私は白いビロードを拡げたような雪山の小高い丘に積もっている雪でした。朝日がいつものようにキラキラと光の粒子を輝かせ、小さな雪の妖精たちが上昇気流に乗って天空に舞い上がろうとしているころ、私は決まって私の白いビロードの衣服に残された黒い足跡について想い悩むのでした。その足跡は、ある時には剛毛を逆立てた熊のそれのように傲慢であり、またある時には敏捷で抜け目の無い山猫のそれのように狡猾であるのです。そしてその足跡が古い木製の階段の軋む足音へと変化し、一歩また一歩と近づく恐ろしい気配となって私を支配し、最後には鋭利な刃物の刃先となって私の心の扉に突き立てられようとする瞬間、私の全身の皮膚細胞からは悲鳴の涙が堰を切ったように流れ落ちるのです。私は囚われの身であり、この足跡の束縛から解き放たれない限り、私の心は閉ざされたままであることを知っていたのです。しかしそんな時にあっても、天空には暖かく慈愛に満ちた陽光が渦巻きながら光を放っており、小さな雪の妖精たちと戯れるように遊ぶ白い手袋のような羽を持った鳥たちの存在があることを忘れることはありませんでした。その陽光の暖かさを充分に宿した純白の手袋のような羽で、この私の衣服に描かれた黒い文様を、そしていまや私の裸身にまで達そうとしている足跡の黒い心を、救い取ってくれはしないかと何度願ったことでしょう。そんな私の願いは想わぬかたちで叶うこととなりました。それは、私が陽光自体を全身に浴びることを決意し、その一筋一々の光が私の身体のあらゆる細胞をいたわり愛しむものであることを知り、私の「パックリ」と開いた心の傷口をつぎつぎに癒してくれることを感じ取ったからこそなのです。陽光の愛を一身に引き受けることによって、私の体温は上昇を続け、やがてそれは感涙となって私自身を溶かすこととなったのです。私は涙そのものとなり、流れる水となり、そして逃亡への水路へと流れ込んだのです。やがて私の関心は、私を苦しめ続けたあの足音が遠ざかる響きとなり、その響きと交代するかのように聞こえてくる小川のせせらぎに向かったことは言うまでもありません。なぜならば、そのせせらぎの音とは、私自身の歓喜の気持ちが自然の秩序のなかで変奏されている調べとなっていることに違いなかったからです。そのささやかな変奏曲は、やがてオーケストラの奏でる大いなる交響曲の響きとなり、私が大海に辿り着いたことを告げるのでした。大海には白い鯨が悠々と泳いでおり、時たま吹き上げる潮吹きの光景は、まるで雪山に吹き荒れる吹雪のように厳かであり、自然に対する畏怖の感情を抱かせるものでした。この雄大でありながら、繊細な心の持ち主である白い鯨と寄り添うようにして泳ぐことにした私は、その足跡の痕跡がどこにも見当たらない白い巨大な体に耳を押し当てて、遠くに響く懐かしい波打ち際への想いを募らせたのです。その打ち寄せては引いていく自然の摂理である波動に、私は永遠の心の安らぎを感じ、ゆっくりと心臓の心拍をそれに同調させることにしたのです。