私の「手」は意を決して、透明の「液体」の中に侵入したのです。すると、土色の「煙幕」が張られる。透明の「秩序」が崩れる。視界が不良となる。濁った「液体」がひとりでに動いて、小さな「旋風」となって、私の「手」を包み込んだのです。
「視覚」を「触覚」に切り換えるしかない。手探りの「暗闇」に直に触れるしかない。暗中を模索する。私は盲目の「手」となって、「水底」の「枯葉」を掴もうとしたのです。折り重なるようにして眠る「心底」の「記憶」を拾おうとしたのです。指先の鋭敏で繊細なる「感覚」が高まる。一枚の「枯葉」に触れたのです。
その「暗闇」は、やがて黒い「亡霊」となって、私の「精神」を何度も揺さ振ることになりました。深くて重い感傷と興奮の「時間」が刻まれていく。底知れない哀愁と激昂の「空間」が拡がっていく。私の白くて柔らかい「皮膚」は、その「熱風」に焼け焦がされたのです。黒い「太陽」が爛々と燃焼する。黒い「肉体」が蕭々と舞踏する。それは、彼等の黒くて逞しい「皮膚」に染み込んだ情念の「業火」のようでもありました。
私の「目」は意に反して、暗黒の「世界」の中に陥入したのです。黒い「亡霊」が滑るようにして動いていく。振り向いた「顔」だけが、慌ただしく遠くに消えていく。律動する「呼吸」、循環する「血液」、躍動する「肉体」、それらの「痕跡」を残して消えていく。そして、最後まで振り向かなかった黒人の「後姿」が視えて来たのです。二人の「音楽」が聴こえて来たのです。彼等の「音楽」に内在する唯一無二の「秩序」と「構造」が、私の耳の奥に現われたのです。
もちろん、彼等の「音楽」は黒人で在ることを超えた普遍性を勝ち得たものでした。人生の「実相」と人間の「実体」、そして何よりも生きることの「苦悩」と「矛盾」が、その「音楽」には濃縮され、昇華されていたのです。ジャズの「終点」は、常にジャズの「原点」に立ち戻ることで、その「円環」は閉じられていたのです。
窓ガラスの向こうでは、摩天楼が蜃気楼となって、「不安」と「期待」を煽るかのように揺れていました。ジャズが最も熱い「時代」を駆け抜けていたのです。「鉄骨」だけが剥き出しになった未完成の「建物」が至る所に起立している。何台ものエレベーターが、死刑台へと運ばれる「箱」となって、上昇と下降を繰り返していたのです。
とにかく「処分」しなければいけない。このカラカラに乾燥してしまった「枯葉」を、何処かに捨てなければいけない。何かに急かされるようにして、誰かに衝き動かされるようにして、私は、「扉」を開けて待つエレベーターに飛び乗ったのです。
閉塞感のある「空間」に閉じ込められる。サクソフォンのフリーキーな「音塊」が反響する。創造と破壊を同時に執行する「音群」の波状攻撃が始まる。「空間」が抽象的に変質する。いっさいの「虚偽」を排して「虚無」に徹する「音楽」が延々と続いたのです。しかし、悲しいかな「純粋」なるものの持続は在りえない。「天国」に向かって急上昇するエレベーターが、「地獄」へと急降下する一瞬のタイミングで、私は、その「箱」から飛び降りたのです。
エレベーターから降りると、コンクリートで造られた「部屋」が待っていました。窓ガラスが嵌められていない、それも極端に「窓枠」だけが大きな「空間」に、私は不安と狼狽の入り混じった「感情」を覚えたのです。「疾風」が吹き抜ける。ホッパーの「絵画」が浮かぶ。一人の黒人が「椅子」に座っていました。その相対的に小さく見える「後姿」は、彼の「孤独」を物語っていたのです。「窓枠」の向こうには、イーストリバーの「水面」がキラキラと輝いていました。彼の「視線」が、何を求めているのかが分からない。「対象」の不在が暗示されていたのです。
彼の「視線」の先を追い掛けると、「孤独」をひとりで渡る「橋」が視えました。私の「記憶」の「川」にも「橋」が架けられたのです。アルバートの「死体」が浮かび上がったのです。それが、他殺であったのか、自殺であったのか、その両義的な可能性が、彼の「矛盾」となる。私の「苦悩」となる。アルバートの生命の「炎」は、彼のジャズのように燃え上がり、彼の「音楽」と一体になって消えたのです。一枚の「枯葉」が燃え尽きたのです。