私の「心臓」は氷に触れているように感じたのです。黒い頭巾を被った「老女」が光の届かない「海底」から昇ってくる。そんなイメージが目の奥で再生されたのです。「老女」は「階段」を一歩上がる毎に、少しずつ白みを帯びてくる。そして全体に明るさが増してくる。それは、「暗闇」から浮び上がる神秘的な「記号」のように視えたのです。私は「老女」の「言葉」を待ちました。別の「時間」を生きた「証言」を待ったのです。
「言葉」が「気泡」となって上がってくることに驚きは隠せなかったのですが、正直言って多少の「期待」はありました。しかし「気泡」に群がるシャークを視たときに、その「期待」は無数の「水泡」となって消えていったのです。
ここには「暗闇」しかない。その「暗闇」に向かって、「老女」が何かを喋っている。まるで白黒の「映画」の一画面のようだ。アムステルダムの「街灯」、紅いスカーフと震える「手」、聞き取れない「言葉」、それらは、遥か遠くから「風」に乗って運ばれてくる「梵鐘」のように、重々しくて悲しい。
私の「耳」はブルブルと震え始めました。熱いのか寒いのかが分からない。何れにしても、私の「耳」が真っ赤に腫れ上がっているように感じたのです。
私は「水面」に顔を近付けました。強力な「引力」が、そこから離れることを許さない。「鏡面」に現れる私自身を待つしかない。すると、そこには、あのエメラルド色の「海」の照り返しで同色に染まった「空」が、どこか見覚えのある懐かしい「瞬間」として、写し取られていたのです。「風」が吹き、「少女」の藍色のスカーフが宙に舞う。突然の「真実」を視たという「感情」が忘れられなかったのです。
それを、「必然」の出来事であったと考えることにしたのです。それは、私の過去の「記憶」が「身体」の中で生き生きと蘇った「瞬間」だったのです。「記憶」は決して「身体」から離れて存在するものではない。私の「記憶」が正しいとも限らない。他者の「記憶」との再会によって初めて、その人生における「意味」を獲得することができると思ったのです。真実の「原石」は、他者の「言葉」に秘められていたのです。
「空港」のロビーに靴音が響いている。その「音」は、私の「記憶」の中でも反復して響いている。うな垂れる「受話器」が一本のコードで辛うじてぶら下がっている。出発か到着かの「記憶」は消されたようだ。私は配られたカードを「手」に握り締めて、とにかく「空港」から離れることにしたのです。「賽」はすでに投げられている。私は「座席」に拘束されている。不思議なことには、離陸の「恐怖」は感じられなかったのです。
それを、「偶然」の出来事であったと考えることにしたのです。私の目の奥には、積み重ねられた「残像」のファイルが存在する。偶々、最初のページが開かれると、そこには滑空する戦闘機の「残像」が在って、次のページには浮上する潜水艦の「残像」が在った。それらが、シャークへの恐怖の「感情」によって繋ぎ合わされたのです。あの「事件」は、それ以上でもそれ以下でもなかったと、振り返って思ったのです。
振り返ると、私の「意識」にも遠心力が働いたようでした。全く別の「光景」が脳裏に張り付いていたのです。鉛色の「曇天」が重く垂れ下がる。「海面」に白いたてがみのオオカミが走る。私の目の奥から、ロンドンの南方に位置する、今や廃墟と化したかつての「産業都市」が現れてきたのです。その背景には、あのエメラルド色の「海」は消えていたのです。