もはや「欧州」行きの飛行フライトの案内は、やっとの想いで辿り着いた「空港」の電光掲示板からは消去られていたのです。その代わりとの説明もなく、ただ「危機」と「不安」を煽るかのように表示されている「数字」は、どうやら直線的に下落を続ける「株価」と「通貨」に関する情報のようでした。出発ゲートへの上昇エスカレータは無人で回転を続け、到着ゲートからの下降エスカレータは「仮面」を次々と取り替える「政治家」を運んでいたのです。そして、彼等の口々に発する信用、責任、改革といった「言葉」が、空港ロビーに虚しく響き渡っていたのです。私には、それらの「言葉」の背後には、実体経済と乖離した「虚偽」の信用創造があり、インフレを誘発しないように「資金」を小出しに供給しながら、いずれ債権放棄を国際政治の場で遂行しようとする「意図」が見え隠れしているように思われたのです。「会議」は踊り、「茶番」は終わり、かつては「救世主」として嘱望された「政治家」でさえも、その「見識」に似合わない「内容」のメモを読み上げ、逃げるようにして立去る姿を「衆目」の下に曝したのです。信用不安の「空気」は一気に世界に「拡散」したのです。ことの要諦は、誰が最終的な責任を負うかであり、そのことを棚上げにした狩猟民族的食い荒らしの金融メカニズムは「終焉」を迎えているのです。取り返しの付かない「事態」が進行していることは明らかでした。空港内のチケットカウンターの前には、大勢の人々が列を成し、当てもない最終フライトの「予約」に最後の望みを託していました。そんな時の事でした。私の買い換えたばかりの情報端末に、あなたからの「気を付けて、天が堕ちるわ」というメールが届いたのです。操作方法に「習熟」していない私は、すぐに「返信」することを諦め、本能的に身の安全を優先する「選択」をしたのです。私は「地」へと導く「坑道」を偶然に見付け、危機一髪、まさに青天の霹靂、「空港」は上部建屋から「瓦解」を開始したのです。「天」は抜け堕ちて、私の「憂慮」は杞憂には終わらなかったのです。一息付いた私が「坑道」を暫く歩くと、この「空間」は決して「虚飾」を追ったものでなく、ある種の温もりと穏やかさの「空気」が残っていることに気付きました。石造りの水路に流れる「水流」はあくまでも無色透明で、それらが長い年月をかけて「浄化」されて来たことは、一目瞭然だったのです。私は再び歩みを続けました。すると、東西と南北の「坑道」がクロスした部分が、卵型の吹き抜け構造になった「十字架」のような「空間」に出会ったのです。その「天井壁画」を見上げた私は、思わず「感嘆」の声を上げてしまいました。ありとあらゆる「鉱物」の「実質」そのものが色鮮やかに発色し、見事な「色彩」となって自らの「存在」の確かさを示していたのです。そして、目も眩むような高さに造られた人工の「天」には、もはや私の現実感覚ではファンタジーとしか観えないのですが、しかし確かな秩序感覚を備えた神々の「物語」が、創る者の「精神」と創られる物の「内容」の合一した「実体」ある「絵画」として描かれていたのです。そこには、揺ぎなき超越者への「信仰」と為政者の成すべき「正義」が、一欠片の疑いもない「確信」を持って描かれていたのです。そんな時の事でした。私の情報端末に、あなたからの「気を付けて、地が落ちるわ」というメールが届いたのです。私は、今回も「返信」を諦め、冷静かつ迅速に身の安全を優先する「選択」をしたのです。仮に、この「空間」が伝統的な「聖堂」であったならば、神秘的な光に包まれた深奥部に構造的に強固な「祭壇」が在るはずなのです。私は、夢の中の「神の国」を駆け抜けることにしました。すると申し合せたように「天井壁画」は崩落を開始し、物質的な破片とともに、荒廃、略奪、殺戮といった凄まじい「映像」の断片が降り注いで来たのです。独裁体制は倒れたものの、その後に生まれたのは国家秩序の崩壊であり、耐え難い混乱と無政府状態だったのです。私は、「絶望」の面持ちで「天」を見上げました。すると、この「世界」の下部構造の「天」の裂目から、その上部構造の「地」の割目を通して、あの崩壊した「空港」の上方に広がる「冬空」を垣間見ることが出来たのです。それは「衆愚政治」が招く、事実上の国家のメルトダウンを「予告」する不気味な「黒雲」の漂うものでした。私は、前方の最後の避難場所である「聖壇」を見遣りました。そこには、この出口なしの「状況」においても、それでも「社会改革」を進めるには、「市場」の規律の活用を説いたハイエクの立ち竦む姿が視えたのです。