夢博士の独白
2019-12-29T21:48:12+09:00
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ソフトマシーン・やわらかいきかいのひとりごとです
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夢を見た夢13:意識された欲望と明鏡止水の境地、消え逝く炎と燃えようとする魂の灯
http://artbears.exblog.jp/27916650/
2019-12-29T14:38:00+09:00
2019-12-29T21:48:12+09:00
2019-12-29T14:38:09+09:00
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分離する不透明な境界、数え切れない夢と脳内の言葉、発酵する視覚と神話のイメージ
http://artbears.exblog.jp/27882745/
2019-11-30T17:31:00+09:00
2019-12-02T14:00:48+09:00
2019-11-30T17:31:16+09:00
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夢見る睡魔の感触と悪魔の囁き、暴走する車と逆走する私、錯乱の詩人と水中への投企
http://artbears.exblog.jp/27846214/
2019-10-31T18:04:00+09:00
2019-10-31T18:04:30+09:00
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夢を見た夢12:陰又は黒犬と左手の非物質性、陽又は右手と狂気となって空に舞う鉄剣
http://artbears.exblog.jp/27788330/
2019-09-30T19:25:00+09:00
2019-09-30T19:34:26+09:00
2019-09-30T19:24:59+09:00
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言葉の恣意性と夢の関係、投げ掛ける言葉と返される神話、変転する恐怖と魅惑の感情
http://artbears.exblog.jp/27749239/
2019-08-30T20:02:00+09:00
2019-08-30T20:03:48+09:00
2019-08-30T20:02:31+09:00
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大勢の「男女」が一つの「方向」を目指していました。彼等との「視線」は交換できないが、彼等との「視線」は共有できる。私達の「視線」の先には、一台のエレベーターが視えて来たのです。振り返って見ても、二台のエスカレーターは「跡形」も無かった。二つの「言葉」が入れ替わったのかもしれない。一つの「言葉」が見えて来たのかもしれない。「言葉」の恣意性が「夢想」を語り始めたのです。一つの「言葉」を投げ掛けると、一つの「神話」が投げ返されて来るのです。「神話」は誰かに与えられるが、誰もが選べない。私は「私」を覗き込みました。すると「神話」は一瞬身を潜めるのだが、一旦「言葉」を発すると、どこからか現われて来るのです。ランボーは「神話」を乱暴に解体した。内なる「他者」を告発した。「意識」と「私」を切離した。自らの「言葉」を獲得した。もう一度振り返って視ると、私の「視線」の先には、五台のエレベーターが視えて来たのです。大多数の「男女」はドアの「開閉」を心待ちにしているように見えました。「私」は後退りする。私に後戻りする。なぜならば、エレベーターという「言葉」を想うと、「恐怖」と「魅惑」が裏表に変転する「感情」が沸き起こって来るからでした。「死」の「影」が見えるのです。私は「神話」を無視して、少数の「男女」と、エレベーターに巻き付いた螺旋状の「階段」を昇ることにしたのです。例え「階段」が「回廊」に変じても、「夢」の中では驚くことはない。「階段」を踏み外すことはない。「回廊」は「蛇」のように巻き上がるのか。大胆な「男」が色白の「女」に耳打ちをする。細心な「女」が色黒の「男」に目配せをする。「言葉」は時として「嘘」を吐くが、「耳目」は寡黙にして、その「嘘」を見抜くことがある。彼等の謎めいた「会話」は聞き取れないが、聞えた振りをするのも、「夢」の中では往々にして起り得ることでした。唐突な「吃音」のようにして、「脳」が切り開かれて、ビルバオの「建物」が現れて来たのです。その銀色に輝く「光景」は脱臼していて、私は殆んど「言葉」を失いました。それは「回廊」の行き止まりを「警告」しているに違いない。私は引き返して、「私」をエレベーターに乗せなければ、この「苦境」から抜け出すことは叶わない。。「黒豹」のように妖艶な「女」が振り向く、その「顔」が一瞬の「陽炎」のように見えたのは、残り少ない「日々」を想ってのことだろうか。例え「回廊」が「迷路」に変じても、もう一度引き返すべきなのかもしれない。「暗号」のような「言葉」が羅列して、「神話」のような「教訓」が混乱を招く。私は「地獄の季節」を走り抜けられるのだろうか。
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死者又は出口なしの状況、他者又は奪い取る視線、原因としての業と結果としての現実
http://artbears.exblog.jp/27710880/
2019-07-31T19:17:00+09:00
2019-07-31T19:27:51+09:00
2019-07-31T19:17:18+09:00
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「眩暈」のような「思考」は、私に追い着いたのか、それとも「私」を追い越したのか。もう一度「空間」は裏表に反転して、「私」とバローは入れ替わったのかもしれない。明々白々たる「偽言」がまかり通る。一目瞭然たる「偽者」が肩で風を切る。「通路」は底抜けの明るさを取り戻したのだが、どこか憂鬱で気だるく、乾いた笑いのような「空虚」に満たされていたのです。何とかして、この虚しく空しい「穴」を埋めなければいけない。私の「思考」は当てもなく駆け回りました。いろいろな「穴」を塞ぎ、さまざまな「穴」を閉じて、この対自的な「虚無」を、即自的な「自己」で満たさなければならない。象徴的な「意味」での「充実」を求めて、実存的な「一歩」を踏み出さなくてはならない。根本的な「選択」を避けては、この「通路」を通れない。「存在」は「実存」へと通じない。目を凝らして、「通路」の暗がりに「視線」を移すと、三人の「死者」が罵り合っていたのです。彼らは「鏡」に映ることはない。自らの「姿」を視ることはできない。「他者」の「視線」に曝されることしかない。「死者」で在るが故に、自らの行為の「意味」を変えることはできない。まさに「出口なし」の「状況」が見えたのです。目を皿にして、「通路」の明かりを「網膜」に写すと、私の「視線」は「鏡」に跳ね返されたのか、バローの「姿」が現われて来たのです。私が右側に「頭」を傾けると、バローは左側に「頭」を傾げる。彼から視える「私」も、左右反対に見えているに違いない。私は「私」は視えるが、私を見ることはできない。私の内側に住まう「他者」としてのバローは見えるが、その「姿」は、すでに「私」の一部となっていたのです。暫くして、前方に二台のエスカレーターが視えて来たのは、私が「心」に想い描いた「思念」が、「業」すなわち「原因」となって、「姿」を現わして来たからに違いない。エスカレーターは上昇するだけで、下降することはなかった。この「死」へと向かう「通路」から抜け出ることを、私は「夢」の中でも強く願っていたのです。アッシジという「言葉」が、瞑想する「白雲」となって、小麦色に輝くイタリアの「田園」を撫でるようにして浮かんでいました。荘厳なる「大聖堂」が、「天空」に想い描かれた「天井画」が、目の奥に発ち現われて来たのです。荒れ朽ちた「岩石」と交換するようにして、瑠璃色に輝く「鉱物」が表われて、彼らの「秘密」が語られる。「天空」を見上げると、深い悲しみに堪え切れなくなった「天使」が舞う。彼らの「泣声」が墜ちて来る。私の「身体」は青色の「衣」に包まれて、身動きができない「苦悩」は深まるのです。自動的に動く「階段」に身を任せることも悪くはなかった。長くも短くも在れ、速くも遅くも在れ、何時かは「階段」も終わりを告げるのです。刻々と「選択」は迫って来る。私は必然の「一歩」を踏み出しました。多数の「男女」と擦れ違う。少数の「視線」との交換が始まる。彼らの偶然の「視線」が、私から「私」を奪い取るのです。果たして、彼らから「私」を奪い返せるのだろうか。「箱」の中では、バローが息を潜めていたのです。
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夢を見た夢11:存在の偶然性と重くて耐え難い感覚、浮遊する老師と透明に拡がる青空
http://artbears.exblog.jp/27668136/
2019-06-30T13:56:00+09:00
2019-10-31T18:15:30+09:00
2019-06-30T13:56:23+09:00
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虚妄と虚偽に満ちた現実、永遠の彼方から聴こえる歌声、反転する闇夜と謎めいた純水
http://artbears.exblog.jp/27619422/
2019-05-27T19:05:00+09:00
2019-10-31T18:20:38+09:00
2019-05-27T19:05:09+09:00
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偶然の選択と必然の結末、目の奥で燃え上がる大聖堂、自意識の鏡に映る彷徨える虚像
http://artbears.exblog.jp/27577941/
2019-04-30T11:49:00+09:00
2019-05-27T19:14:14+09:00
2019-04-30T11:49:00+09:00
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上書きされた意識と私、複数の人格又は夢想に生きる現実、未踏の領域への不安と恐怖
http://artbears.exblog.jp/27531031/
2019-03-31T14:23:00+09:00
2019-03-31T14:23:20+09:00
2019-03-31T14:23:20+09:00
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毒虫へと変身する言葉、開放された扉と光に満たされた通路、無意識と対象との関係性
http://artbears.exblog.jp/27464321/
2019-02-28T18:09:00+09:00
2019-02-28T18:09:04+09:00
2019-02-28T18:09:04+09:00
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夢の中の存在と不透明な本質、螺旋的展開の進化又は退化、審判と自由に対する無力感
http://artbears.exblog.jp/27421056/
2019-01-30T18:25:00+09:00
2019-01-31T09:24:10+09:00
2019-01-30T18:25:25+09:00
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夢の予定調和と神の不在、孤独と自由又は身体と感情の関係、聞き間違えた作家の名前
http://artbears.exblog.jp/27309803/
2018-12-28T16:59:00+09:00
2019-01-26T13:26:38+09:00
2018-12-28T16:59:41+09:00
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とどのつまりは、私は二匹の「白猫」と連れ添って「九州」に帰ることになっていたのです。ところが、予定調和の「禁」は時として犯されて、「夢」は勝手気儘に「始動」する。「秩序」は自由気儘に崩壊する。その「指導」は神に代わって誰が成すのか。
二匹の「白猫」は独立した「個体」を装いながらも、どこかで非物質的に結ばれている。不可分の「実体」としての「表象」と「出現」を欲している。ところが「夢」はと言うと、このモナド的な「秩序」を宙づりにしたまま、予定調和を顧みることはない。神の「不在」は疑いようがなかったのです。
新幹線の「時間」は刻々と迫っていたのです。雌雄どちらの「白猫」を選べば良いのだろうか。モリエールは独り者の「悲哀」を感じさせるが、「孤独」で在ることの「自由」が薫り発っていたのです。私の「結論」は初めから決まっていました。例え、それが「夢」の中で在っても、一つの「性」を選択すること自体の「不自由」を拭い去ることはできなかったのです。
仮に二つ目の「理由」を「言葉」に置き換えるならば、「身体」に付着している「感情」を「犯人」に仕立て上げるしかない。とにかく彼は「端正」に欠けて、「愛嬌」も無い。同情、憐憫、哀惜などの「感情」が、私の「視界」を曇り空に変えてしまう。斯くの如く、私の「逡巡」には格別の「意味」は無かったのだが、結果として、引き取り手のいなくなったモリエールは、私との「運命」の同伴を余儀なくされることになったのです。
そうこうしていると、「店員」が慌ただしくなる。なぜか不機嫌で「愛想」が無くなる。しだいに「人相」まで悪くなる。それが遅れ馳せながら、デパートの「閉店」が迫っている「合図」だったと知ったのです。新幹線の「予約」も変更しなければならない。スマホの「画面」を見ると、無数の「未読」のメールが届いていたのです。
虹彩認証を求めてくる。六桁の暗証番号で切り抜ける「奇策」を思い付く。ところが、スマホの「画面」の向こうに謹厳実直なる裁判官の「顔」」が見えたのです。モリエールとの「関係」が執拗に問われるに違いない。彼の「鞄の悪巧み」には「喜劇性」はあるが、バローの「演技」には、一つの「性」を超えた「自由」と「悲劇性」が認められたのです。
だからと言って、あの「雌猫」がルノーの生まれ変わりとは思いたくなかったのです。彼女の中性的な「肉体」と上品で高貴な「精神」は、モリエールの「人間嫌い」の中で、彼女の「演技」を通して、「認証」された「事実」でした。私は事もあろうことか、「作家」と「役者」を間違えていたのです。「雄猫」の名前はバローと「発音」すべきだったのです。]]>
夢を駆ける車とクロムの心臓、悪魔と手渡された私の欲望、精神又は意味に対する感覚
http://artbears.exblog.jp/27235331/
2018-11-24T17:33:00+09:00
2018-11-24T21:38:12+09:00
2018-11-24T17:33:51+09:00
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気を取り戻して、もう一度「記憶」を手繰り寄せると、白いポルシェが目の奥に映ったのです。一瞬の出来事ではあるが、何枚かの「映像」が「脳裏」を走ったのです。美しいが気怠い、真っ赤な「血液」が「鼓動」となって響く。クロムの「心臓」は永遠の「時」を刻んでいる。それは、私の「夢」を盗んだ「車」から聴こえてくる。
白いカイマンは「夢」の中を翔けて行く。それは「優雅」に疾走していました。遥か彼方の手の届かない「空間」を駆けて行く。それは「華麗」に疾走していました。遠く隔たったものに対する根元的な「感覚」と「感性」が揺さぶられる。その「感覚」が「悪魔」を目覚めさせる「時」もある。それは、特定の「対象」へのフェテシズムではない。無限なる「対象」が有限なる「私」を超えて存在する、そのことへの「予感」と「期待」が満ち溢れてくるのです。ところが、事も在ろうことか、クロムの「心臓」は「悪魔」に手渡されようとしていたのです。「夢」の中の「私」は、私の「欲望」を目撃してしまったのです。
「悪」のなんと凡庸で月並なことか、それは至るところに根を張る「植物」ように繁茂している。動くことの「恐怖」と動かないことの「畏怖」の「感情」が、私の「夢」の中で混ざり合って見える。抵抗の「余地」など無い。受難の「予知」など無い。自然のシステムとして、私の「内部」に蔓延る「悪」を排除することはできない。
私の「意識」は、置き去りにされた屋上の「駐車場」に戻りました。すると、「悪魔」のように細心に用心深く、「私」は周りを見渡していたのです。一体全体、誰が「私」を見ているのだろうか。私の「意識」が、「私」との「関係」を観ているようにも見える。私の「存在」の意味の「痕跡」を探しているようにも見える。
「私」は、私の「車」を探していたのです。手当たり次第に「扉」を開けるが、様々な「植物」が現れては、静かな「吐息」を付いて枯れて行く。穏かな「溜息」を吐いて消えて行く。その「場所」は決まって後部座席に在りました。助手席には誰かが座っているが、「後姿」しか視えない。誰かの「噂話」しか聞えない。
私の「記憶」が正しければ、トニーの運転で、ジェニファーが後部座席に座っていたのです。ならば、助手席の「後姿」は「私」なのだろうか、何の「根拠」も無い「仮説」が浮かびました。この「夢」のアルゴリズムは「示唆」に富んだものでした。私の「意識」は後部座席に在って、助手席の「私」を観ているという「関係」が成り立ったのです。
私の「意識」は「暗闇」の中にポツンと残されていて、クロムの「心臓」のように「孤独」を数えている。抱き抱えられた「鞄」の中に在って、気晴らしの「夢」を見ている。
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夢を見ることの虚構の意味、夢遊病者としての孤独と不安、盗まれた車又は失われた私
http://artbears.exblog.jp/27194460/
2018-10-31T19:51:00+09:00
2018-11-25T15:57:40+09:00
2018-10-31T19:51:56+09:00
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一回目の「夢」に戻ると、あの「夢」を支える「物語」が繰り返されていました。私は「車」を盗まれたという「虚構」を見ていたのです。その「虚構」が「夢」に意味を与えているに違いない。その「虚構」を読み解かなくてはいけない。
私は深刻な「不眠症」に見舞われていました。「病室」にはメタリックな「風船」が浮かんでいて、新たな「風船」にヘリウムが注入されようとしている。「存在」は過剰で、「暴発」は間近でした。その時、「耳」を塞いで、「目」を閉じなくてはいけない。ところが、「私」はと言うと、眠れないのか眠らないのか、私自身の「秘密」を「医者」に知られたくないのか、黙って「病室」を抜け出して、急いで「階段」を降りていたのです。
ソプラノズへの「扉」を開けると、「映像」にも在った地下の「駐車場」が現われて来ました。広くもなく狭くもない「空間」には、「現代」の夢遊病者が集まっていたのです。過去の「移民」は現在の「住民」となるが、その本質的な「孤独」と「不安」には変わりはない。私は単なる夢遊病者なのだろうか、それとも自己同一性を失った「難民」なのだろうか。或いは、「車」を停めた「場所」を忘れただけなのかもしれない。
息を速めて、怖る怖る「呼吸」を深めると、それは意外と存外なことを招き寄せました。一息ついて一瞥すると、「私」の隣に太った「男」が泰然自若として座っている。偶然に知り合った「男」が余裕綽々として運転している。「私」はと言うと、大きな「鞄」を大事そうに抱えて、助手席で小さくなっていたのです。なぜかシートベルトは外されていました。
その「男」はトニーと名乗って、プールに住み着いた「野鴨」が、何の前触れも無く飛び立ったことを嘆くのです。その素っ気無さが、気紛れで気晴らしだけの「人生」を象徴していると涙ぐむのです。彼の突然の「変化」は驚きをもって迎え入れられました。彼も「車」をどこかに置き忘れたのかもしれない。或いは、誰かに盗まれたのかもしれない。
その「女」はジェニファーと名乗って、「車」の後部座席で「足」を組んで座っていたのです。上に組まれた「右足」はとてもチャーミングで、彼女の慎重で主知主義的な「性格」を表わしていました。「心」は決して開かないが、「両足」が無意識に開いて行く、防御の「姿勢」が緩んで行く。その時、「左足」はとてもセクシーな「役割」を果たしたのです。
三人を乗せた「車」は螺旋状に上昇する「坂道」を登って、「屋上」を目指しました。何層にも重なる「駐車場」のどこを探しても、私の「車」を見付けることはできない。上層階に行くに従って、「車」は朽果てて忘れられた「物」へと変質する。私は「車」から降ろされました。走り去る「車」のナンバープレートは見覚えのある「番号」でした。それは、私の生れた年の「数字」でした。盗まれたのは、「私」なのかもしれない。
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