地下鉄は、いつものように遠回りをしながら「現在」と「過去」を接続して走っていたのです。それが「真夜」であるのか、それが「真昼」であったのかは、地下鉄に乗っているという薄暗がりの中の「意識」が、その分析的な判断を妨げていたのです。私の今夜の「夢」は、いつものように左回りで内回りの「軌道」を走っていました。それは、「京都」は「東京」の手前に在り、「目黒」は「新宿」の先に在るというイメージの「回路」を、半ば暴走気味に走っていたのです。地下鉄は二度三度と左右に大きく揺れ、その度にスパークした「電流」は周囲を明るく照らし、記憶や知識の「断片」は脈絡も無く結び付き、「仮想」のシナリオはオートマチックに浮んでは消えて行くのです。気が付くと、新幹線は「京都」の手前を走っていました。すると突然、雷鳴が轟き、豪雨とともに晴れ渡った青空には「黒幕」が引かれ、京都の「天空」は一瞬にして、荒ぶる「雷神」と「風神」が暴れ狂う怪奇空間に変貌を遂げたのです。記憶の「黒幕」には、陰極から陽極への「火花」が激しく走り、私の「意識」は何も書かれていない「白紙」へとリセットされたのです。慌てて私は誰なのか、とコートの内ポケットに手を差し込むと、そこには生暖かい熱帯の「沼池」が在って、でも、あのクロコダイルの生温かい「皮膚」の感触は、どこを探しても無かったのです。「名刺」を失った私は、無名性の「沼池」に生息していたのです。コートを広げて裏生地を視ると、紺色と朱色と灰色の「縞柄」が目に飛び込んで来ました。そこには、刻々と変化する黄昏時の京都の「情景」のように、陽の落ちる「階調」が丁寧に織り込まれていたのです。伝統の縦糸には、革新の横糸がしっかりと紡がれているのです。私は、この時代の先端を捉えた現代性と古色蒼然とした「歴史」の重厚さが同居した「古都」を、常に「意識」の片隅に感じながら、時に「夢」の中で往来する大路小路として位置付けて来たのです。そう、この奥ゆかしさに満ちた「古都」には、何よりも「都市」としての風格と威厳を支える政治空間の「存在」が感じられるのです。それは、この土地が千年にも及び「首都」で在り続けたという「歴史」の重みでもあったのです。そして、四季折々に催される「祭祀」は、古来、政治と祭り事が不可分の関係であったことも思い出させてくれるのです。そのような想いを抱いて「夢」の中を彷徨っていた私は、と或る「小路」で、京都の「地図」を小脇に抱えたあなたに出会ったのでした。その「図面」の中央には、政治を司る「天皇」の私的空間としての「内裏」が在って、その前後左右には様々な「社寺仏閣」が方眼状に配置され、その東西南北には大小の「路地」が整然と区分されて描かれていました。私達は、その「地図」を頼りにして、ライトアップが予定されている「古寺」への上り坂を急ぐことにしたのです。古寺の「五重塔」は、下方からの強烈な「光線」で照らし出され、それは、「現在」と「過去」との奇妙なコントラストを浮き彫りにしていました。私達は次に、休む暇も無く、ライトダウンが予定されている「古寺」への下り坂を急ぐことにしたのです。古寺の「庭園」は、既に夕暮れの「暗闇」に呑み込まれ、青く発光する半導体の「蛍」の生息する場所へと変じていました。古き自然火は消え去り、新しき人工灯が燈っていたのです。その寂しげな人工灯を頼りにして、私達は、再び「図面」を覗き込むことにしたのです。するとそこには、中央の「内裏」の西側に、ほぼ同じスペースの「空閑地」が描かれていたのです。そこは「遷宮」のための用地に違いないという「妄想」が肥大化を開始した瞬間、私の「意識」は百五十年前の「遷都」先である「東京」に飛び移ったのでした。突然、人身事故が発生したというアナウンスが響き渡り、山手線は「新宿」の手前で急停車しました。車窓から「車内」を覗き込むのは、それが「赤鬼」であるのか、それが「青鬼」であったのかは、緊張感で沸騰しそうになった「車内」においては、その客観的な判断が下せなかったのです。反戦デモが繰り返される「新宿」は半狂乱の状態で、まさにカオスの「坩堝」と化していました、その途方も無いエネルギーは行き場を失い、アンダーグラウンドに封じ込めるにも「限界」が視えていたのです。そして、マンホールを破壊して「街路」に飛び出した「赤鬼」は、今や政治的機能を失った「東京」を徘徊する輩となっているのです。気が付くと、山手線は「新宿」を通り越していました。迫りつつあるクライシスへの危機感は、代替機能を果せる「京都」の可能性に向いていることは確かだったのです。