「ほっ」と。キャンペーン

夢博士の独白



夢を見た夢2:白夜の雪山に向かって走る電車、絶たれた部屋の光と閉じられた扉の音

 五人の「友人」は白くて巨大なマスクをしていた。電車の「窓」には、その「証拠」が写し撮られていたのです。やがてガラスの歪みが、白い毒マスクに変えて見せる。二十日鼠の左右の「耳」のようにして、それは垂れ下がって見える。それは逆さになって見える。
 凍て付いたプラットホームに立った「私」は、彼等を待っていたのだろうか、それとも送っていたのだろうか、足先の氷結した「感覚」は麻痺して、その「解凍」を拒み続けていたのです。常に「解答」は先送りされてきたのです。
 一本の「線路」はひたすらひたむきに走っていた。白い「雪山」に向かって、二本が一本となって延びていたのです。消失点は文字通り消えて無くなる。二十日鼠ほど「短命」ではないにしても、一方通行の「人生」には他に選択肢は無かったのです。
 五人の「友人」は降車していたのだろうか、それとも乗車していたのだろうか、「夢」のなかの「私」は、そのことに無関心を装う。いつも答えようとはしない。とにかく彼等に追い着かなければならないのだが、彼等はプラットホームの反対側に視えたのです。
 私の「逡巡」を嘲笑うかのようにして、開かずの「踏切」は閉じたままでありながら、「線路」の左に寄り添う「側道」を足早に歩いていたのは、他ならぬ「私」でした。私は意図せずにして、彼等の「先頭」を歩いていたのです。ダルマさんが転んだ。振り返ると後方には、黒くて巨大な「山影」が迫っていたのです。
 五人の「友人」が一人二人と近付いて来ては、次々と「無言」で離れて行く。彼等の「横顔」は浮かぶのだが、彼等の「名前」は白く沈んで行く。マスクは外されたのだろうか。ダルマは起きたのだろうか。だれも答えようとはしない。私は「孤独」を噛みしめながら、それはいつものことだと呟いたのです。穏やかな「湖面」のような諦念の「心鏡」を眺めたのです。振り向くと前方には、白くて巨大な「雪山」が迫っていたのです。
 私は都合よく、左側に現れた「路地」に駆け込むことにしました。崩れかかった「建物」には、差し出がましくも「廃虚」という看板が架かっていたのです。その隣には、地球に優しいという「偽善」のテロップが電光掲示されていたのです。何となく目的とした「建物」は、満潮のように近くに現れては、引潮のように遠くに逃げて行くのです。
 一歩として歩いた「記憶」は無いのだが、微睡むことなく着いた「入口」の右側には、鳥籠のように吊るされた「水槽」が視えました。赤い「金魚」が喘ぎながら泳いでいる。飾り立てた「尾鰭」を左右に揺らしている。私は戸惑うことなく、堅く閉ざされた「扉」を無理矢理に開けてでも、「侵入」を決意したのです。
 思いっきり「扉」を引くと、白夜のように残酷な「光線」が雪崩れ込んだのです。小さな「頭」の黒いエプロンをした「女」が、大きな手の平で「頭」を抱えて逃げ惑う。奥の「部屋」に向かって走り去る。段々と小さくなる「扉」を開けて行くと、次々と狭くなる「部屋」が現れる。この「状況」は長続きするものではない。その「認識」の直後に「光」が絶たれたのです。大きな「扉」から順番に閉められる「音」が聞えたのです。
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# by artbears | 2017-01-30 19:40 | 連白

夢を見た夢1:隆起する海面と錆び付いた海底の戦車、孤島又は孤独と録音された会話

 黒々とした「海面」が波立つように隆起して、前後左右に揺れている。それは、まるで「闇夜」を抱え込む「揺籠」のように見え始めたのです。遠くに視えたと思った「汽船」は、一瞬にして荒ぶる「高浪」の「魔手」に引き寄せられ、悲鳴のような「汽笛」が遠くに響いている。スルスルと「海面」が下降する「恐怖」が始まる。次の「海面」の上昇までの「時間」は短い。
 魚眼レンズのような「船窓」は、その「汽船」の船底にあったはずでした。その「船窓」からは、奇妙に明るく白濁した「海底」が視えていたのです。目を閉じても、同じ「光景」が見えるに違いない。長々とした呪文のような「会話」が続いていたのです。
 白々とした「海底」を覗き込むと、何台もの錆び付いた「戦車」が「海底」に沈んでいました。一台の赤く塗装された「戦車」が、まるで着陸体勢に入った「機体」のようにして、ゆっくりと「海底」を目指していたのです。それは、段々と錆びて行く。「腐食」は「死」のように着々と進んで行く。耳を塞いでも、長々とした念仏のような「会話」が続いていたのです。
 振り向き様に視えたのは、巨大な「客船」のまさに出港しようとする「後景」でした。「夢」は突拍子も無く「切断」されて、何かの拍子で別様の「光景」とつながる。絶海の「孤島」に取り残されているという「孤独」が側に立って居たのです。遠くの後部甲板では、何人かの「人影」が見え始めました。彼等の「会話」に「耳」を側立てるのですが、それが呪文であるのか、念仏であるのかは判り様が無かったのです。
 兎にも角にも「切符」を買わなくてはならない。遊技場からの「出口」を入った直ぐのカウンターには、ブロンドの「女」と脚の不自由な「男」が並んで立っていました。彼等の「関係」は親子の様にも見えるが、見方を変えると「恋人」の様にも観えなくはない。彼等の「背景」だけが、穏やかな「海面」と晴れ渡った「青空」であることが、却って「不安」を募らせる「原因」となったのです。
 彼等との良好な「関係」を築くことの難しさは、「想像」に難くは無いことでした。固い「意志」と硬い「遺志」を守らなくてはならない。それは、彼等の父親が「癌」で亡くなったという捏造された「記憶」が浮かんで来たからかもしれない。かくの如く「真実」は絶えて久しい。「出口」の反対方向に「視点」を移すと、多くの「捨石」が積上げられていました。一丁の「拳銃」が隠されていることが仄めかされていたのです。
 兎にも角にも「切符」を買わなければならない。その「状況」は「結癌」のように微動だにしない。途方に暮れて、荒れ狂う「海面」の反対方向に「視線」を移すと、緑豊かな「丘陵」を「背景」に競馬場が視えて来ました。その「場所」に駆け付けるや否や、ゲートは開かれて、「狂馬」は我先にと「山頂」を目指したのです。カウンターに居座る「看守」にも見える「男」に尋ねるしかない。彼は「馬券」は売れるが、復路の「切符」は売れないと言い放つ。その「会話」がテープに録音されて、重複と反復を繰り返していたのです。
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# by artbears | 2016-12-30 18:16 | 連白

森のなかの一脚の椅子、言葉に依って繋がる裏表の世界、思考のなかの一輪の薔薇の花

 晴天の「青空」を裏に返すと満天の「星空」に置き換わっている。それは、靄のような「欲望」が薄く長く棚引く「夢」のなかに於いては、往々にして起ることでした。それが朝方なのか、それとも夕方なのか、その無意識の「欲望」は教えてはくれない。その「欲望」は何かの「出現」の機会を与えているに過ぎない。「森」のなかの頑丈な一脚の「椅子」に沈み込むようにして座ったという「記憶」だけが、「私」の周りをゆっくりと回っていたのです。
 再び、トランプを素早く切る「手」が浮かび上がって来たのです。カードは手早く配られて、テーブルの上の複数の「手」が忙しく動いている。カードを表に返すと、赤い「戦闘機」が「青空」を飛行している。カードを裏に戻すと、青い「潜水艦」が「星空」を潜行している。巨大な鼻孔のような「暗闇」では、犬のような「顔」の白い「男」がしきりに指をパキパキと鳴らしている。彼に手の内を明かしてはいけない。言うまでも無く、他の二人の「顔」も「暗闇」に隠れて良くは見えなかったのです。
 時折、上目遣いの「視線」が、何かを催促するように投げ掛けられるのです。ほとんど聞き取れない「言葉」が行ったり来たりしているのです。それが儀式なのか、それとも遊戯なのか、「夢」のなかの「私」には答えようもない。トランプという「言葉」が無ければ、その「行為」の「意味」するところは見えては来なかったのです。
 「夢」のなかに於いても、「言葉」の存在は大きなものでした。その「世界」の環境は、この「世界」の自然とは異なる「次元」に成り立つものでした。ディテールはほとんど無視されていて、そう、「宇宙」のような曖昧模糊とした「空間」でありながら、その比喩される「概念」自体が既に「言葉」によって創られていたのです。
 それでは、この人工的な夢幻の「世界」に於いても、「言葉」の内には「命」があり、それは人を照らす「光」と成り得るものであろうか。「私」は「光」を求めて前後左右を見回しました。蝋燭の外炎のような、白黒映画の残影のような朧げな「光」は感知すれども、それは決して「暗闇」のなかで輝き、暗黒の「闇夜」に打ち勝つものではなかったのです。
 トランプを切る「手」が消えて、その「名前」が浮かび上がって来たのは、その後のことでした。彼がキングなのか、それともジョーカーなのか、そのことは「予知」できない。全てが「闇夜」のなかで決められようとしている。スリーカードが揃わないことに「憤懣」を抱き、「寛容」を失った白い「男」は、一人二人とカードをテーブルに叩き付けて立ち去ったのです。目の前には、無骨な一脚の「椅子」だけが残されている。ダークサイドの「拡大」が続いている。
 私の「意識」が「森」のなかの「椅子」に戻ったのは、暗黒の「深海」に沈潜していた「意識」が何かの「浮上」の機会を得たからに違いない。それは、強く鋭く射し込む「光」だったのかもしれない。仄かな「光」に包まれた「椅子」だったのかもしれない。
 私は「森」という抽象的な「概念」のなかにいたのです。つまり、一つとして具体的な木々の「名前」が想い浮かばない。この裏の「世界」では、表の「世界」の「言葉」に即物的に反応することはあっても、観念的に「世界」を創造することはなかった。万物は「言葉」に依って成り立つことは一つとして無かった。万物の「意味」は見えなかった。
 もしかしたら、私は無知蒙昧なる「大海」のなかにいるのかもしれない。時に「海面」に漂い、時に「深海」に沈んでいる。「視覚」をしても、「聴覚」をしても、「嗅覚」をしても、万物の「本質」の欠片すら掬い取ることはできない。私はどこから来て、どこへ行こうとしているのか、そのことを誰も教えてはくれない。
 私の「網膜」に朱い「人影」が転写されたのです。私の「思考」が「光」を分析して、その「虚像」を見せるのです。それが「虚像」なのか、それとも「実像」なのか、何れにしても、彼女も「闇夜」を歩いているのは間違いない。その「姿」は、まるで一輪の薔薇の「花」のような「沈黙」に満たされている。その「沈黙」は、あらゆる「言葉」を以てしても語り尽くすことはできない。
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# by artbears | 2016-11-30 19:54 | 連白

恍惚なる闇を墜ちる意識、エロス的身体又は無意識の水源、言葉が創造する世界と意味

 垂直に落下する無気力な「感覚」、それに伴って、透明の「水源」が気化上昇する無重力な「感覚」、脱臼した「身体」は宙に浮かび、真っ逆さまに落下する「意識」が、それを見詰めている。それは、正しい「位置」を失っている。深く暗い「不安」に「場所」を委ねている。私の目の奥の「洞窟」の「底」が抜け落ちたのです。恍惚なる「闇夜」をどこまでも墜ちて行く奇妙な「感覚」が、私自身の「意識」を呼び戻したのです。
 三月ウサギが単なる「言葉」の語呂合わせだったという「知識」は、落下する「意識」の「壁」に貼り付いていたものでした。それは、ロンドンの赤茶けたレンガの「壁」に貼られたポスターのようにして、気紛れな「風」に遊ばれていたのです。アリスの「寓話」に秘められた尤もらしい「解釈」が、果たして的を射たものであるのか、的を外したものであるのか、その「解答」も宙に舞っている。誰かが放った無数の「矢」が、欺瞞に満ちた「闇夜」を彷徨っている。それらは、「真実」には到底到達し得ない。
 偶然と言えば言い訳になるが、フロイトの「顔」が、まるで通りがかりの見慣れた「犯人」のようにして、あの「壁」に映し出されたのです。それは、「鏡」のなかの「死人」のように蒼白く視えました。恍惚なる「闇夜」に科学の「光」が射し込まれようとしている。私の狼狽を「分析」されてはいけない。私の赤面を「観察」されてはいけない。あのプライベートな「感覚」に対して、性的な「解釈」が成されようとしている。
 「読書」は止めよう。「知識」を捨てよう。さもなければ、私の「思考」は無名性と匿名性の「他者」に支配されてしまう。次々と「矢」は放たれている。私の「意識」は、それに脅えている。無邪気な「感情」の暴走を防止しなければならない。全てが何の「根拠」も無いという「前提」でのゲームに参加すべきなのだろうか。「戦争」は既に始まっている。無防備な私は、一体全体誰に向かって「矢」を放てばいいのだろうか。
 必然と言えば言い訳になるが、「話題」を変換する必要性に迫られた「私」は、あのナルシスの「水源」に行こうと思い立ったのです。ところが、透明だったはずの「水源」は、ドロドロと濁った「沼池」に変貌していたのです。それは、エロス的身体と呼べるものでした。その傍らには、あの清らかな「水仙」は消えて無くなり、巨大なチェシャ猫がニヤニヤと不気味に笑っていたのです。
 「笑わない猫」が「猫のない笑い」へと変換変異する。「語句」が並び替えられる。「意味」ははぐらかされて、時に茶化されて、時に肩透かしを食らっている。それらの「言葉」の遊びから生まれたイメージが、強烈に自己主張をするキャラクターとなって、私の目の奥の「洞窟」の「住民」となったのです。
 どうやら、私は無意識の「沼池」に足を踏み入れてしまったようでした。この無意識の「領域」では、多くの謎めいたイメージが生成消滅を繰り返していたのです。「善」と「悪」ですら、渾然一体となっていたのです。私は、この「混沌」のなかにあって、目の前で展開する表層的な「現実」を遥かに超えた規模で存在する、もう一つの深層的な「現実」の存在を「直感」したのです。
 重く静かに沈んで行く「過剰」のなかで失われる「感覚」、その「感覚」を追い掛けて行くと、まるで泡立つ「濃霧」が晴れ渡るようにして、新たな「認識」が見得て来たのです。私はたじろぎ「恐怖」する。私はしりごみ「憂慮」する。と同時に、ある種の安心と厳粛なる「感情」に満たされる。外なる「言葉」と出会ったのです。その硬質で、曖昧さを削ぎ落とした厳格なる「言葉」と出遭ったのです。そこには、この「世界」の「意味」があった。そこには、私の欲する新しい「力」があった。
 確かに、はじめに「言葉」があったのです。「言葉」こそが「世界」を定義して創造して、それに「意味」を与えて来たのです。ならば、私の見える「世界」を、私の「言葉」で表わそう。それが、どれほど拙く幼い自信の持てない「文章」であっても、「他者」に読まれることを「前提」にした、私の「言葉」を発しよう。その「目的」に向かって、私の「矢」は放たれたのです。
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# by artbears | 2016-10-24 19:28 | 連白

木霊する言葉と意味の喪失、取り留めも無い意識と思考、真実の音源又は苦悩する精神

 耳の奥の不可視の「感触」に恐る恐る手が伸びる。耳の奥の不可侵の「蝸牛」がヌルヌルと足を延ばす。蜘蛛の巣のように張られた「鼓膜」が震えて視える。その薄くて繊細なる「境膜」を破ってはいけない。真実の「音源」は、その「境界」の向こうに在るに違いない。私は四つん這いになって、手探りで「洞窟」を匍匐前進したのです。
 ある種の「伽藍堂」と呼ぶべきか、さほど大きくはない「空間」が現われて、その曖昧で茫漠とした「輪郭」が肌身に感じられたのです。その「輪郭」としての「壁」に向かって、あの甘く切ない「言葉」が投げ掛けられる。一呼吸置いて、あの暗く切ない「不安」を伴って返されてくる。同音同意の「言葉」が木霊していたのです。
 私は「言葉」の発生能力を失っていた。私は「意味」の形成能力を喪っていた。他者の「言葉」を繰り返すことだけが許されている。気晴らしの歌とお喋りはもう止めにしよう。さもなくば、悲しみの余りに「言葉」を失い、干乾びた「声」だけが残ってしまう。私は深い自己嫌悪に陥りました。一刻でも早く、一刻でも速く、この独りでに打ち震える「鼓膜」の向こう側に抜け出したかったのです。
 瞬間にではあるが、森の奥の「洞窟」から耳の奥の「洞窟」へと移動していることに気付く。それは「意識」の為せる業でした。勝手にではあるが、それは「夢」に与えられた「特権」だと解釈していることに気付く。それは「思考」の為せる業でした。目まぐるしく流転するのは「意識」なのだろうか、取り留めも無いのは「思考」なのだろうか。通り抜けた先には、美しい「庭園」が拡がっていると聞く。私は再びアリスの「寓話」に迷い込んだのです。
 「夢」の暗がりの中の黄金の昼下がり、一匹の「蝿」が蜘蛛の巣の上でもがき苦しんでいました。それは、あたかも「鼓膜」に捕らえられた「音」のようにして、無数の小さな「振動」に耐えていたのです。赤裸々に自分自身を引き裂いていたのです。その「姿」は、「苦悩」以外の何事にも喩えようがなかったのです。
 螺旋階段の途中の「踊場」には大きな「鏡」が架けられていました。死を前にした「蝿」が生を前にした「蜘蛛」を誘惑した「言葉」とは何だったのだろうか。無言の「鏡」は、その「言葉」を写したに違いないが、その「意味」するところは永遠の「謎」に包まれている。全てが「煙」に巻かれている。「鏡」は割れてしまったと言う。その「割目」を通して、苦しみの「秘儀」が始まると言う。「言葉」を巧みに操る「白兎」が、蜘蛛の巣の下を易々と潜り抜けるのが視えたのです。
 確かに、この「洞窟」を抜け出た「世界」の醜悪さも想像に難くはなかったのです。あの親密さもとうの昔に断ち切られています。だからこそ、真実の「音源」はダイヤのように輝いているはずでした。それは抽象的で、「肉体」を超越しているはずでした。
 回転するレコード盤に鋭利な「針」が落とされる。空気の「振動」が不意に始まる。やがて「空間」の隅々にまで浸透する。私の「鼓膜」は、その純粋で媚も憐みもない「音」を捉えるのです。その「音」の背後には、精神的な「苦悩」は在るが、肉体的な「苦痛」は無い。その「音源」は永遠に届かない「彼方」に存在している。
 アノニマス、その「言葉」には不吉で邪悪なイメージが付き纏わっていたのです。それは、遠くに視えた黒い「人影」のようにして現れるのです。それは、私の「内部」に視覚と聴覚を通して、私の「外部」の「世界」を齎した無名性の「他者」でした。
 私の「内部」を覗き込んで観よう。公平中立なる「観察者」に徹して見よう。そこには、複数の「音源」からなる複数のアイデンティティが存在している。私のオリジナリティなど存在しないかのようだ。そこには、同情と憐憫の「感情」は無い。虐げられ、辱められ、傷付いた者達の「精神」が在る。この「洞窟」から抜け出ることはできない。この生きる「苦悩」を、私の「外部」に追い遣ることはできない。
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# by artbears | 2016-09-30 19:22 | 連白

真実の映画又は一夜の夢、馬耳東風の男と狂気乱舞の女、落下する水源又は真実の音源

 真実の「映画」を観に行こうと誰かに耳打ちされる。せめて一夜の「夢」を見たかったのです。その甘く切ない「言葉」が、耳の奥の「洞窟」に木霊していたのです。泥のような「暗闇」に足を踏み入れる。ちっぽけな「天窓」さえ一つも無い。まるで岬の先端の「灯台」のようにして、渇望の「焦点」が遠くに視えたのです。
 「両耳」のちょうど中間の少し右寄り辺りだろうか、その「洞窟」には、まるでナルシスの危うい「面影」のようにして、透明の「水源」が揺蕩っていたのです。私は凝視する。その「水源」に寄り添うようにして、白い「水仙」が咲いていたのです。暖かい「春風」が吹き抜けて行く。温かい「東風」が追い掛けて行く。私は仰視する。その「水仙」に寄り従うようにして、白い馬の「耳」をした「男」が立っていたのです。
 「時刻」は九時半を回ろうとしていると、その「男」は言いたげな素振りを見せました。彼は「時間」が経つのを見計らい、時折、その真っ白な「歯」を見せて笑うのです。それは、時計仕掛けの「笑顔」のようでした。全てが見透かされているという「懸念」が、放たれたスローモーションの「弾丸」となって、私の「脳裏」を通り抜けたのです。
 もう一度「時間」を確かめようと、私は腕時計を覗き込みました。すると「時刻」は七時半に逆戻りしている。腕時計の「秒針」が狂ったように逆走している。その「秒針」を臆病で小心者の「白兎」が追い掛けている。「時間」は残されては無いが、真実の「映画」には間に合うかもしれない。
 私は「我」を忘れて「夢中」を走りました。もともと「我」など無いことを忘れて、「洞窟」を迷走したのです。「真夜」の映画館は閉じていましたが、「真昼」の帽子屋は開いていました。そもそも帽子屋は狂っていると耳打ちしたのは誰なのか。私は懐疑する。私を疑惑する。その「白兎」のような形振りを見て、気違い「帽子」が笑うに違いない。事実、その真っ白な「歯」が、すでに文字盤の奥の「暗闇」に視えていたのです。
 真実の「映画」は永遠に上映されないのかもしれない。その「証拠」として、「真夜」の映画館は閉じられていたではないか。その暗く切ない「不安」が、目の奥の「洞窟」に投影していたのです。虚偽の「映画」が上映されていたのです。寒々と「秋風」が駆け抜けて行く。軽々と「北風」が追い越して行く。気違い「帽子」は笑い転げて、白い「水仙」は勿体ぶった様子で微笑んでいる。白い馬の「耳」をした「男」は、相も変わらず、何も聞こえない素振りを決め込んでいたのです。
 透明の「水源」の近辺では、鮮やかな色彩の「蝶」が狂ったように乱舞すると耳打ちしたのは、年老いた「盲目」の予言者でした。真実を視ることなかれ、知ることなかれ。然れば、汝は生き永らえるであろう。彼女の目の奥では、美しくも毒々しい無数の「蛾」が舞っていたに違いない。私の目の奥では、真実の「蝶」が舞っている。虚偽の「蛾」が舞っている。私は混乱する。私を消失する。兎にも角にも、この目の奥の「洞窟」から一目散に逃げなくてはならない。 
 虚偽の「映画」を観に行こうと誰もが耳打ちされる。せめて毎夜の「悪夢」から逃れたかったのです。いくつかの穏やかな「海」を回航して、いくつもの見知らぬ「街」を後にする。いくつかの緩やかな「山」を展望して、いくつもの神秘的な「森」を前にする。私は躊躇する。私を叱咤する。思い切って、深く鬱蒼とした「森林」に分け入って行くと、極彩色の「両翅」を光り輝かせる無数の「蝶」が、黄金色の「鱗粉」を撒き散らしながら、飛び交っていたのです。私は、その圧倒的な狂気の「光景」に「我」を忘れたのです。
 私は再び「我」に帰る。その「我」は食虫植物の「罠」を想い浮かべる。それでも、森の奥の「洞窟」に逃げ込むしかなかったのだろうか。湿った黴臭い「空気」が、私の「肺胞」の末端まで侵攻してくる。小さな「戦闘」の屍が堆積して、大きな「敗戦」の陰鬱な「気配」に息が詰まる。真っ暗闇の「洞窟」を歩き続けるしかない。すると真実の「音源」が、あの透明の「水源」が落下する「滝」となって、私の耳の奥に聴こえ始めたのです。
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# by artbears | 2016-08-31 20:31 | 連白

二枚の絵画の距離又は時間、歴史の終焉と出現した位相、過酷なる現実と衰弱する理想

 全体としての「左脚」の部分としての「左足」の先には、赤黒く「鬱血」を残した「中指」が、いつもの無表情な控え目さを取り戻していたのです。「中指」がピクッと頷く。それは生き物のように動いて、もう石のようには固くない。柔らかい優しい修復と回復の「時間」が経過したことを報せていたのです。
 一刻が一刻の上に加算されて、何かの拍子で一気に破算になる。「意識」の方向転換が、それを決めている。そして再び、何かが終わるために何かが始まろうとしている。「瞬間」は、次の「瞬間」のために生まれている。その巻戻しと先送りの加減算、その永遠の繰り返しが続いていたのです。そして突然、時の流れの「中間」が消えて、事の流れの「発端」と「結末」とが一体となって、私の目の奥に現われて来たのです。
 「発端」としてのプサンと「結末」としてのセザンヌ、二枚の「絵画」が、私の「視界」の両端に並んで視えたのです。その「距離」を測る。その「時間」を計る。両者の間には、一方向へと展開する「時間」の経緯が認められました。「秩序」と「構造」に対する「思考」の進化と深化が観て取れたのです。そこには、統合化されて表れる全体と、それを構成する部分との「関係」という、西欧絵画の「伝統」が脈々と流れていたのです。
 全体としての「絵画」の部分としての「表現」の先には、西欧近代絵画の「伝統」からの「離脱」という、米国現代美術の「目的」が見えて来ました。先ずは、イメージが「絵画」から追放されて、全体と部分との「関係」が解体される。次には、「物質」と「精神」が混然と融合して、強く激しい「情動」が表面を覆う。やがて「精神」の強度が「物質」を乗り越えて、カタルシスを迎える。その先には、殺伐とした都市の「光景」が、現実の物質世界の「地平」が拡がっていたのです。「時間」の連鎖は断たれて、「瞬間」が「絵画」に閉じ込められる。「絵画」の終焉が近付いていたのです。「歴史」が終わりを告げて、新たな「位相」が生まれようとしていたのです。
 ポロックを分岐点として、「現代」の芸術表現が「近代」とは異なる「位相」の上に成立していることは間違いない。その「位相」に逸早く移行したジャッドは、あらゆる「記憶」の喚起からも、いかなる「価値」の束縛からも自由でいて、一瞬にして全てを理解できる特別な「事物」を創造したのです。それは「記号」ではないし、単なる「物質」でもない。「精神」は「概念」に置き換えられて、特別な「事物」と純粋な「概念」との関係性の内側で、外側の「世界」を捉え直そうとしたのです。
 テキサスの広大な「平原」に巨大な三次元の「箱」が置き去りにされている。私は「夢」の中で、何枚かの「写真」を捲るようして、その「光景」を目撃したことを「告白」しなければならない。吹き抜ける「風」が知らせたのは、建設途中の都市空間の「断片」のような「気配」でした。否、建設は「放棄」されていたのかもしれない。
 コンクリートで固めた「箱」が棺桶のように見えてくる。都市文明の「死臭」が漂ってくる。私の「視線」は冷たく跳ね返される。ジャッドの抱いた合理性と効率性の「象徴」としての「都市」のイメージは、今や「幻影」となって蜃気楼のように揺れていたのです。その「思考」は、未だに「幻想」となって「近代」に「残留」していたのです。
 米国の途轍もなく巨大な「時空間」と途方もなく膨大な「情報量」が、人間存在を相対的に矮小化している。自分が何者で在るのかという「概念」を、心の「地図」に描けない。自分と他者との「関係」を、どう構築するのかという「指針」が持てない。そうした個人的な「情況」が、政治的な「情動」と結び付いて、リアルな力として肥大化している。
 米国の理想主義と現実主義が共存して、その均衡点を模索し続けてきた「空間」が、急速に収縮しているのです。過酷なる「現実」が脆弱なる「理想」を萎えさせて、その訴求力と求心力を衰えさせているのです。「理想」こそが、行動を促して来た。その実現こそが、「現実」を変えて来た。「現実」の裏付けのない「理想」が、一夜の「夢」となって消えようとしているのです。
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# by artbears | 2016-07-31 17:46 | 連白

消えていく欧州の良識と幻想、反復する夢の奥に眠る記憶、崩壊する壁と守るべき精神

 赤い薔薇の「花」を胸ポケットに忍ばせた「男」は英国紳士然としていたのですが、彼の差しかざすフォックスの黒い蝙蝠傘とは、どことなく不釣り合いな歩き方をしていたのです。それは、一歩進んで二歩退がる、三歩進んで二歩退がる、「前進」とは言えないが、「後退」とも言えない。足踏みとは呼べないが、二の足を二度も踏んでいる。それは、自らの「影」を踏むことを極度に恐れていたのです。
 弱々しい「太陽」の「光線」が、それでも落下傘のように降りて来て、行き場を失った「影」が右往左往している。雨でもないのに蝙蝠傘は開かれて、遣り場を失った「影」が三々五々と集まっている。そもそも英国の「離脱」か「残留」かの選択は、気紛れなサイコロの「意志」に委ねられていたのです。欧州の市民社会の「良識」が急速に消えていく。EUの「幻想」が同時に消えていく。下部構造の「断層」が上部構造の「亀裂」を招いている。起こるはずのなかった「事態」が、事もなくあっさりと起こり始めたのです。国境の無い欧州の「夢」が終わり始めたのです。
 時として、紅く血に染まった「石畳」が本来の「色彩」に戻ったのは、白い麻のスーツに身を包んだいかにも英国紳士然とした「男」が、遠くから近付いて来るのが視えたからかもしれない。彼の足取りは、まるで小高い「丘陵」に吹く「微風」のようにして、山深い「渓流」に澄む「清水」のようにして、優しく軽やかに流れるようでした。
 時として、「記憶」が「夢」を引き寄せることがある。逆に「夢」が「記憶」を呼び覚ますことがある。過ぎ去った「時間」の絶えざる流れではなく、途切れ跡切れの「瞬間」が目の奥に浮んで来ることがある。それは、手の平から零れ落ちる「清流」の一滴一々の如く、その「純水」の最初にして最後の驚きと輝きをもって訪れる。
 小さなハリネズミが、大きな「毬栗」のようになって、舗装された「道路」の真ん中で真ん丸くなっていたのです。薄っすらと開いた「目蓋」からは、透明な「世界」が「純水」となって触れて見えたのです。彼は決して自尊心と虚栄心の「動物」ではない。彼は「恐怖」の「感情」の固まりとなって、自らを守る「鎧兜」となっていたのです。
 白いスーツの「男」が上着を脱ぎながら、足早に近付いて来るのが視えました。赤いスカーフを首に巻いた「女」が遠くで振り向いたのです。彼女の薔薇色の「唇」が動いて、誰かに何かを叫んでいる。それでもハリネズミは動く素振りを見せない。大型トラックが「石畳」を越境して「道路」に侵入しようとしていたのです。
 私はかつて目撃した。その「光景」が、「夢」のなかで再現されたことの不思議を想ったのです。黒い蝙蝠傘が白い落下傘に変わる。浮遊感とともに舞い降りてくる。白くて柔らかい上着が硬直したハリネズミの「身体」を優しく包み込んだのです。「毬栗」は自然に戻されて、やがて自らを開いて、新たな「一歩」を踏み出したのです。清々しい「小川」の絶えざる流れが、自然の永遠のリズムとハーモニーを奏でていました。遠い遠い「夢」の奥の奥に眠る「記憶」から、欧州の「良心」を垣間見た想いが蘇って来たのです。
 反復される「夢」、変質される「夢」、その度に確実に齢を重ねる「私」、全く同じ「夢」が繰り返されることはない。そこには、「記憶」の経験と蓄積と創造が関わっているに違いない。「夢」の中の「空間」は神出鬼没に現れては消えていくが、「夢」の中の「時間」にはどこか連続性が在るように思えてならない。「夢想」が与える「恐怖」のシナリオが現実化しようとしている。主は与え、主は奪おうとしている。
 わずかな「偶然」が「世界」を変えようとしているのかもしれない。それが、「歴史」の「意志」なのかもしれない。東方に向かって拡大するマルク経済圏、北方に向かって流入する異教徒移民、内部から湧き起こる排外的民族主義、欧州の理想主義と規範主義が創り上げたシステムの「崩壊」が始まったのです。英国の「離脱」なのか、それとも「脱出」なのかも判らない。新たな高い「壁」を築かなくてはいけないのだろうか。その内側で、果たして欧州の「精神」が守られるのだろうか。
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# by artbears | 2016-06-30 18:57 | 連白

固体となった記憶の夢、不在となった現在の私、黒いスフィンクスの死を告げる雨と影

 しばらくして「瞳孔」が開いてきたのだろうか、私の叫び声が「意識」の「扉」を開いたのだろうか、ようやく明るさに反応しようとする「感覚」が蘇って来たのです。明るく内省的な私が、暗くて内省的な「私」と入れ替わる。「両者」は離れていく。忘却のシステムが作動を開始したのです。それに連れて、あの「声」は引潮のようにして、遠い哀愁の「彼岸」から聞えてくるようになる。「死」は静かで小さな「声」となる。
 微睡みのなかでは、「夢」の続きが用意されて「事」が起きる。その「事」のなかでは、おぼろげな「文脈」とおぼつかない「人脈」が絡み合って「時」が過ぎる。その「時」のなかでは、厳かで堂々とした「黒鷲」の大きく拡げた「両翼」のようにして、曖昧で秘密めいた「記憶」が積層した太古の「地層」のようにして、私の「夢」が映し出されていたのです。私の「影」が黒い炎のように動いている。私の「身体」から離れないように燃えている。「私」の不在は明らかでした。
 それは、ゴシック様式の「大聖堂」のステンドグラスの「壁」のようにも見えました。下方から上方に向かって「視線」は彷徨いながらも「上昇」するように構成されていたのです。「過去」から「現在」へと繋がる「情景」が一つひとつの「枠組」のなかに嵌め込まれていて、下方の「枠組」の固定化と上方の「枠組」の流動化が進行していたのです。最上層を見上げると、私の「影」が赤い炎のように燃えている。私の「身体」から離れるように動いている。「現在」の不在は明らかでした。
 「記憶」のステンドグラスが起ち現われて来たのです。遠い「過去」は硬い「石垣」のように固まっている。そこでは「時間」は停止している。少なくとも「瞬間」のなかに断片化している。それらの「記憶」が固体化されることによって、「時間」を超越したイメージが発ち現れていたのです。
 しばらくして「瞳孔」が閉じてきたのだろうか、私の呻き声が「意識」の「扉」を閉じたのだろうか、再び目の奥の「暗闇」に順応しようとする「感覚」が戻って来たのです。暗くて何処までも続く「廊下」が視えて来ました。「死」が再び、あの「声」となって聞こえて来たのです。「次、次の死体」と聞こえて来たのです。
 慎み深く四枚の「扉」が、しかも同時に開くとは想ってもいない「事」でした。「廊下」の暗がりのなかで、四人の「影」が、一瞬のゲームのように素早く、白い炎のように輝き始めたのです。それは、白塗りの「道化師」の弱くて自虐的な「嘲笑」と強くて絶望的な「虚勢」のようにも見えました。一人目が、デヴィッドの「死」であったことは間違いなかったのです。
 二番目の「部屋」に入ると、人気の無い「舞台」のスポットライトはすでに消えていて、黒いドレスを着た一人の「女」が佇んでいたのです。その「姿」は、まるで黒いスフィンクスのように不思議な雰囲気に満ちていました。「舞台」に「雨」が静かに降っている。それは、彼女の吐く「呼吸」のように冷たく細かく柔らかい。
 ナントに「雨」が降る。深い「夢」の寒い「暗闇」に降っている。すると突然、スポットライトが燈されて、四人の「男」が同時に立ち上がったのです。寒々とした「舞台」には、主人を失った一つの「椅子」が遺されていたのです。「黒鷲」は飛ぶ鳥となり、「黒馬」は立ち馬となる。それは、想ってもいなかった「時」でした。
 見知らぬ四人の「影」が次々と「私」を通り抜けていく。彼等は何も問わない、何も語らない。ただ彼等を視ただけで、彼女がすでに逝ってしまったことが判ったのです。二人目が、バルバラの「死」であったことは間違いなかったのです。
 真っ赤な薔薇の「花」が、真っ青な「海」へと続く「石畳」を真っ赤に染めている。私の「瞳孔」は完全に開いて、深紅に染まった「眼球」が忙しく動いている。目の奥に真紅の薔薇の「華」が視える。私の「記憶」のなかで咲いている。散ることを忘れて咲いている。ナントに「雨」が降っている。
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# by artbears | 2016-05-30 20:36 | 連白

連鎖する時間と絵画の構造、楽園又は現実となった死、入口である出口に立ち竦む裸体

 超越的な「存在」、そのように「記憶」のなかで観える「高山」も、やはり「夢」のなかの「教会」のように垂直に起立していたのです。それは、西欧の建築的な「原理」に基づいているのかもしれない。「過去」から「未来」へと連鎖する「時間」は、「現在」という仮初めの「箱」に一旦取り込まれている。どこまでも奥行きの在る三次元の「空間」に閉じ込められている。そして、ある時に忽然として連続性が断たれて、その時に毅然として垂直性が建ち上がる。瞬時にして「全体像」は把握される。それは、西欧の絵画的な「構造」に基づいているのかもしれない。
 私は歩くことは厭わなかった。走ることですら、さしたる「苦痛」ではなかった。しかし、後方を向いて「前方」に歩くことはできても、前方を向いて「後方」に走ることはできない。そう、私は「川」を挟んだ「堤防」を「下流」に移動していたのです。想定外に水嵩を増す「水流」に「不安」を覚えながらも、瞬きもしない間に訪れる「未来」が、想定内に収まることは祈るしかなかったのです。
 まるで「絵巻物」のようにして、「川」は一方向に緩やかに流れて来たのです。ゆっくりと「時間」と寄り添うようにして、「物語」は語り継がれて来たのです。そして、明らかに「現在」は「過去」と線的に連鎖していた。「絵巻物」はさらに巻き解かれて、人々の「記憶」のさらなる蓄積を促した。人々は「梅園」に集い「桜園」に酔い痴れて、そして「現在」の延長線上の「未来」を想い描いて来たのです。その先には、「楽園」としての「死」が想い描かれていたのかもしれない。
 プッサンの「絵画」が、私の目の奥に浮んで来たのです。豊かな「理想郷」に忽然と建ち現われる「墓標」、三人の「牧人」と毅然と立ち振る舞う一人の「恋人」、「生」と「死」が対比されて、「過去」と「未来」との対話が始まる。「過去」と「現在」と「未来」が一つに合体して、その「構造」が示される。「永遠」のイメージが起ち上がって来たのです。「私」はアルカディアにいたのです。そして「死」も「理想郷」にいるのです。「死」は片時も忘れることのできない「現実」となったのです。
 両側の「堤防」を無数の人々が歩いていました。一人として「上流」に引き返せる「人間」を見付けることはできない。何と従順な、それは、まるで飼い慣らされた「牧羊」の群れのように見えたのです。そして、「川巾」は次第に狭くなっていく。「水流」は次第に激しくなっていく。その先には、真っ暗闇のトンネルの「入口」が、一方向に空いた真円の「出口」が待っているのが視える。「瀑布」となって落下するであろう「死」、それに立ち向かう「覚悟」が問われていたのです。
 ほとばしる「液体」、それは「汗」と呼ぶよりも、「身体」に付着したゼリーのようでした。「次、次の人体」、その「声」は、胸の悪くなるような「悪臭」を放っていたのです。無数の人々が無言の「行列」に繋がって、裸となった「私」の前後には、血の気の失せた青白い「裸体」が並んでいたのです。「次、次の裸体」、その「声」は、「砂漠」のように白く乾いて、「深海」のように黒く虚しい。私は「人体」なのか「裸体」なのか、私は叫び声を上げる。それでも目覚めない時には、その「声」に従うしかない。
 恐らく、誰にも理解してもらえない、いや誰もが理解したくない「現実」が、私の「夢」のなかにも「存在」しているのです。この「行列」から抜け出ることができるなら、何でもできる。私の「悲鳴」は、私の「夢」のなかの「私」にしか聞こえない。
 私は並ぶ、私は叫ぶ、私は乞う、その「苦悩」は、夜毎に「私」を強い眼差しで見詰める「彼等」の「視線」のなかにも映えている。すでに「裸体」となった「私」は、これから「死体」となる「私」と手を握り合うしかないのだろうか。そして「裸体」に残る「体温」が、冷たい「死体」を温められる「時間」は、どれほど残されているのだろうか。それでも目覚めない時には、あの「声」に従うしかないのだろうか。
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# by artbears | 2016-04-29 14:01 | 連白


ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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