走れ、走れと自らを叱咤激励してここまで来たものの、さて、この八方塞の「状況」からの脱出を次の「夢」に託すことは出来ないものかと思ったのです。それにしても、あのような高所から闇雲にジャンプするなんて、あなたが言うように、私には自殺行為にしか思えなかったのです。たとえ、あの群青色の水を湛えたプールが、彼等が言うように、底無しの深さがあると信じられてもなのです。その「光景」を目撃したのは、この住宅地に侵入した装甲車の小さな「銃窓」からでした。そして、私達の置かれた「状況」が理解出来たのは、装甲車の操縦席を囲む無数の計器類が、一斉に赤色に点滅を開始した時のことだったのです。私達は慌てて、全てのスイッチを手分けして「オフ」にして回りました。ところが、その「作業」が終わって一息付くと、驚くことに装甲車は自動操縦に切り替わって、平静を装った住宅地を壊滅するというプログラムの実行を開始したのです。私達は阿吽の呼吸で、装甲車の底部にあるハッチを開けて脱出を試みました。しかし、私達の「想念」から、あの永遠に破壊行為を繰り返すであろう「無人」の装甲車のイメージを消し去ることは、一定の「期間」を要することに思われたのです。「仮眠」は浅く短く、しだいに現実との「距離」を狭めていました。破壊された住宅地の真下には、まるでネガのように存在する「裏面」の世界としての寂れた商店街があったのです。知らぬ間に、あなたと逸れてしまった私は、今やシャッター商店街となった、しかし妙に明るい「光線」に満ちたこの「空間」を、二足歩行の野良犬となって彷徨っていたのです。暫くして、ガチャガチャという金属音に気付いた私が右脚を視ると、なんとそれは、アルミ製の「義足」となっているではありませんか。そして、物陰に隠れて、こちらを用心深く観察している四足歩行の野良犬達の脚も、必ずどの脚かは「偽足」を装着していたのです。彼等の「欲望」が、私の右脚にあるのか、それとも左脚にあるのかは、判断の下しようがなかったのです。なぜならば、この「世界」とその「経済」は、実体ある需要と供給の関係性を土台とするものから、「投機」の対象となる関係性そのものが情報化され、消費される「段階」に移行していたからなのです。ともかく私は、この「我消費す、故に我在り」の世界からも抜け出さなければならなかったのです。私は、「逃亡」することが彼等の「追跡」の自動プログラムを起動させることを知りながらも、無我夢中で走り続けました。そして、なんとか駆け込むことが出来たのが、シャッターが開いていた唯一の「場所」である、このロボット修理工場だったのです。そこには、無数の人間型ロボットが、まるでカタコンベに放置された「骸骨」のように積み上げられていました。そして、その片隅の壁には、石膏で型取りされた「ギブス」が立て掛けてあったのです。その傍らの床には、真新しい「包帯」が投げ捨てられていました。それらの「光景」の意味するところを理解した私は、居ても立ってもいられなくなって、深く長い霧中に再び迷い込むことになったのです。ところが、この乳液のように白濁した「世界」が透明性を帯びるには、百年河清を待たなければならないと思っていた私の眼前に、突然、その巨大な「壁画」は姿を現して来たのです。「壁画」の支持体は、無数の多様なブロックから構成されていて、そのこと自体からは、異質性や対立性を許容する、土台としての一体性が確認されました。しかし、「壁画」そのものはどうかと言うと、描かれた「内容」には意味がなく、構成要素の相互の関係性や脈絡性も失われていたのです。それは、「我信ず、故に我在り」とした組織原理で辛うじて延命して来た「社会」の崩壊が描かれているように思われたのです。私の「視線」は眼下に移動しました。すると、壁画は「赤壁」となって、あの群青色の水を湛えたプールと水源を同じくした、この「水路」の濁流を堰き止めていたことが判ったのです。そして、「赤壁」の崩壊が進むにつれて、「水路」の水位は低くなり、その「水底」からは様々な未来の「遺物」が姿を現して来ていたのです。その中には、あの破壊兵器と化した装甲車も視えました。私は、この「赤壁」が決壊する前に、なんとか「対岸」に渡り切らなければと考えたのです。なぜならば、対岸の断崖に沿って走る「細道」には、アルミ製の松葉杖と重たそうな鞄が置かれ、その鞄の中には、銀色に光り輝くたくさんの林檎が視えたからなのです。「赤壁」に飛び移った私が、群青色の「水流」を視下ろした瞬間、私の「夢」は霧中に夢散して行ったのです。