが、私の「聖壇」への御供え物のように視えたのです。こうして、私は私の「内部」からの蘇生を「自覚」することが出来たのです。楢材で造られたカウンターの上には、一番奥のあなたの前に三杯のグラスが置かれ、そして私が座るべき「空席」の前にも、やはり三杯のグラスが用意されていました。それぞれのグラスには、それぞれの魅惑的なルビー色の「液体」が注がれたのです。一杯目のブルゴーニュ産のワインからは、まるで「栗毛」の古馬のように実直で慎み深く堅牢な「躯体」を感じ取ることが出来ました。次に、二杯目のボルドー産のワインからは、まるで「青鹿毛」の駿馬のように威風堂々とした押しの強さはあるのですが、どこか神経質な「気質」が現れているように想えたのです。最後に、三杯目のカルフォルニア産のワインからは、まるで「芦毛」の白馬のように単純明快な視覚的な美しさは備えているのですが、なぜか人工物の持つ「作意」が後味として残ったのです。そして、隣に座ったあなたの「横顔」を覗き込むと、そこには「選択」の迷いはなく、黒紫色をした駿馬に跨って天を駆ける「笑顔」がこぼれていたのです。
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by artbears | 2011-01-31 20:01 | 共白

黒いアンブレラと燃える絵文字、渓流は四季を写して流れ、記憶の大洪水は濁流となった

このまるで迷路のような複雑な階段の構造は、果たして設計者の意図するところなのか、それとも、この歴史と文化の誉れ高き「都市」への新参者の侵入を防ぐ目的があったのか、それは、私たちの知る由も無かったのです。やがて、「屋上」への出口から射し込んで来る、黄昏時の陽光が残る「踊り場」まで階段を上がると、足元には、ひんやりとした冷気を感じさせる「せせらぎ」が、数少ない光の粒子を奪い合うようにして輝きながら流れていたのです。そして、その「水底」には、鮎や手長蝦と想われる輪郭の定かでない形象が、記憶のどこかの忘れかけた「残像」として、ぼんやりと像を結んでいたのです。確か、最初の「川床」では、生茂る樹々の枝葉が「青空」を隠し、「谷間」との間に構成される空間には、木漏れ日が光の破片となって舞い降りていたはずです。「渓流」に耳を側立てると、銀鈴が転がるような涼やかな音色が響いていたのです。記憶の上流からは、厳冬の白雪が降り、色鮮やかな真赤な紅葉が流れて来ていたのです。そして、もう一段と深い「意識」の階層に眠る「川床」には、次のような「情景」が横たわっていました。歌舞伎役者や虚無僧が徘徊する「河原」には、川岸の石垣や堤から張り出された形での「納涼床」が設けられていました。そして、砂洲に置かれた「床机」には、茶屋や芝居小屋から抜け出して来た芸者や女郎で溢れ返っていたのです。一方、この遊行三昧の日々から遠く離れた山奥の寺院においては、厳格なる規律の下に修行三昧に耽る大勢の学僧が古から存在して来たのです。この相矛盾した対比の「情景」こそが、この「都市」の魅力と個性を一層際立たせたものにしているのでした。そして、季節を初夏から初春へと遡ると、爽やかな朝日の光を受けて、川岸に咲乱れる山桜や枝垂桜の放つ香気は、風の意のままに吹かれ消え去っていくのです。美しくも惜しまれながら散っていく「桜花」は、儚く消えやすきものに至上の「美徳」を与えて来た、この国の「文化」の拠りどころを再現して魅せているのです。視ることの至福の眼差しは、私たちの「記憶」の回路を経ながら、もっと深く永遠なるこの国の「原型」を見据えていたのです。そんな私たちの「意識」が「ふっ」と現実に呼び戻されたのは、「記憶」の洪水が堰を切った濁流と化し、これらの「情景」が全て流れ去った後のことでした。縁日が開かれている「河川敷」では、明らかに人種的にはラテン系と想われる若者が、この国際都市の昔からの「住人」であったかのように違和感なく振舞っていたのです。そして、「松明」を妖しげな手付きで操る無国籍の若者が、その「火種」を彼の口から体内の「暗闇」へと葬り去った「瞬間」に、私たちの「意識」は再び階段の「踊り場」へと戻されたのでした。「踊り場」から見下ろせる「中庭」の空間には、浜風に揺れる「夾竹桃」が生茂り、砂浜に打寄せる「白波」はあくまでも穏やかなものでした。白雲たなびく「青空」を背景にして、突然に現れた虹色の「架け橋」は、きっとこの階段の何処かと繋がっているに違いないと想ったのです。そして、この階段を一歩一歩上がっていけば、きっとこの複雑怪奇な「建物」の構造も、いつか明らかになるに違いないと想ったのです。やがて、「屋上」への入口には、夕暮れの終わりを告げる残光を背中に浴びた燕尾服の案内人の姿が見えて来ました。彼らの懇切丁寧なる説明を受けて、一人ひとりと「外界」へと誘導されることになった私たちは、そこで、まるで黒いアンブレラが開かれるように拡がる漆黒の「夜空」に出会ったのです。それは、この「都市」の古からの「歴史」を追体験することだったのです。「夜空」は斯くの如く暗く静謐であり、「自然」は斯くの如く美しく豊穣であったのです。そして、その黒いアンブレラの「内界」には、この「都市」を囲むように連なる五山の山並みのシルエットが浮び上がったのです。次に、「火床」に「暗闇」から移された「火種」が点火され、「外界」と「内界」の接点の外側から、火は視る見る内に燃え上がったのです。そして、アンブレラの内側には、炎上する五つの「絵文字」が煌々と描かれたのです。私たちは、このアンブレラを回転させることにより、右から左への五つの「絵文字」を順番に読み、脳裏にはっきりと焼き付けることが出来ました。そして仮に、「記憶」の大洪水が再び起ったとしても、そして例え、それが予想を超えた濁流であったとしても、「送り火」としての五つの「絵文字」は、私たちの「心」に燈った「松明」として、未来永劫に消え去ることはないと思ったのです。
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by artbears | 2010-08-28 17:39 | 共白

真紅の落葉は暗黒の谷底に舞い下り、眠れる竜は翼を広げた鳳凰の館を襲う激流と化した

見下ろすと眩暈がするほどの深く険しい渓谷で隔てられた向こう側には、やはり同じような屋根付きの橋が架けられていて、犬や猫や鹿の仮面を被った人間たちの往来の様子は、こちら側の日常が鏡に映し出された相対称のものであるかのように営まれているのが観えるのでした。あなたは、向こう側の欄干の中央で、いつものように「ニコニコ」と微笑んでいるのですが、向って右隣りには、生えかかった二本の角が初々しい「竜」の子供が並んで立っていたのでした。疑惑の念に駆られた私が周囲を見回すと、案の定、微笑むあなたの横顔は、いつものように私の左隣りに在ったのでした。「私は年老いた鹿なの?それとも幼い竜の子供なの?」と恐る恐る発した私の質問への回答は、暫くの沈黙の末に、「時には、若々しい竜のようでもあるわ」という、谷底から発せられ、絶壁の岩々に反響する木霊となって返って来たのでした。そして、その声は、渓谷の周辺に生い茂る夥しい数の樹々を揺さ振り、厳寒の冬への決意とも読み取れる紅葉した枯葉たちは、その声の主を求めて一斉に落下を開始したのでした。真紅に染まった落葉たちが暗黒の谷底に舞い下りて行く様子は、ちょうど真っ赤な血液が「ポタポタ」と真っ黒な水面に滴り落ちて行く様子を視るように、不気味でもあり、何かの前触れを予感せざるを得ない光景だったのです。その時、幻惑の谷底の奥深くに在る漆黒の水面は、突然の変調を来たし、大きな波紋とともに乱れたのでした。谷底の眠れる「竜」が「ぐわぁん」と動いたのです。足元の人懐っこい鳩たちは、一斉に不吉な荒天に向って舞い上がって行きました。周りの中国語を話す観光客たちは、一斉に末法の到来に怯えて両手を合わせるのでした。「竜」は激竜となって、かつての平安貴族が洗練の極みとも言える文化的生活空間を創り上げた、この京都南郊の地の文化的荒廃を嘆き、再び怒りを顕にし、宇治川に合流する激流となって現れて来たのです。この風光明媚な自然も、人間の恣意的な解釈とある種の抑圧を経ずしては、文化発する地へと成り得なかったことを、そして、それを唯一可能とする芸術の根源的なパワーの所在とその意味を、「竜」は人々に知らしめるために、再び顕現して来たに違いないのです。それは、あの北斎の「龍図」にある「竜」を取り囲む白炎のように燃え滾る波濤となって、そして、その激流は護岸を決壊し、宇治川の西方に位置する平等院の池へと怒涛の如くに流れ込んだのでした。その時、私は、西方浄土に架けられた橋のように視えていた向こう側の構造物は、実は、この平等院の左右に広がる翼廊であり、東岸(現世)に在るこちら側の私は、この「竜」が潜むこととなった池を隔てて、西岸(来世)に在る私自身を視ていたことに気付いたのでした。そして、私は、無意識の暗闇とも、天上界の光悦ともどこかで繋がっているに違いない、この神秘的な水源と化した池を、縦横無尽に回遊する「竜」の姿に見惚れていたのです。それは、この世にも、あの世にも属さない、人類の財産としての特別の世界(芸術史)を創り上げて来た源の在処に他ならないと思ったからなのです。そして、次に、彷徨い続ける私の視線が惹き付けられた先は、入母屋造りの中堂のなかに鎮座している、人間の根源的な暴力性とは無縁で、とても温和で円満なお顔をした「阿弥陀如来坐像」だったのです。そのお顔の額には、真紅に輝く水晶玉が嵌め込まれていて、それは連綿と続く山脈の頂からの太陽の光を正確に受け止めて、「キラキラ」と輝く赤い光線の束からできた五線譜となって、天上からの来迎の道筋を教えていたのです。そして、26体の飛雲に乗った「雲中供養菩薩」の隊列は、その五線譜上を軽やかに移動しながら、ある者は、琴や琵琶、横笛、縦笛、笙、太鼓などの楽器を演奏しながら、また、ある者は、音楽に合わせて舞い踊りながら、天上の至福の音楽と、その音楽と一体化した舞踊を奏上したのでした。その音楽・舞踊は、一千年という時空間の存在を一瞬にして無化するほどのアクチュアルな芸術として、現代に生きる私たちの心にも鳴り響いて来たのでした。そして、色鮮やかに色彩の復活を果した菩薩たちは、中堂に吸い込まれるように次々に入り、長押上の壁に飾られた26体の浮き彫りの菩薩像と合流し、中堂を極彩色の絵画空間に変質せしめたのです。その美しさは、現代のコンピューター・グラフィックスで再現されたという映像とは、本質的に異なるものであり、芸術であることの根拠は高らかに歌われていたのです。
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by artbears | 2008-12-25 18:29 | 共白

猫目の車掌と手繰り寄せられた受話器、湖に浮ぶ海賊船は空に浮ぶゴンドラの影なのか

プラットホームで電車の入線を待っていた私たちの目の前に出現したのは、いわゆる金緑石と呼ばれる黄緑色の猫目石とは異なり、もっと蜂蜜に黄金を混ぜ合わせたような深い味わいのあるブラウンの地色に、白いはっきりとした瞳孔の輪郭が浮び上がっている眼球の持ち主だったのです。彼が車掌であることは、右手に持った「カチカチ」と音のする改札鋏で察しが付いたのですが、左手に持った「パチパチ」と火花を散らしている物体に目を奪われたことが、この旅行のそもそもの始まりだったのです。その物体は、黒い塩化ビニール製の絶縁皮膜を施したケーブルで、内部の導体がショートを起こしているために、まるで切断された蜥蜴の尻尾のようにのた打ち回っていたのです。車掌が感電死したのでは電車に乗れないと判断した私が、手繰り寄せたケーブルの先には、黒い旧式の電話機があり、アナログ式の呼び鈴は既に鳴っていたのです。慌てて受話器を取ると、映像の破片が大量のデジタルな記憶の粒子となって流れ出し、それらはやがて、ぼんやりとした焦点の定まらない像を結び始めたのです。目を凝らして視てみると、雨の「しとしと」降る湖面には、日本の原風景には似つかわしくない「海賊船」が、ゆっくりと進んでいるかのように視えたのでした。湖畔に寄添って立っていた私たちの差す傘は、ちょうどあのベーコンの絵画に在るように巨大で重々しく、背後に建つホテルのベランダからの金髪の女性の視線を遮るには十分な大きさだったのです。黒い傘を中心にして、左右に紅い船と金色の毛髪が並ぶ構図(関係性)は、やはりあのベーコンのトリプティックな絵画の構造が暴き出す遣り方で、これらの三つの要素が思い付きによる組み合わせではなく、運命的で本能的な部分で手が強く結ばれているように想われたのです。つまり、私たちは現実的な視線に曝されながらも、現実を超えた世界の存在を強く意識していたのでした。すると今度は、湖面に静かに垂れ下げられた深く濃い霧の緞帳が開かれるにつれて、紅く視えたはずの「海賊船」は、山頂と山頂とを結ぶケーブルにぶら下がった「ゴンドラ」の影のようにも視えて来たのでした。その時突然、私の記憶に最初のスイッチバックが起ったのです。隣の席に座るカップルは、その流暢な英語の発音からして、中国系の米国人に違いありませんでした。また対面に陣取る三人の若い女性達も、形態人類学的には東アジア系モンゴロイドに分類され、言語・文化(ソフト)においてのみ、辛うじて差異が認められる韓国人だったのです。私たちは、この紅い「ゴンドラ」に偶然に同乗し、この「霧の中の不安」をともに体験するという、奇跡的な「縁」で結ばれたのでした。そして、この七人のメンバーの過去を全てデータ化して、その各人の選択の一つを変えたシミュレーションの結果からは、この「現実」は決して立ち現れては来なかったことを想ったのでした。霧中に閉じ込められた私の思考が出口を見出すには、「ゴンドラ」が雲を突き抜けて青空に出ることを待たなければなりませんでした。「ゴンドラ」の眼下には、今だに火山が活動していることを証明する、白い噴煙が硫黄の刺激臭を伴って立ち昇っていたのです。そして、やはり白い噴煙を上げる蒸気機関車が、噴火口を避けるように「くねくね」と敷かれた軌道上を走っているかのように視えたのでした。その時突然、私の記憶に二回目のスイッチバックが起ったのです。トンネルの天上には、あの黒光りする皮膜で覆われたケーブルが一本通っていたのです。その様子は、蛇の胴内の背骨に沿って走る、太古から連綿と繋がる遺伝子の回線のようにも視えたのです。そして所々に点灯する蛍光灯は青白い光を放ち、やがてそれらの寿命は尽きる運命を物語っていたのです。現実の世界において永遠のトンネルが存在しないように、幸いなことに蒸気機関車はトンネルを抜け、樹々の生い茂る光の溢れる世界に出ることができました。しかし、残念なことに紫陽花の盛りの季節は過ぎていたようで、「装飾花」と呼ばれる花弁は枯れて焦げ茶色に変色し、所々に黄緑色の萼を残すだけとなっていました。その時突然、私の記憶に三回目のスイッチバックが起ったのです。あの猫目の車掌の焦げ茶色と黄緑色の眼球が、記憶の深層から急速に浮び上がって来たのでした。
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by artbears | 2008-10-30 20:33 | 共白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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