黒い大きな瞳には、透明の涙が溢れんばかりに満ちていたのです。その少し粘り気のある涙は、黒光りする真珠のような球体の表面をなぞるようにして、瞳の奥から湧き上がって来ているのです。その光景は、まるで暗黒の世界から、黒い風船が浮上して来ているようにも観えるのです。その時です。突然、黒馬はその黒い立て髪を振り乱して走ることを決意したのでした。黒い艶やかな髪は、私の目の前で踊り狂うかのように広がり、その一本一々が意志を持った生き物のように、強風に煽られながら蠢いているのです。それらの黒い髪の乱舞の背後には、黒い瞳のだんだんと巨大化する在りさまを観ることができ、それが別世界への入り口であるかのように魅惑的に見えてくるのでした。望遠鏡のレンズを逆に覗き込むようにして視てみると、瞳の奥の奥には、なんと白い立て髪の白馬の不安げな姿が、蜃気楼のように揺れているのです。私はその黒い瞳の角膜を破るようにして、両手を前方に突き出した海老のような格好を採りながら、瞳の内部に侵入することを決意したのです。遥か彼方に視える白馬の白い立て髪を、両目から手繰り寄せるように引き込み、黒いゼリー状の物質と絡ませながら、両耳から排出するという作業を、どれほどの間続けたことでしょうか。そしてやっとの想いで、白馬の豊かな臀部のうねりが手に届く距離に達したと感じた瞬間、私は険しい岩肌に空いた洞窟から飛び出し、真っ逆さまに海辺の波打ち際へと落下する自分に気付いたのでした。眼下には白い砂丘が視野に入り、次にその砂の一粒一々までが視えようとした時、私の両足は逞しい黒馬のそれに変わっていたのでした。私はこの脚を八の字に踏ん張るようにして大きく広げ、砂浜に着地することに成功したのです。海辺には右にカーブを描くように湾曲した絶壁が高く聳え立ち、半円となった砂浜と青空を背景にして垂直に立ち上がる絶壁との境界線が、どこか幾何学的な冷たい世界を象徴しているように想えたのです。白馬はと言うと、誘惑の表情なのか、それとも恐怖を抑えたそれなのかを曖昧にしたまま、海に向かって走り続けて行くのでした。そして私が海辺まで追い詰めたと想った時、白馬の背中からは天使のような美しい白い羽が急速に成長し、「バサッ」と大きく羽ばたくことにより、青空に力強く舞い上がったのでした。私には羽が無い。そして私は海中に突入して、その四脚を虚しく回転し続けていたのでした。すると前方の薄暗がりの中からは、悪魔の心を持つことが明らかな三匹の鮫が、身をくねらしながら泳いでくるのでした。私は想わず海中から天を仰ぎ見て、海面近くまで降下している白馬に、全てを犠牲にすることも厭わないと誓ったのです。それは白馬が、今は黒馬である私のもう一つの可能性であり、そしてもう一つの過去でも在ることを感じるようになっていたからなのでした。